スーパーの怪6
延々と、その繰り返しだ。
正に、私の得意な力仕事。
三十箱が全部空になった頃には、汗ビッショリになっていた。
そう、スーパーのくせに、この店には冷房が入っていない模様……
ちょ、ちょっと休ませて欲しい。
と思ったとたんに、オーナー登場。
「この箱全部裏に運んで、潰しておいて」
ゲエ。
そうか。
力仕事か。
はいはい。
裏に段ボールを全部運んで、潰す段になって、これは、軍手が必要だな、と思った。
そのとたん、目の前に、お誂え向きの軍手があった。
用意がいいことだ。
バコーン、バコーン、と箱を解体。
まあ、苦手な作業ではない。
紐でもあったら縛っておくのに、と思ったら、紐もあった。
やっぱり外は暑い。
クーラーなんか入れてないはずのスーパーの中の方がヒンヤリとしている。
その後、「南さんに料理してもらうから、レジに入って」
「レジはいいから、この玉葱全部、外のカゴに移して」
「じゃがいもの袋詰めして」
「ネギを3本ずつ袋に詰めて」
「冷凍食品の棚を拭いて」
「ガラスケースを綺麗に磨いて」
と一分も休ませる気はない模様だ。
「お先に失礼します」と5時になると、南さんが帰り、
「レジやりながら、このお菓子の品出しして」
「弁当を並べて」
「レジ、しっかりやって」
「表の電気つけて」
ともう奴隷状態。
グロッキーになって、タイムカードを押した後で、オーナーが言った。
「頼りにしてるんやで。
あんたは、次期店長候補や」
時給750円で、店長の仕事までさせる気か、このおっさん。
何となく、元(?)店長の大塚さんが病気になった理由がわかるような気がする。
「時給も徐々に上がっていくし、あんた次第やけど」
この野郎、人の一番の弱みをついてくる。
「……上がるって、どれぐらい上がるんですか?」
「何年かのうちには、900円ぐらいにはなる」
何年もかかって、900円……
やってられるかあ。
その前に、大塚さんみたいに、病気になって入院じゃ。
「あの南さんいう人は、経験はあるんやけど、言うたら、お嬢さんや。
力仕事はできへんし、休むことも多い。
その点、あんたは着々と仕事を覚えていってる。
今に、共同経営者になるかもしれへんで」
誰にでも言うてるんやろけど、耳には心地好い響き。
ま、口だけはタダやからな。
「はあ。そうですか」
「期待してるで」
「じゃ、失礼します」
「ちょっと待って」とオーナーは、冷蔵庫をゴソゴソやっていた。
「これ、惣菜の残りやけど、家に持って帰って食べて」
「はあ。ありがとうございます」
「じゃ、また、明日。明日は、5時から」
「はい」
ガサガサいうどこから出してきたのかわからない汚いビニール袋に入れた惣菜を持って帰った。
ちょっと嬉しいかも。
家に帰ると、まだ教室をしている時間だった。
金曜日は時間が遅い。
確か8時までの日だ。
貰ってきた惣菜を冷蔵庫に放り込むと、ビールを出した。
暑くて疲れて、飲まずにはいられない気分。
もう風呂はやめ。
ちょっとおつまみに、と惣菜の空豆の湯掻いたのを一つ出して、ビニールをはがす。
色が悪い。
一体いつのものかと思ったら、賞味期限は昨日になっている。
もしかしたら、私の湯掻いた豆の残り?
いや、あれは、その日のうちに、全部売り切れたはず。
指で取ろうとすると、ネバッという感触がした。
ウワッ。
腐ってる。
これは大変、と思って、貰ってきた惣菜を全部出して開けてみる。
臭いこそしないけれど、腐る一歩手前という感じだ。
「もったいない」とは思ったけれど、全部ゴミ箱行きになった。
冷凍していた枝豆を湯掻いて、おつまみにする。
一体、どうやって賞味期限を決めているのだろうか、という疑問がわいた。
枝豆をつまみながら、ビールをチビチビと飲む。
これは、教室の終わった後、隆さんと顔を会わせた時の用心。
そのとたん、気功の教室が終わったのか、襖がガラリと開いた。
瞬間早業で、ビールと枝豆を冷蔵庫にしまう。
ガヤガヤというお弟子さん達の声が聞こえて、遠ざかっていく。
台所にいれば、誰とも顔を会わせることもないのだが、時々、隆さんが思い出したように顔を出すことがある。
今日は、大丈夫のようだ、と思って、冷蔵庫からビールと枝豆を出した瞬間。
「ほう。息子が働いているのに、いい身分だな」と隆さん登場。
バッドタイミング!
