三人目 十男、信好
やあ~起きたぁ~?
ほらぁ、そこに座って〜。いまお茶を点てるからね〜。
……はい、どうぞ〜。
作法なんて気にしなくていいよ〜、美味しく飲めれば一番さ〜。
お偉いさんと一緒の時はそういかないけどね〜、あはは。
茶菓子は兄上お手製の桜煎餅だよ〜! どうぞ召し上がれ〜。
僕の兄上はね〜、とぉっても料理上手なんだ〜。
あ、料理なんて下働きの仕事って思った〜?
…思ってない? 本当? そっかぁ!
そうだよね〜、料理は人が豊かに生きていく上で大事なことなんだよ〜、上だ下だなんて馬鹿げてるよね〜。
兄上の料理は本当に美味しくてね〜、帝様にも献上したこともあるんだよ〜! それで帝様直々に専属料理人にならないかって誘われたんだって〜。即答で断ったらしいけど帝様の勧誘断って無事なんて、兄上って本当に凄いよねぇ〜。
その経緯を父上が日ノ本中に広めたから、兄上が指導した岐阜の料理人たちはいま料理の先駆者って呼ばれてるんだ〜。京の料理人だって師事しに来るんだから~!
兄上が料理する食材は、大体が兄上の農園から収穫したものなんだ~。
前は全てご自分で育てていらっしゃったみたいだけど、いまは人を雇って田畑や果樹園や牧場を維持してるんだよ〜。
いや本当にあの農園凄いんだよぉ~? 寒波が襲ってこようと嵐が襲ってこようと、ピンピンしてるからね〜あの野菜たち。何かの加護でも働いているんじゃないかな~?
兄上の農園で育て方の指示書を編成して、それから織田領全域に苗や種とともに配られるんだよ~。
いまじゃ南蛮の野菜も普通にあちらこちらで育てられてるよ~。南瓜美味しいよねぇ~。
…南瓜知らない? 皮が緑で中身が橙色の甘い野菜だよ〜。城下町の定食屋にあると思うから行ってみるといいよ〜。
兄上の料理は何でも美味しいんだ〜!
肉じゃが、はんばーぐ、おむらいす、魚の煮付け、根菜さらだ、らぁめんも美味しいよねぇ〜。あとは、お刺身〜!
兄上が氷室を改造して更に保冷度を上げた冷蔵庫と、改造に改造を重ねた外輪船のお陰で、海魚も新鮮に食べられるんだよ〜。とっても贅沢だよね〜。
…一番好きな料理? う〜〜ん、難しいなぁ〜。
どれも美味しいけど、僕はお茶が好きだから、やっぱり茶菓子かなぁ。羊羹とか練り切りとかかすてらとか饅頭とか!
羊羹や饅頭の餡は種類が豊富でね〜! 小豆餡は勿論、鶯餡にずんだ餡に白餡に黒胡麻餡や白胡麻餡! 季節限定の栗餡や紫芋餡に苺餡も美味し〜んだよ〜〜! 生地も色々あってね、中には抹茶生地の饅頭もあるんだよ〜。
冷蔵庫が進化して、氷菓も作られるようになってね〜。あいすくりんって甘味! 冷たくて滑らかで甘くて美味し〜んだぁ〜。
どれも兄上が一から作って下さるんだよ〜。
そうでしょお! 凄いでしょお〜! 兄上は凄いんだよ〜!
南蛮の菓子にもお詳しくてね〜。
けぇきもしぅくりぃむも甘くて美味しいんだよ〜!
兄上は優秀なお人だから色んなお仕事を抱えていらっしゃるのに、ささっと終わらせて僕たち弟妹にお八つを作って下さるんだぁ~。
信忠兄上や信勝兄上たちから聞くに、昔からみたいなんだよね~。織田家の長子が厨に出入りするなんて、当時じゃとっても大変なことだったんじゃないかな~? その辺りのことは信忠兄上たちも知らないみたいだし、大人に聞いても知らないって言うんだよね~。
本当、兄上について聞き出すのが一番苦戦するよ~。
正月になったら挨拶回りがあるでしょ~? ことよろ~って。
……え? あ〜、ことよろは、今年も宜しく~を縮めた言葉だよ~。
毎年大勢の人が来るんだけどさ~、織田家だっていうのもあるけど、兄上の料理目当てな人が多いっていうか大半っていうか〜。
来客が多すぎるから一旦待機室に居てもらうんだけどぉ、その時に兄上特製のお茶菓子を出すんだよね~。
去年はらむね菓子で〜、今年は流通分のカカオが出来たとかで、ちょこれいとだったな~。翌日に織田家領内で販売されたちょこれいとは即売り切れ、瞬殺だったよ~。父上と信忠兄上がほくほくしてたな〜。
兄上の料理が特別美味しいのは織田家どころか国中の周知だからね~。兄上の料理目当てに岐阜城へ何かにつけて来たがる人も多いんだ〜。正月はうってつけってわけ〜。
岐阜城と安土城には、兄上専用の厨があるからね〜?
