第一七章 花嫁奴隷 救出クエスト 一〇日目 最終日 その二
ベアヴォラーグ同盟の総裁公邸付近までは馬車で行くことにした。その馬車にはリック、バルコスキ、ドーラ、ラフィーが乗り、トラスニックが御者席に着いた。他のメンバーはセーフハウスで留守番となった。
一時間弱で馬車は目的地近郊に到着した。ちょうどおあつらえ向きに樹木が生い茂っており、馬車を隠すのに好都合だった。
「ここでいい。停めてくれ」
リックは独り、馬車を下りた。
「ジェネラル閣下、武運長久を────」
柄にもなくドーラが女のコの顔で成功を祈願した。バルコスキ、ラフィーは無言で見送った。
リックの眼前に巨大な建造物がその威容を現した。ベアヴォラーグ同盟総裁公邸レーヴェである。公邸と言っても実際には大公宮殿を凌ぐ大きさであり、石造りの城壁、二重の城門は外敵の侵入を容易に許さぬ堅牢さがあった。
本日は朝から少人数の部隊が何度も出入りを繰り返しており、事実リックがレーヴェに近づく間にも一部隊があわただしく出ていった。
────昨日のフューネラー社襲撃が原因だな。
リックはそう予想した。
城壁の正面は衛兵に固められている。無用の混乱を避けて、リックは城門の脇に設けられた巡回用の通用口へ向かった。当然そこにも衛兵が控えていたが、わずかに二名。リックは衛兵に声をかけた。
「わたしはローライシュタイン大公国の次席代表ザイドリック・ローライシュタイン。マグナー・ホルギン総裁にお会いするため、こちらへ伺いました。お取次ぎをお願いします」
衛兵はあからさまに蔑んだ態度でリックに応対した。
「うんっ? なんだ、おまえは!? ローライシュタイン大公国の次席代表? そんな人物がどうして一人でここへやってきた? 上からは何も聞かされていないぞ」
「はい。事前にお約束は取っていません。緊急かつたいへん重要なお話であることから、隠密でおとずれました」
二人の衛兵は顔を見合わせた。
「なにを言っているのか分からんな。大公国の次席代表だというなら、証拠を見せてみろ」
「証拠はなにもありません。しかし情報ならあります。本日、ローライシュタイン大公国から旅立ったアーヤ・エアリーズがここへ到着するはず。それならば、あなた方も聞かされていることでしょう」
衛兵たちの態度が変わった。
「なぜおまえはそんなことを知っている? 我々は上官から本日聞かされたばかりなのだ」
「わたしはローライシュタイン大公国の次席代表。マグナー・ホルギン総裁とわたしの姉エリーゼ・ローライシュタイン大公との話し合いの場にわたしも同席していました。当然、交渉内容も知っています」
二人の衛兵は目の前の人物が本当にローライシュタイン大公国の要人であると理解したらしかった。
「わ、わかった。上官に取り次ぐので、少し待っていてくれ」
一人の衛兵が鍵を取り出し、通用口の扉を開けて中へと消えた。待つこと暫時、再び扉が開き、先ほどの衛兵が姿を現した。
「入れ。ホルギン総裁の執事長ジェラルド様がお会いになるそうだ」
まずは一段階歯車が回った。リックはそう感じた。
案内された部屋は窓さえもない殺風景な空間で、テーブルと椅子だけが中央部に配置されていた。
────まるで取調室だな。
リックは歓迎されていないことを如実に感じた。
椅子に座って待っていると、それほど間を置かず、正装した執事長が現れた。予想外なことだが、護衛を伴わず一人だけだった。
四〇代後半と思しきジェラルドは慇懃無礼な話し方をする男だった。
「これは、これは、ローライシュタイン大公国からわざわざお越しくださるとは光栄の至り。わたしはマグナー・ホルギン総裁から事務の取り扱いを一手に任されている執事長のジェラルド。あなたのお話はわたしが承ります」
────この男が本当にホルギンの表裏全ての実務を取り扱っているのなら、勝算は十分にある。
リックは勝負をかけることにした。
「ジェラルド殿、ありがとうございます。では、さっそく本題に入らせていただきます。わたしは本日、総裁公邸に到着予定のローライシュタイン大公国軍第六師団長アーヤ・エアリーズを貴国に渡さず、連れて帰るつもりです。ご同意いただけますか」
妙な沈黙があった。否、沈黙ではなく、唖然として声が出ない状態であるとリックは再認識した。
「・・・・き、貴殿は何を口走っているのか、分かっているのかね。これは両国代表者の合意事項であり、たかが代理に覆せる案件ではないのだぞ」
まるで自らが総裁であるかのような口ぶりだった。
────この男は実務の全てに精通している。使えそうだ。
リックは瞬時にそう悟った。
「状況が変わりました。当時の合意は無効です。わたしから姉に伝えて、合意を破棄する予定です」
「・・・貴殿は正気か? 自分の振る舞いが国を滅ぼす結果につながると理解しているのか」
「それをいうなら、マグナー・ホルギン総裁の振る舞いこそ、ベアヴォラーグ同盟の崩壊につながる暴挙ではありませんか。わたしは“郊外の葬儀屋”に関して情報を握っています。ぜひその件を総裁にお伝えいただきたい」
ジェラルドの顔色が蒼白に変わった。
