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エルマグニア帝国の花嫁奴隷  作者: 蔵武世 必
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第一二章 花嫁奴隷 救出クエスト 九日目 その一

 十一月一八日、予定通りであればアーヤを乗せた馬車は明日ベアヴォラーグ同盟マグナー・ホルギン総裁の許へ到着する。時間切れまであと一日しかなかった。

 切羽詰った状態ではあったが、できるかぎり冷静さを失わないようにして、四人は昨夜の続きの議論に入った。

「傭兵の集団を雇って衛兵たちを始末させる。どうでしょうか?」

 トラスニックが私案を開示した。

「だめだ。傭兵の戦力がどの程度か見極める時間がない。しかも帝都ジースナッハのすぐ近くでそんな騒ぎを起こせば、目的を達成する前に軍が出動し鎮圧される可能性もある。短時間で決着する手段だけに絞ろう」

 バルコスキの指摘は正鵠を得ていた。

「特殊なガスを流し込んで衛兵たちを眠らせる。そんな手段は取れないだろうか」

 今度はリックが提案した。

「それは難しいと思います」

 セドロが応じた。

「催眠ガスは空気よりも重い。当然地下室にも流れ込む。人質たちが酸欠を起こし、死に至る可能性が高い。運よくそれを避けられたとしても眠った人質たちを担いで逃げるのは困難でしょう」

 確かにそのとおりだった。重苦しい雰囲気が部屋全体にただよった。



 同日同時刻、アーヤは車窓から外の風景を見つめていた。かつて命を懸けて戦ったダーグナスリイト要塞跡地は早朝通過した。そこはただの廃墟と化していた。あの苦しかった二週間にもおよぶ包囲戦、そして起死回生の解囲作戦。その結果がこの不幸な結末を生んだとするなら、なんと不条理なことだろうか。

 アーヤのつぶらな瞳からポロリと一筋涙が零れ落ちた。


 呆然と物思いに耽っていたアーヤの静寂を突然の絶叫が引き裂いた。

「敵襲────────ッ!」

「盗賊の襲撃だァ────────ッ!」

 兵士たちの叫び声だった。

 アーヤはあわてて扉を開き、なにが起きているのかその目で確かめた。

 そこはすでに戦場だった。どこの国の勢力か全く判別できない集団が左側の小高い丘から攻撃を仕かけていた。その数はおおよそ五〇〇名。甲冑を着ている者もいれば、平服の者もいる。甲冑は盗品らしく肩の紋章は削り取られていた。

────野盗集団だ!

 アーヤは即座に認識した。

 アレイアウス大陸上の国家は二桁に及ぶが、その領土全域を実効支配している国は存在しない。国境線は多くの場合、河川、峡谷など現実に大部隊の通過が困難な地点を根拠に設定されており、国境警備隊を配置しているのは平地のみである。戦争、内乱等の結果滅亡した国に属する武装勢力はその後、盗賊として生き延びる場合が多く、代を重ねるうちに強盗が職業と化す確率も高かった。

 それ以外にも、正業に馴染めぬ者、腕一つで成り上がりたい者など、さまざまな事情を持つ者が盗賊稼業を営んでおり、行商人はもちろんのこと、軍の輸送部隊ですら、かれらの襲撃を怖れるような現実があった。

 アーヤを警護していたベアヴォラーグ同盟軍の大隊は輸送任務が主であり、大規模な戦闘経験はなく、兵員は一〇〇〇名を超えていたが、実際に戦える部隊は半数以下、しかも指揮官のランツ大隊長は補給部隊出身であり、このような局面にまるで不向きの人物であった。事実、同盟軍は四分五裂の状態に陥っており、崩壊は時間の問題に見えた。

 アーヤは瞬時に自分のなすべきことを理解した。馬車の中に戻り、テーブルに置いてあった果物ナイフを手に取ると着ていたウェディングドレスの裾を膝上で切り落とした。ハイヒールの(かかと)は邪魔なので叩き折った。これで自由に動くことができる。室内では女官たちが抱き合って震えている。その姿を尻目に、アーヤは外へ飛び出した。