安土城は父上が築かれたから最初から設置されてたようだけど、岐阜城は昔からある城でしょ〜?
信忠兄上が、継いで真っ先に城の強化と同時に、兄上専用厨の設置を命じたらしいよ〜。
素晴らしいよね。
僕は十男だし、生まれる前から信忠兄上が家督を継いでいらっしゃったから、後継者云々なんて一切関係なくてさ〜。
問題さえ起こさなければど〜でもいい、みたいな空気だったんだよね〜。父上の家臣であからさまに居ないもの扱いする人もいたしね〜。僕の母上は身分の低い方だから、余計だったかな〜。
…卑屈になりそうなものだけど、気にならなかったのかって?
あはは! 何それぇ、気に掛ける価値もないのに〜?
僕には兄上がいるんだよ〜?
兄上が可愛がって下さるのに、卑屈になるとか有り得ないでしょお?
他人の誹謗中傷なんて雑音と同等。
そんなこと気にするくらいなら、兄上から出された宿題に取り組む方が余程有意義だよね〜。
あ、話が逸れた。
それでね〜うち兄弟全員、十になると父上に召喚されて将来どうしたいんだって訊かれるんだけど〜、僕、特別頭も良くないし身体能力も良くなくてさ〜。むしろ武芸は苦手〜。争い事もきらぁい。だって怖いでしょお?
武家の男として情けないって分かってた、でも兄上はそれでも良いって言ってくれたんだ〜。
得意不得意は誰にだってあって、僕の場合、切った張ったの荒事が不得意なだけだって。だから得意となるものを探せば良いだけだって。
…あはは。そうだよね〜。
本当、兄上は僕たちに甘いや〜。
「良は、お茶が好きかい?」
まぁそれで将来に悩んでいた時にね〜、茶法の習い事の時間に、兄上にそう訊かれたんだ〜。
うん、て答えて、それで罪悪感。…本当は、そこまで好きでもなかったからさ〜。
ただ、お茶なら痛いこともないしな〜って、そう思っただけ。
そんなちっぽけな隠し事も、兄上にはお見通しだったけど。
「良は分かりやすいねぇ」
「僕、よく表情が読めないって言われるんですけど〜」
「他人が読めなかろうと、私が分からない筈ないだろう? 可愛い弟のことなんだから」
これ素面なんだよ〜? 凄くな〜い?
「ふふ、まったりと自分に合ったものを探せばいい。年々平均寿命は伸びてきているし、余程な不摂生をしない限り長生き出来るよ。人生百年、ってね」
「ひゃくねん…ですか〜」
信じられる〜? 人生五十年と謳われるこの時代で!
何て途方の無い期間だろうと思うでしょ〜?
まさかと思うのに、兄上が言うのなら、と未来をみてしまうんだよね〜。
「でも私は、良の点ててくれるお茶が好きだよ」
そう、僕らだけに向ける、いとしいと溢れでた微笑みで、仰って。
単純と言われても、大好きな兄上に褒められて身体中が熱くなるくらいには嬉しくて。
それで僕はお茶の道に進むことを決めたんだ〜。
意外と面白いんだよ〜?
抹茶は美味しいし、兄上手製の茶菓子は頂けるし〜。
あと。僕ね、下に見られるっていうか〜、舐められることが多くてね〜?
源には垂れ目と締まりのない顔と喋り方が緩いせいだって褒められたよ〜。
一応織田の直系だから表面上は下手に出てくるけど、見下してるのが見え見えなんだよね〜。
だからかな〜?
少〜し誘導してあげれば、面白いはなしをい〜っぱい聞かせてくれるんだよね〜。
勝手に侮って勝手に油断してぽろぽろ喋ってくれるんだから、楽なものだよね〜、っと。つい本音が。
し〜、ね?
兄上への土産話にも出来るし、兄上もとっても喜んでくれるし、これからも沢山の人を茶室に招いて、まったりしたいな〜。
…あれ? 大丈夫〜? 顔色悪いよ〜?
本当? 無理しないでね〜。
次は僕の一つ上の姉が待ってるよ〜。
ほら、そこの戸を開いてみて?
・織田信好
幼名、良好。
織田信長の二十人目の子。
生年生母ともに不明。
82年本能寺の変の時には既に生まれている。
父信長死後は豊臣秀吉に引き取られ、家臣として仕える。
茶人として知られている。
1609年、死去。
サブタイトル『油断大敵』