「ま・・・まさか、あの襲撃は貴殿の────」
そこから先はなにも出てこなかった。しばらく経ってようやく思考が追いついたのか、ジェラルドはとぎれとぎれに言葉をつないだ。
「・・・そこで・・・待つがいい。 ・・・総裁閣下に・・・・お伝えする────」
それだけ口にすると、すぐに部屋を飛び出した。
────さて、ここからが本当の勝負だ。
だが、ホルギンはなかなか姿を現さなかった。四半刻が過ぎた頃、乱暴にドアが開かれて、ついにマグナー・ホルギン御大が巨腹とともに登場した。その目には憤怒の炎が宿っていた。
「ザイドリック! きさまなのか。あの仕業は!?」
「わたしは執事長殿に“情報を握っている”と伝えただけです。しかしその調子だと語るに落ちたと言わざるをえませんね」
リックは努めて平静さを失わずに応答した。
さすがにまずいと勘付いたのか、ホルギンは少しだけ冷静になって椅子に腰かけた。
「なんだ。なにを言いに来た。断っておくが、あの娘を渡す気はない。すでに取引は完了済だ」
「ホルギン総裁、これはあなたへの最後通牒です。わたしはあなたが和平交渉の際、提示した付帯条件が何ひとつ帝国側の事前承認を得ていないことを知っている。と同時に、フォイエル・ドラス元首が和平交渉の失敗を断じて許さず、失敗した場合、その理由を明示するよう指示していたこともつかんでいる。すなわち、あなたの付帯条件は公式に成立するものではなかったということだ。しかしあなたはそれをおくびにも出さず、あたかも帝国側の正式条件に付け加えられたかのように提示した。違いますか」
マグナー・ホルギンのようすに変化があった。「こいつはどこまで知っているのか」そんな疑いの目をしていた。
「・・・おもしろい推理だ」
落ち着いたところで、ようやくホルギンは返答した。
「だが、わしの影響力によってフォイエル・ドラス元首は最終的に付帯条件を認めたのだ。事前か事後か、それは重要ではない。認められたという事実のみが意味を持つ」
────どういうことだ。調査の中でフォイエル・ドラスが付帯条件を認めたという事実はなかった。
リックは顔に出さなかったが、その内心は揺れていた。
────いや、よけいな推測は判断を誤る原因となる。仲間を信じよう。それにホルギンが回答するまでには不自然な間があった。ブラフの可能性が高い。
「わかりました。では、ローライシュタイン大公国は和平協定への調印を取りやめます。その理由はマグナー・ホルギン総裁が我が国の第六師団長を花嫁として差し出すよう強要したからだと大公はドラス元首に通告します」
ブラフにはブラフで返す。それがリックのやり方だった。
「ま、待て。ローライシュタイン大公国の方針を次席代表が決めてよいのか。国の行く末を左右するのだぞ。慎重に判断しろ」
ホルギンの口調でリックは全てを理解した。
────あと一押しだ。
「もうひとつ、通知すべき事柄があります。先ほども話題になったフューネラー社の件、ご存じですね」
「あん? な、なんのことだ」
否定が無意味になるほどホルギンの目は泳いでいた。
「あの地下牢に捕らえられていた娘たちは救出された。彼女たちの証言はすでに書面にまとめられている。わたしが所定の時間までに戻らなければ、その証言は帝国の枢要な地位を占める方々の許へ到着する手はずになっている。なにか言うべきことはありますか」
「ぬぬぬ・・・このわしをどこまで愚弄する気か。フューネラー社? そんなものはわしの与り知らぬ何かだ。いくらでも切り離せる」
「本当に切り離せるのか、見極めましょう」
リックの挑発に、ついにマグナー・ホルギンの本性が露呈した。
「分かっているのか。きさまは事実上孤立した状態で監禁されているのだということを。生殺与奪の権利はこのわしが掌握しているのだ。人質として使うもよし、投獄するもよし、公開処刑すら可能なのだ。それがいやなら、いますぐここで恭順の姿勢を示せ!」
もはや後先のことなどなにも考えられぬほどホルギンは逆上していた。だが、リックも後には退けなかった。
「あなたはアーヤを花嫁に迎えると言ったが、実際は違う。地下牢に閉じ込めて娼婦に仕立て上げるつもりだった。その一点だけでもすでに両国間の合意に反する。あなたにアーヤは渡さない。彼女はローライシュタイン大公国の宝物だ」
「ふふん、宝物だぁ? その宝物を引き渡す契約に合意したのは他ならぬきさまの姉エリーゼだ。国の行く末に不安が生じると宝物を売り、後になって条件が違うと難癖をつける。きさまらは国を束ねる為政者の器ではない」
「あのとき、我々には他に選択肢がなかった。我々には領民の生命財産を護る義務がある。だから、我々はあなたの提案に乗るふりをしたのだ。真実を探る時間を確保するために────」
「口では何とでも言える。現実を見ろ。きさまは単身このレーヴェに乗り込んできたが、まったくの孤立無援。娼婦ふぜいの証言などだれが信じるか。きさまの選択肢はただひとつ。ここで死ぬのがいやなら、何も持たずに立ち去れ。ほかのことは大目に見てやる」
────命を懸けるとしたら、今この瞬間しかない!
