覚醒
ブラック・ドッグがいる洞窟前は、森が途切れ岩場になっていた。
崖に空いた洞窟の周囲には、大小の岩が点在している。
「あまりいい場所じゃないな。ブラック・ドッグが高低差で責めてくるよ」
ニアンが顔をしかめる。
「まあ、入り口に陣取って相手をすればいいじゃない」
「脇を抜けたのは、シーアとトラとニアンで頼むね」
キースとヤンドラが楽観的に、そう言った。
「それしかないね。じゃあ2・1・2だ」
シーアが決定する。
森から抜け、全員が洞窟の入り口にむかって走る。
ブラック・ドッグはまだ出てきていない。
キースとヤンドラが洞窟前に着いた。
20メートル離れて、シーアが待機。
自分とニアンはさらに20メートル離れて全員を見守る。
キースが叫ぶ。
虎人族の咆哮は、洞窟内に反響し、怒り狂ったブラック・ドッグたちが飛び出してくる。
それをキースとヤンドラが、大剣で次々に切り伏せていく。
脇に一頭抜けたが、シーアが華麗に短剣を突き立てて殺した。
状況は安定していた。
前衛の二人に回復魔法をかけるために、たびたびニアンが前に出る。
自分はその護衛としてついていく。
20分も経過しないうちに、群は概ね討伐したように思えた。
「じゃあ、小休止のあと、一応洞窟の中を確認しよう」
シーアが決めた。
「まあ、あたしの咆哮を聞いて出てこない奴はいないと思うけどね」
キースの虎人族の咆哮は、敵を興奮状態にする。
「だから念のためだ。後でギルドから難癖つけられたくないからね」
「りょーかい!」
30分、警戒しながら休憩し、携帯食料を少し口にし、水を飲んだ。
キースがかすり傷を負ったので、それも治療する。
「じゃあ、仕上げといきますか!」
明るくキースが言い、同じ陣形を縮めた形で洞窟を進む。
「やっぱり、気配はないね」
獣人族は嗅覚が敏感だ。
「ちょっと待って。奥に何かいる!」
小声でキースが言う。
全員が武器を構える。
地面に響くような足音がし、それは次第に間隔を縮めてくる。
「まずい、どこかに隠れて」
シーアが指示する。
みんな岩陰などに身を潜めた。
ニアンが魔法で光源を出した。
全員が驚愕した。
「クラスA」のレッドキマイラだった。
三つの首を持つ、8メートルもの巨体。
獅子の首の一つが、シーアの隠れた岩を襲う。
岩が粉砕し、そのままシーアは洞窟の壁に押し付けられた。
咄嗟に飛び出し、首にナイフで切りつけた。
そうしながら、シーアの状態を見る。
胸が潰された。
多分、肋骨が内臓に突き刺さっている。
シーアの口から鮮血が毀れた。
ナイフは通ったが、刃渡りが足りない。
首はもの凄いスピードでこちらを振り向き、庇った左手が喰われた。
レッドキマイラは首を上に移動し、左腕を咀嚼していた。
そのたびに、バキバキと骨が砕かれる音が聞こえた。
激痛を感じているが、そのまま右手でナイフを構えている。
「トラ! 下がれ! こっちへ早く来い!」
ニアンさんが必死に叫んでいるのが聞こえる。
「ダメです! ここは僕が食い止めますから、どうか早くシーアさんを連れて逃げてください!」
「バカを言うな! お前も早く来い!」
「早くしてください! お願いです! 間に合わなくなる!」
ニアンさんが言っていることは正しい。
自分がいても、レッドキマイラを倒すことはできない。
冒険者の正しい判断は、気を喪ったシーアさんを置いて逃げることだ。
それだけは出来ない。
決めている。
シーアさんと、『黄金の乙女』はなんとしても助けるのだ。
なんとしても。
キマイラは腕を食べている間、動かなかった。
ヤンドラがシーアを肩に担いで後ろへ下がった。
その一瞬、目が合い、お互いに頷いた。
「ばかやろー! 必ず助けを呼んでくるからな! それまで絶対に生きろ!」
「ニアン、トラちゃんは!」
「キース、行くぞ! トラは覚悟を決めてる! それを無駄にするな!」
戸惑っているキースに、ニアンが喝を入れてくれた。
後ろを、走り去る足音が聞こえた。
「ありがとう」
誰も聞く者はいない。
レッドキマイラの脇を通り、奥へと走る。
気付かなかったが、右脚の腿も切り裂かれていた。
首を振ったときに、牙が触れたのだろう。
痛みを感じない。
血を流し過ぎた代償だ。
意識を喪う前に、もっと引きつけなくてはならない。
シーアさんさえ助かってくれればそれで良かった。
自分が食べられる時間を稼げば、シーアさんは治療師の手で助かるだろう。
自分などに優しくしてくれた『黄金の乙女』の人たち。
憧れのシーアさんを助けられる幸福。
死は怖くなかった。
レッドキマイラが自分を追ってくる。
流れ出た血が、追跡を導く。
意識が薄れてきた。
どこかに隠れなければ。
探す間の時間がそれで稼げる。
できれば、一片に喰われるのではなく、少しずつがいい。
時間がそれで稼げる。
頭の中に、何かが流れ込んでくる感覚があった。
量子、反物質、光子、ニュートリノ、様々な概念と数式。
(数式?)
自分の身体が急速に拡大した感覚。
そして何かと繋がった感覚。
巨大な龍が自分の尾を呑んでいる。
左足が吹き飛んだ。
レッドキマイラが噛み千切っていた。
逃げられないようにし、メインのはらわたを最後に喰らうつもり。
俺は右手を前に突き出し、呟いた。
「螺旋」
レッドキマイラの上半身が消し飛び、それを見て満足して意識が跳んだ。
ああ、これでシーアさんは助かる。