スーパーの怪9
私は、ムカッとした。
「スーパーの仕事は素人でも、客としては、三十年以上(?)の実績があります」
「そんな実績で、店やっていけたら、誰も苦労せえへん。
そこらへんの人が、全部、店のオーナーが勤まるか?
そんな実績やったら、世界中に掃いて捨てるほどある」
さすが、海千山千のオーナー二十年以上の実績。
口では勝てない。
「おじちゃん」とそれまで黙っていた男の子が言うと、「おお、ボク、長い間、来えへんかったなあ」とオーナーが答えた。
え?
この二人は、顔見知り?
「何言うてんねん、おじちゃん。
毎日来てるよ」
「そうか。
おじちゃんが知らんかっただけか」
あれー?
案外に、子供好き?
「ボクがパンや牛乳買って、お母さんがおかず買って来るの」
「そうか。
毎日、偉いなあ」
このおっさん、もしかして、全部知ってて言ってる?
または、知らずに調子を合わせてるだけ?
ああ、私には、読めない。
「まあ、そういうことで、一件落着やな」とオーナー。
な、何が、一件落着した?
霊のカップルは、何やら二人でヒソヒソと話している。
男の子は、何となく影が薄くなっている。
オーナーは、一人でニコニコしている。
私は、どうしたらいいのかわからずに、ボウッとしている。
ま、疲れているのもある、と思う。
「坂口さん、あんたは、シッカリレジと掃除をやる。
大塚君と花井さんは、奥の仕事。
それから、ボクは家に帰り」とシッカリ全員に指図している。
私は言われるままに、レジに戻りかけたが、男の子は、まだそこに立っていた。
「おじちゃん、ここに幽霊がいる?」とまた例の質問だ。
「いっぱい、いてるで」と子供に言う返事ではない。
「ボクのお母さんも、もうじき来る」とオーナー。
そうか。
やっぱり全部知っていて、言ってたのか……
この狸オヤジ!
「ほんと?」と男の子の目は真剣だ。
「ほんまや。
あんまりお母さんに心配かけたら、アカンで」
「ボク、お母さんに心配なんかかけてない」
「そうや、ボク」と私が、割って入った。
「おばちゃんと一緒に、お家に帰ろう」
「ボク、お母さんに会いたい。
お母さんが、ボクに会いたいから、ボクもお母さんに会いたい」
「そんなこと言うたって……」と私は、困惑の極致。
「もう一つ、言うといたげるけど、あんたの先生も、もうじき来る」
私の先生やないんやけど、隆さんは。
フッ、とオーナーは、鼻で笑った。
「この辺りでは、大した有名人やけど、私にしたら、まだまだ、ひよこみたいなもんや」
別に、隆さんの肩を持つわけやないけど、隆さんは、おっさんなんかに比べたら、よっぽどいい人やわ。
ま……程度の問題やけど……
フッ、とまた、オーナーは、鼻で笑った。
「弟子みたら、師匠がわかる言うてな。
甘い、とろい、力がない。
大家のくせに、この店には、一度も足を踏み入れたことがない。
どうせ、この霊域が怖いんやろう。
ここは、昔、戦場やったとこで、私にとっては、故郷みたいなもんや」
わあ。
古戦場が故郷やなんて、このおっさん、それまで、どういう人生を送ってきたんや、と『甘い、とろい、力がない』私は、思った。
「教えて欲しいか。
私は、元突攻隊員や。
生きて帰るつもりもなかったけど、生きて帰った人間や。
そやから、古戦場で戦った人間は、皆、私の仲間や」
ちょっと待って。
元突攻隊って、亡くなった私の父がそうやったけど、今生きていたら、八十才に近い。
「驚いたか。
私は、七十七。
喜寿の男や。
最後の突攻隊員や」
ガーン。
化け物同士か……
オーナー、どう見ても、五十にしか見えない。
下手したら、四十代に見える。
片や、隆さん、五十七になったはずなのに、どう見ても、三十代にしか見えない。
下手したら、何かのはずみに、二十代に見えたりする。
もう、私には、手の届かない世界。
二人で勝手にやってください。
「そら来た」
オーナーの目線を追うと、南さんと隆さんが、店に入って来るところだった。
「あ、お母さんだ」と男の子は、すぐに、南さんのそばに走って行った。
もう見るまでもなく、隆さんは、息子同様、消耗し切っている様子だ。
相変わらず態度は偉そうだけれど、顔面蒼白、身体が小刻みに震えている。
オーナーにとったら、『ひよこ』か、とつい思ってしまった。
別に、あんたが来ることはないやろうに、と思ったけれど、『隆さん、応答願います』と言った私の念(?)に答えて、やって来たのかもしれない。
わ、私の責任?
「ああ、これは、大家さん、お宅以外で、お目にかかるのは、初めてですな。
いつも、お世話になっております」と狸オーナー、物腰は丁寧だが、目が勝ち誇っている。
ここでは、わしの勝ちや、と思っているのは、明白。
ああ、何となく、身辺がザワザワする。
気温は、更に低くなっている。
もう寒いぐらいだ。
この古戦場で戦っていた霊達が集まってきている。
のだろうか。
ガクッと、隆さんの膝が折れた。
オーナーの目が、ピカッと光る。
「今日は、体調が悪いみたいですな。
また、出直したら、いかがです」と勝ち誇ったオーナー。
「今日は、言うことがあって、わざわざ出向いた」と片膝を折っているくせに、隆さんの態度は相変わらず、でかい。
「ここ二十数年」としかし、声が震えている。
「棚上げにしていた家賃の値上げに来た」
「ほう。
いくらに上げはる気ですか」
「会計士に世間の相場を計算してもらったら、月額二十三万になる」
「ほう。それは、無茶苦茶な値段ですな」
「今までの分はいい。
来月から、賃料は、この値段だ」
何となく、周囲が緊迫した瞬間、「ねえ、ねえ、このおじちゃんも幽霊?」という男の子の無邪気な声がした。
「このおじちゃんは、違うの」と私は、つい答えてしまった。
イライラして、思わず、幽霊はあんたよ、と大人気なく言ってしまうところだった。
「ただし(匡)」と南さんが叫んだ。
生き霊なのか、実在の人物なのか、私には判断がつかない。
何で、私が漢字を知っているかと言えば、表札で見たからだ。
ちなみに、南さんの夫の名前は、勉だ。
「お母さん?