リックは覚悟を決めた。
「なるほど。わたしの生命を奪うというのであれば、自由にするがいい。だが、これだけは覚えておいてもらおう。わたしの死はすなわちあなたの破滅でもある。ベアヴォラーグ同盟総裁の生命と等価交換できるのなら、わたしにはなんのためらいもない」
「んんっ? なにを言っておる。きさまごとき若僧とわしの生命が等価交換? 笑わせるな。総裁公邸に侵入した小虫をくびり殺したからといって、わしの権力基盤になんの揺らぎがある」
「揺らぎがあるかないか、わたしはこの生命で試すつもりだ。さあ、処刑するがいい。疑いなくローライシュタイン大公国とエルマグニア帝国との和平は成立しない。加えて、あなたの所業を綴った書類がハルツ・フェルドナー参謀総長とレムハイル・ミルンヒック帝国長官の許へ届く。それでも失脚しないとするなら、わたしはあなたの力を見誤ったとあの世で後悔するだろう」
両者はテーブルをはさんでにらみ合った。一触即発の状態だった。
「そこまでにしましょう────」
突然扉が開き、女の声が部屋に響いた。
そこに立っていた女をリックは覚えていた。本年四月に開催されたテトラルキア(元首選挙会議)において、マグナー・ホルギン総裁の身辺警護兼妻として同行した女騎士サイファーナ・シュマイゼンに相違なかった。
だが、あのときただよわせていた雰囲気と今日のそれはあきらかに異なっていた。サイファーナが近づいてくると、ホルギンはおびえたように後ずさりした。彼女からは全てを無に帰す凄まじい殺気が立ち上っていた。
「ザイドリック・ローライシュタイン、よくぞモストーロを倒したな。まさかおまえの配下にそこまでの力を持つものがいようとは予想していなかった」
部屋に響いたサイファーナの声はかつて聞いた女のものではなかった。たとえるなら、錆びた鉄をこすり合わせたかのごとき不気味なノイズ、その声にホルギンは縮み上がった。
────こいつだ! こいつが今回の事件を主導した元凶だ。
リックは直感的に眼前の敵の禍々しさを肌で感じた。
────しかしなぜそんなことをする? ベアヴォラーグ同盟総裁の妻がエルマグニアの秩序を乱すことに何の意味がある?
