スーパーの怪5
「お母さん、お帰り」と今日は、息子が待っていた。
手にしているのは、人形の足袋。
慌てて、後ろに隠したようだが、私は、シッカリ見てしまった。
「仕事、断ってきたから」と私は、言った。
「あ、ほんま」と何か慌てている。
「春樹、あんた、何か私に隠してない?」
「え? 別に」
こういう時に悔しいのは、息子や隆さんには、私の考えていることが読めるのに、私には、全然わからない、ということだ。
「最低のオーナーやわ。
病気で入院してる人をクビにするし」
「あ、そうなん」と別に驚いた様子は見られない。
「あんた、もしかしたら、そのこと、知ってたん?」
「え?
え?
何のこと?」とますます挙動がおかしい。
『人形は、働く』と言いながら、足袋を脱いだせいで、見た目に少々締まりのなくなった日本人形が、空中浮遊をしている。
空中浮遊というより、空中を旋回している。
コイツも何か隠しているな。
「人形」と私は、日本人形を呼んだ。
「あんた、今日、店に来た?」
あのレジの横に見えたのは、もしかすると、幻ではなかったのかもしれない。
『人形は、知らない』
フフーン。
こいつがこういう台詞を言う時は、絶対に何かを隠している。
「お母さん、ごめん」と息子がついに言った。
「オレ、どうしても心配やったから、この子に、時々行ってもらってたんや」
ああ、これで、謎は、全て解けた。
初日の人形の汚れた顔や着物や足袋。
今日息子が隠し持っていた人形の足袋。
レジの横に見えた人形の幻。
「何が、そんなに心配やったん」
「そやかて、お母さん、最初から、何かイヤそうやったから」
まあ、そう言うたら、そうやった。
「それに、この子がどうしても行きたい、て言うし」
フン。
どうせ、その子の希望の方が、大きい理由やろ。
「そ、そんなことないよ」と勝手に人の考えを読んで、うろたえるな。
「隆さんが、お母さんなら絶対大丈夫て言うてたけど、何か心配で」
まあ、そういう言い方をされると、悪い気はしない。
冷たいように見えて、息子は息子で心配してくれてたんや、と少し嬉しいかも。
「今日は、ボクが料理を作っておいたから」と言われて見ると、卵と空豆の湯掻いたものに、肉ジャガ。
どこかで聞いたような料理だ。
「ビールのアテにと思って」とどことなく、息子は殊勝。
まあ、これが、いつもの息子で、ここ何日かは変だった。
おっさんのくれた紙袋を開けると、確かに賞味期限が前日までの菓子パンが、七つばかり転がり出てきた。
「ああ、パンや」と息子が喜んでいる。
「え?」と私は不審顔。
「春樹、あんた、パン好きやったん?」
「うん。知らんかった?」
し、知らんかった……
今の今まで。
「ごはんも好きやけど、パンの方が好き。
おいしそうなパンやなあ」
「けど、賞味期限切れてるよ」
「一日ぐらい大丈夫やて。
ごはんの後で食べよう」
ゲッ。
食事の後に菓子パン……
何という恐ろしい組み合わせ。
何となく雰囲気的には、まだ私は、明日も出掛けるような気配になっている。
けど、行かない。
絶対に行かない。
息子が菓子パンを食べている横で、チビチビとビールを飲みながら、立ち仕事のせいで痛む足をさすっていると、ジリリリーン、と電話のベルが鳴った。
「お母さん、隆さん」と息子。
あれ?
隆さんの家には、電話はなかったはずなんでは。
「はい」と出ると、やはりの隆さんだった。
「念でかけているから、手短に言う」とどこか息が切れている感じだ。
「『まるとくや』から範子に電話があったらしい。
お前のことを褒めていたらしい。
特別に時給750円払うと言っている」
「今までの分、タダ働きですよ」
「それは聞いていない。
きちんと働いた分をメモしておけ。
給料は取ってやる。
当分5時から7時に来て欲しいそうだ」
「けど、私、もう……」と言った時には、電話はツーツーと切れていた。
「途中で切れた」と息子に言うと、
「お母さんにはテレパシーが通じへんから、隆さんも大変やな」という、誰の味方かわからない返事だった。
「電話ぐらいつけたらいいやないの、金持ちなんやから」と私は言った。
「オレかって、電話なんかない方がいいよ」という返事。
隆さんといい、息子といい、電話も携帯もテレビもいらないという、もう変な人種。
「時給750円か……」と言いながら、電卓を出してきて、毎日2時間で20日働いた場合の計算をしてみた。
3万円……か。
正にビール代。
試しに、一日フルタイム8時間で、20日だと……
月給12万円。
「やってられるかあ!」と思わず叫んだ。
ここまで計算してみないと、どれほどのものか、よくわかっていなかった。
「確かに、今時、市内で時給750円は安いなあ。
オレなんか、代稽古で2時間教えて、隆さんに5000円はもらってる。
助手の時も、2000円」
「わあ、私も助手をやる」と思わず言ってしまった。
「へえ、隆さんの弟子になる気なんや」と息子にクールに言われて、
「やらへん!」と前言撤回。
誰が、隆さんの弟子になんかなるか。
けど、高い時給は魅力だ。わあ。
「お母さん、スーパーの仕事かって、慣れてきたら、時給が上がるって」と息子に慰められる始末。
「どれぐらい?」
「うーん、800円か850円ぐらい?」
「いややあ。春樹と同じ最低1000円がいい」
「じゃあ、隆さんの弟子になれば?」
「もっと、いややあ」
「じゃ、オレ、隆さんのところに行ってくる」と私の相手をしていても仕方がないと思ったものか、息子はスッと立ち上がった。
「またあ?」
「うん」
「何で?」
