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呪想幻談  作者: へんさ34
起想
2/21

これまでの風景

 朝の冷たい空気が肌を刺す。道場の板張りの床は足裏を常に苛み続ける。

 僕はゆっくりと木刀の柄を握り、前へ力強く踏み込みながら振り下ろす。木刀は冷たく澱んだ空気を切り裂き、小気味良い音を立てた。

 三百本ほど振ったろうか。そろそろ型へ移ろうかと考えていると、後ろから優しげな声がかけられた。

「雄哉、今日も朝からせいがでるな」

「まぁ、習慣ですから」

 声のするほうをちらりと見遣る。

 歳は70そこそこ、顔に深く刻まれたしわが優しげな印象を与える好々爺が立っている。

 とはいえまだ姿勢はまっすぐで、僕と共に稽古することもある。

「今日はそのへんにしたらどうじゃ。今日はお参りもせにゃならんしのう」

「はい、わかりました」

 僕は母屋へ戻っていく老人の後をついていく。

 ふと、何かの気配を感じて後ろを振り返る。

 なぜか、床の間に飾られた一振りの刀が目に入った。

 毎日見ていて慣れてしまったが、その刀は初めて見る人は皆異様だと感じるだろう。

 その刀は、床の間に飾られているにもかかわらず、鞘と柄に装飾はおろか塗装すらされていない。生の白木が剥き出しだ。

 唯一の装飾と言えば、柄の手元に《《つばき》》の花が彫り込まれている程度。

 これがまた艶やかなことこの上なく、まさに今ポトリと落ちたつばきの花を埋め込んだかのようである。

 一瞬、刀が妖しく光った気がした。

 僕は咄嗟に目を逸らし、あわてて老人の後を追いかける。




 そういえば、なぜ僕はこんな変な習慣を続けているのだろう?





 水を満たした桶と柄杓をぶらさげ、家の裏手へ回る。そこにひっそりと佇む一本の石柱がある。

 高さは大人の腰くらいで、表面は若干の凹凸以外は何もない。

 桶の水を石にかけ、ゆっくり屈んで手を合わせる。

 老人曰く、これが両親の墓らしい。これだけ立派な外観の武家屋敷に住みながらなんともみすぼらしいことだ。


 僕には、一年以上前の記憶がない。


 目が覚めたらこの屋敷の布団で寝ていて、隣に老人がいて、両親は事故で亡くなったことを告げられ、二瀬雄哉として暮らしている。

 老人は事故のショックにより記憶を失ったと言っていた。しかし、周囲の人間と比べたとき、僕は事故と共に感情も亡くしてしまっている気がする。

 老人は気のせいだと言うが。



 軽く朝食を済ませ、制服に着替える。


 大仰な正門を出ると、一人の少女が立っていた。サラサラの黒髪は長くのばしており、白く綺麗な肌と垂れ目で整った顔立ちにやや細身な身体が非常に男性受けしそうである。

「おはようございます」

 そう言って彼女は幸せそうに笑った。

「ああ、おはよう」

 そう言って僕は歩き出す。

 彼女もしずしずとついてくる。

 どうやら黒髪の美少女こと白羽雪絵が僕の『彼女』らしい。

 とはいえ記憶のない僕に白羽がそう言っただけなので、『自称彼女』と言えなくもない。

 お淑やかで非常に面倒見が良い。周囲の人間は皆彼女のことを羨ましがるが、僕は特に彼女を好いている訳でもなければ嫌ってもいない。

 せいぜい僕に構う物好き程度の認識だ。

 もちろん、白羽さんにもきちんとそう伝えてある。『知ってますよ』と言って意味深に微笑むだけだったが。




「では、わたしはここで」

 そう言って彼女は小さくお辞儀をすると、自分の教室へと向かって行った。

 彼女にしてはえらく他人行儀な気もするが、彼女が僕に尽くしてくれるのは間違いないので余計に掴み所がない。

「お、二瀬くん。おはよー」

 クラスの女子が声をかけてくる。

 僕は曖昧に返事をし、自分の席へと向かう。

 突如、視界が白黒になる。

 ああ、まただ。

 クラスの喧騒が遠退き、もやがかかったようになる。

 この日常が仮初めで、大切な使命を忘れてしまっているような。





 記憶を失う前の僕は、一体何者だったのだろう。

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