第十一章 花嫁奴隷 救出クエスト 八日目 その二
日が落ちて、あたりには闇が広がるばかりとなった。潜入のプロであるバルコスキ、トラスニックにとって目前の塀など無いに等しい障壁であった。馬車から金具付きのロープを取り出すとそれを塀の内側へ投げ込み、易々と二人は侵入に成功した。
広い敷地を最短距離で駆け抜けて、建物の裏口に到着した。ここは解錠の名人トラスニックの出番だった。ものの数分で鍵を開けたトラスニックに続き、バルコスキも建物内に潜入した。空間認識能力に秀でたバルコスキは歩きながら建物の構造を理解した。平屋建てで二階は存在しない。一階部分のうち、葬儀屋を偽装する空間は三分の一。
先へ進むと奥の部屋からなにやら女たちの話し声が聞こえてきた。物陰から状況をうかがっていると、扉が開き、あきらかに女中と思しき女たちの集団が配膳の用意を整えて次々に廊下を歩き始めた。
周囲を警戒しているようすはない。バルコスキ、トラスニックは慎重に後を追った。しばらく進むと一行は衛兵の集団が警備する頑丈な金属製の扉の前に到着した。女中たちは少しだけおびえたさまを見せたが、ルーチンワークなのであろう、とくに検分されることなく、扉奥に姿を消した。
────あの奥だ。あそこにヘリアンソスが捕らえられている。かすかだが、廊下に「魔女のフレグランス」の匂いも残っている。
それだけ分かれば十分だった。建物の構造もおおよそ把握した。女中たちが食事を作っていることから考えて、あの扉の奥には権力の奴隷にされた女たちが囚われている。
長居は無用。二人の侵入者は音もなく建物から去っていった。
初更、セーフハウスにヘリアンソス以外の全メンバーが勢ぞろいした。長い一日の間に得た成果を互いに報告した。驚くべき収穫だった。マグナー・ホルギンの企みを突き止めて、それを阻止する材料もそろった。
だが、最後の一片を埋められない。一同は袋小路に突き当たった。あの衛兵の集団を何とかしないことには先に進めないのだ。建物の簡易な見取り図を作った結果、扉の位置と間取りから推測して地下室もしくは地下牢が存在するとバルコスキは推測を立てた。だとするなら、壁に穴を開けて人質を救出する手段も使えない。
「疲れた頭でいくら考えても役立つアイディアは出ない。今日はもう休もう────」
バルコスキの言葉で作戦会議はいったん終了となった。
ヴィオラは暗闇の中で目を覚ました。薄明かりさえない完全な漆黒の中だった。よどんだカビ臭い空気が鼻腔を刺激した。
「・・・ここは?」
起き上がって周囲を見渡したが、当然なにも見えない。体を確認した結果、金属製の手錠を科せられていると分かった。また、衣服は厚手の木綿で作られた上着とズボンに替えられていた。
────現状をできるだけ正確に把握しよう。
バルコスキから教わった間諜としての心得、その第一歩は「予断を持たず、客観的に事態を観察すべし」であった。
ヴィオラは自分が今いる空間がどうなっているのか、それを突き止めることにした。真っ暗闇の中で下手に動き回っては思わぬ怪我をする。まずは手探りで探索してみた。その結果、幅二メートル、奥行三メートルほどの独房、ベッドと簡易型のトイレが設置されており、床と壁は石造り、前方に鉄格子が嵌められていると判明した。空気のよどみ、カビの臭い、窓がなく、光が差さないという事実から地下牢だと予想された。
帝国軍兵舎の応接室から出たところまでは記憶があるのだが、そこより先はなにも覚えていない。だが、こんな牢獄に閉じ込められている現実を考えれば、ここがマグナー・ホルギンの影響下にある場所だと容易に予想できた。
────次はどうする。こんなとき、バルコスキなら?
