第一〇章 花嫁奴隷 救出クエスト 八日目 その一
十一月一七日朝、セーフハウスに連絡要員としてセドロが残ることとし、リックは一三時のフェルドナー参謀総長との面会に備えて、さまざまな準備に入った。残る三名は昨夜協議したコードネーム「セグレート作戦」の実施に移行した。
馬車に乗ったヴィオラ・クレートラーは昨日深夜にまで及んだセグレート作戦の要項を思い出していた。バルコスキ発案の本作戦は危険が伴うが、マグナー・ホルギンが裏で進めているであろう謀略を暴くのに必須の作戦といえた。
「ホルギンが帝国の高級官僚に女をあてがっているとするなら、その女にはどういう条件が求められるか」
バルコスキは至って冷静だった。
「まずは若い女ですね」
トラスニックが応えた。
「そうだ。そして当然器量に秀でていることも重要だろう」
一同はうなずいた。
「しかしその程度で帝国中枢の官僚が興味を示すと思うか。かれらはその気になれば、容易に相手を見つけることができる」
確かにそのとおりだった。「若く美しい女」という条件ぐらいでホルギンに恩義を着せられてまでなびくはずはない。
「だが、ここに“高名”“高位”という条件が加わったなら、どうだろう。高級官僚といえども、簡単に見つけられる相手ではなくなる」
「同意します────」
セドロが得心したように語った。
「それらの条件からすれば、アーヤ・エアリーズは最上位に位置づけられる。ホルギンが執心し、なんとしても手に入れたい、そう願うことも道理」
バルコスキの感情を交えない分析は続いた。
「すでに噂が立っているところからみて、ホルギンは帝国内の随所にそういう女を見極める組織を張り巡らせているのだろう。そこで、だ」
一呼吸置いた。
「我々はそれに乗ってみようと思う」
「・・・成否隣り合わせの作戦になるのではないか」
リックの懸念をバルコスキはあえて無視した。
「成功のメリットは大きい。饗応に充てられている女たちの証言が得られれば動かぬ証拠となる」
「しかし、誘い出すためには囮が必要だ」
リックの言葉が終わらないうちにバルコスキ、トラスニック、セドロがヘリアンソスの側を向いた。
「・・・・えっ!? わ、わたしですか────」
この刹那、セグレート作戦の実施が決まった。
高名な歌手ヴィオラ・クレートラーを乗せた馬車は帝国軍兵舎の前で停まった。御者に扮したトラスニック、車内でヘリアンソスに作戦の要諦を再度示したバルコスキは成功を祈ってヘリアンソスを送り出した。
十一月一五日の公演よりまだ二日しか経っておらず、ヴィオラは一夜にして帝国軍の“歌姫”に昇格したことから検問でケチがつくことは何一つなかった。それどころか、アポなしにもかかわらず最重要賓客の扱いで応接室に通された。
事務官のエデルが再び対応した。
「これは、これは、ヴィオラ様。わざわざ足を運んでいただくとは光栄の至り。ところで、今日は世話役のレフリック・ティラール様がご一緒ではありませんが、どうなされたのでしょうか」
「レフリックには別件に従事してもらっています。今日はわたしひとりで伺うのが好都合と判断しました」
「んっ、そうですか。では、ご用件をお聞きしましょうか」
エデルの瞳に暗い影が差したことをヴィオラは見逃さなかった。
「────実のところ、レフリックが管理するスケジュールは民間公演がほとんどであり、わたしには物足りないという想いが否めません。わたしは帝国内のもっとハイレベルな場所で歌いたい。帝国の枢要な地位にある方々の面前で歌うこと、それがわたしの願いです」
「ほう。すると、コンサートではなく、社交クラブのような少数相手が望ましいということでしょうか」
「そのとおりです。なんとかアレンジをお願いできないでしょうか」
わざと身を乗り出して懇願した。
ヴィオラのような目の醒める美人に迫られて、気を悪くする男はいない。
「なるほど・・・・今すぐというわけには参りませんが、アレンジは可能です。ただし非公式な折衝が必要になるので、今日のところはいったんお帰りになったということにさせていただけませんか」
「どういうことでしょう?」
「ヴィオラ・クレートラー様は次回公演の打合せにいらっしゃった。それ以上の話はなにもなかった、ということにしていただきたいのです。もちろん、非公式な折衝は別です」
「わかりました。では、わたしはどうすればよいのでしょうか」
「こちらで検問所に手を回し、ヴィオラ・クレートラー様は別のゲートからお帰りになったという記録を作成します。しばしお待ちください。その後、別室に移動して、くわしくご意向をお聞きいたします」
────かかった。
ヴィオラは内心ほくそ笑んだ。百戦錬磨、バルコスキの読みは正しかったのだ。
少しの時間、応接室で独り待たされたヴィオラだったが、まもなく再びエデルが現れた。
「では、こちらへ────」
促されて部屋から出たとたん、突然背後より何者かがヴィオラの口元にハンカチを押し当てた。
────あっ!
