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スーパーの怪  作者: まきの・えり
3/11

スーパーの怪3

「そうか」と息子は、慰めてもくれない。

「何で、私が、あんなスーパーでこき使われないとアカンのよー」

 オーイオイオイ、と泣き上戸になってしまった。

『遅いし、とろいし、手際が悪い』という声が聞こえて、ギョッとしたはずみに、酔いが一度に冷めた。

「あんた、一体、どこに行ってたん」

 見ると、息子の日本人形の足袋は真っ黒、顔や着物にまで汚れがついている。

『人形は、働く』

 まさか、この人形、私の知らないうちに、あの店に来てたんやないやろな。

「春樹、何とか言うてよ」

「顔と着物は拭いたら何とかなりそうやけど、足袋は洗わなアカンなあ」と息子は、全然私の言うことを聞いていない。

 私を放っておいて、何やら人形とコソコソ話している。

 ほんまに仲がいいこと。

 ああ、腹立つ。

 この日も、ガックリ疲れて眠ってしまった。


 夢の中でもブツブツ考えている。

 たった2時間。

 一日にたった2時間で、これだけ疲れる仕事がこの世にあったとは、これいかに。

 そう考えたとたん、レジで悪戦苦闘している私を目掛けて、キャベツとキュウリ、ナスとトマトが飛んで来た。

『料理してくれー』と暴れている。

「もう順番に並びなさい」

 レジには、色々な料理の名前が書いてあって、一列に並んだ野菜を見て、即座に料理の名前を打ち込まなければならない。

 そういうしきたりになっているらしい。

 キャベツ……お好み焼きか野菜炒めのどちらかだろう。

 ええい、お好み焼きだ。

 そのとたん、ピーピーピー、とレジが威嚇音を発する。

 しまった、野菜炒めだったか……

『遅いし、とろいし、手際が悪い』

『遅いし、とろいし、手際が悪い』

 と店中の野菜が、私目掛けて、飛んで来る……


 ワアアア!! と叫んで、目が覚めた。

 もう、あきません。

 たった2日で、この始末。

「もう、お母さん、あの仕事、断ることに決めた」と朝食の時、息子に宣言。

「そやな。お母さんが無理やと思うんやったら、やめた方がいいね」と超クールな返事。

 あのね、もうちょっと頑張ってみたら? とか、まだ二日目やんか、とか、言うことが他にないのか、この息子。

「うん、午前中に、電話して断る」

「そうか。

 オレが、隆さんに話した方がいい?」

「私が話す」

「うん、わかった。

 今日は、教室の打ち合わせがあるから」とまたも息子は、隆さんのところに行ってしまった。

 心の中を、ピューピューと冷たい風が吹く。

 初夏なのに……

 私がスーパーで扱き使われるのも、息子が、こんなに冷たい人間になってしまったのも、人形オタクになってしまったのも、皆、隆さんのせいや! と関係のない隆さんを恨む始末。

