04
婚約破棄を告げられてから、早くも十日が経った。わたくしは何をするでもなく、自室で反省の日々を送っている。
あれからお父様はずっと邸にいらっしゃる。領内の鉱山へ視察に行かれることもなく、執務室に籠りっぱなしだ。同じ邸内にいるのに、顔を合わせることもほとんどない。お食事はきちんと食べていらっしゃるかしら。
……わたくしのせいで、お父様は婚約破棄の手続きに追われてお忙しいのだわ。
「お姉様、このお菓子とっても美味しいわ」
「このお茶とってもいい香り。きっとお姉様も好きよ」
そして二人の妹達もまた、ずっと邸……わたくしの部屋にいる。
王子様との婚約をこちらの有責で破棄されるなんて事態を引き起こした姉ですものね。これ以上の面倒を起こさないようにそばでしっかり見ておかないと。……そんなことを考えてはいけないわね。二人はとても優しいもの。至らない姉でも案じてくれる、愚かな姉でも愛してくれる。
それにしたって、眠る時までずっと一緒なんて、いつ振りかしら。
わたくしの部屋のベッドは大きいから、三人で並んで横になっても余りあるけれど。寝苦しくないか、心配だわ。
「お姉様? お菓子の気分ではなかった?」
「別のお茶にする?」
沈んだ二人の声にハッとする。
「い、いいえ、いただくわ。ぼうっとしていて……ごめんなさい」
慌てて微笑み、差し出されたお菓子を食べ、お茶を飲む。どちらも美味しい。レイラの好みよりも控えめな甘さのお菓子は、きっとわたくしのために選んでくれた。シェリルの好みよりも爽やかな香りのお茶も、きっとわたくしのために選んでくれた。
なんて優しい妹達。こんなにも甘やかされて、わたくしは一体、何をしているのかしら。
「お姉様、今日はお疲れみたいね」
レイラが、頬にかかる髪を耳にかけてくれた。
一度も、わたくしのせいで、とは言わない。レイラはずっと、心の傷を癒しましょう、とわたくしの手を握ってくれている。
「お昼寝でもする?」
シェリルが、上目遣いでわたくしを見つめる。
彼女もまた、わたくしを責めない。大丈夫よ、と抱きしめてくれるばかりだ。
「大丈夫よ、二人とも」
いけないわ。
わたくしのすべきことはしっかり反省すること。こんな不甲斐ない姉を相手に気遣い癒そうと心を割いてくれる二人の可愛い妹達にこれ以上、甘えるなんていけないわ。
三人で過ごす時間を楽しい、嬉しいなんて。はしゃいでいてはいけないわ。
「二人ともごめんなさい。わたくしのせいで邸に籠りっぱなしで、退屈でしょう」
二人にだって日々がある。レイラには婚約者がいるのだから、デートにだって行きたいでしょう。シェリルだって、夜会の招待状がいくつか届いていたはずだ。エスコート役であるお父様が執務室に縛りつけられているのも、わたくしのせい。家族に我慢と苦労ばかりを強いている。
「わたくしのことは気にしないで、二人の好きなことをしていいのよ」
一緒にいる、と言ってくれる二人の気晴らしになれば、と庭の散歩を提案したこともあるけれど、侍女も家令も、そして二人も、どうしてか曖昧に微笑むばかりで頷いてくれない。今回の婚約破棄、事態はわたくしが思っているよりもずっと深刻なのかもしれない。
王家はわたくしを不敬の罪にでも問おうとしているのかしら。殿下をあれだけ怒らせてしまうような不出来な娘ですもの。可能性がないなどと、そんな甘いことは言えない。覚悟だけは、決めておかなければ。
あるいはもう、わたくしは侯爵家にいられないのかしら。王家との婚約を台無しにした娘をいつまでも養ってはいられない、と判断された可能性は十分にある。だとすると、妹達がわたくしのそばを離れないのは、別れを惜しんでくれているからなのでしょうか。お父様はもう、わたくしの顔も見たくないから、執務室に籠っているのかもしれない。
そう仮定すると、すべて納得だ。散歩といえど、近いうちに追放する娘を外に出したくない、という気持ちはわかる。使用人が相手でも隠したい恥ずべき存在でしょう。
ああ、どうしましょう。暗い未来はいくらだって浮かんでくる。
「そんなことないわ、お姉様。久し振りに姉妹水入らず、私とっても楽しいのよ」
「そうよ、お姉様。お姉様は最近ずっと登城していたから、お話しできなくて寂しかったのよ」
なんて優しいのでしょう。思わず潤んでしまった目を拭う。
すかさず手を握ってくれるレイラも、ハンカチを差し出してくれるシェリルも、大好きだわ。もちろん、お父様のことも。
お別れしたくない。けれど、もしそうなっても、全てはわたくしの自己責任。文句なんて言えないわ。
「……、」
わたくしったら、そんなに登城していたかしら?
脳裏をかすめた疑問が、針のように胸を刺した。王妃様に招待されたお茶会への参加は二ヶ月ほど前のことだし、それ以降は特に殿下からの呼び出しもなかったと記憶している。
婚約者でしかなかったわたくしは、公務と呼べるほど公の場に出る機会もなかった。殿下と一緒に参加するパーティーも頻度は高くない。社交シーズンまで少し時間があるということもあり、最近は邸にいる時間の方が多かったはずなのに。
「大丈夫よ、お姉様。お父様が全てなんとかしてくれるわ」
「お姉様が今すべきことは、私達と楽しく過ごして、心の傷を癒すことなんだから」
沈黙が不安を誘ったのか、レイラとシェリルが眉を下げる。これ以上の心労を負わせるには、わたくしの罪は重過ぎる。
胸を刺した棘のことは内に秘め、意識して口角を持ち上げた。
ごめんね、と同じだけ、ありがとう、と言いながら食べたお菓子はあまり味がわからなくて、飲んだお茶は温かいばかりで香りはあまりわからなくて。それでもわたくしは美味しい、と繰り返した。
一体わたくしに何が起こっているのか。
押し潰されそうな心臓が、軋んだ音を立てた。