そう思った瞬間、ヴィオラは意識を失った。
ヴィオラが帝国軍兵舎に入ったそのときから、バルコスキ、トラスニックは警戒態勢に移行した。何事もなくヴィオラがもどってくればセグレート作戦は空振りに終わるが、もどってこなければ発動したということである。
巨大組織である帝国軍の需要を満たすため、入り口を監視しているバルコスキ、トラスニックの眼前でたくさんの荷馬車が検問を通過した。
それらが出てくるたびに二人は傍に寄って“匂い”を嗅いだ。ヴィオラの下着には特殊な薬品が仕込まれており、それは少し嗅いだだけでは単なる香水にしか感じられない。だが、通常の香水と違って匂いの効果は数日間持続し、しかも容易に消せないほど強力な作用を及ぼす特徴があった。
この薬品「魔女のフレグランス」があったからこそ、バルコスキはセグレート作戦を決行したのだ。有能な部下ヘリアンソスを失いたくない、その思いは確かだった。
ヴィオラが帝国軍の敷地内へと消えた一時間後、葬儀を執り行う「フューネラー社」と側面に記された荷馬車が検問を通過して外に出てきた。その匂いを嗅いだバルコスキは「これだ!」と確信した。すぐにトラスニックに合図して馬車で後を尾つけることにした。
棺を積んだ荷馬車はガタゴトと音と立てながら帝都ジースナッハ郊外、ベアヴォラーグ同盟との国境付近へと進んでいった。両国は実質的に不可分の存在になっており、その領土間に国境警備隊は存在しない。帝都中枢部や帝国軍敷地内へ入る際には厳重なチェックが行われるが、それ以外は比較的自由に通行できることが今回は功を奏した。
荷馬車はフューネラー社の看板を掲げる門扉を通過して、その奥の建物内へと消えた。そこは単なる葬儀屋とは思えぬような高い塀に囲まれた一大拠点だった。入り口には四名の衛兵が常駐しており、警戒を怠らない。
「“当たり”だな。夜になったら潜入しよう」
バルコスキがトラスニックに告げた。
同日午前、行商人ロデリック・ザイーブは市場で適当な地図を購入した。これを理由にしてハルツ・フェルドナー参謀総長に面会するのだ。
一三時少し前にリックは帝国軍検問所に到着した。帝国軍騎兵連隊長ハインドラー・ミルンヒックとのアポを告げると、少し待たされた後、待合室に通された。
まもなくハインドラーが現れた。
「ロデリック、よく来てくれた。さっそく参謀総長にお会いしよう」
帝国軍の実質的な最高責任者である参謀総長に会うためにはさまざまな確認事項をパスしなければならなかった。武器を所持していないこと、身元が確かであることなど、条件付けが厳しかったが、騎兵連隊長ハインドラー・ミルンヒックの推薦であれば問題ないとして、その点はクリアになった。
ハインドラーが参謀総長の執務室ドアをノックした。
「────入りたまえ」
リックにとって聞きなれた声が応答した。
部屋の中に入ると、参謀総長はこちら側にいっさい目もくれず、机上の膨大な書類に署名を続けていた。
「ああ、そこのソファに腰かけて待っていてくれ。もうすぐ終わる」
訪問者二人は静かに待つことにした。
一刻後、背後から声がかかった。
「待たせたな。最新の地形図が手に入ったとのこと。ぜひ見せてもらいたい」
二人は振り返った。
「うんっ? 君は────」
フェルドナー参謀総長の足が止まった。
「ザイドリック・ローライシュタイン!?」
まさか、という色合いが込められていた。
「ハインドラー・ミルンヒック騎兵連隊長、君はウソをついて、このわたしを謀ったのかね」
「申請内容に事実と相違する部分があったことはお詫びいたします。本件に関して、後ほどどのような処罰でも甘んじて受け入れます」
ハインドラーは謝罪を口にした。
「ふーむ、兄の威光があれば、たいした処分も下されない。そう思っているとしたら、ずいぶんわたしも舐められたものだな」
フェルドナー参謀総長は規律、基準を極めて重視する生粋の帝国軍人だった。
「参謀総長閣下、これはわたしが願い出たものであり、全ての責任はわたしが負うつもりです。どうかハインドラー・ミルンヒック騎兵連隊長を罰するのは保留にしていただけないでしょうか」