 傍らに倒れている兵士の剣が落ちていたので、それを拾い上げた。そして状況を冷静に観察した。

────この野盗たちは物資を強奪するのが目的だ。殺戮ではない。それと、戦い方はかなり統制が取れている。手練れの指揮官がいるのでは。

 その上で、まず最初に反撃の態勢を整えることが肝心と判断した。

「歩兵部隊は一〇名以上で針ネズミの陣を敷き、全周防御態勢を取れ!」

「弓兵部隊は全員荷馬車に乗り、近接戦闘を支援せよ!」

 よく通る女の声が戦場に響いた。それは“ダーグナスリイトの戦姫”、死と再生の天使の雄たけびだった。

 個々に絶望的な戦いを繰り広げていたベアヴォラーグ同盟軍兵士たちの体躯に一閃が走った。その瞬間を境に、同盟軍の防御力が大幅に上昇した。

「おおぅっ、姫さまだ! ダーグナスリイトの戦姫が我らの味方についた。勝てるぞ、我々は────」

 強力な反撃が開始された。次は敵軍の撃退だった。

────この統制された戦いは一人の指揮官によるもの。戦闘を俯瞰できる場所に指揮官が必ずいるはず。

 アーヤは迫り来る野盗の群れを斬り倒しながら、周囲の状況に注意を払った。

────いた! あいつだ。

 野盗集団が襲撃してきた先、小高い丘の中腹付近で指揮を執っている大男の姿があった。

「騎兵部隊は全員、わたしに続け!」

 アーヤはそう叫ぶと、間近の騎馬に乗り、真っ先に駆け出した。遅れを取るものかと騎兵部隊が後に続いた。

 馬で走れば丘の中腹まではあっという間だった。敵軍の将およびその護衛部隊とアーヤが率いる騎兵部隊がその場で対峙した。傾斜地での接近戦に騎馬は不向き、そう判断してアーヤは全員を下馬させた。

 まるでライオンのような長髪、ひげを生やした大男が驚いた表情でまくし立てた。

「おまえは何者だ。花嫁姿で軍の指揮を執る女など聞いたことがない」

「盗賊に名乗る名はない。おまえはここで果てる。語り継ぐこともできない」

 アーヤが示した怒れる女神の形相に敵は怖気づき、味方は士気を鼓舞された。

「おもしろい女だ。見たところ、おまえがこの輸送部隊のあるじのようだ。ならばおまえを捕虜にして、たっぷり身代金を奪ってやろう」

 大男は背中に背負っていた巨大な戦斧を取り出した。

────あの戦斧をまともに食らえば致命傷を受ける。剣で受ければ折れる可能性がある。これは厳しい戦いになりそうだ。

 アーヤはそう予想した。しかし躊躇する気持ちは微塵もなかった。

 両雄の激突に合わせて、同盟軍騎兵部隊が同時に突撃した。すさまじい接近戦が開始された。

 大男が振り回す戦斧をかいくぐり、そのリーチ内に入って一撃を加える。これがアーヤの基本戦術だった。だが、敵は重装甲騎兵並みの完全装備、対してこちらは裸同然のウェディングドレス姿。だれが見てもアーヤにとって極めて不利な戦いだった。

 しかしアーヤにはわずかだが勝機が見えていた。戦斧は振りが大きい分、急激な体勢変化がつけられない。死角も多い。ならば一撃必殺ではなく、小刻みに打撃を加えて出血を強いる。これが上策であると判断した。

 剣術の腕前はアーヤのほうが数段上だった。相手の視線、体の構え、間合いの取り方、これらを見て、次の一手を予想する。その的中率は驚くほど高く、大男はなぜ自分の打撃が空振りを繰り返し、アーヤの攻撃のみ的確に急所をとらえるのか、まったく分からなかった。

 両者の戦いは次第にアーヤ有利に傾き始めた。だが、戦闘には不測の事態が付きものである。ウェディングドレスだけでなく、ハイヒールも特別製のものがホルギンから贈られていたのだが、戦闘開始に際して、アーヤはその(かかと)を折り、フラットシューズとして使っていた。しかし(かかと)のない靴では安定性に欠けるのだ。

 大男の渾身の一撃を後方にかわしたとき、その不測の事態が起きた。ふんばりが効かず、アーヤはその場に倒れ込んでしまったのだ。この機会を逃す敵ではなかった。

 強力な垂直の打撃がアーヤを襲った。

「姫さま────────ッ!」

 騎兵部隊の兵士たちが悲痛な叫びを発した。


 間一髪、アーヤは剣を斜めに構えて敵の打撃力を減衰させ、なんとか窮地を脱した。しかしその代償として武器を失った。剣が手元の少し先で斜めに折れてしまったのだ。

 すばやく立ち上がったアーヤに対して、大男は余裕の表情を見せ、最後通告を行った。

「おまえはいい女だ。度胸もある。殺すには惜しい。このまま捕虜となって身代金と引き換えに国へ帰れ。もしくはおれの女にしてやる。どうだ。悪い話じゃあるまい」

「断る。わたしはまだ負けたわけではない」

「フフン、そんなナイフ以下の剣でなにができる。せいぜい自害ぐらいだろうに。意地を張るな。いい暮らしをさせてやる」

 アーヤは大男の提案を頭ごなしに否定した。

「わたしは姫、おまえのような下賎の者に施しを受けるいわれはない」

「チッ、お高くとまりやがって。そんなに死にたいか。ならば頭をかち割って醜く死なせてやろう」

 大男は猛然と突進し、戦斧を振り下ろした。

 挑発し、大振りをさせることがアーヤの狙いだった。そしてそれは見事に的中した。

 大男の左脇をすり抜けたアーヤは重装甲の甲冑に存在する数少ない弱点、腋窩(えきか)の接合部に短くなった剣を叩き込んだ。短くなった分、それは確実に鍔まで突き刺さった。

