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エルマグニア帝国の花嫁奴隷  作者: 蔵武世 必
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第九章 花嫁奴隷 救出クエスト 七日目

 十一月一六日早朝、リックを含む諜報部員全員でここまでの作戦の進捗状況を確認した。本日の夕刻、ハインドラーが伝える内容によって今後の戦略が変わる。

 もしも帝国長官がマグナー・ホルギンの恥ずべき付帯条件をいっさい与り知らぬのであれば、それは和平協定の合意条項に含まれず、当然に拒絶することができる。秘密協定であっても同様である。

 だが、帝国長官が事前に知っていた場合、またはフォイエル・ドラス元首がマグナー・ホルギン総裁に決裁権を与えていた場合、明文化されていなくても合意条件に含まれると解される。その場合、アーヤを救う手段は絶たれることになる。

 重苦しい空気が流れた。

 唐突に、ふだんは無口なセドロが口を開いた。

「妙だ。なにかがおかしい・・・。我々は重要な何かを見落としている気がする」

「セドロ、どういうことだ?」

 バルコスキが尋ねた。

「いえ、確証があって言っていることではありません。ただ、わたしには何か違和感がくすぶるのです。この作戦の前提条件が誤っているような・・・・」

 セドロは書類を偽造する際、表面的なデータのみならず、徹底的にその内容を解析し、書類が作られた時代背景、どういう事務処理を経て承認されるのかを調べ上げた上で作業に入ることを己に課していた。ゆえに、セドロが作る偽造書類は本物以上に本物らしいという評価を得ており、実際偽造が見抜かれたケースは皆無であった。そのセドロが指摘した重要な何かの見落とし、実に気になる発言だったが、具体的な事例が示されたわけではないので、作戦会議は手詰まりとなった。バルコスキが話題を変えた。

「現在、わたしとトラスニックは第二プランの立案作業に入っている。ベアヴォラーグ同盟は防諜体制が甘く、情報管理は相当にずさんだ。まだ報告できる段階に達していないが、数日中に進捗状況を説明する予定だ。もしもこれ以上、協議する事柄がなければ、いったん解散して各自情報収集に努めよう」

 全員異論はなかった。


 昼過ぎ、リックは留守にしていた宿に戻った。セドロが語っていた言葉を何度も反芻した。

────前提条件の誤り? どういうことだ。気付いていない何かがあるということか。

 ここしばらくの間、脇目も振らずに活動していたため、冷静になって今回の事件を振り返る余裕がなかった。ベッドに寝転がって、ここ一〇日ほどの出来事をもう一度検証した。

────そもそもこんな状況に至ったのはあの俗物マグナー・ホルギンが突如、アーヤを花嫁に差し出せと言い出したからだ。しかもやつは正妻がいるにもかかわらず、なおアーヤに手を出そうとしている。許しがたい輩だ。おそらくアーヤを愛人にして囲うつもりだろう。

 そんなことをさせるものか。アーヤは我が国の宝だ。あんな男に弄ばれるなどあってはならぬことだ。それに・・・・。

 リックはアーヤが眼前で示した決意のほどに圧倒されていた。

────あのとき、アーヤは何の躊躇もなく自害しようとした。本気だった。今はまだわたしを信じて思いとどまっている。だが、その希望が潰えたとき、果たしてアーヤは生きているだろうか。否、協定調印を見届けた後、死を選ぶのではないのか。

────アーヤ、決しておまえを死なせはしない。

 リックの中でアーヤの存在は当初考えてもいなかったほどに大きくなっていた。


────私心を加えず、時系列順に考えてみよう。フォイエル・ドラスは和平を検討し、まず帝国長官レムハイル・ミルンヒックに相談するはずだ。そこで和平条件を精査、続いて交渉代表の選定に入る。このとき、マグナー・ホルギンが手を挙げたわけだ。そして私欲に満ちた付帯条件を織り込ませた。

────ん? なにかがおかしいぞ。これはどういうことだ?


 そこまで考え付いたときに、部屋の扉がノックされた。もう夕刻になっていた。

「ハインツです。行商の打合せに来ました」

 リックはベッドから飛び起きてドアを開けた。そこには旅人のいでたちに身を包んだハインドラーの姿があった。


 部屋に入るなり、ハインドラーは頭を下げた。

「ロデリック、申し訳ない。兄と会うことはできなかった。というよりも兄は自分を避けているように感じる」

「どういうことだ!?」

 可能性が消え去ってしまったことにリックの表情はこわばった。

「兄は弟である自分が帝国軍内部で分派行動を取っていると疑っています。自分はただアーヤ・エアリーズ師団長とともにありたい、そう願っているだけですが、兄にとっては己の地位を危うくする不肖の弟と映っているのでしょう。兄に和平案の詳細を確認するのは甚だ困難と判断しました」

