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01


「セレスティア・バイエルン、貴様との婚約を破棄する」


 呼び出された王宮内の一室に、鋭い声が突き刺さった。

 向かいのソファーに座るアルト・ハインリヒ第三王子の紺碧の双眸は怒りに燃え、声は痛い程に尖っている。直毛であるはずの黄金色の髪すら怒りに波打ち逆立っているようで、どうやら、とても腹を立てているらしい。誰に?

 当然、わたくしに対してでしょう。だって先程からずっと、逸れることなく睨め据えられている。憎悪、ともすると殺意と言っていいかもしれない程の激情がそこにはあった。


 破棄、婚約破棄……婚約を、破棄する。

 ゆっくり、ゆっくり言葉を噛み砕く。今、わたくしは婚約を破棄すると宣言されたのだわ。


「理由を、お尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 震えそうになる喉を叱咤して紡いだ言葉を、殿下は鼻で笑い飛ばした。


「言わねばわからぬ、そういうところが駄目なのだ」


 駄目、という言葉に身が竦んだ。これまで幾度となく投げつけられたそれは、容易くわたくしの心臓を潰す。

 バイエルン侯爵家の長女として生を受けたわたくしは、無駄に魔力を内包するばかりの木偶の坊。礼儀作法もマナーも、同じように学んだ妹達はわたくしの半分の時間で身に着けた。知識や教養だってそう。妹達はやはり、わたくしの半分の期間で終了を告げられた。

 唯一、魔法の才だけは辛うじて妹達を凌いだようで、そればかりがわたくしを姉として首の皮一枚、繋ぎとめている。

 明るいドレスも華やかなお化粧も似合わない質素な顔立ちで、姉妹で並ぶとわたくし一人が霞んでしまう。

 才能でも容姿でも妹達に劣るわたくしを、それでも妻に、と求めてくださった王家に何一つお返しできないまま、婚約破棄を告げられてしまった。


「……申し訳ございません」


 なんと、お詫び申し上げればよろしいのでしょう。

 これまで幾度となくお叱りを受け、その度に改善しようと努めてきたけれど、至らぬわたくしは殿下を怒らせるばかりだった。挙句、婚約の継続を拒まれる程の失望を押しつけてしまったなんて。


「わたくしの不徳が殿下のご不快を招き――」

「やめろ、鬱陶しい」


 頭を下げ切る前に、言葉を遮られてしまう。

 顔から血の気が引いたのが自分でわかった。指先からは感覚が失せる程に冷たさが忍び寄る。潰れた心臓がそれでも懸命に跳ね回り、歪な音を立てている。

 鬱陶しい。

 これは殿下が最上級にお怒りの際に投げる言葉だ。一刻も早く視界から消えて、ご不快を緩和して差し上げなければ。


「至急、邸へ戻り、婚約解消の手続きを――」

「破棄だ」

「婚約破棄の手続きを始めます」


 殿下からは返事もない。大変にお怒りだ。それほどに、わたくしのことが不快なのだわ。

 震える足を叱咤して、なんとか立ち上がり礼を示す。殿下が鋭く息を吸う音が聞こえたけれど、顔を上げることはできないまま、急いで退室した。

 走り出したい気持ちをぐっと堪え歩を進める。王宮の廊下とはこんなにも長いものだったかしら。急く気持ちがおかしな思考を呼び出した。

 軽く頭を振って追い出し、外に停めた馬車を目指してひた歩く。


 ごめんなさい、お父様。ごめんなさい、お母様。


 うつむいていたのがいけなかったのでしょう。角を曲がる際、不意にどなたかとぶつかってしまった。


「も、申し訳ありません!」


 ハッとして顔を上げると、急なことで驚いたらしい近衛兵が一人、ふらついて壁に手をついていた。


「わたくしったら、余所見を……」

「い、いえ……私の方こそ申し訳ございません、不注意でし……」


 視線が交錯し、気づく。

 彼とは度々、廊下で会ったことがある。案内も警護も付けずに王宮内を歩くわたくしを心配して、顔を合わせると必ず付き添ってくれる優しい方だ。……本当は王妃様お付きの人間らしいのだけれど、口にするのは野暮でしょう。わたくしだって、それくらいの慎ましさはある。