この男は、猫みたいに足音を立てない。
よく見ていても、歩いているというよりは、人形みたいに滑っている感じだ。
「オレも、一杯もらおうか。
今日は、疲れた」
へえ、万年青年、超人28号のくせに。
疲れることもあるの。
フーン。
「随分、景気よく捨てたな」と我が家の蓋無しゴミ箱を見た。
「まだ、やってるのか」と渋い顔をしている。
何のことだろう??
私は、仕方無く、コップを出して、ビールを注いであげた。
枝豆も、イヤだけど、半分分けてあげた。
「就職祝いに寄った時は、留守だったからな。
あの時なら、おいしい地酒があった」
残りは置いていってくれればいいのに。
「春行が持って帰ってくれ、と頼んだ」
あの野郎。
ちなみに、息子は、隆さん一家からは『春行』と呼ばれている。
前世は、隆さんの従兄弟で、十二才で亡くなった『春行』君らしい。
私の別名の『春子』というのは、『春行』の妹の名前。
しかし、私は、真っ赤な別人だけど。
いちいち訂正するのも面倒なので、勝手に呼ばせている。
「とにかく、就職に乾杯」と隆さんが言った。
こうやって、久し振りに正面から見ると、やっぱりいい男だ。
どう見ても、三十代にしか見えない。
性格が悪いのが欠点だが、目の保養にはなる、と思っておこう。
「あの仕事、ほんまに、そのうち病気になりますよ、店長の大塚さんみたいに」と私は、言った。
「そんなにきついか」
「昨日は、12時から7時。
今日も1時から7時まで働いて、1分も休憩なしですよ。
そう言うたら、トイレにも行ってない」
「それは、ひどいな」
「しかも、段ボール30箱全部出して、箱を壊して。
玉葱移動させて、じゃがいもを袋に詰めて、レジやって、掃除して……」
と止まらなくなってしまった。
「お前なら大丈夫だ」と隆さんは微かに笑っている。
ゲッ。
隆さんが微笑している。
似合わないし、あー、怖い。
「ところで、隆さんとオーナーとは、どういった関係なんですか?」と一番知りたかった質問。
「大家と店子だ」
「ええ!
あの店も隆さんのもの?」
この大金持ち!
「土地がうちのものだというだけだが。
二十年以上前になるかな。
遊んでいた土地だから、タダ同然で貸したみたいだ」
「みたいだ、って」
「その頃は、伯母の名義だった。
最初は八百屋から始めて、そのうちスーパーになった。
バブルの頃は、大繁盛していたらしい」
「へえ」
「五年ほど前に食中毒事件を起こした。
子供と年寄りが大勢入院する騒ぎになった」
「原因は、惣菜?」
「そう思うか?」
「思う」とゴミ箱入りになった惣菜の山を見て答えた。
「結局、原因は特定できなかった。
残っていた惣菜は処分された後だったし、台所も消毒されていた。
ただ……」
「ただ?」
「噂は残った。それと……」
「それと?」
「責任を感じた店長の大塚が入院先で自殺同然に死に、恋人だった惣菜係が後追い自殺した」
その瞬間、ゾクッと冷気を感じた。
「え?
え?
嘘……
じゃあ、あの……
あの、その……」
「会ったみたいだな、その二人に」
キャアア。
もう、イヤ。
「た、隆さん、それじゃあ、知っていて、あの店に私を行かせたわけ?」
「いや。確信はなかった」
「確信はなかったって。
ないわけないでしょうが!」
この霊オタク。
「あの辺りは、元古戦場で、オレは近づけない。
下手に近づくと一生かかっても祓えないほどの霊が寄ってくる」
「ちょっと待って。
そういう霊が、あの店にウジャウジャいるわけ?」
「いてもおかしくはない」
ああ、もう訳がわからなくなってきた。
じゃあ、客だと思ってた人も、実は霊かもしれない、ということか。
ワアア!
「霊によく効くお札をちょうだい。
あちこちに貼るから」と切羽詰まった私。
フン、そんなもん、何に効くのよ、と内心バカにしていたお札をせがむ始末だ。
「お札ぐらいでは、無理だろう」と超クールな隆さん。
隆さんのコップが空になっていたので、冷蔵庫からもう一本ビールを出して、注いだ。
「お前は、変に霊になつかれるみたいだから、よく事情を聞いてきてくれ」
「ア、アホなこと、言わんとってくださいよ。
イヤですよ、そんな役」
「お前にしかできない。
いずれ、時給900円だ」
「何で知ってるんですか」
今日聞いたばっかりの話やのに。
「顔に書いてある」
え、嘘、と思って、顔を触ったが、そんなこと顔に書いてあるわけがない!
