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スーパーの怪  作者: まきの・えり
2/11

スーパーの怪2

「ああ……あの佐藤さんのお嬢さんの」とまたも、おじさんの態度はガラリと変わる。

「佐藤さんとは、どういったご関係で?」ともみ手をしている。

 範子さんは、きっと、この店の上得意客なのだろう。

「ええと……友達です」

 これで、どうだ!

「うーん」とおじさんは、困惑顔だ。

「実はねえ、力仕事のできる男の人の方が欲しかったんやけど、今は、ほらその、男女何とか法とかで、男が欲しいて求人に書けないことになってますからねえ」

 私は、かなりガックリした。

 どこかで、ホイホイと大歓迎されるイメージがあったものらしい。

 そうか。

 男手が欲しかったのか。

「けどまあ、佐藤さんのご紹介やったら、うちも考えてみますわ。で、レジの経験は?」

 何となく、人生最悪の求人応募状況になっている。

「……まあ、見たことがある程度で」

 ああ、もうダメか。

「まあ、レジは、慣れたら何とかなると思うけど」とおじさんの方から、助け船が出た。

「料理とかは得意ですか?」

 ウッ。

 料理。

 そりゃあ、長い間、作ってはきたけれど、得意と言えるかどうか。

 まして、貧困家庭の我が家。

 食べるだけで精一杯。

 その上、最近では、料理の上手な範子さんのお世話になることも多い……

「まあ、何とか……」と笑って、誤魔化す。

「一応、希望の時間帯とか聞いておきましょか。

 何曜日が都合悪いとか、時間はどれぐらいがいいとか」

「別に都合の悪い時間帯というのはないんですけど……」と言った時、おじさんの目がピカッと光ったような気がしたが、私の気のせいだろうか。

「応募がかなりきてますんで、三日ほどしてから、また連絡させてもらいます。

 一応、お名前とお電話番号だけ教えてもらえますか」

 もうスッカリ相手のペースで、私は、聞かれるままに、名前と電話番号を教え、失意と絶望みたいなもんを抱えて、フラフラと家路についた。

 ちゃんと私に言うといてよ、隆さんに範子さん。

 相手は、ちゃんと求人募集かけてはるらしいやないの。


「お母さん、どうやった?」と家に帰ると、息子が待っていた。

「うーん」どう答えたものか。

「あかんかったん?」

 そうハッキリ言わないでちょうだい。

「力仕事ができる男の人が欲しかったんやて」と正直に言ってしまった。

 ま、嘘ついても、息子には見抜かれる。

「お母さん、力仕事、得意やないか」

 ガーン。

 そうや、そうだった、と息子に言われてから、思い出した。

 そうや、それが、私の売りやった。

 力仕事なら、おまかせください。

 ま、今となっては、後の祭りやけど。

「隆さんの話からしたら、絶対雇ってもらえるて、言うてたけど」と息子。

「私も、そう思って行ったんやけど、何か違う感じで……」と力が出ない。

「大丈夫やて、お母さん」

 そうハッキリ断言されても、こればっかりは……

 過去に苦い不採用の経験は、山ほどあるからねえ。

「まあ、ビールでも飲んだら?」と息子にビールの栓を抜いてもらう始末。

 そうよねえ、毎日飲むビール代ぐらいは、何とか稼がないと、とどこかで思っていた私だった。

「これ、範子さんから差し入れ。

 就職前祝いやて」

 そうなの。

 これも、心苦しいことの一つ。

 お料理大好き大得意人間の範子さん、何やかやと、うちに料理を差し入れてくれる。

 前祝いだけで終わりそう、と思いながら、範子さんの差し入れの料理を食べ、ビールを飲んだ。


 ところが、その翌朝、「早速ですが、今日から来てもらえませんか。

 試験採用ということで」という電話がかかってきた。

「え、ほんまですか?」と不思議に声が踊る。

 別にどうしても、スーパーで働きたいなんて、思ったこともないんだが。

「候補者はようけいてるんですけど、とりあえず、今日の夕方の5時から7時に来てもらえませんか?」

 夕方の5時から7時とは……

 主婦なら誰でもいやがる夕食準備タイム。

「は、はあ……」と答えは鈍い。

「じゃ、お願いしましたよ」と返事もしないうちに、電話が切れた。

「今日、5時から7時に来て欲しいんやて」と一緒に食事をしていた息子に言った。

「よかったやん、お母さん、隆さんの言った通りやんか」

