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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第1部
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4.運命

 翌日、昼間だと言うのに空はやや雲がかかり、世界を照らす日の光は隠れ、深い青色ばかりが満ち溢れている中で、私は再び中庭を訪れた。

 私が何もすることが無いというのは本来いいことである。

 槍の印を受けて、この神殿に引き取られて以来、私はずっと戦うための訓練を受けてきた。私が使うのはその痣の名前の通りの槍。一角獣の角とも称されるその槍は、私が願うだけで何処からでも生み出せる。

 突けば水のような波動が戦う相手を惑わす。

 けれど、私の強みはそんな力ではない。

 首を落とされても、動脈を斬られても、心臓を貫かれても、脳天に穴をあけられても、胴体を切断されても、私は死ぬことがないのだ。

 普通の人なら死ぬような怪我を負っても、痛みに耐えている内に綺麗さっぱり治ってしまうことは既に体験していた。

 神話を真面目に信じない者は、不届き者となってカリスティを目当てにこの神殿に侵入してくる。けれど、そんな者達は大抵、何をしても死なない私に出会うと恐れを抱いて逃げ出してしまうのだ。

 痛みも苦しみも感じないというわけではない。

 けれど、カリスティを守ることこそが私の生まれてきた意味である以上、戦いから逃げ出す事なんて絶対に出来ない。

 そんな私が暇を持て余すということは、神殿の平和が保たれているという事だ。

 カリスティに誰かしらの悪意が向いているわけではない好ましい状況。

 けれど、暇であるというのも残酷な事だった。

 やることのない私は結局、カリスティのいる中庭へと足を運ぶ。この行動もまた、どの国の武器も同じ事をしていると聞いた。

 でも、他国の人達はきっと私のような感情を抱いたりはしないだろう。

 ――寂しい。

 すぐ傍にカリスティはいるのに、どうしてこんなに寂しい思いをしているのだろう。

「カリスティ」

 ユグドラシルの盛り上がった根元に寝そべりながら、青い礼服の少女は湖の水面を眺めている。愛らしい妖精のような容姿は、人間の血を引く者ならば誰だって見惚れてしまうことだろう。

 笑ったならばもっと素敵なはずだ。

 けれど、カリスティが笑ってくれる気配なんて何処にもない。

「隣、座ってもいい?」

 思い切って訊ねてみても、カリスティの表情はあまり変わらない。ただ、その目が微かに揺らいだだけだ。

 返答を得られないまま、私はそっとカリスティの横に座ってみた。

 拒んだりはされなかった。勿論、歓迎もされなかったけれど、拒まれなかっただけマシだと思うしかない。

 自分を誤魔化して、私もまた湖の揺らめきを見つめた。

 沈黙が歯がゆく感じて、さり気なく話しかけてみた。

「おかしな夢を見たんだ。パラスみたいに角が生える夢。びっくりして鏡を見たら、耳も馬の耳で、ケンタウロスみたいに馬の身体が生えちゃっているの」

 何気なく始めた話に、カリスティがふとこちらを見つめてきたのを感じた。

 水のように透き通った色の目で私を見つめ、やがてその幼い唇から虫の羽音のような微かな声が漏れだした。

「……どんな色の角だったの?」

 やっぱり喰いついた。

 本当にパラスの言うように一角獣の話が好きなのだ。

「銀色……だったかな。その湖の光みたいな」

 私の答えにカリスティがそっと湖の光を見つめる。その愛らしい顔に浮かぶのは、世転びでもなければ哀しみでもなかった。銀色の光をただ見つめて、カリスティはそっと小さな唇から声を発した。

