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03


 家令に付き添われ自室へ戻る。


「お嬢様、あまりご自分を責めてはなりませんよ」


 深く柔らかな声が傷口を優しく包んでくれる。けれど、頷くにはわたくしはあまりに情けなくて、曖昧に笑むことしかできない。

 気まずい空気に二人とも口を噤み、自室へ着いても沈黙が破られることはなかった。


 部屋では侍女がハーブティーを用意してくれていた。促されるままソファーに深く身を沈め、温かいハーブティーで口を湿らせる。思っていたより喉が渇いていたらしい。味わう余裕もなくカップを干す。ホッと吐き出したつもりの息は、重々しい溜め息となって口から流れ出た。

 婚約破棄、婚約破棄……。アルト様の冷たい双眸を思い出し、身が竦む。肩を震わせたのを寒さのせいだと思ったのでしょう、侍女がカーディガンをかけてくれた。

 お礼を言おうと振り返った際、視界の端を淡い青がかすめた。家令が何かを持って部屋を出ようとしている。


「あら……そんなお花、部屋にあったかしら?」


 わたくしの言葉でぎょっとして静止した家令は、わずかな時間、視線を泳がせて。けれど結局は諦めたようにこちらへ歩み寄った。

 小さな五枚の花弁をした花だった。コップに、ちょこんと一輪だけ挿してある。

 見覚えはなく、名前も思い出せない。

 途端に侍女が、しまった、とでも言うように顔を顰めた。


「摘んできてくれたの?」


 言ってから、そうではないと気づいた。明らかに、家令は部屋から持ち出そうとしていたもの。水を新しいものにするにしては、様子がおかしい。


「お、お嬢様が摘んでいらっしゃったものです」


 首を傾げるわたくしから目を逸らしながら、家令は渋々と言った風に教えてくれた。


「わたくしが……?」


 そうだったかしら。覚えていない。

 我が家のお庭には、お母様が愛したたくさんのお花が咲いている。庭師が丁寧に世話をしてくれているおかげで、毎年、変わらず美しい姿を見せてくれる。その中の一輪かもしれない。けれどわたくしには見覚えのないお花だし、摘んできたという記憶もない。


「綺麗なお花ね」

「……そ、そうですね。ですがお嬢様、微量ですが毒を含んだ花でもあります。どうぞお手を触れませんように」


 家令の言葉に、侍女が苦しげに眉根を寄せた。わたくしが摘んできた、と言っていたし、心配させてしまったのかもしれない。……どうして思い出せないのかしら。


「そうなのね。気をつけるわ」


 謝罪を口にすると、侍女はますます苦しそうに顔を伏せてしまう。お茶の用意をする、と言ってそそくさと部屋を出て行ってしまった。家令も後を追って出て行った。

 テーブルの上で湯気を立てているお茶に視線を落とす。出来の悪いわたくしを支え、寄り添ってくれる優しい侍女であったのに。あんな風に、この場にいることを苦しく思っているような表情は見たことがない。何か、嫌われるようなことをしてしまったかしら。


「……はぁ」


 わからない、知らない、覚えていない。

 こうもぼんやりと生きているのでは、皆が嫌になってしまうのも頷ける。わたくしだって、わたくしのことが嫌でしかたない。

 根暗で卑屈、おどおどした態度が気に食わない。顔合わせを済ませて間もない頃から度々アルト様から指摘されていたことだけれど、最近では言われなくなった。言っても無駄、と婚約者に思わせてしまう程、至らない己が恨めしい。初めの頃こそ、刺すようなアルト様の言葉の数々に傷ついて落ち込んでいたけれど、何度も繰り返されるうち申し訳なさの方が勝ってしまった。わたくしだって、こんな自分が嫌いだ。


 抱えて生まれてこられたのは魔法の才ばかり。あとは全部、お母様のお腹の中に置き忘れてしまった。結果として素晴らしい妹達がしっかり抱えて生まれて来てくれたのだから不満はないけれど、劣る自分への失望ばかりはどうしようもない。


 唯一の取り柄である魔法の才だって、わたくし一人で抱えていたって意味はないのだ。


 バイエルン侯爵家は多くの魔法使いを輩出する家系である。中でも、魔力の乏しい民の生活を支える魔石に特定の魔法を込める技術は、バイエルン侯爵家独自のもの。数代前から広く門戸を開くようになり、技術の独占をしなくなったとはいえ、自在に操れる魔法使いはまだ少ない。


「お母様……」


 繊細な魔法操作を要求されるバイエルン家の魔法使いは、その反動なのか総じて寿命が短い。

 一縷の狂いもなく特定の魔法を込める技術はまさに、命を削りながらの作業と言っても過言ではなかった。長きに渡る研鑽と、多くの知恵者と積み重ねた努力の結果、今ではそれほどの負荷なく行使できるように技術向上をしてきたものの、依然、我が家の寿命は平均よりも短いままだ。


 少しでも長く生きて、少しでも多くの技術を世に広め、救える限りの人を助けたい。


 お父様とお母様の婚姻は、そんな願いの元に叶えられたもので。わたくしとアルト様の婚姻は、王家と侯爵家のより深い結びつきにより、バイエルン家の技術をより多くのより優秀な魔法使いと共有したいという願いのためにあった。

 にもかかわらず、至らぬわたくしのせいで台無しだ。

 ごめんなさい、お父様。ごめんなさい、お母様。


 凍える冬を乗り切るための火の魔石を。干ばつや日照りを乗り切るための水の魔石を。暗がりを照らす光の魔石を。

 より高度な魔法にも耐えうる魔石の発掘や、より簡単な魔石の使用方法の開発。やるべきことならいくらだって思いつく。そのために、王家による資金援助と、優秀な人材の斡旋は必須だった。侯爵家だけで賄うには限界のあるそれらを、王家が支えてくれたら。


 吐き出す溜め息はますます重いものとなる。


「……消えてしまいたい」


 情けなくて、恥ずかしくて。いっそ消えてしまって、わたくしの失態も何もかも全て、なかったことにできたなら。

 変えることのできない過去の過ちに吐き気がする。熱くなった目頭を誤魔化すために、わたくしはきつく目を閉じた。

 

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