「オレは、隆さんの弟子やから。今、呼ばれた」
「あ、そう」簡単な理由なのね。
息子が出て行ってから、いくら時給1000円でも、こういう時間外の呼び出しも込みか、と変なことを考えた。
しかも、テレパシーとくれば、逃げようがない。
それやったら、スーパーで、いずれ850円もらう方が割はいいかも。
今までの分も、隆さんが貰ってくれると言ってることだし。
そや。忘れないように、家計簿につけておこう。
収支決算とか一切なしの、つけているだけの家計簿だけど。
月曜日から行ったんだよね。
月曜日2時間、
火曜日(掃除も入れて)3時間、
水曜日、ええと、昨日は、12時に行って7時に帰ったから、7時間(ゲッ、7時間も働いたんや……)。
木曜日、今日は、1時から7時の6時間。
合計18時間。
電卓でパチパチやると、1万3500円。
何となく嬉しいかも。
レジは店長に教えてもらったのと慣れたので、もうOK。
料理もあの女の人がいてくれるから大丈夫。
掃除は元々プロ。
うん。悪くないかも、と少し思い直した。
息子は中々帰って来ず、また、どうせ、念で車を動かすとか、念で電話をかけるみたいな実験をしているんだろう。
または、元人形オタクの隆さんと、人形の可愛さについて、熱く語り合っているのかもしれへん。
ま、早く寝よう。
とにかく、年のせいか、暑さ寒さの気温の差の激しい毎日と、慣れない仕事のせいで、疲れ切っている。
風呂に入って、寝る前になって、あれ、オーナーは1時に来てくれと言ってたけど、隆さんは、5時と言っていた。
どっちが正解? と考えながら、眠った。
仕事以来初めて、夢も見ずに熟睡。
翌日は、気功のある日だったので、朝から息子と家の掃除を丁寧にした。
「お母さん、掃除だけは、マメやなあ」
掃除だけの『だけ』は余計やろ。
「今日、どうするの?」とたずねられ、グッと返事に詰まった。
完全に行くつもりになっている。
しかし、息子に「やめる」と言い切った手前、何となく恰好が悪くて言えない。
「うん。続けた方がいいよ」とシッカリ考えてることを読まれていた。
しかし、問題は、1時から行くか、5時から行くかだ。
ええい、1時に行ってしまえ、と着々と準備をして、出掛けて行った。
何となく、仕事仕事と、気分がウキウキするから、不思議なものだ。
1時10分前にタイムカードを押して、エプロンをつける。
「あ、こんにちは」と挨拶する。
今回は珍しく、レジに人がいた。
もしかすると、これが、私と同じ時期に応募して働いているという南さん?
あの料理の得意そうな女の人は、ずっと慣れた感じだったし。
しかし、レジに人がいるということは、やはり今日は5時からだった?
「南さんですか?」
「はい。そうですけど」と年の頃なら私と同じか少し若いぐらい。
いいとこの奥様といったおしゃれな感じだ。
「坂口です。同じぐらいの時に入ってきた。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」と言いながら、目が不審そうに、私を見ている。
「ああ、今日は、1時からか5時からか分からなかったもんですから、1時に来てしまいました」
アハハ、とつい笑う。
「オーナーにきいた方がいいと思いますけど」と相手の声は冷たい。
ガクッ。隆さんの言う通り、というのは悔しいが、5時に来るのが正解だったか。
オーナー、オーナー、と探し回ると、奥の部屋で居眠りをしていた。
その時、私は見た。
レジや店内四ヵ所が写っている監視カメラを。
ふーん、これで、従業員の監視やら、万引きの監視をしているわけね。
こんなカメラで見なくても、狭い店なんやから、直接見たらわかるやろに。
「オーナー」と呼ぶと、ギョッとしたように目を開けて、辺りをキョロキョロ眺めている。
寝惚けているのか。
「今日、1時て言うてはりましたけど、5時からやったんですか?」
「いや、することは、ようけあるよ」と1時で正解のようだ。
「あんたを頼りにしてるからね」と言われると、悪い気はしない。
「気功の先生の紹介なんやったらそうと、早、言うてくれな。あんたも人が悪い」
そうか……隆さんの名前の方が正解だったのか。
「早速やけど」とおじさんは、店の中に所狭しと並んでいる段ボールを指差した。
「今日中に、あれを全部、品出しして欲しいんやわ」
ちょっと待て。
大体で数えてみても、三十箱はある。
「そうそう。それよりも、牛乳とか乳製品の方が先やな。
わかってるやろけど、今入ってるのを出して、奥から入れてや。
その後で、今入ってるのを入れる。
入れる前に掃除。
値段を調べて、値札をつける。
私は、奥の用事があるから、頼んだで」
頼んだで、と言われても、一体、どこから手をつけたらいいのか。
取り合えず、牛乳の値段をレジで調べて、値札を貼ることにした。
「あ、これ」と言って、南さんが、機械を出してきてくれた。
「こうやってつけたらいい」と親切に教えてくれる。
「ありがとうございます。
私、こういう仕事初めてなもので」とお礼を言っている間に、冷たくレジに戻ってしまった。
あれ? 今日は、いつものように、客がいない。
南さんは、暇そうに、レジの周辺の拭き掃除をしている。
牛乳に値札をつけて、ケースへ。
はいはい、掃除もね。
ヨーグルトやプリン類も同様にして。
さて、この箱だ。
どうやって開けるか。
レジにあったハサミを持って来て、ガムテープに切れ目を入れて、ガバッと開ける。
値段を調べて、値札をつけて、場所を探して、収納。
値段を調べて、値札をつけて、場所を探して、収納。