「そっか……」

 それっきり、彼女は再び黙りこんでしまった。


 十年前、ユグドラシルの根元でサファイアのような卵が孵った。

 その時の事をはっきりと思い出せる。

 青くて美しい殻が破れ、中から現れたのは二、三歳くらいの姿をした幼い女の子だった。土色の髪に透き通るような色の目は今もずっと変わっていない。

 卵の殻に七年も抱かれていた彼女は、いきなり目にした外の世界に驚きを隠せて居ない様子だった。

 初めに見つめたのはユグドラシル。

 まるで孵ったばかりの我が子を祝福するように、生母であるユグドラシルは低い位置の枝を揺らしていた。

 その優しげな音に安心したのか、彼女は満足そうに視線を外し、次に卵を囲んでいた神殿の者達を見比べていった。

 一人ひとりの顔を見つめ、そしてその視線の動きは私で止まった。

 私もまた孵ったばかりの愛らしい女の子から目を離す事が出来なかった。

 槍としての自覚もなく、変わった痣が左胸にあるだけで父母と別れを告げるはめになった事に、まだ七歳の私が理解を示すのは難しかった。

 けれど七歳であっても、この目で確かに見届けた神秘的な光景に心の大半を持って行かれてしまうくらいには成長していた。

 何処の国の聖域であっても同じらしい。

 己の守るべき果実を初めて目にした時、武器の印を持つ者は心を奪われる。盲目的に果実を守るようにと天使が定めたからだと言われている。

 これまでは他人事のようにしか聞いていなかった神話が、この時になって初めて身近なものに感じられたのだ。

 それから暫く、私は静かな幸福と共に暮らしていた。

 ――カリスティ。

 そう名付けたのは時の神官長だ。果実を孕んだ幼い少女に抱きつかれる私の姿を見て、その言葉が浮かんだと彼は言っていたらしい。美しい人へと宛てた言葉。ユグドラシルの神秘的な枝の下での光景が、その言葉を思い起こしてくれたのだと。

 ともあれ、カリスティは私によく懐いた。

 果実というものは槍を無条件に信用し、傍を離れたがらないものなのだと聞いていたけれど、言われてすぐに納得できるくらいカリスティもまたそうだった。

 そうだ。あの頃はくすぐったくなるほどにカリスティに懐かれていた。

 私の気持ちは変わらないままだ。

 サファイアの殻が崩れて初めてカリスティを目にした時から、私はずっとカリスティに心を奪われてしまっている。

 それなのに、何故――。

 何が間違ってしまったのだろう。


 湖の水面を見つめたまま、カリスティは黙りこんでいた。

 何か話したい事を探してはみたけれど、結局は何も見つからず、私はただカリスティと共に沈黙の時間を共有していた。

 共に居るだけでも癒しを貰う事は出来る。

 かつてはうたた寝をするカリスティを見守るだけでも退屈しなかった。愛らしいその頬に触れるだけで幸福を感じた。

 けれど今は、不安で仕方がなかった。

 カリスティは今、何を考えているのだろう。私は不安を与えてはいないだろうか。彼女の心を傷つけてはいないだろうか。私に出来る事は一体何なのだろう。

 どんなに考えても英知の天使は囁いてくれたりしない。

「カリスティ」

 その名を呼んでみると、彼女の身体は少しだけ反応を見せた。

 湖の銀色から目を逸らさなくなった彼女は、意識までをその水底に沈めてしまっているかのようだった。

 もう一度、その名を呼ぶべきか否か。

 私は躊躇ってしまった。

 カリスティの邪魔をしたくない。カリスティに嫌われたくない。まるで悲鳴でもあげているかのように、槍の印の刻まれた胸元がずきりと痛んだ。

 その小さな身体の内面で何が起こっているのか、どんな感情を抱き、どんな思考を巡らせているのか、傲慢にも全てを知りたいと思ってしまう。

 けれど、それは浅はかな私の欲に過ぎない。

 理由すら聞き出せない私に出来る事は、カリスティの心が花を咲かせるように自ずと開いていくのを見守ることくらいだ。

 その時まで、その時以降も、寄り添ってやることくらいだろう。

 そう信じて、私はそっとカリスティを見つめた。

 やがて、風向きが変わり、湖の水面の揺らめきに変化が生じた頃、カリスティは迷うように沈黙を破った。

「ねえ、ソフィア」

 視線は湖の銀色から離される事は無い。

 だが、それでも私は食い入るようにカリスティを窺った。不安と期待の入り混じる中、私はカリスティの言葉をじっと待った。

 そっとその水色の目が私を見つめる。真っ直ぐとした子供らしい眼差しを受け止めてやると、カリスティはおずおずと言った。

「わたし、ソフィアに話したいことが――」

 ちょうどその時だった。

 中庭に慌ただしい足音が響き、静寂な世界が一気に覆される。

 カリスティの言おうとした言葉は浮かされたまま、私達の意識は中庭に現れた一人のガーディアンへと向いた。


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