 まあ、とにかく、朝の早いうちに、スーパーに電話をかけて、仕事なんか断ってしまおう。

 どうせ働くなら、それに、本気で探せば、もっといい仕事が、この世には山ほどあるに違いない。

 と思いながら、散々不採用になった過去が、存在を主張する。

 アカン、アカン、弱気になったらアカン。

 店の電話番号……

 と思って、愕然とした。

 自分の名前や電話番号は、相手に教えたけれど、相手の店名と電話番号を、今の今まで知らなかったことを思い知る。

 電話帳を持ち出してみたが、店の名前がわからないことには、どうにもならない。

 ああ、私のバカバカアホ。

 こうなったら仕方がない。

 直接店に出向いて断ろう。

 あーあ。

 気が重いけど、それしか方法はない。

 律儀に家の清掃をして、隆さんの教室のある水曜日なので、特別に稽古場になっている和室は丁寧に掃除する。

 家を出たのは、ちょうど全部終わった11時半。

 お昼前だが、断るのなら、ちょうどいいかもしれない。

 家に帰って、冷蔵庫に残っている差し入れの残りを食べよう。

 私は、昔から、異常なぐらいの晴れ女。

 そ、それなのに、家を出た時には、晴れていた空が、歩いている間に徐々に曇りだし、途中で、ポツポツと雨まで降ってきた……

 この信じられない自然現象。

 ま、梅雨だから、仕方がないか……

 そして、店に着いたとたん、ザアザアという雨が降り出していた。

 店に着くまで、雨も我慢していたわけね。

 店の軒先には、1本350円のビニール傘が並べてある……

 頭の中のスーパー・コンピューターが、二日分の給料の代わりに、傘をもらって帰ろうと、勝手に計算していた。

 お昼時だというのに、相変わらず、客の姿は見えない。

 見えないと言えば、オーナーの姿も他の店員の姿も見えない。

 雨もあって、店は、夕方二日間来た時よりも薄暗い。

 けど、嘘でしょう。

 外は雨。

 中は蛍光灯。

 薄暗いはずはないのに。

「ごめんください」と声をかけるのも鬱陶しいので、勝手に店の中を見回ることにした。

 ウッ。夢の中に出てきた、キャベツ・キュウリ・トマト・ナスがある。

 手に取って見ると、案外に新鮮な品だが、何となく、この薄暗さの中では、しなびて見えるのが不思議だ。

 うちの一番広い和室の倍ぐらいの広さの割には、品揃えは豊富だ。

 ただ、大抵の棚は汚れ放題で、商品には、うっすらと埃がたかっている。

 昨日磨いたガラスケース……

 あれだけ磨いたはずなのに、また元通りに汚れているように見える。

 誰も触ったことのないように見える商品の数々。

 しかし、賞味期限を見る限りでは、そう古い品ではない。

 値段も、これほどさびれている店の割には、法外ではない。

 量販店と変わらない値段や、それよりも安い値段のものもチラホラある。

 周囲にコンビニが数軒あるだけの地域。

 大手のスーパーは、駅前に二軒あるだけだ。

 ここが、これだけさびれているのには、何か訳があるのかも、と初めて思った。

 私だって、こんな近くにスーパーがあると知っていれば、範子さんではないけれど、買い物に来たに違いない。

「何やってんの。早く早く」と背後から言われて、ギョッとした。

「何回電話しても誰も出えへんから、ほんまにもう」とオーナーが、片手にエプロンを持って立っていた。

 一体、どこから出て来た?

 トイレ?

「あの、私は、あの……」とことばがうまく出てこない。

 オーナーは、私の後ろに回ると、勝手にエプロンを着せた。

「この間から来てたバイトが急に休んで、困ってたとこや」

「いや、私は、あのその……」

「さっさと、レジに立って」

 ああ、私のいうことなんて、誰も聞いていない……

 訳のわからないうちに、私はレジに立ち、それを待っていたかのように、客が次々と入って来る。

 もう、無我夢中。

 夢に見たキャベツ・キュウリ・トマト・ナスが、次々にレジを通過。

 幸いなことに、レジには、夢の時のように、料理の名前はなかった。

 ハッと気がつくと、3時を回っていた。

「後は、5時まで、奥の冷蔵庫に入っているもんで、料理を作って」

 えええ!

「私がレジしとくから、適当に作って」

 えええ!

 奥に入ると、小さな鍋と小さなフライパン、電磁調理器と大きなプラスチック製のまないたがあった。

 冷蔵庫を開けると、賞味期限の切れた豚肉・牛肉・丸天にうどん、少ししなびた野菜類が入っている。

 これをどうせえて言うのよ!

 言いたくないけど、私は、料理はあんまり得意じゃない。

 得意じゃないと言うよりも、作りたくない、こんなところで。

 何やらカサカサという音がするので、音の方を見ると……

 ワアア、ごきぶりの子供達が我が物顔に調理台の上を歩き回っている。

 ボトッと何かが、私の剥き出しの腕の上に落ちて来た。

 ギャアア、ごきぶりの親玉だ!