少し考えたが、間諜としてのレベルが違いすぎてなにも思い浮かばなかった。どうにもならないので、とりあえずここにいるのは自分一人だけなのか確認することにした。
「だれかいますかぁー。わたしはヴィオラ、ローライシュタイン大公国出身です」
すぐに反応があった。四~五メートル右側からだった。
「・・・・新入りだね。地獄へようこそ。あらかじめ言っておくわ。あなたを怖がらせるつもりはないけれど、ヘンな希望も持たせない。希望が絶望に変わるとき、ひとは死を選ぶから────」
声の感じからして同年代の女らしかった。
「呼びかけに応えてくださり、ありがとうございます。あなたのお名前は?」
少しだけ沈黙があったが、やがて声の主は答えを返した。
「わたしはエスカニア・アルターシャフト、かつてベアヴォラーグ同盟で騎士団長を務めていた」
「騎士団長!? それほどのひとがなぜこんなところに?」
「答えたくない。今のわたしは男たちの玩具にされているみじめな一人の女にすぎない。だけど、決して絶望はしない。生きているかぎり、復讐のチャンスは消えないのだから」
────このひとは復讐という強い目的のおかげでこんなに苦しい状況下でも生きていられるんだ。
ヴィオラはエスカニアに親近感を抱いた。
「エスカニアさん、あなたはわたしと似た想いを胸に抱いている。わたしもテッサーラビウス帝国への復讐心だけで今日まで生きてきました」
「ハァ? テッサーラビウス帝国!? ・・・・あなた正気なの? わたしの復讐心はこんな境遇へとわたしを陥れた相手に対してだけど、あなたの復讐心は個人がどうにかできるレベルじゃない。いや、エルマグニア帝国にさえ、どうにもできない相手じゃない。地下牢に落とされて初日でもう気がふれてる。あなたは長くないね」
そういう反応を食らうのは承知の上だった。ヴィオラは自分の生い立ち、そして最愛の父ブラット・クレートラーの非業の最期を話した。
「・・・・・」
エスカニアはヴィオラが背負った運命の重みを噛み締めているようだった。
「・・・なるほど、よくわかった。こんなひどい場所で挨拶もないものだけど、“戦友”を紹介するよ」
「あはははは・・・・戦友っておもしろい表現だね」
左側の独房から声が聞こえた。
「わたしも笑っちゃった。笑うなんて何ヶ月ぶりだろう」
よく似た声がその対面の独房から響いた。
「彼女たちは双子の姉妹、カリーニャ・ラウスベイ、カスターニャ・ラウスベイ。暗くて何も分からないだろうけど、紅色の髪が姉のカリーニャ、薄紫色が妹のカスターニャ」
「今、ラウスベイとおっしゃいましたね────」
ヴィオラはそこに注目した。
「その名のとおり。彼女たちはラウスベイ大公の養女なのさ。身辺警護の大隊長まで務めていたのに、晩餐会の最中にかどわかされて一年以上前、わたしの少し後にここへ連れてこられた。父オーガスト・ラウスベイ大公の許へ帰る、その一途な想いだけで今日まで生きてきた、けなげな娘たちだよ」
────なんということだろうか。
ヴィオラは天を仰いだ。一年以上も前であれば無理もないことだが、姉妹はオーガスト・ラウスベイ大公が天寿を全うしたことを知らない。だが、ここでよけいなことを伝える必要はない。救出された後、それを知るほうがいい。ヴィオラは悲しい事実を伝えないことにした。
「最後の一人、あなたの対面の独房に入れられているのがフェスランキシュ王国の貴族の娘クローネ・ファン・デトワール。何の反応もないけどたぶん生きている。ベアヴォラーグ同盟との商取引の失敗で生じた莫大な借金を肩代わりするかたちで奉公に出たそうだけど、それが奴隷契約だったなんて、だれも想像できなかった。ただ一人、マグナー・ホルギンを除いて。
彼女はここに来てまだ三ヶ月ほどだけど、感情のないコでね。わたしたちもどう対応してよいのか思案しあぐねているってわけ────」
そのとき、向こう側から声が響いてきた。
「エスカニア、わたしは感情がないわけじゃない。ここに落とされてから感情を棄てたの。女にとって生き地獄のこの場所で死を免れるためには感情を棄てるしかない。わたしはあなたほど強くないの。人形のように息を潜めて、ただ悪夢が通り過ぎるのを待つだけ・・・・」
クローネの言葉を聞き、皆押し黙ってしまった。
────なんてひどい境遇だろうか。
ヴィオラは胸のうちに烈しい憤りを覚えた。己の野望を実現させるために女を道具として利用する。しかも全員が卑劣な手段で陥れられたのだ。ヴィオラはもう黙っていなかった。
「わたしから皆さんに伝えたいことがあります。わたしはここに連れてこられたわけではありません。自分から潜入したのです。ローライシュタイン大公国の有志があなた方を救出します。どうかあと数日、がまんしてください」
しばし微妙な沈黙が続いたが、まもなくエスカニアが反応を返した。
「フフフ・・・救出? あなたはなにも分かっていないのね。ここに入れられたのがわたしたち四人だけだと思っているの? 実際には何倍もの女たちがこの地下牢に沈められた。そしてその多くが数ヶ月以内に衰弱死するか、狂死した。耐えられなかったんだろうね。数日に一度は連れ出されて男たちの相手、心身ともに疲弊して帰ってくればまた地下牢行き。そんな狂った現実を見ているうちに、だれもが希望なんて抱かなくなる。信じるだけ無駄なの。なにも信じなければ絶望もないから」
最初にエスカニアが語った「希望が絶望に変わるとき、ひとは死を選ぶ」という言葉の意味がよく分かった。だが、ヴィオラはあきらめなかった。
「わたしの仲間たちは違う。必ずわたしを助けに来ます。だから、みんな希望を失わないで────」
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