16.弔い
穏やかな表情をしていた。
水となって消えていく槍によって、二つの命が同時に攫われていくのを、わたしはただ見ていることしか出来なかった。
英知の悪魔。
そう呼ばれて久しいわたしも、死んだ果実を甦らせることは出来ない。出来たとしても、それは偽物。わたしが求めるカリスティとアテナではないだろう。
ああ、どうして。
どうして、いつもいつも分かってくれないのだろう。
もう声も届かない所に行ってしまった二人の亡骸に触れながら、わたしはこの虚しい感情との向き合い方を探っていた。
アテナ、そしてカリスティ。
あなた達がこうして死んでしまう場面をどれだけ見てきたことだろう。
そして、今後、違った形で生まれ変わるあなた達は、またしても同じような姿をわたしに見せつけようと言うのだろうか。
「いいえ……今度こそは」
人形のように硬く、冷たい二人の身体に触れると、涙が流れてきた。
「今度こそはあなた達を救ってみせるわ」
無慈悲な神々から、のうのうと生き残ったこのユグドラシルから。そして、二人の死に内心ほっとしているだろうこの神殿の長から。
英知の悪魔である以上、わたしは無能なままでいてはいけない。
このまま時代が進めば、あなた達がどんな目に遭うかもわからない。だからこそわたしは、今まで以上に手を考えなくてはいけない。
次はどうやって説得するか。
次はどうやって背かせるか。
「救う……だなんて……」
と、中庭の隅からその声は漏れだした。
人の少ない中庭。戦わなくてはならないはずのガーディアンまで逃げ出した原因は、其処に横たわる女の有様にあった。人のような姿をしている彼女。その周りでは今も血に汚れた羽根が散らばっている。意識はあるが、まだ動けないらしい。だが、四肢が無事だっただけでも、感謝すべき事だろう。
「ニンフ」
その名を呼んでみれば、明らかに反応があった。
目だけを動かし、わたしの姿をはっきりと捉える。何となく感じるのではなく、彼女にももうわたしの姿は視えるらしい。
「お前が……追い詰めたんじゃないか……その二人を……」
そう言いながら、泣いている。
二人の死が、彼女に絶望を与えた為だろうか。
そうしてわたしの姿が見えるまでになったということは、心の何処かでわたしの助けを求めている証拠でもある。
そっと立ち上がり、歩み寄ってみても、ニンフは動けない。カリスティにやられた傷は想っていた以上に深いらしい。深いけれど、致命傷ではなかった。カリスティの迷いのせいもあったのだろうか。今となっては分からない。だって彼女は死んでしまったから。
横たわるニンフの傍でしゃがみ込むと、獣のような目が警戒の色を強めてわたしを睨みつけてきた。
手を伸ばせば、拒もうと身を捩る。
「僕に触るな……悪魔め……」
「悪魔、ね」
その言葉に溜め息が漏れだした。
「何も死ななくたってよかった子達に死を命じた人と、助けてあげるとずっと手を伸ばしていたわたし。果たして、どっちが悪魔なのかしら」
そう呟くと、ニンフの表情が変わる。
その不思議そうな面に向かって、わたしは言い放った。
「あなたのお父様のことよ」
きっと今だって神官長室という閉ざされた場所で、ただ連絡を待っているだけなのだろう。奴らはそういう存在。神々を讃える狂信者。害悪でしかない。
だが、面白い事に、ニンフは父親の悪口に対してあまり反応を見せなかった。わたしの姿が見えるようになったことと何か関係でもあるのかしら。
「……ソフィアが死んだのは、父さんのせいじゃない」
ようやくそう呟いた。
「カリスティ様も、ソフィアも……お前さえ来なかったら、これからもずっと生きられたはずだったんだ……」
「そうかもね」
だとしても、それは良い事なのかどうか。
百年ごとに赤子を奪われる者が現れる世界。平穏が約束されるのなら、それは正義ということになってしまうのだろうか。槍と果実が意志を持ち、不自由を感じながら生きる世界が果たして正しい世界なのか。
わたしのような悪魔がいなくとも、こういう事態は起こり得る。そうなった時に、槍と果実の心中で全てを片づけるこの世界は、守る価値があるものなのか。
きっと、この鳥女もまた今度のことで引っかかりを覚えたことだろう。
だから、わたしの姿が見えている。
しかし、今はその時ではない。
立ち上がると眩みを感じた。じわじわと身体に染み込む風の感覚が毒のように刺激的なものに転じてきている。カリスティが殺され、罪を被るべきアテナも死んでしまったからだろう。もう長くは此処に居られないようだ。
周りでは、人の声が増えている。
二人の聖女の死をそっと見守っていた者も多数いるだろう。隠れていたガーディアンたちもようやくなけなしの勇気を振り絞って現れる気になったらしい。
生き残っているニンフが救われるのも時間の問題だろう。
「良かったわね」
わたしは足元に横たわるニンフに向かって言った。
「あなたは助かるみたい。しばらく悪夢を見るでしょうけれど」
見つめてみれば、万華鏡のように美しいその猛禽の目は、まだわたしを睨みつけていた。
「悪夢なんて辛くはない。ソフィアの苦しみに比べたら……」
涙ぐむその表情は哀れだった。
このまま彼女が変わらないのなら、きっと壊すのも難しくはないだろう。ヒパティアの時のように苦労したりもしなさそうだ。次の果実。次の槍。新しい時代が訪れる頃、わたしの始動に役立ってくれることもあるかもしれない。
でもそれも、今はまだずっと先のお話。
「さようなら、英知の民。あなたとはまた会えるかもしれないわね」
恨みを込めたその顔に向かって、わたしは別れの言葉を告げる。
「それまで、せいぜいそうやって死人を憐れんでいなさい」
まるで自分にでも言っているかのようだった。
遺された時間はあと少し。ニンフの傍を離れ、わたしはゆっくり聖女の亡骸を通りこして、天使の産み落とした娘ユグドラシルへと近寄った。彼女はわたしなど恐れてはいない。風に揺れるその枝は、まるでカリスティとアテナの死を弔っているようにも見えた。
あの二人は何故、死んだのか。
天使の所為ではない。わたしの所為でもない。
きっと神官長の所為でもないだろう。
アテナは自分の意思でこの選択をして、カリスティもまた自分の意思でこの結末を受け入れてしまった。
触れても何も起こらないその幹。僕を持たぬ悪魔という中途半端な存在のわたしを、ユグドラシルはきっと虫けら以下のものとして見つめているだろう。
その傲慢な大樹を見上げながら、わたしは口を開いた。
「誰の所為かと言うのなら、あなたの所為かもね」
英知の天使の遺した娘に対して、わたしは冷たく言い放つ。その声はきっとユグドラシルの心になんて響いたりしないだろう。
枯らされる時も、その先までも、きっと永遠に。