 もう、隆さんの言った通りとか言うのは、やめてちょうだい。ムカツくから。

「けど、5時から7時よ」

「ええやん。

 もし食事の心配してるんやったら、オレが何とかするし」

 はい、はい。

 認めたくはないけれど、最近、時々料理するようになった息子の方が、長年やってきたはずの私より、味付けも調理もうまい……

「折角やから、行ってきいや」

 そんなに積極的に言わなくても……

 うーん、どうしようかなあ、と思いながら、今度は道に迷わないように、早めに家を出て、

 5時20分前に店に着いた。

 相変わらず薄暗い店。

 いや、蛍光灯はついているし、よく考えれば、そんなに暗くはないと思うのだが、何となく印象が薄暗い。

 外がいい天気で、明るすぎるせいだろうか。

「何してんの。早く店に入って」とこの間会ったばかりのオーナーらしきおじさんに急かされる。

 ええと、まだ、5時20分前なんだけど、とボウッと考えながら、私の年齢には派手過ぎる、赤と黄色の大きなエプロンを渡される。

 モタモタとエプロンをつける。

「早く、レジに立って」

 そ、そんなに急かさんでも、と思いながら、生まれて初めて、レジの前に立つ。

 5分ぐらいで、バーコードの通し方と、野菜や惣菜の打ち込み方を教えてもらう。

「私は、裏で仕事するから、レジは頼んだで」

 ま、待って、おじさん、いや、オーナー。

 私、こんなこと、初めてだって……

 と思っているうちに、私の人生初めての客が店に入って来た。

「いらっしゃいませー」とつい、声が裏返ってしまう。

 教えてもらった通りにやっているつもりだが、品物のバーコードが中々見つからない。

 ようやく見つけても、中々機械を通過しない。

 自分がお客で買い物する時には、簡単そうに見えていたのだが、やってみると難しい。

 その上、小さいスーパーのことで、お客さんの買った商品の袋詰めもしないといけない。

 手順が全然わかっていないので、ひどく時間がかかる。

 ほんの五品ほどで、全身汗ビッショリになった。

 次には、煙草を買う客にマゴマゴする。

「そこそこ」と客が親切に、煙草のあり場所を教えてくれるのだが、どこかパニック状態になっていて、目が焦点を結ばず、泳いでしまっている。

 気がつくと、客が帰った後で、ハアハア、と荒い息をしていた。

 この日は何とか、無我夢中のうちに、2時間が終わる。

「うーん」と明日からのタイムカードを押す手順を教えながら、オーナーは、渋い顔をしている。

「遅いし、とろいし、手際が悪い」

 そ、そんな……そこまで言わなくても。

 生まれて初めての仕事なんだから。

「まあ、試験期間やから、仕方がないけど。

 また、明日も同じ時間に」

「は、はい」と条件反射的に答えてしまう。

 たった2時間で、一年が過ぎてしまったように疲れ切ってしまった。

 その晩も、範子さんの差し入れの『就職祝い』の料理が待っていた。

 隆さんの気功教室を終えた息子も何とか準備を整えていた模様。

 しかし、私は、何も喉を通らず、ビールだけを飲むと、倒れるように寝てしまった。

 当然、その夜の夢は、私の後を追い回す、レジの形をしたオーナーの夢だ。

 もう許してください、と頼んでも、レジ型オーナーは、どこまでも追い掛けてくる。

 そして、手順を間違えた時に発する、ピーピーピーという威嚇音を発し続けるのだ。


「ワアアア」と叫んで、目を覚ました。

 ああ、もうとんでもない仕事だ。

 家の維持管理も私の仕事。

 誰に言われているわけでもないが、最初の契約通り、8時からは、律儀に、この家の清掃をする。

 そのために、起床は7時。

 ちょうど、息子が、朝のジョギングから帰って来る時間だ。

 冷蔵庫の中を見ると、昨日のご馳走の残りが入っていた。

 一応、息子のために、何品か食卓に並べてみたが、私は、オエッとなって、どうも、胃が食べ物を受け付けない模様。

「お母さん、大丈夫か?」と息子が心配している。

 心配しながらも、息子の食欲は旺盛だ。

「うん(オエッ)、大丈夫、大丈夫」

「最初から、あんまり無理せんほうがいいよ」

 無理してるんと違って、させられてる気分。

「どうしても無理やったら、オレが隆さんに言うて、やめさせてもらうけど」

「何言うてんの。

 やめる時は、自分で言うって」と言いながら、一日目で辞める算段をしている自分を知った。

 時折、酸っぱい胃液が喉元まで上がってくる。(オエッ)

