悪魔を憐れむ歌
屋上から駐車場を見下ろしていると、フラフラと歩いてくる人影が見えた。
午前中から山の夫妻が育てているキャベツの収穫を手伝って、一息つこうとタバコを咥えながら、いかにも夏らしい入道雲を見つけた時だった。
俺は、水色の塗装がところどころ剥げたベンチに立て掛けててあったライフルを手に取った。
”レミントンM700”。俺の相棒だ。
店内に入ると、ロニーが正午の放送で選んだであろう、ローリング・ストーンズの”悪魔を憐れむ歌”が流れていた。
急いで止まっているエスカレーターを駆け降りる。
北側のエントランスには、すでにタイタンとコトがいた。
「状況は?」俺は二人に声をかけた。
「群棲ではない。単体だ」コトが事務的な口調で答えた。
「それはありがたい」
奴らは群れる習性もある。一度、百体規模の群棲の襲撃を受けたことがあったが、……あれは楽しかっ……、いや、大変だった。銃弾をかなり消耗したのだから。
「本当に感染者?」俺は念のため聞いた。
「間違いないよ」脚立に上がり、双眼鏡でバリケードの向こうを見ていたタイタンが答えた。
さすがに、こんなご時世であっても、普通の人間を間違いで殺すのは気持ちが悪い。
「じゃあ、かわります」
俺は、タイタンにかわり脚立に上った。
耳栓を両耳にねじ込む。
天板にまたがり、息を整える。
距離、約五十メートル。
スコープがあればなぁ、といつも考えてしまうが、贅沢は言っていられない。オープンサイトで充分なことの方が多い。
駐車場の白線を見れば、おおまかな距離はわかる。
ちょうど、赤のミニクーパが駐車されているライン。そこがデッドゾーン。そこまで来てしまえば、俺は外さない。
その感染者は片目を失くしているようだ。右の眼窩は真っ黒い穴ぼこになっている。フラフラと陽炎のように左右に揺れながらこちらへ向かってくる。
肌もひどく爛れている。間違いなく末期の感染者だ。おそらく、もう意識はないだろう。
引き金を絞る。あと一ミリで射出される。
そこで、息を止める。
標的の揺れ、その揺れの右、心臓がある位置に照準を定める。
その揺れ方に、リズムを合わせる、……ロニー、ちょうどいいぞ、この曲。
遠くのスピーカーからはまだ”悪魔を憐れむ歌”が流れている。
不穏なタイトルのくせに、なんでこんなにも陽気なリズムなんだろう?
今度、ロニーに和訳を聞いてみようか。いや、よく知りもしないのだろうなぁ。
蝶の羽ばたきのような、微かな力を指先にかける。
ダーン!
鼓膜を突き刺す銃声。
標的は倒れた。
俺は、すぐにコッキングレバーを操作し、第二射を装填する。銃身からの放熱で、標準の景色がわずかに揺らぐ。しかし、
再び銃声。倒れた感染者はビクリと身体を震わせた。
第二射もちゃんと脳に命中した。
「あいかわらず。いい腕だ」コトが珍しく微笑んでくれている。
「慣れだよ。三年もやってるんだから」俺はそっけなくそう答える。が、悪い気はしない。
「いや、それは才能だよ。君にしかできないことだ」タイタンが言った。
そうなのだろうか? 確かにそうかもしれない。
なんてたって、三十四歳にして、視力2.0なのだから。
それに、狙撃に関しては割と自信がある。
なぜなら、俺の数少ない趣味の一つが、エアーガンだったからだ。
休日に時々サバゲーにも参加していたし、週末のシューティングバーでは、俺に敵う者は少なかった。
俺の、数少ないスキルの一つだ。
「特殊作戦群にいたら、狙撃に関しては立派なエースだっただろうに」
コトはいつもそれを言う。
正直。うれしい。
この世界。……この終わった世界は、俺の為に作られたのではないかと思う時がある。
なんの才能も持ち合わせていない自分が、唯一、ヒーローに、主人公になれる世界。
だから、俺は。
こんな絶望しかない世界が、
……。
この日常が。
ずっと続いてくれたらと願う。
”悪魔を憐れむ歌”がフェイド・アウトしてゆく。
キース・リチャーズの奔放なギターソロと共に……。