スーパーの怪7
賞味期限をシッカリ確かめて、売れ残りの弁当の一つを買った。
奥のまないたの上で、モソモソと一番安い弁当を食べていると、
「それ、おいしくないでしょう」という声がした。
この声は、惣菜係さん。
「いくら言っても聞かないんですよ、あのオーナーは」と言っているのは、大塚店長だ。
隆さんの話を思い返して、二人を見ると、本当にお似合いのカップル。
「恋人同士?」と私は、たずねた。
「ええ、この夏に、結婚するんです」と大塚店長の顔が輝いた。
「ほんま? おめでとう」
「仕事の関係で、休みが取れないので、入籍だけになりそうなんですけど」
可哀相に。
あのオーナーの下、休みなしで働いてたわけね。
「何か、お祝いさせて」と私は、少し物悲しい気分で言った。
本当やったら、今頃は、幸福な結婚生活を……
「そんなお祝いやなんて」と大塚店長は、照れている。
「私達、施設育ちで、家族も親戚もいてないから、これから、二人で、自分たちの家族を作るんです」と惣菜係さん。
トホホホホ、と私の目の端に涙が滲んだ。
「オーナーのこと、悪く思わないでくださいね。
早く仕事を覚えて欲しい一心なんですから」
「ああ見えて、気前のいいとこもあるんですよ。
残った惣菜やパンをくれたり」
「私ももらったけど……」
「ああ……」と女の人の顔が曇った。
「言うてるんですけど、やめてくれないんです」
「何をですか?」
「総菜の賞味期限を1週間も先にするのは、やめて欲しい、と頼んでるんですけど。
特に、今の季節は、食べ物が傷みやすいんで……」
ちょっと待て。
賞味期限が1週間先?
この梅雨時に?
「そうなんです。
もし、誰かが食中毒にでもなったら、と心配で」
心配で……
それで、店に出てきているのか……
「ボクの責任ですから」
「いいえ、作った私の責任です」
自分達が、霊になっているんだと、気がついていない?
「ああ、この店ね。
前から、そういう噂があるんです」
「そうなんです。
私、怖くって。
物が勝手に動いたり、棚からコロコロと缶詰が落ちてきたり。
一番怖かったのが、オーナーに何度も叱られたんですけど、ガラスケースに手形がついてて、いくら拭いても、その時は綺麗になっても、また、次の日には、手の形が出てくるんです。
ほら、あのレジの横のガラスケース」
私が一生懸命に掃除したケース。
ゾゾッ。
前から、そういう店やったわけか。
「だから、私達が、シッカリがんばらないと」
「ボクが、もうちょっと強く言えたらいいんですけど、経験も何もないボクを、ここまでに育てていただいた恩もあるし」
いい人達なのよね、最初に思った通り。
「あなたも、がんばってくださいね」
「は、はい。
できるだけ、がんばります」と答えるしかない。
「ちょっと、もう30分経ってるで」とキッチリ25分で、オーナーが声をかけに来た。
私は、タイムカードを押して、レジに戻った。
あの二人は、自分達が死んでいることに、気がついていない。
また、死んだ原因も、多分ショックのせいもあって、忘れている。
思い出したら、どうなるんだろう、と思うと、ちょっとゾッとした。
「これちょうだい」と食後の一番の客は、幼稚園ぐらいの男の子だった。
お金とメモを手に握っている。
マヨネーズ、食パン、牛乳。
他に客がいなかったので、一緒に店を回った。
お釣りと商品を渡して、「ありがとう」と言うと、ジッと、私の目を見た。
「ここ、幽霊がいる?」
「さあ、どうかな?」
幼稚園の子供相手に、どう答えたらいいんや!
