第一五章 花嫁奴隷 救出クエスト 九日目 その四
同じ頃、アーヤを乗せたベアヴォラーグ同盟の輸送大隊は目的地まであと半日の距離に到達し、無事その日の行程を終えた。前日と同様に仮設の建物を建造すると、組織の人員らは各自のルーチンワークに着手した。女官たちはアーヤを入浴させた後、食事の準備に入った。兵士たちは野盗の襲撃に備えて原野に杭を打ち込み、ロープを張った。全員がアーヤのため自主的に働いていた。
全ての作業を終えると、兵士たちは焚き火を囲んで少し遅い食事を取った。輸送部隊のランツ大隊長と女官のリーダー、フローリスはそこで明日の計画について最後の打合せを行った。
「いよいよ明日ですな」
「はい。ランツ大隊長にはわたしの計画にご賛同いただき、本当に感謝の言葉もないほどです」
「いやいや、フローリス殿の提案を聞いたときには正直びっくりしたが、すぐに趣旨を理解したよ。当然のことだ。姫さまをあんな場所へ送るなどできるはずがない。あのひとはエルマグニアの希望、我々帝国軍将兵にとっても光のような存在。それを汚すやつはだれであろうと決して許さん」
「でも、この計画を遂行するとわたしたちはきっと死罪になりますね。死は怖くないけれど、もうアーヤに会えなくなってしまうことだけがとても悲しい」
「・・・フローリス殿、我々の生命であのひとを救えるのなら、それはもう神によって示された運命というほかない。甘んじて受け容れよう」
そのとき、かれらは背後に人影を感じた。
「何の話をしているのですか?」
アーヤの声だった。
二人が驚いて振り向いた先には寝間着姿に上着をはおったアーヤが立っていた。
「ア・・・アーヤ、いつからそこにいたの?」
あわててフローリスはその場を取り繕った。
「わ、わたしたち、明日のスケジュールを確認していたの。いよいよ明日が到着日だから」
「そうです。アーヤ殿、もうおやすみになってください。あとは我々が準備しますので」
アーヤはしばし無言で二人を見つめていたが、やがておもむろに口を開いた。
「わたしを逃がす計画を立てているのだとしたら、おやめになってください。そんなことをすれば、会話に出ていたとおり、死罪になります」
アーヤは全てを理解していたのだ。
────ばれてしまった。
フローリスはもう隠すことをやめた。
「アーヤ、わたしたちは決めたの。あなたを逃がすって。ホルギン総裁の公邸に到着したら、馬車の乗り換えがある。そこで大隊の有志と女官が連携してあなたを救う」
「その必要はありません。もしも本当にこれがわたしの運命だとするなら、受け容れるほかないのでしょう。定めに抗って運命を捻じ曲げる、わたしはそれを潔しとしません」
アーヤの覚悟にフローリスはますます取り乱した。そのせいで言うつもりのない言葉が飛び出してしまった。
「ちがう、ちがうの。アーヤ、あなたは花嫁になるんじゃない! 暗い牢獄に閉じ込められて、男たちの相手をさせられるの。それが分かっていて、わたしたちは何度も生贄をあの地下牢へ運んだ。わたしは最低の女だ」
「えっ?」
さすがにこれは想定外だった。アーヤは唖然として二の句を継げないでいた。
「マグナー・ホルギンはさまざま謀略を駆使して若い女を集め、それを帝国内の有力者にあてがい、権力基盤を拡大させているの。アーヤ、あなたはその標的にされたのよ」
ようやくアーヤは事情を飲み込めた。和平交渉において唐突に持ち出された付帯条件、マグナー・ホルギンの舐め回すような眼差し、あれは奴隷として役立つかどうか品定めをしている視線だったのだ。
「で、でも・・・フローリスは・・どうしてそんなことを知っているの。あなたはただの女官なのに」
フローリスは拳を握り締めてわなわなと震えていたが、ようやく絞り出すように語り出した。
「わたしは女官になる前はさる貴族の娘でした。貴族といっても没落貴族の典型で家にお金はなく、最終的に身売り同然でホルギンの許へやってきました。ずいぶん前のことです。ホルギンはわたしを地下牢に閉じ込めて、とりおり地上に出し、資本家、高級官僚たちの相手をさせました。
でも、しょせん無名で器量も特段優れていないわたしはまもなく指名されなくなりました。そうなれば、ずっと地下牢につなぎ留められたままです。わたしは発狂寸前になり、ホルギンの前にひれ伏して“どうかお慈悲を”と哀願しました。
役に立たない女を地下牢に閉じ込めておいても無駄である、きっとホルギンはそう考えたのでしょう。それからしばらくして、わたしには女官の仕事が回ってきました。ただし女官とは名ばかり、他の女のコをだまして連行する最悪の仕事です。罪悪感がなかったといえば嘘になります。でも、わたしには何もできなかった。そう、アーヤ、あなたに会うまでは────」
フローリスは真正面からアーヤを見据えた。
「アーヤ、あなたは“力こそ正義”というこの世に残された最後の希望、エルマグニアの未来、あなたのためだったら、わたしは今ここで死んでもかまわない。どうかわたしにあなたを救わせて」
フローリスの告白はアーヤの心を強く揺さぶった。命を懸けてわたしを助けようとしている。その気持ちが痛いほどよく伝わってきたのでアーヤは逡巡したが、少し間を置いて答えた。
「フローリス、ありがとう。苦しい胸のうちを話してくれて。でも、フローリスの試みは意味を持たない。なぜならわたしは決して地下牢に入らないから」
「なにを言っているの。アーヤ、無理やり入れられるんだよ。有無を言わさず」
「だいじょうぶ、入らない。だって、そのときわたしはもうこの世にいないから」
「エッ!!!」
フローリスは瞠目してアーヤを見つめ直した。
「帝国とローライシュタイン大公国との和平協定が締結されるまでは、どんなことがあろうとも生き続けます。でも、それを見届ければ、わたしの役割は終わりです。マグナー・ホルギンにも、他の男たちにもこの身をさらすことはありません。わたしの心と体はあのひとに捧げられたもの。わたしはきれいな身体のままで旅立ちます。そしてきっと魂だけはあのひとの許へたどり着けることでしょう」
それは壮絶ともいえる決心だった。かつてリックが予想したとおり、アーヤはこの和平協定締結後に自ら命を絶つつもりでいた。
「だめだ、だめだよぅ。アーヤ、死んじゃだめだ────」
フローリスは狂ったように泣き崩れて、アーヤに抱きついた。
「ぜったいに、絶対に死なせない。アーヤ、アーヤァァアァァァ────」
アーヤは応えるようにフローリスの背中を優しくさすった。
「でもね、わたしは信じているの。あのひと、ザイドリック・ローライシュタインがわたしを助けに来てくれると。わたしは命を絶つその瞬間まで、あのひとを信じ続ける」
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