「お久し振りです」

「レディ・セレスティア、よく会いますね。本日はどちらへ?」


 背筋を伸ばし笑んだ彼の言葉で、先程まで抱いていた泥のような気分をしばし忘れていたことに気づく。


「……き、今日はもうお暇しますの。馬車まではもうすぐですから、お構いなく、お仕事を続けてくださいな」


 嘘は言っていない。あとは少し先の扉から外に出て、それからは道なりにまっすぐだ。距離もそう遠くはない。


「いけません。王子妃になられるお方を一人で帰らせたなどと、私が叱られます」


 ……違うのよ。わたくしはもう、アルト殿下の妻にはならないの。くしゃり、と潰れた気持ちが言葉を阻む。

 下がった眉で、ただ遠慮をしただけと受け取ったのでしょう。彼はいつものように横に並んで、行きましょう、と歩き出してしまう。

 ただの侯爵家の娘でしかなくなったわたくしは、近衛兵に付き添ってもらう必要もないのに。言い出せないまま、連れ立って歩く。


「今日は随分と早いお帰りですね。何かありましたか?」


 彼はいつも、道中の沈黙が気まずくないよう、気を遣って話題を振ってくれる。

 淑女として、わたくしこそ、おしゃべりで殿方を楽しませるべきなのに。こんなところも至らなくて、今日は普段よりもずっと深く落ち込んでしまう。


「急ぎの用ができましたの。せっかく時間を作っていただいたのに、殿下には申し訳ないことをしましたわ」


 本当のことを言うわけにもいかず、曖昧に濁す。急ぎの用ができたのも、殿下に申し訳ないのも本当だから、完全な嘘ではないと自分を誤魔化した。


「そうでしたか。落ち込んでいらっしゃるように見えましたので、殿下と喧嘩でもなさったのかと。失礼いたしました」

「……い、いいえ」


 びっくりしてしまった。

 殿下と喧嘩だなんてそんなこと、これまで一度だってしたことない。

 わたくしが落ち込んで見えるだけで喧嘩した可能性を浮かべるなんて。夫婦になる二人というのは、日常的に喧嘩をするものなのかしら。……そういえば、お父様もよくお母様と喧嘩をしていた気がする。でもあれは、お父様が悪戯してお母様に叱られていただけのようにも見えた。


 わからない。


 両親は一般的な夫婦とは少しだけ違っていたし、わたくしは殿下と夫婦になる自覚があまりに足りなかった。至らぬ点を改善もできないまま、殿下の機嫌を損ねてばかりだったもの。


「レディ? 大丈夫ですか? もしやご気分が優れないのでは?」

「……い、いいえ! 問題ありませんわ。すみません、急ぎますので、失礼いたします。送ってくださってありがとうございました!」


 うまくお返事できる気がしなくて、振り切るつもりで出した声は思ったよりずっと大きくなってしまった。目を丸くする彼を視界の隅に捉えながらも、わたくしはそそくさとその場から逃げ出す。


 情けなさで胸が詰まった。

 熱くなる目頭を引き締めるために、随分と険しい顔をしていた気がする。出迎えてくれた御者が、ぎょっとして瞠目したけれど、わたくしは無視して馬車に乗り込んだ。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい、恥ずかしい。わたくしは、わたくしのことが恥ずかしくてしかたない。


「ごめんなさい」


 浮かぶ謝罪はこれまで幾度となく口にして、けれど数が減ることはなかった。そんなことも恥ずかしくて、目から何もこぼさないよう、わたくしはきつく瞼を閉じた。

 

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