 重要なルートが失われた。さすがにこれには落胆し、リックは頭を抱えた。

「・・・・そうか。残念だ」

 しかしハインドラーの言葉はそこで終わりではなかった。

「────代替策を考えました」

「えっ?」

 リックは顔を上げた。

「ハルツ・フェルドナー参謀総長に確認します」

「フェルドナー参謀総長? 帝国軍の総責任者だが、政治的な決定にはいっさい関与しない。尋ねたところで何も知らないと答えるのでは」

「いいえ、そうではありません。和平が成立するか否かで帝国軍の配置、動員計画、再編成計画は大きく変わります。これほどの重要事項をフォイエル・ドラス元首が事前に参謀総長に確認しないなどありえません。おそらく詳細にわたって協議していることでしょう。だから、フェルドナー参謀総長に訊けば、和平条件およびその成否の可能性、フォイエル・ドラス元首がどのように考えているのか、相当確実につかむことが可能なはずです。それに・・・」

「それに?」

「フェルドナー参謀総長はアーヤ・エアリーズ師団長を軍人として極めて高く評価しています。エアリーズ師団長の運命に直結する問題であれば、口が堅い参謀総長でもなにかを示唆してくれるのではないかと期待しています」

「・・・・」

 想定していない展開だった。まさかフェルドナー参謀総長に尋ねるとは。だが、冷静に考えてみれば、これは有力な選択肢だった。

「ありがとう。そのプランを受け入れよう」

「そう言うと思って、すでにフェルドナー参謀総長とのアポを取ってあります。明日十一月一七日の一三時、帝国軍兵舎においでください。わたしが案内します」

 ハインドラーはやはり頭脳明晰な若者だった。刻一刻と望みが失われていく最中、これほどの仲間を得たことにリックの心は再び高揚した。

「しかし行商人ロデリック・ザイーブが帝国軍参謀総長に面会とは不自然だな」

「その点も問題ありません。参謀総長は常在戦場の気概を持っており、最新の地図、地形図があれば、部下には任せず、必ずご自分で検証します。ゆえに、行商人が最新の地図を入手したので、それをお渡しすると伝えました」

「なるほど、名案だ」

 思わずリックはひざを叩いた。


 やるべきことは見えた。それに、セドロが指摘した見落としの件も。ハインドラーと別れたのち、リックはセーフハウスへ向かった。

 バルコスキとトラスニックは不在、ヘリアンソスとセドロが出迎えた。夕食を取った後、リックはまずハインドラーから聞いた内容を二人に伝えた。可能性が残ったことを二人は素直に喜んだ。続いて、セドロが指摘し、その後リックが到達した考察を開示する段階になった。

 ちょうどそのとき、バルコスキとトラスニックが相次いで戻ってきた。なにやら成果を得たらしかった。その報告を受ける前に、リックは自分の考察を説明することにした。


 四人を前にして、リックはこう切り出した。

「みんな、これまでの固定観念を捨てて、頭の中をいったんクリアにしてもらいたい。我々はアーヤ・エアリーズを救うために現在、粉骨砕身努力している。それはベアヴォラーグ同盟のマグナー・ホルギン総裁が帝国と大公国との和平協定締結における仲介および帝国側の交渉代表として大公国に来訪し、そこでアーヤ・エアリーズを自分の花嫁に差し出せと言い出したためだ。

 帝国交渉代表の地位はフォイエル・ドラスの直筆署名によって証明されている。マグナー・ホルギンは自ら願い出てこの和平協定をまとめるとドラスに約束したそうだが、ここに疑問点がある────」

 一同はリックの次の言葉を待った。

「その時点でホルギンは一度もアーヤに会ったことがなかった。よく考えてほしい。一度も会ったことがない相手を花嫁に欲して、難しい交渉を担う役割を志願するだろうか。たとえ器量良しと噂に聞いていても、そんな不確実な情報で相手を選ぶなど考えられぬことだと思わないか」

「・・・確かに」

 トラスニックがうなずいた。リックは続けた。

「面識がない相手を妻にするという計画、その前提での和平交渉役志願、不自然すぎる行動だ。それに、大公国でアーヤと出会った際、ホルギンはまるで品定めするかのように彼女を凝視した。当時わたしはそれを自分の花嫁にふさわしいか確認しているのかと思ったが、今は違う。ホルギンはアーヤを野望実現の道具にする気なのだ」

