政略結婚で結ばれた私たちは健全な紳士淑女です
あまり深く考えずに読んでいただけると幸いです。
政略結婚。貴族であるがゆえ避けられない、家と家の繋がりである。マリベルとジョゼフは、例に漏れず政略的結婚が約束された。齢2歳の年であった。
それから二人は、幼馴染と言うには遠く、知り合いと言うには近い程度の、絶妙な距離を保っていた。互いの誕生日パーティには出席してダンスを踊り歓談するし、流行りの観劇には並んで座って、どちらかの家で感想を語り合う。しかし学園では同じクラスでも会話はない、そんな婚約者同士である。
マリベルは雲の切間から差し込む陽光のような金色の髪に、まるで海から掬い上げたような青い瞳をしている。幼い頃は赤いリボンを好んで付けていたが、今ではあまり派手ではない琥珀のバレッタで髪をまとめていることが多い。しなやかな肢体に、やや小ぶりではあるが女性らしく膨らんだ胸は彼女が淑女であることを象徴している。
ジョゼフはそばかすの少し浮いた、ともすれば幼くも見える風貌の紳士だ。浮いた話の一つもないことを、誠実と言えば聞こえはいいだろうが、その実奥手で小心者である。乗馬で程よく引き締められた肉体は、タキシードの上からでもひと目で分かるだろう。樫の木のような焦茶色の頭髪は短く刈りそろえられていて、双眸には濃い藍色がコントラストを引き立てている。
晴れてジョゼフが18となり、子爵家の後継としての教育を終え、父カルロスが隠居するまで補佐の仕事を始めた頃、マリベルとジョゼフは結婚式を挙げた。春先の陽気と、咲き誇る花々に包まれた、華美ではないが穏やかな式であった。それが本日である。
「……」
「……」
まだ一度も使われていない寝台に、卸したての天蓋が、薄暗い部屋の中で大きな存在感を放っていた。先程まで、良い式であったと感想を語り合っていた二人は、侍従に流されるまま同じ寝室へとやってきたのだが、そのまま立ち竦んでいる。
無理もない。ジョゼフもマリベルも、互いがはじめての相手であり、恋人などという関係でもないのだから。
「その、まあ、立ち話もなんだから」
ジョゼフが沈黙を断ち切って歩を進める。立ち話もなにもないが、沈黙に支配された空間はたまらなく居心地が悪かったので、マリベルも静かに歩を進める。
しかしながら椅子は一脚しかない。二人は自然と呼ぶにはぎこちない足取りで寝台へと向かって、そのふちに遠慮がちに腰掛けた。
教育を受けているので知っている。植物でいえば受粉、動物でいえば交尾をして、自分達は次代の子爵家を継ぐ嫡子を育まなくてはならない。しかしながら、それをあれにどうする、と知っていても、過程まではよく知らないし、なにより経験もないのだ。羞恥と緊張に駆られた二人は動けないままでいる。
「え……と」
「……」
マリベルは口を開かない。この気まずい沈黙を如何に打破しようかとジョゼフがこれほど考えているというのにだ。相槌の一つもなければ、ジョゼフはただの道化であろう。
もしくは、とジョゼフが固唾を飲む。マリベルは自分より更なる真へと迫った教育を受けており、それを"待って"いるのではないだろうか。となると、不作法なのは自分ということになる。ジョゼフは意を決して、しかしマリベルの顔を見ると緊張するので、そうっと隣に座るマリベルの手に触れようと手を伸ばす。布に触れる。
「ひゃっ」
まだ僅かに寝巻きに触れた程度だというのに、マリベルは身を震わせて驚く。それからマリベルは逡巡した。もしかして、ジョゼフは人体の神秘を網羅しており、これからその秘された全てを詳らかにしようとしているのではないだろうか。そうであれば、この手を振り払うなどまるで聞き分けのない幼子ではないか。マリベルは、んんっと咳払いをして、引っ込んでしまったジョゼフの手を追うように少しジョゼフの近くへと座り直した。
