07
遠くで誰かの声が聞こえた気がした。
瞼の向こう側が明るい。わたくし、どうしたのかしら。どうにも覚束ない。眠ってしまったのかしら。薄ぼんやりとした意識の中、唐突に魔法の残滓を感知した。……ああ、そうだった。わたくしはレイラとシェリルの魔法で、眠っていたのね。
きっと家令がとっさに機転を利かせたのでしょう。わたくし達の騒ぎを聞いて、お父様の元へたどり着く前に手を打った。お父様の元へ行ってほしくなかった妹達が、それに乗っかったのでしょう。まんまとしてやられた。
急なことだったし、二人はありったけの魔力を込めたのでしょう。脳裏にかかる靄を振り払えない。
「謙虚で慎ましい女が良いなどと、一体どの口が吐くのかと呆れて物も言えませんでしたよ」
耳が音を拾う。真っ先に聴覚が鮮明になった。研ぎ澄ます。
いつになく怒気に満ちたお父様の声に、ぼんやりしていた意識も澄んでいく。けれど頭は重くて、ついでに言うなら体もずっしり重くて。はしたないと思いつつ、わたくしはしばらく目を瞑ったままじっとしていることにした。だって瞼はまるで縫いつけたように開かない。本当に縫いつけられていたらと思うと恐ろしくて、試してみる気はちっとも起きない。
「求められるまま謙虚を極めた娘は、卑屈といえる程、自信を根こそぎ奪われてしまった」
どうやら眠らせたわたくしを、自室ではなく近くの部屋に押し込んだらしい。そうでなければ、応接室にいるはずのお父様の声が拾えるはずがない。
それにしても、お父様ったら、誰の話をしているのかしら。レイラかしら、シェリルかしら。二人のことだったら悲しいわ。二人とも自慢の妹なのに。
「初めの頃は悲しみ、けれどまた励もうと健気な様子も見せていたというのに。いつしかあの子は、己を責めるばかりで口から出てくるのは謝罪だけ。親として、これほど情けないことはない」
なんてことかしら。わたくし、ちっとも知らなかったわ。
妹達のどこに、己を責める要素があるというのでしょう。どこに出しても誇らしい妹達だわ。
「娘にそれほどの自責を負わせて、それを払ってやれない。私がどれだけ自分を恥じたことか、殿下にお分かりか!」
お父様!?
もしかして今、殿下を怒鳴っているの!?
いけないわ。相手はこの国の王子様なのに。……ところで、どちらの王子様でしょう。王位継承者は六人、妹達と接点のある方は一人もいらっしゃらないはずなのに。
纏わりつく魔力の残滓に抵抗する。寝ていられないわ。
わたくしのお父様が、王子様を相手に喧嘩をしようとしている。陛下もいらっしゃっているはずなのに。……陛下の来訪は、わたくしを罰するためではなかったのかしら。
振り払った靄が戻ってくる。あの子達、本当にありったけの魔力を込めたのね。魔法がわたくしの唯一の取り柄だっていうのに、こんなに手間取るなんて。
「娘の有責で婚約を破棄などと、恥を知れ」
一気に覚醒する。普段は制限している量の魔力をねじ込んで、纏わりついていた妹達の魔法の残滓を一掃し、目を開けるよりも先に上体を跳ね起こした。
お父様は早くも言葉を選ぶことをやめている。陛下だろうが殿下だろうが、激怒したお父様は首をへし折ることを迷わない。
目を開ける。――視界に飛び込んできたのは、泣き腫らしてなお真っ赤に充血した目から大粒の涙をこぼす妹達だった。
「……おはよう、レイラ、シェリル」
お父様、お願いですから冷静さをほんの少しの時間、保ってください。わたくしはここで泣きじゃくっている妹達を抱き締めて、話をしてから参ります。どうか、短気を起こしてしまわないで。へし折るのなら、わたくしの首を差し出します。
「話が途中だったわね。二人とも、きちんと話しましょう」
しゃくりあげるばかりで返事もできない二人を抱き締める。幸いなことに、今は両腕が空いている。
「まずは約束。二度としないわ。二度と、勿忘草は食べない」
返事の代わりに嗚咽が漏れた。小指を差し出すと、ぎゅう、と握りしめられる。爪まで立てているから、怯えや悲しみに怒りが追いついてきたのかもしれない。反省しなくちゃ。どんなに忘れたいことがあっても、勿忘草を食べるなんて短慮は起こさない。もう二度と。
「もう忘れないわ。だから教えて。何があったの?」
不甲斐ない自分を消したくて。勿忘草を食べた理由はわかる、自分のことだもの。けれどわからない。何を忘れたのか。
繰り返した、と言っていた以上、わたくしが勿忘草に頼ったのは一度じゃない。
思い出さなければ。わたくしが繰り返し短慮を起こす程の、何があったのか。わたくしがそこまで自分を追い詰めた理由を。
どれだけ妹達を傷つけて、どれだけお父様に負担をかけたのか。
耳に届くお父様の憤怒の声に背中を冷や汗でびっしょりにしながら、それでも顔には笑みを浮かべる。
「お願い、教えて」
忘れてしまった、忘れてはいけなかったはずのことを、知らなければ。