「道具というのは・・・・」

 ヘリアンソスが遠慮がちに訊いた。

「その・・・饗応などに充てられるということでしょうか?」

「たぶんそうだ。別な意味も含めて────」

 ヘリアンソスは含意を読み取り、押し黙ってしまった。

「なるほど、我々がつかんだ情報と符合します」

 バルコスキが応じた。

「わたしはここ数日の間、ベアヴォラーグ同盟の総裁公邸に忍び込み、さまざまな情報収集に努めてきました。そこで得た情報を組み合わせた結果、近日中に結婚披露宴を開催する予定はまったくないと判明しました。あれだけ派手好きな男が結婚式を挙げない、それだけでも不自然ですが、公邸に住み込んでいる女中・下男から聞き取りを行ったところ、花嫁を受け入れる準備すらないことが分かりました。それに、マグナー・ホルギン周辺にはもう一つよからぬ噂が立ち昇っています」

「よからぬ噂?」

「はい。ベアヴォラーグ同盟は帝国の国力の源泉である工業力、農業力において他の帝国内諸国を圧倒する力を保持していますが、ただひとつ足りないものがあります。それは政治力です。帝国内部の政策はほぼ全て帝都ジースナッハ内で決定されており、ベアヴォラーグ同盟には影響力を行使する手段がありません。ホルギンが個人的にフォイエル・ドラスに依頼する程度ではなにも決められない。

 そこでホルギンは帝国内部の官僚機構に目をつけました。元首ドラスや帝国長官ミルンヒックがなにを決定しようとも実際に執行するのは行政組織です。つまりその指揮命令系統の司を押さえれば、自分が好きなように振舞える、そう考えたわけです。ホルギンに必要なものは────」

 その場にいた全員がバルコスキの次の言葉を予見した。

「────カネと色事、だれもが想像する通り。ただし、これらはいずれも噂であり、饗応を受けた役人たちがその事実を公表することはありえません。別の手段で確たる証拠をつかむ必要があります」

 バルコスキの説明は終わった。

「ある程度結論が出たようだ。今後の戦略を協議しよう」

 リックの提案に全員が応じた。十一月一六日深夜まで話し合いは続いた。



 アーヤを乗せた馬車は護衛を伴い、ローライシュタイン大公国領内をベアヴォラーグ同盟へ向かって進んでいた。“花嫁”の移動にマグナー・ホルギンは過剰ともいえる一個大隊を派遣し、かれらは不測の事態に備えて厳重な態勢で八頭立て八輪馬車(通称88)を警護したのであった。

 やがて陽が傾き、周辺は夕闇に包まれた。今夜は見渡す限りなにもないこの原野で野営をすることになる。アーヤが車窓から外を眺めていると信じがたい光景が眼前で繰り広げられた。護衛大隊の兵士たちが荷馬車から資材を取り出し、慣れた手つきでそこに建造物を構築し始めたのだ。見る見るうちにそれは形となり、二時間ほどでひとが住める居宅となった。

「さあ、アーヤさん、準備ができたようです。中に入りましょう」

 フローリスがアーヤの手を引いて馬車の外へ連れ出した。戸惑いながら“新居”に足を踏み入れたアーヤはそこが実に見事なほど家の要件を備えていることに絶句してしまった。通常、野営の場合、岩場で休むか、簡易式のテントを張るぐらいが関の山であったが、ホルギン総裁の考えは違っていた。役立つものには惜しみなく先行投資する、それが彼の流儀であった。


 女官たちにバスルームへ案内されたアーヤはそこでもじもじと動きを止めてしまった。女官たちにかしずかれて入浴した経験などあるはずがないのだ。

 全裸になったフローリスたちがアーヤを取り囲んだ。

「では、失礼いたします──────」

「あっ! 待って・・・」

 言いかけたが、もう遅かった。

 女官たちは事務作業のごとくアーヤのウェディングドレスを脱がし、続いて下着も取り去ってしまったのだ。

 羞恥心に満たされてアーヤは思わず胸を両手で隠した。一方、フローリスたちは頬を赤く染めてその場にたたずむアーヤのあまりにも艶やかな肢体に見惚れてしまった。やや痩身だが、女を意識させる部分にはたっぷり肉が乗っており、それは引き締まった筋肉との間で絶妙なバランスを保っていた。あかがね色の髪と真っ白なキズひとつない肌はそのコントラストが見事で、見る者を惹きつけて離さない魅力があった。とりわけ人目をひくのは細い躰に似つかわしくない大きな胸であった。こんなに豊かで美しいかたちのバストを彼女たちは見たことがなかった。

 奇妙な沈黙の時間が流れた。

────なんてキレイなひとだろう。これはもうわたしたちが知る次元とは違う。このひとがあの男の欲望の犠牲にされるなんて・・・・

 フローリスの中に最初の疑問が生じた。

週三回の更新を行います。月、水、金の予定です。

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