これに困惑したのはジョゼフである。触れることを許されたのだろうか。先へと進むべきなのだろうか。しかし先とはなんだ。受粉へと至るべき道筋をジョゼフは知らない。
ええいままよ、と今度こそマリベルの手を握ろうと、先程は目算を誤ってしまい腰の辺りへと手を伸ばしたが、そこに手が無ければ足の上でそっと重ねているに違いない!ジョゼフは躊躇いなくそこへと手を伸ばす。もちろん視線は向けない。
「っっっ」
時は常に流れており、それはマリベルにとってもそうだ。先程まで足の上に重ねていた手は座り直した際尻の横に置いたままであった。ああしかし無情、ジョゼフがそれを知る由もない。無遠慮に伸ばされた手は、持ち主である淑女マリベルですらよく知らない部分である。受粉に必須ではあるが、用途はよくしらない。いや今なのだろう。マリベルは必死に上がりそうであった声を飲み込む。
さて異変に気付いたのはジョゼフだ。あるべきものが無かった手は、既に戻すタイミングを失っている。であるがここはあそこで、つまり今ここであることに間違いはないが、だからといってこれが正解だとは思えなかった。気付いたことがむしろ不幸であったのかもしれない。
だがマリベルも当然異変に勘付いている。遂に時が来たのであろう。ロマンス小説のような甘い言葉はないし、ドラマチックな展開もないが、政略結婚である。子を成し育むことが子爵夫人の務めなのだ。知らんけど。女は度胸、マリベルはジョゼフの手にそっと己の手を重ねる。じっとりと滲んだ手汗はご愛嬌だろう。
温かなマリベルの体温に挟まれたジョゼフは、更に逃げ場を失ってしまった。呼吸と動悸が同調するように小刻みになっていく。マリベルに聞こえてはいないだろうか。いやきっと心音は伝わってしまっているだろう。だってこれほど密着しているのだから。ジョゼフの手は、まるで自分の一部ではないかのように感覚が薄れていく。だというのにしっかりと熱量は伝えてきて、ジョゼフはもう頭が真っ白になってしまった。
どれほどの時が流れただろう。ジョゼフの額には冷や汗とも脂汗ともつかないものが滲んで、いくつもの粒が消えていった。心音はこの異常事態を遂に諦めたのか、ゆったりとしたものに戻っているがジョゼフの思考は伴わない。いくつもの思案がジョゼフとマリベルの脳裏をよぎっていく。
それから、空がじんわりと明るくなった。
「……まあ、その」
カラカラになった喉で必死に声を絞り出す。ジョゼフはふう、と息を吐いてできるだけ自然に、髪をかき上げた。もちろんマリベル側の腕で。
「今日はお開きだね」
「……そうね」
こうしてジョゼフとマリベルの奇妙な初夜は明けた。その後、緊張の緩和による睡魔が訪れた二人は、一つの寝台で同衾することとなる。起こしに来た侍従は、やや汗ばんだ皮膚に乱れていない衣服を見て首を傾げたものの、気を遣い昼過ぎまでそのまま寝かせておいた。二人の寝顔は、達成感にも似た幸せそうな表情であった。
数年後、マリベルの膝には周囲から愛されるその子が、スヤスヤと寝息を立てており、それを羨ましそうに眺めるジョゼフの姿が見られた。腕や背には絶えず爪を立てた傷跡があり、学園での友人達にはお熱いねと茶化されるが、それも悪くない。
「ジョゼフ、あなたったら構いすぎなのよ」
「しょうがないよ、こんなに愛らしいんだもの」
気持ちよさそうに尻尾を揺らしながら眠るその子は、ベルゼフと名付けられている。昨年マリベルが拾ってきた猫である。二人の元に嫡子が産まれるのは、まだまだ遠そうだ。
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8/20 0:36
誤字がありましたので修正いたしました。
以上事態→異常事態