拾ったエルフ
レッドキマイラは、僕の左腕を咀嚼していた。
バキバキと、骨ごと砕く音が聞こえる。
「トラ! 早くこっちへ来い!」
ニアンさんが必死に叫んでいる。
「ダメです! ここは僕が食い止めますから、はやくシーアさんを連れて逃げてください!」
腕を飲み込んだレッドキマイラは、巨大な獅子の顔を向けてきた。
「早く! 間に合わなくなります!」
子どもの自分が何秒もつか。
覚悟はとっくに決めていた。
残った右手のナイフを構える。
「ばかやろー! 必ず助けを呼んでくるから、それまで生きてろよ!」
「ニアン、トラちゃんは!」
「キース、行くぞ。トラの覚悟を無駄にするな!」
シーアさんを背負って、ニアンさんたちが下がってくれた。
ありがとう。
レッドキマイラの脇を回り、奥へと走った。
右脚の腿が切り裂かれているが、痛みを感じない。
血を喪い過ぎた。
じきに意識もなくなるだろう。
シーアさんが助かってくれればそれでいい。
必死で走った。
僕が食べられている間に、シーアさんは治療師の手で助かるだろう。
絶望の中で、幸せを感じた。
■ ■ ■ ■ ■
俺はいつものように、夜の「心臓街道」を疾走していた。
「黒い森」を縦断するこの街道は、アルステア王国とスカノサーク皇国を結んでいる。
以前までは大きく森を迂回するしかなかった二つの国は、この心臓街道によって大幅に移動時間を縮めることが出来た。
しかし、中心部の「アビス」から溢れてくる魔獣が街道を行く人々を襲ってくる。
俺は毎日街道を巡回して、危険な魔獣を駆逐している。
前方に、魔獣の反応を察知した。
なかなかでかい。
俺はそこへ向かった。
8メートルほどの、アインヴァーミンガだ。
太く長い爪で獲物を切り裂き、抉る。
気配を殺して近づいたため、魔獣は突然俺が現われたように思えただろう。
まあ、魔獣の気持ちなど、どうでもよいが。
俺が気にしたのは、魔獣の足元の女だ。
「お食事」の最中だったらしい。
「螺旋」
魔獣の上半身が消し飛んだ。
重い地響きをたてて、横倒しになる。
俺は喰われかけていた女を見た。
「エルフか」
長いプラチナブロンドの髪に、長い耳。
それに、エルフにはよく見る、絶世の美しい顔。
しかしその顔は食いちぎられた耳から流れる血で覆われていた。
右手と右脚が既に食われ、はらわたが飛び出している。
これからメインディッシュのようだった。
俺は布で縛り、手早く手足の止血をする。
腹の方は奇跡的に太い血管が破れておらず、飛び出たはらわたを中に押し込んで、より幅のある布で堅く縛る。
耳は取り敢えず放置した。
急いで屋敷にもどらねば。
俺は重力子を操り、音速を超えて移動した。
上空に移動したが、街道に土ぼこりが立つ。
数分だったと思う。
しかし瀕死の傷を負った女には貴重な時間だ。
「救急車じゃ間に合わなかったな」
俺は僅かに残る前世の記憶から独り言を言った。
水がめの水で傷口を洗う。
「エクストラ・ハイ・ヒール」
女の右腕が甦り、続けたエクストラ・ハイ・ヒールによって、右脚が再生した。
「エクストラ・ハイ・ヒール」
腹の傷が塞がり、取り敢えずの命の危機は脱した。
暖炉の前に何枚もの毛皮を敷き、その上に女を寝かせた。
女の口に、水を飲ませる。
口移しだ。
少し唸りながら、飲み込んだ。
翌日の昼。
女が目を覚ました。
まだ朦朧としている。
「おい、調子はどうだ?」
俺が話しかけても、状況が理解できないらしい。
ぼんやりした目で俺を見ている。
俺は女のために作ったスープを皿によそり、持っていった。
女は今度はそのスープを見る。
「ちょっと待て」
俺はコップに水を汲み、女の手に握らせる。
女自身がしっかりとコップを握るまで、俺は手を離さない。
女が水を飲んだ。
少しして、意識がはっきりしたようだ。
あれほどの重傷だったのだから、無理も無い。
俺はできるだけにこやかに笑いながら、尋ねた。
「おい、調子はどうだ?」
「あ、ああ。ここは一体」
「「黒い森」の中にある、俺の屋敷だよ」
「黒い森」
女は段々と記憶を取り戻したようだ。
「自分は魔獣に襲われて……」
「ああ、手足が喰われ、はらわたを食い破られかけてたよ」
「そうだ、私の手!」
女は両手があることに気付いた。
「え、こ、これは!」
「夕べ、俺が治した」
「治したって、どうやって! 私の手足は完全に食われていたんだぞ!」
「文句を言うな。良かったじゃないか、元に戻って」
「だって……」
「なんだよ、本当に文句か?」
女は黙り込んだ。
「俺はトラティーヤ・ブライトリングだ。自己紹介くらいしておこうや」
「あ、ああ。すまない。助けてくれた恩人に申し訳なかった。私はイリス・サーカイト・ルミナスと言う。本当にありがとう。大変世話になった」
「いいさ。俺が勝手にやったことだ」
俺はイリスにスープを飲むように言った。
礼を述べ、イリスは少しずつ口にする。
「美味しい」
イリスは俺を見て微笑んだ。
やつれ切ってはいるが、本当に美しい女だ。
「無理して食べなくていいからな。食べたらまた横になるんだ。今は体力を取り戻さなければ、な」
「ああ、すまない。そうさせてもらおう」
イリスはスープを飲み干した。
案外、体力がある女だ。
よく見ると、手足は筋肉が締まり、腹も腹筋がうっすらと見える。
鍛え上げてある。
「一つだけ聞いてもよろしいか」
「なんだ?」
「私の手足をどのように治したのか。どうかお教えいただきたい」
「ああ、「エクストラ・ヒール」だよ」
「!」
本当は「エクストラ・ハイ・ヒール」だったが、ハイ・ヒールすら滅多に見ないのに、その二つ上位の魔法など、信じられるわけがない。
「恩人にこんなことを言うのは申し訳ないが、あなたが一人でやったのか?」
「そうだけど?」
「信じられない! ああ、申し訳ない。でも、エクストラ・ヒールが行なわれたのは、200年も前だ」
「へぇー」
「当時、巨大な魔神を倒すための勇者が、右腕を喪った。それを再生させるためだったと聞いている」
「そうなんだ」
「その時には、「エクストラ・ヒール」のために、200人もの高位魔導士が集められた」
「ふーん」
「30人が命を落とし、残りはすべて廃人になったと聞く」
「あーえー、くだらない話はそこまでにして、そろそろ横になれよ」
「くだらないなど! あ、ああ済まない。そうだったな。そうだ、結果はここにあるんだ。疑問は尽きないが、お言葉に甘えて休ませてもらおう」
「うんうん」
カァー! めんどくせぇ奴だ。
真面目過ぎるというか、カチカチだぞ。
女はすぐに寝息を立てた。
面倒だが、ここで放り出すことは出来ない。
俺は大きなため息をついた。