「綺麗なお姉ちゃんがいるよね」
「う、うん」
子供には見えるのかなあ……
「おばちゃんじゃなくって」
おばちゃんで、悪かったな。
「そしたら、お母さんが、きっと、それは幽霊やでえ、って言うの。本当?」
うーん。
答えにくい質問だ。
「あ、あのお姉ちゃん」と少年の指差す方向には、惣菜係さんがいて、ニコニコして、手を振っている。
アチャー。
シッカリ見えているわけね。
「幽霊と違うよね?」
「う、うん」と答えるしかない。
「バイバーイ、お姉ちゃん。
おばちゃんもバイバーイ」
「バイバーイ」と手を振るおばちゃんの私。
それを皮きりに、また店が客で立て込んできた。
店の中では、レジの一帯だけが、気温が高いような気がする。
風が一番通らないところのせいか、または、台所の熱気が通風口を通って来る場所だからか。
多分、両方だろうけど。
クーラーを入れないんだったら、扇風機ぐらい欲しいよな、と思ったら、どこからか扇風機の風が入ってきたような気が……
店長さんの仕業ですか?
あの軍手や段ボールの紐も……
いい人なのよね、実は、霊だけど……
しかし、この季節に、惣菜の賞味期限を1週間も先にしていたら、そりゃあ、遅かれ早かれ、食中毒は起こる。
5時前に、「ちょっと打ち合わせ」と言って、オーナーが出て行った。
その瞬間、誰かが横に立ったような気配がして、ギョッとした。
新たな霊の出現か、と思って見たら、今日は、5時からの南さんだった。
「今、オーナーが出て行ったから言うんですけど」と何やらヒソヒソ声だ。
「この店、早く辞めた方がいいですよ。
私も、もう辞めようと思ってるんです」
「え? 何でですか?」
やっぱり、霊のせい?
「知ってます?
オーナーが、奥の部屋から、監視カメラでズッとレジや店の中を覗いてるん」
「へえ」
何や、そんなことか。
あり得る話で、驚かない。
「何か、気持ち悪いやないですか」
「そりゃ、まあ」
気持ちよくはない。
「それから、この季節でも、クーラーも入れないし。
まあ、店は、何となくヒンヤリしてるからいいけど、このレジの場所は暑いでしょ?」
「確かに、暑いですね」
「それから、目茶苦茶ケチやと思いません?
店の中、蚊がいてるんですけど、蚊取り線香、一回4センチにして、て言うんですよ」
「まあ、オーナーですからね」とあの二人の霊の手前、何となく庇ってしまった。
「それから、これは、お客さんに聞いたんですけど、知ってはります?」
「何ですか?」とちょっとイヤな予感。
「ここ、幽霊が出るって」
「え、ほんまですか?」
と答えるしかない。
「ここだけの話なんですけど、五年ぐらい前に食中毒事件があったらしいんですよ」
「え!」と演技賞もの。
「やっぱり知らなかったでしょう。
そのお蔭で、お年寄りや子供たちが大勢入院する騒ぎになったんです。
そのうちで一番体力の無かったお年寄りが一人と、小学生の男の子が一人、退院した後で、亡くなってるんですよ」
「え!