「目的は何なんですか」と私は、たずねた。
「どうしようもないようなら、店を畳んでもらう」
「はあ……」
そう。
……それも、いいかもね。
「あの店の賃料は、500円だ」
「一日でですか?」
それは、安い。
安すぎる。
「一ヵ月だ」
ガーン。
「私が借りる」と思わず言った。
私にだって、一ヵ月500円なら払える。
それで、私も、店のオーナー。
「借りてどうする。
霊つきだぞ。
それもたくさんの」
「いりません」と仕方無く言った。
この家の霊だけで、もう充分。
言ってなかったけれど、実は、この家も霊つき。
成仏した霊のくせに、団体で入りびたっている。
私がいちいち付き合っていないだけのことだ。
「頼まれない限り、5時から7時に行け。
いくらお前でも身体を壊すかもしれない」
いくらお前でも、は余計だが、フーン、人並みに心配することもあるんだ。
「事情がつかめないうちに、倒れられても困る」
はいはい。
事情の心配ね、私の心配じゃなく。
でも、嬉しくないこともない。
あれれ? ビールのせいか、隆さんの顔が、少し赤いような気が。
「人の顔をジロジロ見るな。
さっさと、ビールを注げ」
ははーん。
実は、照れている?
「うるさい」と注がれたビールを一息に飲んだ。
ヨッ。いい飲みっぷり。
妹の範子さんといい勝負。
「帰る。ご馳走になった」と隆さんはサッサと帰って行った。
その時になって初めて、あれ、そう言えば、息子はどこにいるんだろうか、と思った。
気功の教室に使っている和室に行くと、息子が倒れていた。
「春樹!」
まさか、私の知らない間に、スーパーの霊が現れて……
と思ったら、眠っているみたいだ。
しかも、人形を抱いて……
「ああ、疲れた」と起き上がった息子。
隆さんに言われて、また、変な実験でもしていたんだろう。
「ごはんは?」
「今日はいらない。
疲れたから、もう寝る」と言われて、内心ホッ。
総菜は腐っていたし、枝豆も食べてしまった上、何も作っていない。
私も寝よう。
何かもう気分はグチャグチャ。
悪夢にうなされるぞ、うなされるぞ、と思って寝たけれど、気がついたら、朝だった。
しかも、寝過ごしている。
よく考えたら土曜日だ。
土曜日も仕事?
ちょっと待って。
もしかすると、日曜日も?
おいおい。毎日休みなし?
まあ、2時間ぐらいならいいけど。
と諦めの境地。
昨日食べていない息子のために、と朝食の準備をしていると、電話のベルが鳴った。
「はい」と出ると、店のオーナーだった。
「南さんが急に休む言うて、困ってんのや。
5時からなら行けるいうんで、今日は、10時から5時まで来て」
時計を見ると、もう9時半。
無茶苦茶なおっさんやな。
「ちょっと急に10時は……」
「10時半でもいいから、頼んだで」
ガチャン。
もう一方的な電話。
でも、頼まれると弱い私。
『バイト、5時まで』と珍しくジョギングにも行かずに、まだ寝ているらしい息子にメモを残し、スープでトーストを流し込んで、出掛ける準備。
惣菜は買いたくないけど、材料を買って帰ろう、と財布をポケットに入れる。
もう、霊でも何でも出たらいいわ、の心境だ。
店に到着すると、ジャスト10時半。
「タイムカードはいいから、レジに来て」と一人で買い物客をさばいているオーナーが悲鳴を上げている。
しかし、こいつのことだから、とタイムカードを押して、エプロンをつける。
「後は頼んだで」とさっさと奥に行ってしまった。
一つ疑問。
オーナーは、霊が見えない?
怖くない?
感じない?
ま、それだから、ずっと店をやっていけるわけね。
私は、昔から招き猫。
さびれた店でも、私が入ったとたん、急に客でごった返す。
「いらっしゃいませ。
1876円になります。
1万円お預かりします」
レジ打って、商品を詰めて、お金を受け取って、お釣りを渡す。
「ありがとうございました」
多少もたつく場面もあるけれど、わずかの期間で、もうプロ並み。
と自分では思っている。
大塚店長のお蔭……
でも、霊だったのか。
ハッと気がつくと、2時を回っていた。
「私がレジやっとくから食事してきて」とオーナー。
レジやっとくと言ったって、もう客の波は引いたところだ。
「好きなもん買って」
つい、ええ!
食事を用意してくれているの?
と一瞬でも思った私がバカだった。
「食事休憩30分。
タイムカード押しといて」
ということは、無給の食事休憩ということか……