第一四章 花嫁奴隷 救出クエスト 九日目 その三
同時刻、マグナー・ホルギンは上機嫌で目の前の相手と酒を酌み交わしていた。
「すばらしい助言を賜り、感謝の言葉もないほどだ。おかげでわしの計画は順調に推移している。エルマグニアの実権を握るまであと一息というところだ。しかし資本家、高級官僚、そういう種類の輩がこれほどカネと色に弱いとは予想もしていなかった。この数年で帝国内の至る所にわしのシンパが形成された。そのネットワークは表に出ないがゆえに非常に強い。しかも欲望でコントロールされているから裏切りもない。まさしくこれは完全無欠な計画ではないか」
「油断するな。慢心が綻びを隠し、綻びが巨城を崩壊させることもある」
ホルギンの前に腰かけた人物はあくまでも冷静だった。
「ふははは・・・・どこに綻びがあると言う? 計画は順調そのものだ」
酩酊したホルギンはますます饒舌になった。
「いよいよ明日、極上の品が到着する。実はもうそれを見越した上で、内々に予約を募っているのだ。すさまじい反響だったよ。ほとんどが“まさか”と半信半疑だったが、過去のわしの実績に照らして嘘はないと信じるに至った。あの双子の姉妹も大人気だったが、今度はモノが違う。なにせ“ダーグナスリイトの戦姫”なのだ。それを一晩自由にできる、こんな饗応がほかにあろうか。ある資産家などは“ぜひ買い取らせてくれ。カネはいくらでも出す”と懇願してきたが、わしは断った。金の卵を産む鶏を売り渡す莫迦がどこにいる────」
同日の昼過ぎ、嘆きの地下牢ではカリーニャが養父オーガスト・ラウスベイ大公について、懐かしい思い出を語っていた。
カリーニャとカスターニャ、双子の姉妹は物心ついたときから天涯孤独の身だった。彼女たちが生き延びるために最初に覚えたこと、それは食料品の窃盗であった。
だが、商店だって備えは怠らない。まして常習犯の薄汚れた乞食同然の幼姉妹であればなおさらのことだった。
その日、盗みを働いたことがバレた二人はこっぴどく罰を受けた。さんざん棒切れで殴られた後、息も絶え絶えの状態で半ば弄ばれるように何度も蹴り飛ばされたのだ。妹のカスターニャはもう虫の息だった。姉のカリーニャは蹴られるたびに「ぎゃん!」と悲鳴を上げたが、その声すら出なくなり始めていた。
この国は貧しいもの、弱いものにはひたすら無情だった。なぜ生まれてきたのだろう。カリーニャは生あることを烈しく呪った。
そのときだった。
「どうしてそんなひどいことをするのだ?」
商店主の背後から声がかかった。
「あーん、なんだぁ。こいつらは盗みの常習犯だ。それを仕置きしてなにが悪・・・・・」
振り返った商店主は呆然と立ち尽くした。そこに国家君主オーガスト・ラウスベイ大公がたたずんでいたからだ。
「・・・あっ、ああ・・・いや、これは・・・その────」
取り繕うとしたが、商店主はなにもできなかった。
街を視察中の大公は側近たちになにやら二言三言告げた。
すぐに側近たちが瀕死の姉妹を抱き上げた。
ここで、カリーニャの回想はいったん休止となった。
「はあ・・・オーガスト・ラウスベイ大公閣下は本当に寛容な方なんですね」
ヴィオラは感動して涙ぐんでいた。
「この話はそれで終わりじゃないの。ここからが本番なんだよ」
妹のカスターニャが話を継いだ。
「大公閣下に救われて、わたしたちは宮殿の女官室に預けられた。そこでやっと三食が食べられる生活になったんだけど、わたしたちは生まれついてのローグ(ごろつき)だったの。きれいな服を着せてもらって、おいしい食事を取り、学問さえ授けてもらったのに、恩を仇で返す所業に出た。
一三歳のとき、退屈な宮殿での生活に飽きて、わたしたちはまた街に出たくなった。けれど、街に出ればたちまち乞食に逆戻りしてしまう。それで女官室にあった金目のもの、貴金属類を盗んで逃げ出したの。
わたしたちは自由だ。そんな勘違いをしていた。だけど、宮殿から出たところで衛兵に捕まってしまった。持っていた貴金属類に大公国の紋章が入っていたから、さあたいへん。大公閣下の前に引っ立てられたわ。
盗みを働いたわたしたちの前で大公閣下はなんて言ったと思う?