「おまえはまだ何も知る必要はない。いずれこの世の終わりがおとずれる。否、わたしが呼び寄せる」
サイファーナの言葉にリックも身構えた。サイファーナは狂気の笑みを浮かべた。
「だが、今は一時の休止としておいてやろう。あの娘アーヤ・エアリーズを連れて帰るがよい。ただし、おまえがこの男を失脚させるために集めた証拠の欠片は行使しないことだ。そこで暫時の均衡を取る。もしも行使したなら、その暫時さえ無くなることをおまえは地獄で後悔するだろう────」
圧倒的な破壊と死の臭いが伝わってきた。ホルギンだけでなく、リックもまた動けなかった。眼前が霞んできた。気が付くとサイファーナの姿は消えていた。
「殲滅者・・・・・」
リックはつぶやいた。
アーヤを乗せたベアヴォラーグ同盟輸送大隊管理下の八頭立て八輪馬車は総裁公邸の目前にあった。車内でアーヤと向き合ったフローリスはギュッと唇をかみ締めた。
────他の選択肢はない! もうこれしかないんだ。
アーヤからやめるよう要請されたエスケープ計画をフローリスはまだあきらめずに模索していた。このままではアーヤが死んでしまう。それだけは何としても阻止する。たとえアーヤに嫌われても、反対されても、アーヤを破滅から救い、ローライシュタイン大公国まで送り帰す、それが目下彼女にとって最優先の課題だった。
通常、マグナー・ホルギンは捕らえた女を別室へ連れ込み、そこでじっくり吟味したのち、フューネラー社の地下へと送り込んでいた。今回も同じだろう。だが、ウェディングドレスを着せたという事例はフローリスの経験するかぎりなかった。ならば、ウェディングドレスを着替えさせるという名目で、いったんアーヤを女官室へ移動させ、そこから手配した馬車に乗せるという欺瞞作戦が有効であろうと思われた。すでにランツ大隊長の同意も得ており、馬車はランツが密かに用意する手はずとなっている。
総裁公邸レーヴェの巨大な門が開き、輸送大隊は定刻よりもやや遅れて目的地へ到着した。
────ついに来てしまった。もう生きて故国ローライシュタイン大公国へ戻ることは叶わないかもしれない。
望まぬ婚姻を強要されて、遠く離れた異国へ連れてこられた悲しみが一気にわき上がり、アーヤは絶望的な気持ちになった。この日のために準備されたウェディングベールをかぶり、ブーケを手にしたアーヤはこのうえなく美しかったが、その瞳は愁いを帯びて決して輝いていなかった。
しかし一方でアーヤの感情と無関係に輸送大隊の任務完了は刻一刻と近づいている。敷地内で整列したのち、馬車の扉が開かれた。可動式タラップが固定され、女官のフローリスに手を引かれながらアーヤは失意の地へと降り立った。
眼前にそびえ立つ総裁公邸はローライシュタイン大公国の宮殿イーグルライズを凌駕する大きさだった。だが、総裁の花嫁など真っ赤な偽り、実際には娼婦にさせられると聞いていたので、アーヤには何の感慨もわかなかった。
「アーヤ!」
男の声だ。アーヤはその声に聞き覚えがあったが、願望が幻聴を引き起こしたのだと無理やり己を納得させた。
「アーヤッ!!」
今度はもっと大きな声が左側から聴こえた。幻聴などではなかった。
振り向くと、視線の先にはザイドリック・ローライシュタインが両手を広げて立っていた。
「あっ、あ・・・ああぁあぁ・・・・・・・」
わずかばかりの間、アーヤは凍りついたようにそこで立ち尽くしていたが、やがてベールを脱ぎ、ブーケとともに投げ捨てた。
「リックさまぁ────────」
自然と涙があふれてきた。もうなにも考えられなかった。
アーヤは駆け出し、数秒後、リックの胸に飛び込んだ。夢や幻覚ではなかった。正真正銘のザイドリック・ローライシュタイン、アーヤの最愛のひとに相違なかった。
「アーヤ、長い間、不安にさせて申し訳なかった。だが、全て片がついた。いっしょにローライシュタイン大公国へ帰ろう」
その言葉にアーヤは泣きながら「うんうん」とうなずいたのだった。
抱き合う二人を見て、ほっと安堵の息をついた者がいた。フローリスだった。
「まさかこんな展開が待っているなんて予想もつかなかったけれど、アーヤにとってはこれが最善だったに違いない。よかった・・・・」
レーヴェを立ち去る二人を邪魔する者はだれもいなかった。一刻後、ドーラ、ラフィーと再会したアーヤは抱き合ってお互いの無事を喜んだ。
「ジェネラル閣下、やりましたね。実に見事です」
バルコスキがほとほと感服したという表情でリックを讃えた。
「公邸に入って二時間が経過していました。どうなることかとはらはらしましたよ」
トラスニックの口調にはまだ慄えが残っていた。
六名は馬車に乗り込んだ。リック、アーヤ、ドーラ、ラフィーは車内、バルコスキとトラスニックは御者席に座った。
セーフハウスへの帰途、車内の四人はそれまでに起きた出来事を順に話した。自分の番が来たので、リックはマグナー・ホルギンとの丁々発止のやり取りを伝えたが、最終局面の展開だけは真実を語らず、ホルギンが敗北を認めて退き下がったということにしておいた。この事件の背後に潜む真の敵、それは人知を超えた途方もない存在であり、今ここで言及すべきではないと判断したからだった。
週三回の更新を行います。月、水、金の予定です。