席に着いた参謀総長を前にして、リックは頭を下げた。
「ふん、大公国軍の司令官が今度はスパイの真似事か。責任を負うなどと軽々に口走らぬことだ。ここで逮捕されて、死罪に処される覚悟があるとでも」
「もしも参謀総長閣下がわたしの話を聞き、無価値と判断されれば、たとえ死罪になっても後悔はありません」
「敵国スパイの話など聞かんよ。逮捕後、運がよければ人質交渉の道具ぐらいにはなれるだろう」
取り付く島もないとはこのことだった。
「────それがアーヤ・エアリーズの生命にかかわることでも、ですか?」
「んっ!?」
あきらかにフェルドナー参謀総長の顔色が変わった。
「どういうことかね。エアリーズ師団長の生命? それとこのわたしに何の関係があると」
リックはこれまでの和平交渉の経緯、マグナー・ホルギン総裁の付帯条件について、時系列順にいっさいの省略なく説明した。
「・・・なるほど。状況は把握した。それで貴殿はこのわたしに何を確認したいのかね」
「はい。フォイエル・ドラス元首が提示した和平四条件、これらについて参謀総長閣下は事前に照会を受けたのでしょうか」
「それは軍機に属するものだ。答えられない」
「では、質問を変えます。マグナー・ホルギン総裁が提示した付帯条件について、参謀総長閣下は事前にご存じだったのでしょうか」
「そんな恥知らずな付帯条件など知るはずがない。知っていれば、やめさせたに決まっている」
いつもは冷静なフェルドナー参謀総長がこのときばかりはかなり熱くなっていた。
「ドラス元首はこの付帯条件を承認するとお思いですか」
「わたしは元首ではない。知らんよ。だが、フォイエル・ドラス元首は確かにこう言った」
「和平四条件は必ず達成させなければならない。エルマグニアの未来がかかっている。ホルギン総裁にもそう伝えた。交渉代表といえど、和平四条件を改変することはいっさい不可。万が一交渉が決裂した場合、その理由を精査して、関係者にしかるべき責任を取らせる」
重要な証言だった。つまりフォイエル・ドラスは和平成立に並々ならぬ意欲を持っていたことになる。そしてそれが達成されない場合、理由を明確にすることも示した。やはりマグナー・ホルギンの付帯条件は独断で付け加えられたものだった。状況証拠でそれはほぼあきらかだったが、今回フェルドナー参謀総長の証言により裏付けられたことになる。
ホルギンは実際には自分に和平条件を改変する権限などないにもかかわらず、帝国の威光を借り、あたかも全権代表のようにふるまって付帯条件をローライシュタイン大公国に呑ませた。まことに練達の交渉術といえたが、詰めが甘かった。
リックは光明が見えたことを喜んだ。
「ところで、ザイドリック君」
フェルドナー参謀総長が続けた。
「仮に和平協定が恥ずべき付帯条件なしに締結された場合、貴軍は帝国軍傘下に復帰することとなる。アーヤ・エアリーズの処遇もこのわたしに最終的な決裁権が移るわけだが、理解しておろうな」
「それはどういう意味でしょうか?」
突然仮定の話をされて、リックは気色ばんだ。
「どういう意味も何もない。帝国軍は参謀総長である当方が指揮を執る。必要であれば、ローライシュタイン大公国軍麾下の第六師団、第七師団の編成にも手を加える可能性があるということだ」
「和平条件をよくご確認ください。各国には自治権が保障されています」
「ふむ。だが、外交・国防は違うな。どう読んでも大公国軍は帝国軍傘下に入ると解釈するしかない。以前も伝えたと思うが、アーヤ・エアリーズの資質は小国の中だけで終わらせるべきものではない。貴国にあの娘は使いこなせない。しかし大エルマグニアなら可能だ。そこをよく理解してもらいたい」
今回アーヤを救ったとしても、また別の摩擦が生じる。悲しいが、それが現実だった。最後は悄然となって、リックは参謀総長執務室を後にした。
週三回の更新を行います。月、水、金の予定です。