“カリーニャ、カスターニャ、怪我はないか?”って。
その言葉を聞いたとき、わたしたちは声を上げて泣いた。このひとの信頼を裏切ってしまった自分たちの愚かしさがあまりにも悔しくて・・・・。
その日を境にわたしたちは生まれ変わった。命を懸けてオーガスト・ラウスベイ大公閣下に尽くす、それだけだった。
わたしたちは必死に学問、剣術を学び、一八歳を迎えたとき、そろって大公閣下の身辺警護を務める近衛大隊長に任命された。あれがわたしたち姉妹にとって人生最良のときだったのかもしれない。
奸計にはまり、いまは娼婦以下の存在に成り果ててしまったけれど、わたしたちはあきらめない。必ずここを脱出して父に再会する。
ヴィオラ、あなたの仲間が助けにくるというのなら、わたしたちもそれを信じる。絶望するにはまだ早いから」
ドーラはモストーロと死闘を続けていた。恐るべき筋力を持つ怪物モストーロの一撃をまともにくらえば、たとえ重装甲の甲冑をまとうドーラであっても只ではすまない。ドーラの敗北はすなわちアーヤ救出の失敗である。それが分かっていたから、ドーラの戦い方は無意識のうちに消極的になった。致命傷を負わないことを優先して防御主体で戦ったが、これは先行きの望みがないやり方であった。鎧は斧の直撃を受けて所々割れ、鮮血が流れ出ている。まだ継戦能力は残っていたが、“戦場の銀狼”ドーラは徐々に追い詰められていった。
────あたしが負ける? そんなバカな! 対人戦闘で無敗を誇るあたしがたった一人を相手に苦戦してる。
これはドーラにとって受け容れがたい事実だった。
────アーヤ、あたしの愛するアーヤが手の届かない場所に行ってしまう。イヤだッ! そんなこと、絶対認めない! ・・・・もうやるしかないんだ! たとえ相討ちになっても、こいつを粉砕する。
ドーラの体から名状しがたい闘気が立ち昇りはじめた。それは鬼神の姿を彷彿とさせた。
燃え盛る魂の力にさすがのモストーロもたじろいだ。
ここが勝敗の分岐点、ドーラは鬼の形相で渾身の一撃をモストーロの胴体に見舞った。
「ウオォォオウゥゥオオォォ────────!!」
獣の咆哮、しかしドーラはそれを聞くよりも早く第二撃を敵の左肩に放った。モストーロの腕が肩甲骨と一緒になって吹っ飛んだ。
────これだ!