嘘でしょう」
店の人以外から犠牲者が出たとは、隆さんからも、聞いていない。
「それから、これは知ってはるかもしれないんですけど、その当時の店長さんと、惣菜係だった女の人が亡くなっています。
自殺です」
話を聞いているうちに、微かな疑問が生じてきた。
私と同じ時期に店に入ってきて、急に休んだりして、私よりも店にいる時間が少ない南さんが、どうして、こんなに詳しい事情を知っているのだろうか。
「不思議に思われるのも無理はありません。
私は、復讐のために、この店に来たんです」
ゲエ。
「亡くなった一人は、私の息子です」
アチャー。
霊の上に、復讐者まで出現。
「年いってから出来た子やったんで、ほんまに可愛がって育てました。
けど、私も悪かったんです。
英語の勉強がしたかったんで、毎日みたいに英語教室に通って、家でも勉強してたんです。
こういう親の姿を見せておけば、子供も勉強の好きな子になるかと、浅はかなことを考えました。
それで、ついつい手抜きして、家の近くで惣菜を買って帰ってたんです。
風邪をひいた後で体力が弱ってたんで、栄養をつけさせようと思って、いつもより余分に買って、あんまり欲しくない、という子を励まして食べさせたんです」
「それは、それは……」と言うしかない。
もう、どう言うたらいいのか。
「子供が死んでから三年間は、自分を呪って過ごしました。
勉強になんか何の意味もなくなってしまったし、夫は他に女を作るし……
霊が出るという噂も流したし、惣菜は腐ってるという噂も流しました。
けど、それでは、ラチがあかないので、直接、店に就職したというわけです。
よその店で、レジの勉強やら、販売の実習をやりながら、復讐の機会を狙っていたんです」
またも、目の端に、ジワッと涙が浮かんだ。
「お気の毒に……」
しかし、どこかで、あーあ、来るな、という気配は感じていた。
ガタガタガタ、と周囲が揺れ出していた。
「な、何ですか?」と南さんは、うろたえている模様。
「多分、地震でしょう」と私は、言った。
ただの地震じゃないけれど。
夢の中のように、キャベツやキュウリや大根が、棚から転げ落ちてきた。
缶詰類も転がっている。
まあ、私に向かって、飛んで来ないだけマシだ。
「後片づけが、大変ですよ」と私は、言った。
「怖くないんですか?」と南さん。
「まあ、慣れてると言えば、慣れてますし」と言うしかない。
変な話だが、土曜日の午後だというのに、客が全然来ない。
まあ、だから、こうやって話を聞けたわけだけど。
「そりゃあ、土曜日曜は、皆、都心のデパートかもっと大きいスーパーに行ってますよ。
誰も、こんな店になんか、来るもんですか」と南さんが言った。
はて。
この人も、私の考えていることが読めるのだろうか?
霊なのだろうか。
けれど、レジを操作しているのを、私は見ている。
隆さんや、息子みたいな存在なのだろうか。
「誰にも言えなかった話をしたら、何かスッとしました。
あ、もう帰らないと」と言うと、南さんの姿が、スッと消えた。
アチャー。
やっぱり霊か。
ということは、後片づけは、私の仕事というわけだ。
また、ボチボチと来始めた客の相手をしながら、
「すみませんね、散らかってしまって」
と言いながら、合間合間に、転がった野菜や缶詰を元の棚に戻した。
7時になると、学生風のバイトがやって来た。
結局、7時まで働いたわけだ。
私は、失礼だとは思いながら、つい、ジロジロと見てしまった。
また、霊?
「しばらく体調が悪くて休んでたんですけど、復帰しました」ということだ。
でも、まだ、油断はできないぞ。
けれど、タイムカードを押して、ヨロヨロと家路についた。
もう、買い物をする気力なんか残っていません。
霊でも何でもどうでもいい気分。
ようやく家に帰ると、宴会の真っ最中だった……
「明子さん、疲れてると思って、差し入れ」と隆さんの妹の範子さん。
この人だけは、私の本名を呼んでくれる数少ない人。
「オレもおいしい地酒が、また手に入ったから持ってきた」と隆さん。
「お母さん、お疲れさま」と息子。
ええ、ほんまに、もうお疲れさま。
「私、もう寝ます」とヨロヨロと自分の部屋に向かった。
「まあ、そう言うな。
明日は、休みだろう」と隆さん。
「ええ! 何でですか?」
「日曜日は、オレの弟子が、ここ三年働いている。
このところでは、一番続いてるんじゃないか」
では……
明日の日曜日は、お休み?
