05
おかしい。絶対におかしい。
わたくしの記憶には、虫食いのような欠落がある。
両隣ですやすやと寝息を立てるレイラとシェリルの顔を眺めながら、起こしてしまわないようそっと息を吐く。
あれから三日。刺さった棘は減るどころかむしろ増える一方だ。
妹達がわたくしのためにお菓子やお茶を選んでくれている時間に、こっそり侍女に聞いたわたくしの最近の様子。こっそり家令を呼び出して聞いたわたくしの最近のスケジュール。半分は記憶になかった。どころか、わたくしが認識しているよりも日の過ぎが早い。もう少し先だと思っていた社交シーズンも、そう時間を置かずやってくる。
妹達の言った通り、最近のわたくしは暇さえあれば登城していたらしい。王宮書庫に通い、粗末な知識を埋めようとしていた、ということだったけれど、そんな覚えはない。殿下とも幾度か会っているということだった。てっきり婚約破棄を告げられた日が、久し振りの面会だと思っていたのに。
いくらぼんやり生きていると言っても、そこまで忘れてしまえるものかしら。
「、……」
わたくし、どうしてしまったのかしら。
思わずこぼれそうになった溜め息を飲み込んで、拍子に手足が強張ってしまった。わたくしの腕を枕にしていた二人が身じろいで、目を開けてしまう。
「お姉様……?」
とろん、と溶けた声を出すレイラの髪を梳く。
「ごめんなさい、大丈夫よ」
同じように、ゆっくりゆっくり瞬きするシェリルの頭を撫でる。
「心配ないわ、大丈夫よ」
起こしてしまってごめんなさい。まだ眠っていて大丈夫よ。
続けようとした笑んだわたくしに反して、二人が瞠目した。弾かれたように上体を起こした二人の顔は青褪めている。
「お姉様!」
「お姉様!」
びっくりして、わたくしも目を丸くする。
強く、強く腕を掴まれた。決してどこにも行かせない。そんな意志を感じる。
「ど、どうしたの……?」
「駄目よお姉様、もう二度と許さないわ!」
「嫌よお姉様、もう二度としないって約束したわ!」
悲鳴のような二人の言葉に、わたくしはただ困惑するしかない。また、何か忘れてしまっている。妹達がこんなにも必死になってしまうような何かをしでかし、二度としないと約束したにもかかわらず。
「ご、ごめんなさい……」
思い出せない。わけもわからず謝罪するわたくしを見て、シェリルの澄んだ双眸が潤む。止める間もなく涙があふれた。
「お姉様、謝ってばっかりだわ」
レイラの双眸も潤んだ。
「何もいけないことなんてしていないのに、謝らないでよ」
「……」
どうしましょう。謝罪を奪われてしまったら、何を言えばいいのかわからない。謝ってばかりだったという二人の言葉が刺さる。どんな言葉をかければ、安心させてあげられるのかしら。そんなこともわからないなんて。わたくしの妹なのに、わたくしは姉なのに。情けなさで目端が熱を持つ。
ぼろぼろとあふれる涙を拭いもせず、妹達はわたくしの腕を掴んで離さない。
「レイラ、シェリル……あのね、」
不安を重ねてしまうかもしれない。そう思ったけれど、他にどうしようもなく。わたくしは正直に自分の現状を話すことにした。
「心配を、かけているわね。わたくしのせいで、……これ以上あなた達を傷つけたくはないのだけれど、」
覚えていないの。
潰れそうなわたくしの告白を聞いて、レイラとシェリルはいよいよ声をあげて泣き出した。
「わたくし一体、何をしてしまったのか……」
ごめんなさい。結局、口端から謝罪が滑り落ちた。
「ねえレイラ、シェリル。こんなことを、わたくしがお願いするのはいけないことなのだけれど、お願い。泣かないで」
両腕を押さえられているから涙を拭ってあげられない。抱きしめることもできない。無力感で潰れそう。二人がこんなに泣いているのは、わたくしのせいなんだもの。しかも泣かせておいて、その原因を忘れている。
わたくし、最低だわ。
「お姉様は、……何も悪くないわ」
嗚咽の隙間で、レイラが優しい言葉をくれる。シェリルはまだ喋れるほど涙が治まらないのか、それでも同意するように何度も頷いてくれる。
「これまで、ただの一度だって、お姉様が悪かったことなんてないのよ」
「レイラ、わたくしは――」
「いいえ、お姉様は悪くない」
強い口調だった。
涙に濡れたレイラの双眸が、怒りで鋭利に尖る。しかしすぐに涙があふれた。腕を掴む二人の手には、指先が白くなるほどの力がこもっている。
「お姉様はただ、傷ついただけ。落ち込んで、状況を改善しようと頑張って、頑張り過ぎて追い込まれたの」
「大丈夫よ、って笑うお姉様に甘えて、家族の誰も気づいてあげられなかったの」
涙が落ち着いたらしいシェリルが続けた。
「謝るべきなのは私達の方だわ。ごめんなさい、お姉様」
「お姉様の苦しみを分けてもらえるように、私達たくさん頑張るから。ごめんなさい、お姉様」
わからない。どうしてレイラとシェリルが謝るの。
二人はこんなにもわたくしを支えてくれているのに。一体、何の話をしているの。
わたくしが傷つけたはずなのに。わたくしが何かいけないことをしたから、家族みんなが苦しんでいるはずでしょう。何も思い出せないわたくしはただ、混乱することしかできない。
「あ、あのね――」
ばあんっ、と。
何か言わなくちゃ、と何も思いつかないのに口を開いたわたくしの軽率さを吹き飛ばすように、部屋の扉が乱暴に開かれた。
真っ青な顔で駆け込んで来たのは、侍女だった。
「お嬢様、落ち着いて聞いてください!」
動転した様子で侍女が大声を出す。声は動揺のせいでしょう、裏返っていた。
「国王陛下がいらせられました!」
……はい?
 




