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室内に悲鳴が反響する。発生源はもちろん、陛下だ。
「やめてくれ! この国に手は出さない、結婚式でそう誓っただろう‼」
「妻の愛した国だ、滅ぼす気はない。私はただ、貴様らの言う愛を実践してやろうというのだ」
支配と君臨。
お父様が二番目に得意としていることだ。一番である破壊に関しては、お母様からむやみに何かを壊しては駄目よ、と釘を刺されて以来、封印している。
喚く陛下の隣で、アルト殿下がいつの間にか気を失っていた。遂に求めていた愛をもらえると思って、感動してしまったのかしら。……まあ、そんなわけないのだけれど。緊張に耐えられなくなったのでしょう。
ふと、ヒステリックな悲鳴に分け入って、静かなノックの音がした。家令がしずしずと入室する。
「旦那様、竜王国の皆様がお越しです」
「通せ。待機してる連中には、妻の花を一輪でも凍えさせたら殺すと伝えろ」
ずっと執務室にこもっていたお父様はどうやら、故郷のドラゴン達と連絡を取り合っていたらしい。陛下の来訪に合わせて彼らを呼び寄せる手はずだったのでしょう。わたくしったら、何も知らなかった。
私に任せなさい、という言葉の通り、全てわたくしのために。あとで、きちんとお礼を伝えなくては。もちろん、妹達にも。
家令が部屋を出てすぐ、冷気が霧散した。お父様がこの国へ婿入りして随分と経つけれど、変わらずドラゴン達にとって恐ろしい存在であるらしい。
泣いても叫んでもお父様が気にもしていないと理解したのでしょう、陛下が口を閉ざした。青褪め縮こまり、震えている。
沈黙の時間はそう長くは続かなかった。部屋の外が騒がしくなる。貴族の邸宅では珍しい、元気な靴音を響かせて、ノックもなく扉が開け放たれた。
「セレスティア~~っ!」
ソファーからお尻が浮く程びっくりした。まさか自分の名を呼ばれるなんて。部屋に飛び込んできたのは、銀髪の麗しい青年だった。
お父様のこめかみに青筋が浮かんだ。
「コーネリアス、貴様か」
今日一番、低い声でお父様がうなる。ひぃっ、と悲鳴をあげたのは陛下だった。
コーネリアスと呼ばれた青年は笑顔のまま、お父様を大きく迂回してわたくしのそばへ駆け寄って来た。
「お久し振りです、ギルベルト様。国を滅ぼさず人も殺さず、ただ傀儡にして終いとは、あなたにしては随分とお優しいですね。恋の前ではドラゴンも牙をもがれますか」
にこやかにお父様へ毒を吐きつつ、彼はそっとわたくしの手をとり指先にキスを落とした。
「コーネリアス、私の娘から離れろ」
「嫌です。お手伝いする代わりに再会の喜びを味わわせていただく約束です」
「触れていいとは言ってない」
喧嘩のようになってきた二人の会話がどこか遠い。再会、と彼は言った。どこかでお会いしたことがあったでしょうか。
ぽかん、と首を傾げたわたくしを見て、お父様が勝ち誇ったように口角を持ち上げた。
「セレスティアは貴様のことなど覚えていないそうだ。さっさとそこの二人を連れていけ」
途端に眉を下げたコーネリアス様が、悲しそうな目でわたくしの方を向く。夜空を流し込んだような、深い色。
「セレスティア、忘れたなんて悲しいことを言わないで。ぼくだよ、コーネリアス」
わたくしはこの目を知っている。まだお母様が生きていらした頃、お庭のお花を一緒に眺めて遊んだ。――そう、勿忘草のことをわたくしに教えてくれたのは、
「コー、君?」
ぱぁっと晴れやかに澄み渡ったコーネリアスに反して、お父様がものすごい渋顔になった。
「そう! ぼくだよ! 久し振りだね」
「お、お久し振りです」
「ぼくはこれから少しだけ仕事をするけれど、またすぐに戻ってくるから。そうしたら、ゆっくりじっくり旧交を温めようね」