 サササと走って、親玉は姿を消した。

 恐々と天井を見ると、あちこちで、触覚を震わせているごきぶりの姿が見えた。

 わあ、もうイヤ!

 もう、帰る。

 仕事なんて、どうでもいい!

 その時、「まず、野菜炒めを作りましょうか」という落ち着いた声が聞こえてきた。

 声の方を見ると、どこか影の薄い女の人が、私と同じエプロンをつけて立っている。

「ああ、もう一人いてはったんですね」と私は、心の底から感激した。

 こんな場所に、一人きりでいるのは、絶対にイヤ!

「私は、教えることしかできないんですが」と言われて、よくよく顔を見ると、細面の美人だ。

 年の頃なら、三十一か二?

「いやもう、それだけで、すっごい助かります」と私は言った。

 自慢ではないが、カレーを作る時でも、作り方と分量を見て作る私だ。

「豚肉を三等分に切って」

 私は、豚肉を三等分に切った。

「プレヒーティングしておきます」

 プ、プレヒーティング?

 何かわからないけど、そのまま置いておいた。

「人参とタマネギとキャベツを切ります。人参は……」

 とにかく言われた通りに切って、炒めて、味付けをした。

 フー。

 野菜炒めは、いっちょう上がり。

 やれば出来るんや。

「牛肉は、細切れだから、肉ジャガを作りましょう」

「はい」とこれまた言われた通りにして、肉ジャガ上がり。

 後は、いんげんと丸天の炒め煮と、野菜炒めを利用した焼きうどんを作り、とうもろこしを蒸して、空豆を湯掻いた。

 一日で、これだけの料理を作ったのは、生まれて初めて。

「ありがとうございます。

 お蔭で何とかできました」と教えてくれた女の人の手を握ろうとしたけれど、女の人はスッと手を引っ込めた。

「ごめんなさい。 

 気を悪くしないでくださいね。

 私、手を傷めているもので」と右手で左手首をかばっている様子。

「ああ」と私は言った。

 そんなこととは知らずに、悪いことをしてしまった。

「私の方こそ、何も知らずにすみません。

 あのう、これからも、色々教えてください。

 どうも、料理ってのは、あんまり得意じゃないもんで」

 と一人で頭をかいているうちに、女の人の姿は消えていた。

 奥床しい人だな、と私は思った。

 私が反対の立場なら、私のお蔭でできたのよ、とか言ってしまうかもしれない。

 世の中には、立派な人もいるものだ、と思っている最中に、オーナーが顔を出した。

「まだか?」

「ああ、一応、材料は、全部使いましたけど」

「え、ほんま?」

『まだか?』と聞きながら、『え、ほんま?』とは、これいかに。

「あ、ほんまや」

 このおっさん、どっか変じゃないか、と改めて思った瞬間だった。

「レジに立って。レジに」と言われて、レジに立つ。

 前二日同様、なぜか、私がレジに立ったとたん、それを待っていたかのように、客が並ぶ。

 少しレジに慣れたせいかもしれないけれど、並んでいる客が、私をジロジロ見ているような気がする。

 そのうちに、何となく、めまいがしてきた。

 食事もせずに、ビールばっかり飲んでいた後遺症?

 レジに並んでいる客のうち、三人に一人が、目のせいか、ボウッと霞んで見える。

 ああ、もう、これはあかん。

 時計を見て、午後7時に、「もう、これ以上あきません。私、帰ります」と、私は、ようやく顔を会わせたオーナーに言った。

 そして、エプロンを脱いで、夢遊病のように、タイムカードを押した。

 フラフラと帰ろうとする私の背後から、オーナーが言った。

「あ、明日も来てや」と。

「今日は、掃除できなくてすみません」と私も言ってしまった。

「本雇いにするから、明日も来てや」

 その声を背後に受けながら、ええ! もしかすると、今日までタダ働きやったん?

 と思ってしまった私だった。



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