何か、お婆ちゃんになっちゃった」と男の子は、女性に対して、言ってはいけないことを言った。
「だって、あんた、あれから、もう五年も経つんだもん」と南さんは、キッチリと答えている。
生き霊?
実在の人物?
まだ、わからない。
「何から?」と無邪気な男の子の声。
わあ、もうやめて、ソッとしといて。
ソッとしとこう、と私は思う。
「春子、現実を知らせないと、霊は成仏できない」と自分が成仏する寸前みたいに見える、隆さんが言った。
けど、この場に私は立ち会いたくない。
ああ、もうイヤ。
「……あ、あんたが死んでから」と南さんは、ついに言った。
「私が悪かった。
お母さんが悪かった。
いやがるあんたに、無理に、ここの惣菜を、おかずを食べさせた。
あんたは、吐いて、下痢して、次の日には、グッタリして、救急車で病院に運ばれた」
「ほんと?
ボク、何も覚えていない」
「私は、ずっと、大丈夫、大丈夫、何も心配することない、とあんたに言った」
「うん。ボク、何も心配しなかった」
「私だって、本気で大丈夫だと思った」
「うん。覚えてないけど、ボクは、大丈夫」
「私は、悪いお母さんだった。
せっかく受かった付属小学校を、あんまり休ませたくなくて、多分、まだ体調のよくないあんたを退院させて……
勉強をさせたかった」
「大丈夫だよ。
だって、ボク、勉強好きだもん。
それに、お母さんは、いいお母さんだよ。
だって、ボク、お母さんのことが、大好きだもん」
辺りは、シーンと静まり返っていた。
私は、その辺りにあったティッシュを取って、涙を拭いた。
その辺りにいるらしい霊からも、グスグスというすすり泣きの声が聞こえている。
「まあ、南さん」と言う、オーナーの声が聞こえてきた。
「子供さんを亡くした、あんたの気持ちも、痛いほどわかる。
この店に復讐したいという気持ちも理解できる。
けどな、あんた、何で、あんたが、生き霊となってまで、復讐の念に燃えるか言うたら、それは、あんたの罪悪感や。
あんたが、この子を殺した、という罪悪感や」
ウワーー、と南さんは、泣き崩れた。
どっか違う、と思いながら、私もオーナーの意見に、説得されかけていた。
「お母さんのせいにするな」と男の子が言った。
そして、私の目を、真っ直ぐに見た。
こ、こんな時に、わ、私の目を見ないで。
「ボクは、もう死んでいるの?
ボクは、幽霊なの?」
私は、思わず、目をそらしてしまった。
「ほんまに、あんたの先生同様、甘い、とろい、力がない」とオーナーが言った。
「ちゃんと、正直に事実を知らせてやったらどうや」
隆さんは、私の先生やないんやけど。
まあ、私も、甘い、とろい、力がない。
うん、と私は、うなずいた。
仕方無く。
「あんたのせいでも、お母さんのせいでもないけど、あんたは、もう死んでいる子なんよ」と、私は、男の子の目を見て、答えた。
「嘘」と男の子が言った。
わあ、絶対に見たくはなかった。
この年齢の子の唇が震えるところなんて。
「あんたは……」と私が、言いかけたとたん、南さんが、男の子を抱いた。
「そのおじさんが言う通りや。
お母さんのせいなの。
全部、お母さんのせいなの」
「ボクは、何で死んだの?」
「ボクのお母さんが、無理に病院から連れ帰ったせいや。
さっき、お母さんが言うてたやろ」とオーナーが言った。
「何で、ボクは病院にいたの?」
また、辺りが、シーンと、静まり返った。
「私が悪いんです」と惣菜係さんが言った。
大塚店長も一緒だ。
「ボクが悪いんです」
「私が作った料理が原因で、皆さんが……
ボクが、食中毒にかかって、病院に入院することになってしまったんです」
「いいえ、ボクが、もっときちんと管理していたら、こんなことにはならなかった」
「私は、死んで、お詫びしないと……」
「ボクも、自分のせいで、こんなことになって、もう生きていけない」
ああ、こんな展開になるんじゃないか、とどこかで思っていた自分が怖い。
「あんた達のせいと違う。悪いのは、このおっさんや!」ととうとう、私は叫んだ。
「そうです」と南さんが言った。
「私は、自分が悪いと思って、何年間も、自分を責め続けてきました。
今思い出しましたが、私、自殺したんです」
「お母さん!」と男の子が叫んだ。
「ダメ、ダメ、そんなことしちゃ」
「そう、去年の暮れ。
もう生きていても仕方がない、と思って、病院でもらって、飲まずにためていた睡眠薬を飲んだ……」
ワアアア、という男の子の泣き声が、周囲を圧倒した。