ドーラの後方に控えて支援射撃の機会をねらっていたラフィーが動いた。連弩を捨てて素早くコンパウンドボウを構え、四本の矢を同時に斉射、モストーロの腕は壁に釘付けとなった。
「今よ! ドーラ」
呼応して、ドーラは全霊の剣を怪物の頭に叩き込んだ。モストーロの頭蓋は真っ二つに割れたが、それでもこの怪物は戦うことをやめなかった。残る片手でアンブレイカブルをつかみ、猛然と体当たりしてきたのだ。二人はもつれ合って壁に激突した。木造の建物だったことがドーラには幸いした。壁を突き破って屋外に出た二人はそこで再び間合いを取った。頭をつぶされても死なないどころか、モストーロの顔は徐々に修復されつつあった。だが、知覚能力は格段に落ちていた。
疾風怒濤の踏み込みでドーラは敵の残った片腕を斬り落とした。それをラフィーが確実に四本の矢で地面に止めた。勝負はついた。斬り離された首、胴体、脚が次々と地面に鋲止めとなった。
「────戦士よ、みごとだ。今日のところは敗北を認めよう。しかしこれで終わりだと思うな。わしのあるじが必ず貴様たちを混沌の彼方へと葬ることだろう────」
モストーロはそれだけ語ると沈黙し、動かなくなった。
ドーラは荒い息をついていた。
「・・・倒した・・のか!?」
立っていられなくなり、片膝をついた。
「ドーラ、やったな!」
死闘を見届けたリックが声をかけた。
「・・・ジェネラル閣下、あたしのことはどうでもいいので、早く地下牢に向かってください。時間が惜しい」
「・・そうか。ラフィー、この場は任せる」
心配そうにドーラを見つめるラフィーを残して、リックとバルコスキは地下牢入り口に向かった。
鍵束を確認した結果、「1」と打刻された鍵が一本、「A」「a」「B」「b」というように二本一組になった鍵が一〇セット、「X」と打刻された鍵が一本、束ねられていた。入り口の鉄扉は「1」の鍵で開いた。
錆びた鉄の軋む不快な音が止むと、二人の眼前に地下へと降りる階段が暗い姿を現した。壁面に松明と火打石が備えてあったので、リックは鍵束をバルコスキに渡し、自分は松明を手にした。
カビ臭いよどんだ空気が流れてきた。
────こんな場所に監禁されて、生き長らえることなどできるものだろうか?
リックの心は激しく痛んだ。
二人は注意深く石造りの階段を降りていった。まもなく平坦な地面に到達した。
「ヘリアンソス、いるのか?」
バルコスキが叫んだ。即反応があった。
「バルコスキ!」
右手の暗がりからだった。リックが松明で照らすと、鉄格子の奥にやつれたヘリアンソスの姿が見えた。
「助けにきたぞ」
独房の上に「C」の文字が刻まれていたので、バルコスキはすばやく符合する鍵を回した。それすら待ちきれないという勢いでヘリアンソスが飛び出してきた。目に涙を浮かべて、バルコスキに抱きついた。「c」の鍵が手錠を外す役割になっているとバルコスキはこのとき気付いた。
「囚われているのは何人だ?」
リックがヘリアンソスに尋ねた。
「あと四人です。早くみんなを助けてあげて」
バルコスキとリックは急いで他の四名を地下牢から解放した。
「残ったこの“X”という鍵は何に使うのだ?」
二人は脱出直前に地下牢を巡り、階段の裏側奥に隠し部屋があることを発見した。そこは拷問室だった。聞き分けのない女たちを拷問にかけるのが目的だったのだろう。並べられた異様な器具の禍々しさに戦慄を覚えて、二人はすぐに踵を返した。
急ぐ必要があった。もたもたしていれば、今宵の遊女を迎えに来るホルギン麾下の一団が到着してしまう。地上で全員が合流し、トラスニックとバルコスキが急いで馬車と幌付きの荷馬車を建物の玄関口へ移動させた。
その間、ヘリアンソスは片時もバルコスキの傍を離れなかった。たった一晩監禁されただけだというのに、ヘリアンソスはすっかり怯えきっていた。彼女は思った。
あの地下牢は地獄だ。一昼夜でも耐えられないほど苦しいというのに、クローネは三ヶ月も、エスカニア、カリーニャ、カスターニャに至ってはなんと一年も耐えたのだ。信じがたい精神力といえた。彼女たちに幸がおとずれることを願わずにはいられなかった。
