第一六章 花嫁奴隷 救出クエスト 一〇日目 最終日 その一
十一月一九日、予定通りであれば、本日アーヤがベアヴォラーグ同盟マグナー・ホルギン総裁の許へ到着する。
気の昂りで十分に睡眠が取れず、早朝に目覚めたリックは無人の会議室に入った。このセーフハウスはさまざまな諜報活動に適合させるため、部屋数、倉庫、備品、簡易ベッド、衣装等にいたるまで十分な数、広さが確保されており、総勢十一名が宿泊しても何の不足も起こさなかった。常に変化する状況を見込んで準備を怠らない、それが超一流といわれる諜報員バルコスキの真骨頂であった。
リックが考えごとをしていると、会議室にヘリアンソスが入ってきた。
「あっ、リック様、もうお目覚めですか」
「ああ、今日で全てが決まると思うと眠れなくてね」
なんの飾り気もないリックの本音だった。
「確かに・・・」
ヘリアンソスが相づちを打った。
「この数日間はとくにあわただしく過ぎ去りました。わたしなんか、たった一昼夜地下牢に入れられただけで取り乱してしまって、恥ずかしいかぎりです。これではまだまだ一流の間諜にはなれませんね」
「いや、ヘリアンソスが体を張ってくれたおかげで、ホルギンの謀略をあばくことができた。感謝している」
「いいえ、わたしなんか・・・。それより、あの地下牢に長い間、囚われていながら絶望せず生き延びた彼女たちは本当にたいしたものだと感じます。リック様は彼女たちの今後について、なにか考えておられるのでしょうか?」
「もちろんだ。時が来れば個別に話し合おうと思う」
「実はさっき廊下を巡回したところ、彼女たちはもう全員起きているみたいでした。もしも時間があるのでしたら、これから話し合ってみては────」
好都合だった。早朝に総裁公邸へ押しかけるわけにはいかない。それに、交渉の結果が芳しいものでなかったとしても、虜囚だった四人だけはなんとしても救ってやりたい、そう思っていたのでヘリアンソスの提案は渡りに船だった。
「なるほど。では、本人に意向を確認してもらい、問題なければ、エスカニア、カリーニャとカスターニャ、クローネの順に話し合いの場を持とう」
ヘリアンソスはうなずき、すぐに準備に入った。まもなく、全員が面談に同意したとの連絡があった。
会議室にエスカニアが入ってきた。昨日と変わらず、凛とした空気を漂わせて、甲冑無しでも騎士団長に見えるほど超然としていた。
向かい合って座ったところでリックが尋ねた。
「エスカニア、きみはこれからどうしたい? ローライシュタイン大公国の次席代表、軍司令官として、できるかぎりのバックアップをするつもりだ。希望を聞かせてもらえないだろうか」
それまで張り詰めていたエスカニアの雰囲気がふっと緩んだ。
「・・・ジェネラル閣下、わたしにはもう帰るべきところがありません。このままこの国に留まることなど論外。でも、わたしには何の取り柄もなく────」
「いや、きみは騎士団長を務めていたのだろう。ならば───」
そこまで言ったところで、
「違います! 違うんです」急にエスカニアが言葉をさえぎった。
「・・・確かに・・わたしはホルギンの指名で騎士団長に任命されました。しかしわたしの剣の腕はマスターには程遠く、周囲はなぜわたしなどを選んだのかといぶかしく思ったそうです。それから、ホルギンはわたしを身辺警護役に就かせて、さまざまな夜会、パーティ、宴の席に随行させました。その席ではわたしはなぜかいつもドレス姿でした。これでは身辺警護ができないと何度も訴えましたが、ホルギンはその度に“こういう状況でこそ対応力が磨かれるのだ”と返答し、変えるつもりは毛頭ないと感じられました。
それから半年ほどが過ぎて、突然わたしは身に覚えのない罪で投獄されました。それがあの地下牢です。でも、まさか牢獄よりもつらい務めがあったなんて・・・・」
凛々しく気高いエスカニアが今は悄然と泣いていた。
「無実を訴えて、わたしは牢獄内でも抵抗を繰り返しました。それが却っていけなかったのです。閣下も見ましたよね。地下牢奥の拷問部屋を。わたしはそこで何度も拷問を受けました。聞き分けのない女、口答えする女は折檻の対象なのです。あの場所でくりひろげられた女の尊厳を踏みにじるような拷問・・・あれは────」
エスカニアは滂沱の涙を流した。そこにいるのは女騎士団長ではなく、傷つき打ちひしがれた一人の女・・・。
そんな状態にありながらエスカニアの話はなおも続いた。
「わたしが数日おきに連れて行かれた饗応の現場、それはみな覚えのある場所でした。そう、わたしがホルギンに同行して赴いた帝国有力者の屋敷です。わたしは実力を評価されて騎士団長に選ばれたのではなかった。ホルギンは最初からわたしを有力者に引き合わせるため、騎士団長という役柄を利用したのです。許せない、あの男だけは────」
そこより先はもう言葉にならなかった。リックは立ち上がってエスカニアの傍らへ行き、そっと彼女を抱きしめた。
「エスカニア、もしもきみがよければだが・・・ローライシュタイン大公国へ来ないか。きみを騎士として迎えよう」
リックの胸にすがって泣いていたエスカニアが少し顔を上げた。
「・・・でも、わたしには騎士として戦える技能、実力がありません。こんなわたしがふさわしくない地位につけば、きっと周りは嘲笑することでしょう」
「いや、それは違う。地下牢に囚われていた他の三人が口々に語ったぞ。エスカニアの励ましがなければ、自分たちはきっと生きていなかったと。エスカニア、きみには仲間を鼓舞して統率する力がある。剣の腕だけが騎士を評価する基準ではない。ローライシュタイン大公国はきみを歓迎する」
