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02


 馬車に揺られながらこれまでを振り返り、結果、雨が降り出す直前の曇天のようにどんよりと沈み込んだ。指先の感覚はもうわからない。もしかすると、心臓も凍りついてしまったのかもしれない。

 邸に着いたからといって気分が上向くわけでなく。むしろ今から、家族に婚約破棄の件を報告しなければならない重圧で、気分はますます沈み込む。底などとうに通り過ぎ、底なし沼のように果ても見えない。


「ただいま戻りました……」


 血の気が引いて真っ青な顔で、目元ばかりは真っ赤になったわたくしを、お父様も妹達も優しく出迎えてくれた。家族の顔を見たことで無条件にホッとしたらまた少し双眸が濡れたけれど、すぐに泥が足を掴んだ。それどころではないと、ぐっと目に力を込めて堰き止める。


「お姉様、どうなさったの?」

「何がお姉様を悲しませるの?」


 気遣ってくれる妹達に支えてもらいながら、お父様と向かい合ってソファーに腰を落ち着ける。……正直、もう吐いてしまいそうなくらい体調が悪いけれど、ぐっと結んだ口を開く。


「お父様、先程……殿下より婚約破棄を告げられました」



「は?」



 頭を下げようとしたわたくしの元へ、素っ頓狂な声が三重に飛んできた。

 見れば、お父様も妹達も口をぱっくりと開けている。目は今にもこぼれ落ちてしまいそうな程、ぱっちり見開いている。そんなに見張っては目が乾いてしまうのではないかしら。

 お父様がぎこちない動きで口を開く。


「で、殿下がそう言ったのかい?」

「はい、申し――」

「お前はそれを受け入れたのかい?」

「……はい、申し――」


 今度は深い溜め息が三重に部屋を満たした。心臓がぎゅっと萎んだ。きっと三人とも、わたくしに失望したのだわ。当然よね。

 視界の端では、家令が顔を両手で覆ってしまっている。日頃、どんなことが起こっても眉一つ動かさない彼がここまでがっかりするなんて。申し訳なくて肩を縮こませる。


「理由は!?」


 ハッと顔を上げたレイラの鋭い声に、シェリルも続いて顔を上げ、わたくしの肩を、ぐわっし、と掴んだ。


「そうよお姉様! 殿下は何と言ってお姉様を捨てたの!?」


 捨てた、なんて。そんなにはっきり言わないで、シェリル。事実、捨てられてしまったけれど、手続きはまだなのだから。

 三女のシェリルは感受性が豊かで、感情に素直な愛らしい乙女に育った。社交の場ではきちんと淑女の仮面を被れる器用さもある、とても素敵な自慢の妹。でも言葉選びにちょっぴり容赦がない。

 お父様譲りの銀髪はお母様の血と混ざって、わずかに青みがかっている。癖っ毛なのもお母様そっくり。群青の双眸は深い海の底のように澄んで美しい。こちらは完全にお母様の血だ。深緑を煮詰めたようなわたくしの双眸とは大違い。

 笑うと花が咲くよう。婚約者はまだ決まっていないけれど、多くの家からお話をいただいていると聞く。わたくしの分まで幸せになってもらいたいわ。


「至らないわたくしがいけないの。問わねばわからない鈍さに、殿下は大層お怒りのご様子だったもの。きっとまた、わたくしが知らずにいけないことをしてしまったのだわ」


 いつも殿下を怒らせてしまう。けれど、一度として己の失態に気づけたことはない。なんて情けない。


『お前の妹は華やかだな、美しい。それに比べて、なんと地味な女だろう』


 体温があまり高くないわたくしの肌はとにかく白い。混じりけのない銀髪も合わさって、明るい色のお化粧は素の色との差がくっきり出てしまうせいで品がない。シェリルの赤い口紅を貸してもらったこともあったけれど、口ばかりが目立って、他が霞んでしまって目も当てられなかった。化粧は自然と薄くなるし、ドレスの色も寒色系や淡い色合いのものを選ぶことが多い。妹達と並べば必然、地味で目立たない。


「お姉様……」


 悲痛な声で、レイラが肩を抱いてくれる。次女のレイラは聡明で優しい素敵な乙女に育った。社交の場では相手を立てられる、とても愛らしい自慢の妹。でも表情はちょっぴり素直に感情を浮かべてしまう。

 お母様の血を濃く反映した青の混じる銀髪は緩やかに波打ち、群青の双眸はシェリル同様、澄んでいて美しい。凛とした佇まいは一見とっつきにくいように感じるけれど、笑顔がとっても愛らしくて、おしゃべりはとっても楽しい。婚約者とは仲睦まじく愛を育んでいるようで、このまま問題なく結婚までいくでしょう。幸せになってほしいわ。


『お前の妹はそつなく話も上手いな、素晴らしい。それに比べて、なんと鈍い女だろう』


 女性同士のおしゃべりならば辛うじてついて行けるわたくしだけれど、殿方の好む話題にはてんで疎い。殿下を楽しませて差し上げられるような話題を振れたことはなく、かといって政治に関することは知識として持っているべきではあっても、女が語ることではないと叱られたことがある。

 レイラが普段、婚約者とどんなお話をしているのか聞いてみたこともあるけれど、殿下の好みではなかったので口を噤んだ。わたくしの未熟な話術では、知識をひけらかしているようにしか伝わらない。如才ない妹達と比べれば当然、拙く鈍いと劣って見える。


「セレスティア、とにかく今は休みなさい」


 眉間を揉み解しているお父様が、それでも柔らかな声音で言葉をかけてくれる。

 お母様が亡くなってからというもの、すっかり元気を失くしてしまったお父様。少しでも心労を減らして差し上げたいのに、わたくしはむしろ心労を積み重ねるばかり。申し訳なくて、まともに視線を交わせない。


「後始末は私に任せなさい。お前は何も心配することはない」


 艶やかだった銀髪は、積み重なった心労のせいかわずかに灰が混じるようになった。鮮やかだった緑の双眸からは、宝石のようだった輝きが失われ、わたくしの濁緑の色に寄ってしまった。

 凛々しく怜悧なお父様を陰らせてしまった罪悪感で胸が締まる。猛々しかったかつての面影は見る影もない。わたくしのせいで……。


「セレスティア、大丈夫だ」


 控えていた家令に促され、立ち上がる。


「申し訳ありません、お父様」


 いいんだ、と優しい言葉をくれたお父様の声には、疲労が色濃く滲んでいた。

 

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