結局、馬車にはヘリアンソスとバルコスキが同乗することになり、御者台には行きと同様トラスニックが登った。一方、荷馬車には本人の希望でリック、それにドーラ、女たちが乗り、御者は無傷のラフィーが務めることになった。一行はすぐに出発した。
この機会にリックは女たちとあいさつを交わし、お互いに自己紹介をした。ローライシュタイン大公国の次席代表、軍司令官でもあるリックが諜報部隊を率いて特殊作戦を敢行したことに女たちは一様に驚きの声を上げた。
「なぜジェネラル閣下ほどの方がこんな危険な任務を────」
エスカニアが真顔で尋ねた。
「それについては戻ってから話す」
リックは硬い表情を崩さなかった。
セーフハウスに帰ってきた。日は落ち、すでに夜を迎えている。留守番役だったセドロが安堵の面持ちで一行を迎えた。
囚われていた女たちに最初に夕食を取るかと尋ねたところ、彼女らは異口同音にまずお風呂に入りたいと言い出した。娼婦として働かされていた経緯から全員身ぎれいだったが、どうもそういうことではなく、解放されたのだという実感を味わいたいらしかった。
一刻後、ダイニングルームに全員が集まった。女たちが着せられていた木綿の囚人服は処分され、各自がセーフハウスの備品である変装用衣装の中から好きなものを選んで着た。残念なことに派手な衣服はいっさいなく、全てが地味な色合い、デザインだったが、それでも囚われていた女たちの美しさは際立って見えた。もとより、容姿を基準にして選別されたのだから当然のことかもしれない。
緑がかった黒の長髪、広い肩幅、背の高いエスカニアは古代神話に語られる女騎士そのものの容姿だった。凛とした立ち居振る舞い、怜悧な印象を与える瞳はエメラルドの輝きを秘めていた。当年で二六という年齢も落ち着きを示すに十分といえた。
それと対照的なのがカリーニャ、カスターニャ、双子の姉妹だった。一九歳とのことだが、外見は一五、六歳に見える。よく笑う娘たちで、その屈託のない笑顔にだれもが癒された。紅色の髪が姉のカリーニャ、薄紫色が妹のカスターニャで、髪の色、声の違い以外は瓜二つ、それが皆の印象だった。
美少女の外観でありながら、ラウスベイ大公国では要人の身辺警護を務める近衛大隊長に抜擢されており、事実ふたりが連携したときの戦闘能力の高さに後日リックは驚かされることになる。
双子の姉妹を動とするなら、貴族の娘クローネは静、それが彼女の醸し出す雰囲気だった。女たちの中で一番若く、年齢は一七歳、紺色の長髪、中肉中背で体つきも特段グラマーというわけではないが、クローネにはなにか華奢なイメージ、少し触れただけで壊れてしまいそうな儚さがあった。それが男たちの嗜虐心、無垢なものを汚したいという欲望を刺激したとするなら、運命に翻弄されたという他ないのだろう。彼女は無口だったが、貴族出身だけあって礼儀作法はまさしく一流であった。
留守中セドロが準備した夕食を全員が取った。書類の偽造を専門とするため、セドロは留守番が多く、必然的に食事当番の役割も一番多く回ってきた。疲れて帰ってきた仲間を労いたい、その気持ちが高じて、セドロの作る食事は専門職並みとの評価を得るに至った。
夕食時の話題にリックが興味深い話を披露した。クローネの実家デトワール家はローライシュタイン家と遠戚関係にあり、大陸暦九三〇年に勃発したロ帝戦争(東の大国テッサーラビウス帝国とローライシュタイン大公国との戦争)後、当時の領主ゴットフリート・ローライシュタイン大公が一族の血筋を護るため次女ルージュを預けた先はデトワール家だったのである。当然、クローネはルージュのことをよく覚えていた。こんなところで、不思議な縁が結びついたことに驚き、解放されてから初めてクローネは微笑んだ。
夕食後は戦略会議の時間となった。これまでに得た情報、虜囚だった女たちの証言がそろい、激論が交わされたのち、ついに深夜、最終方針が決定された。
週三回の更新を行います。月、水、金の予定です。