エスカニアは涙ながらに同意した。やっと自分の居場所を見つけた。微笑がそれを表していた。
エスカニアが退出したあと、続いてカリーニャとカスターニャが会議室に入ってきた。二人はニコニコして、リックの前に座った。
「君たちはラウスベイ大公国出身だったな。帰る予定なのか?」
リックの問いかけに対して、カリーニャとカスターニャは元気よく「はいっ」と答えた。
「そうか。では、二人に伝えておくべきことがあるので、よく聞いてほしい。とても重要なことだ」
リックが険しい顔でそう告げたため、カリーニャ、カスターニャは怪訝な表情を見せた。
「・・・二人の養父オーガスト・ラウスベイ大公は本年の三月に逝去されている。わたしは葬儀に参列したので、これは間違いのない事実だ」
二人の顔色が変わった。愕然としているのがありありと伝わってきた。
姉のカリーニャがまず口を開いた。
「・・・・ジェネラル閣下が言うのだから・・・本当だと認めます。そうすると・・・わたしたちにはもうなにも残っていない・・生きる意味さえも────」
「父は殺されたのですか。それとも病に?」
今度はカスターニャが訊いてきた。
「いや、そのどちらでもない。六六歳、老衰による大往生だったと聞いた」
二人は抱き合ってさめざめと泣いた。それは父の死に目に会えなかった悲しみ、父を亡くした喪失感、己の無力感等々、まさしく万感の思いであった。
姉のカリーニャが「死にたい」と弱音を吐いたが、妹のカスターニャがすぐにそれを制止した。
「お姉ちゃん、だめだよ。お父様に救われたこの命、決して粗末にしては────」
慰めるように語りかけた。カリーニャは「うん、うん」と何度もうなずいた。
二人が泣き止んだところを見計らって、リックは再度問いかけた。
「カリーニャ、カスターニャ、それでもまだラウスベイ大公国へ戻るつもりなら、わたしのほうで便宜を図ろうと思うが────」
「ラウスベイ大公国の現在の大公はどなたですか?」
うつむき加減でカリーニャが尋ねた。
「子息のマティアスが後継者となった」
その答えに双子は顔を見合わせた。
「絶っっ対に、帰りません!!」
大声で異口同音に返答した。
「あのデブはわたしたちが幼いころからエッチな悪戯を繰り返してきて、本当にイヤな思いをしました。お父様の子息なので無下にすることもできず、どれほど悩んだことか」
姉の発言を妹が継いだ。
「なにかといえば、“ボクたちは兄妹なんだから愛し合わないと”と口走り、悪戯をするのです。あんなデブの許に帰るぐらいだったら、地下牢のほうがまだましです」
「そ、そうか」
納得するしかなかった。
「では、こういうオファーはどうだろう。ローライシュタイン大公国には要人警護の精鋭が不足している。有力な将兵はあらかた軍に配属されてしまった。大公国のジェネラルとして、わたしはカリーニャ・ラウスベイ、カスターニャ・ラウスベイの二人をぜひ要人警護の騎士として召し抱えたい。応じてもらえるだろうか?」
このオファーに二人は満面の笑顔を示し、二つ返事で応えた。
最後はクローネの番だった。おそらく気持ちは固まっているのだろうと思いつつも、リックは目の前に腰かけたクローネに前の三人と同じ問いを投げかけた。
「・・・わたしはフェスランキシュ王国へ帰るつもりです」
予想通りだった。
「ただ───」
「ただ?」
「はい。わたしの奉公によって帳消しとなった父の負債が再び請求されることを危惧しております」
もっともな意見だった。だが、その請求権はすでに無効となっている、リックはそう読んでいた。
「クローネ、きみは奉公とは名ばかり、とてもそんな言葉では言い表せない辛苦を味わった。前提条件が違うのだから、貸借関係も消滅している、それがわたしの見解だ」
「でも、ベアヴォラーグ同盟があくまでも債務返済を迫ってきたら、どうすればよいのでしょうか。わたしの立場は無きに等しく・・・」
クローネは心底困り果てているようすだった。助け舟を出す必要があった。
「安心するといい。今回の一件でマグナー・ホルギンの権力基盤は相当なダメージを受けるに違いない。ベアヴォラーグ同盟は五年に一度、選挙によって総裁を選出している。来年がその年だ。再選の可能性は決して高くない。それまでに因縁をつけてきた場合にはローライシュタイン大公国が無利子融資を行おう。ルージュを預かってもらったお礼だ。姉上も同意するに違いない」
無表情だったクローネの顔に喜びの色が浮かんだ。
四人との面談を済ませて、リックは朝食を取るため、ダイニングルームへ向かった。ちょうど八時を迎えたところだった。
すでに全員が席についており、リックの到着を待っている状態だった。
「ザイドリック、遅いよぉ────」
カリーニャが手を振って着席を促した。
朝食後、バルコスキが最終意思確認のため、リックの前に現れた。
「ジェネラル閣下、本当に一人で行くのですか?」
「ああ、その気持ちにはいささかの変化もない」
「・・・なるほど、わかりました。昨夜打ち合わせたとおりに進めましょう。ただ、我々は計画の成否を見極めた上で、次のステップへ踏み出さねばなりません。総裁公邸の近くまでは同行します。三時間経っても閣下が戻らなければ、遺憾ながら計画は失敗したと判断します」
「了解した」
リックの面差しには天王山に臨む決意がみなぎっていた。
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