あ、凄く嬉しい。
もう、今日のことなんか忘れて、宴会、宴会。
そのとたんに、周囲の気温が、クーラーもつけていないのに、ズズッ、ズズッ、と下がり始めた。
「何があった」と隆さんが、言った。
もう、思い出させないでちょうだい。
あの霊カップルの二人に、もしかしなくても、事件の真相を知られてしまったかもしれないんだから。
「そうか」と勝手に、人の考えを読まないでちょうだい。
「春行、手伝ってくれ」と隆さんが言った。
「ええ、また、お兄さんの趣味に付き合うの?」とケラケラ笑う、霊とは一切無縁の幸せな範子さん。
ははーん。
家の周辺に結界を張る気か。
ま、あの地に地縛されている霊なら、それも有効かもね、と隆さんと息子との付き合いで、何となくわかる私だった。
本当は、知りたくも、わかりたくもない!
「さ、春子も飲め。
明日は休みだ」としばらくの黙想の後で隆さんが言った。
どこかでカッコイイと思って見惚れてしまっていた私。
ハッと我に返る。
けど、隆さん、復讐者の霊まで出たんですよ、と心の中で訴えている。
「ま、仕事のことは忘れて、飲め、飲め」と首謀者のくせに無責任だ。
そりゃあ、私だって、嫌いじゃないから、飲めと言われれば飲みますけど。
グビー。ああ、おいしい。
「これ、何ていうお酒ですか?
すっごいおいしい」
「さあな。
蔵元が自分のために作ってる酒だからな」
「ホエー。蔵元がねえ」
ワハハハ、と疲れているせいか、一杯で酔っている。
「もう、明子さんたら、一杯で酔ってるんだから」アハハハ、という範子さんは、すでにかなり酔っている気配。
ま、もう、どうでもいいわ、と思っている。
あんな店のことなんて。
けど、隆さん、あの女の人って、霊なんですか?
「聞いた限りでは、生き霊だろう」
聞いた限りって、あんた、いつ聞いたん。
もう、わからん。どうでもいい。
グビー。
グビー。
「春行、明日、店に行け」と息子に命令している声が聞こえて、私は、ハッとシラフに戻った。
「ちょっと待ってくださいよ。
何で、息子があんな所に行かないといけないんですか」
「大藪一人では、1時間ももたないだろう」
酔っている勢いもあって、私は、つい隆さんの首を締めていた。
「だから、何で、息子が行かないといけないんですか。
行くんだったら、私が行きます」
そうよ。
隆さんが、祓うことのできないような霊域に、何で息子を行かせることができるのよ。
「お前は、もう限界だ。
後は、春行にまかせろ」と知らない間に、私の首締めを抜けた隆さんが言った。
クソ。
一体、いつの間に抜けた。
「後のことは、春行にまかすとして……」と隆さんは言っていたが、もうこの時点で、私は、翌日も行くことに決めていた。
経験上、明日が一番危ない。
「勝手にしろ。
後で倒れても知らんからな。
春行には、オレがついている」
そして、笑いながら付け足した。
「お前には、霊がついているか」
「気色悪いこと、言わんとってください」この家の霊だけで、もう充分以上。
範子さんだけが、何も知らずに、ケタケタと笑っていた。
この兄の妹でありながら、今まで、霊に接触したこともないなんて、羨ましい限りだ。
「もう、明子さんまで、お兄さんに影響されて」
ケタケタケタ。
誰も、影響なんかされたくないわ。
勝手に、影響してくるんやないの!
「ああ、そう言うたら、私の同級生やった、南さん、意識を取り戻さはったんやて、お兄
さん。
子供さんが亡くなってから、ずっとノイローゼ気味で、去年の暮れやったか、自殺未遂して意識不明やったんやけど、一週間ぐらい前から、何か意識が戻り始めて、今日、ハッキリ意識が戻ったんやて」
ウワア。
その人や。
スーパーに同じ時期にバイトに来てたんは!
「やはり生き霊か」と隆さんが言った。
「何言うてんの、お兄さん、ずっと入院してはったんやて。
同級生いうても、クラスは違ったし、顔もあんまり覚えてないけど。
今日、偶然会った佐々木さんに、聞いただけやって」