 ああ、わずか、一日で、胃をやられたか。でも、これで体重が減るかもしれない、と変な計算をしていた。

「ちょっと、隆さんのところに行ってくる」と食事が終わって、後片づけもすみ、家中の掃除の終わった後で、息子は言った。

「あ、ほんま。行ってらっしゃい」

 何となく、隆さんに息子を取られてしまったように感じる今日この頃、スーッと心の中を吹き抜ける淋しい風の中、ま、今日もあのスーパーに行ってみるか、と思ってしまう私だった。


 実働二日目。

 教えられた通りに、タイムカードを押す。

 内心、昨日の2時間はタダ働き?という疑問がわく。

 胃まで壊して、無給?

「早くレジに立って」と二日目にして、すでにオーナーと使用人という力関係ができている模様。

 私がレジに立ったとたん、ポツポツと客が店内に入ってくる。

 どう見ても、客なんか来そうにない店と思っていたけれど。

 そこから、前日以上の悪戦苦闘の2時間が待っていた。

 額に滲む汗を拭く暇もない。

 慣れないレジが、時折ピーという威嚇音を立てる。

 その度に、ビクビクドキドキして、打ち直す。

 合間合間に、新聞だけを買ったり、煙草だけを買う客がいる。

 ああ、もう、どうしたらいいんや! と天を仰ぎたい気分だが、そんな暇はない。

 客の流れがようやく引いて、ハッと気がついて時計を見ると、7時を20分過ぎていた。

 もう帰らせて、と思う。

 もう気力体力の限界。

 フラフラッとタイムカードのところに行って、カードを押すと、その横にオーナーが立っていた。

「ちょっと」とオーナーは言った。

「はい」ともう催眠状態で後についていく。

「見てみ」と言われて見ると、何となく埃だらけのガラスケース。

 そこに並んでいるパンまでが薄汚れて見えるほどだ。

「これも、レジの仕事。

 仕事の合間を見て、こういう汚れた所も綺麗にしてもらわんと。

 お客さんは、こういうとこを見てるからね」

 けど、おじさん、いや、オーナー、客がズラッと並んでいて、そんな暇なんか一瞬もないやないの。

「全部とは言わんけど、このケースだけでも、綺麗にして帰って」

 もう催眠状態。

 まあ、掃除は家の維持管理の仕事で慣れたものだ。

 しっかし、一体、いつから拭いてないのか、一拭きで雑巾が真っ黒。

 何度も奥の、これまた汚い洗面所で、雑巾を洗う羽目になった。

 帰る時に時計を見ると、8時を過ぎている。

 この1時間も、タダ働き?

 しかし、もう、とにかく家に帰りたい一心で、店を後にした。

 帰る道すがら、もう、絶対に、この仕事は断ろう、と決意していた。

 この二日間働いた分は、チャラにしてもいい。

 もうイヤ!

 もう、これ以上はイヤ!


「お帰り、お母さん、遅かったんやな。残業?」と息子が、呑気そうに言った。

「さっきまで、隆さんと範子さんが、来てたんやけど、あんまり遅いから帰った」

「あ、そう」とそれ以上何も言う元気がない。

 自分でコップを出して、ビールの栓を抜いた。

 シュパッ、と景気のいい音がしたけれど、私の気分は最悪。

「飲むんやったら、何か食べて飲みや」と息子は言ってくれたけれど、流動食=ビール以外、何も胃が受け付けそうもない。

 そこここに、私以外の三人が宴会していた痕跡がある。

 ええ根性してるやないの、私がレジで悪戦苦闘、ガラスケースの掃除でタダ働きしている間に宴会するやなんて、とコップ一杯のビールで、頭の中は酒乱状態になっていた。

「もう、仕事はやめる!」とビールを1本飲み干した頃には、息子を相手にグチグチ絡んでいる始末だった


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