「グワァァ・・・アアアァァァ───────」

 言葉にならない咆哮を発し、大男はその場に倒れ伏した。しばし悶絶したように体を震わせていたが、やがて動かなくなった。

 それを見た盗賊の手下たちはいっせいにわめき声を上げた。

「うわぁぁあぁぁ・・・・ゼーガー様がやられたぁ! もうおしまいだぁ~」

 その声は平地で戦う両軍にも届いた。大将を失い、統制が取れなくなった野盗集団は散り散りになって潰走した。


 騎馬に乗り、丘を降りてきたアーヤに対して四人の女官そして同盟軍兵士たちが口々に謝意を示し、その統率力を讃えた。だが、アーヤは至って冷静なままだった。

「わたしはやるべきことを果たしただけです。あのままなにもしなければ、わたしを含めて大隊は四散していました」

「アーヤァ!!!」

 感極まったか、フローリスがアーヤに抱きついた。

「ありがとう。本当にありがとう。あなたはエルマグニアの希望、決して失われてはいけない光。わたしは誓う! あなたをあんなところへ行かせはしない。わたしが、わたしたちが・・・・あなたを護る───────」



 セーフハウスではあいかわらず四人の男たちによる議論が繰り返されていた。時刻は正午を少し回ったところ、刻一刻と時間は過ぎ去っていくが、有効な対策はまだ見出せない。

「こんなときに申し訳ないのですが────」

 無口なセドロが言葉を発した。

「この見取り図を見ていて奇妙なことに気付きました」

「ん? なにか分かったのか」

 バルコスキが尋ねた。

「いえ、衛兵をどうにかする対策が見つかったわけではありません。ただ、この見取り図によると葬儀屋を偽装する空間、女中たちの仕事・生活空間はありますが、衛兵たちの控え室、食堂、仮眠室等がまったく存在しません。まさか一日中勤務しているわけではないでしょう。なぜ休憩室すらないのでしょうか」

「別棟があるのでは」

 リックが口をはさんだ。

「いや、敷地内は余さずチェックして、あの建物だけと判明している」

 バルコスキが応じた。

「言われてみれば確かにヘンですね。衛兵たちは少なく見積もっても一〇名以上いる。交代要員が待機しているならそれ以上です。しかし控え室に相当する場所がまるで見当たらない」

 バルコスキといっしょに潜入したトラスニックもセドロの指摘にうなずいた。

「なにか我々の知らない仕掛けが施されているような気がします」

 セドロの勘はいつも当たるのだ。

 衛兵対策だけでなく、それ以外にも不確定要素が生じ、一同は意気消沈した。


 そんなときだった。セーフハウスの外よりなにやら会話が聞こえてきた。通行人による一時的なものではない。あきらかに扉の前でこちらの様子をうかがう会話が交わされている。

────まずい。帝国側にこの場所が洩れたのか。

 リックが振り向いたとき、すでにセドロは仕事道具をかばんにしまい込み、バルコスキは裏口の状況を確認していた。トラスニックは一階と二階の間に造られた狭い観測所から玄関前を監視し、敵が何名か把握する作業に移っていた。

「頭巾をかぶった身長二メートル近い大男と小柄な女が玄関前で話し合っている」

 トラスニックが小声で報告した。

「うん? いや、大男じゃないぞ。なんだ・・・・女か!?」

 それを聞いた瞬間、リックは二人の正体に気付いた。

「待て! 彼女たちは敵じゃない。味方だ────」



 アーヤを乗せた車列は態勢を立て直し、数時間遅れで移動を再開した。馬車の中では女官たちが甲斐甲斐しくアーヤに別のウェディングドレスを着せていた。

「アーヤ、ごめんね。またこの服を着せることになってしまって────」

 ウェディングドレス以外に用意がないことをフローリスは素直にわびた。

「いいの。気にしないで。それがあなた方の務めなのだから」

 アーヤの言葉が女官たちの心にずしりと響いた。


 倒れ伏した、ライオンのような長髪の大男ゼーガーの肉体がピクリと動いた。

「クゥッ、ううむ────」

 苦悶の表情を浮かべつつもゼーガーは息を吹き返した。アーヤの渾身の一撃はわずかに心臓から逸れていたのだ。ゼーガーはその場に座り込み、まず腋窩(えきか)に突き刺さった剣を抜いた。そして傍らに置いてあった医薬品でとりあえず応急処置を施した。

「・・・・また独りになっちまったか。まあいい。そのほうが気楽だ」

 地面に寝転んだ。澄んだ青空が見える。

「・・・それにしても、あんなすげー女がこの世にいるとはな、たまげたぜ。よし、決めた。おれは必ずあの女を手に入れる。国を手にするよりもはるかに価値があるぜ」

 ゼーガーの紅い双眸は赫々たる光を放っていた。

週三回の更新を行います。月、水、金の予定です。

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