お父様の双眸から温度がなくなったのを察してか、コーネリアス様はわたくしから離れ、陛下といまだ気絶したままの殿下をひょいっと抱えて部屋を出て行った。断末魔のような悲鳴が廊下に反響する。きっとこれから、待機しているという他のドラゴン達から、これまでの人生を一つずつ潰され、これからの人生を一つずつ教え込まれることになるのでしょう。
嵐が過ぎ去ったよう。
少し前まで、あんなにも曇っていた心が、雨上がりのような景色をしている。
「セレスティア、大丈夫か?」
「……はい、お父様」
伸ばされた手を待たず、お父様の胸に飛び込んだ。背に回された手が、幼い子どもをあやすようにゆっくり撫でてくれる。
「ごめんなさい、ごめんなさいお父様。わたくしは、」
「いい、気にするな」
「ごめんなさい」
夢見た人間との恋は結局、芽も出ないまま。勿忘草に頼るほど自分を見失って。王家は竜王国の傘下に下り、国の行く末はドラゴンと共に。
「妻の庭から花を排除したくない。勿忘草はドラゴンにとって猛毒だが、愛でるだけならただの花だ。二度と、愛でる以外の理由で摘むことも触れることも許さん」
「はい、お父様。レイラとシェリルには、花に近づいても監禁すると釘を刺されました」
「……その時は私を呼ぶよう言っておく。あの二人にお前をどうこうするなど不可能だ」
ドラゴンは力こそ全て。リゼルユース山脈で最も強大なドラゴンとして君臨していたお父様の娘の中で、わたくしは最も色濃く血を継いだ。人間であるお母様に似た妹達ではどうしても、わたくしに力で敵わない。
美貌も教養もわたくしでは二人の足元にも及ばないけれど、ドラゴンという一点でわたくしは二人に勝る。
「セレスティア、コーネリアスのことだが……」
言いにくそうに、とても言いたくなさそうに、お父様が渋る。
「あいつは今後、きっとお前を口説くだろう。私が国を出てからも、しつこく追いかけてくるような竜だ。お前が頷くまで諦めないくらいの気概はあるだろう」
どうか、と体を離しまっすぐ視線を合わせてお父様が言う。
「手加減せずぶっ飛ばせ」
「……」
お父様ったら。言葉は笑声に塗り潰され声にならなかった。
コーネリアス様は純粋なドラゴンだ。いくらお父様の血を受け継ぐわたくしでも、半分は人間。勝てるはずがない。そんなこと、お父様がわからないはずないのに。
ドラゴンは力こそ全て。
己より強い相手には無条件で従う。
「わたくしの半分は人間です。ドラゴンの流儀だけで陥落させられると思われているのなら、お門違いですわね」
屈服と服従。支配と君臨。
わたくしが自分を見失って、家族を苦しめてまで欲しかった愛はそんなものではない。
「うむ、そうだろうとも。妻を愛した私のように、人間の乙女の気持ちも理解できる竜でなければ、例え私を殺せる程の強者でも娘は渡さんとも」
訳知り顔で頷くお父様に微苦笑し、しかし胸中では謝罪する。
ごめんなさい、お父様。きっと彼は、ドラゴンとは違う愛の形を知っています。だってわたくし、一緒に遊んでいたあの頃、お父様とお母様のお話をたくさんたくさんしたもの。大好きなわたくしの両親。二人がいかに愛し合い、幸福か。
彼がわたくしを口説くというのなら、きっと二人のようにわたくしと愛を育もうとするでしょう。そうしたら、わたくしどうなってしまうか想像もつきません。夢見た恋の相手とは違っても、夢見た愛の形を示してくれる方となら。
お父様にどう説明しようかしら。悩むわたくしの思考を吹き飛ばすように、レイラとシェリルが勢いよく部屋に飛び込んできた。
「お姉様!」
「お姉様!」
家令から状況を聞いたのでしょう。二人の顔は涙で濡れていたけれど、晴れやかだ。
「おかえりなさい、お姉様」
「心配しました、お姉様」
駆け寄って来た二人を抱きしめる。ごめんなさい、と同じだけ、それ以上のありがとうを伝え、わたくしごと二人を抱き締めてくれるお父様の腕の中で少しだけ泣いた。
「ありがとう、二人とも。大好きよ」
わかんなくなったからここでおしまい。
悪い癖が、あれもこれも書きたい欲が出過ぎて無理。
近いうちにロングバージョンと称してしっかり書きます。