13.青の果実
美しい英知の果実がわたしの腕の中にある。
天使の与えた知恵が詰まったこの果実。今まで巡ってきたどの機会よりも恵まれた条件が整っている以上、わたしの進撃を止められる者なんて果たしているのだろうか。
ああ、カリスティ。
良い名前をあの冷血な神官長はくれたものだ。
研ぎ澄まされた青い果実は、これでもうわたしのもの。何千年も続いてきたこの戦いにもやっと決着がつくかもしれない。
ただ一つ気がかりなのはアテナという名を奪われ、ソフィアという名前を押し付けられたあの少女の存在くらいのもの。
あの子を諭す事が出来るかどうかが勝負の分かれ道だ。
先代は悲しいことになった。あの悲劇を繰り返してはならない。カリスティも、アテナも、このわたしが、人間共の手から守って見せなくては。
――あなたになんて守られなくない。
カリスティ。青き果実。
此処まで来て、どうしてわたしを拒もうとするの?
あなたはもう逃げられない。だって、あなたは既に人を殺しているのよ。殺させたのはわたしだって言いたいでしょうけれど、それは違う。わたしはただあなたの気持ちを解放しているだけだもの。
その結果がこれだもの。
「お願い、わたしの行く手を塞がないで!」
清めの間の端。
固く閉ざされた扉を守ろうと必死に抵抗する全ての人間たちに向かって、あなたは叫んでいる。それでも、逃げない彼らに向かって、泣きながらわたしの与える力を存分に使い切るあなた。
泣いているのにどうしてそんなに愉しそうなの?
この槍の力が人に当たった瞬間、心のどこかでは快感を覚えているのでしょう?
それがあなたなのよ、カリスティ。
あなたはもう引き返せない。アテナの腕に抱かれる事は出来ない。今のあなたを許せるのはわたしだけ。神々も、ユグドラシルもあなたを見捨てる事でしょう。
それでも嘘だと思うのなら、ユグドラシルに会ってみなさい。
会って、今の顔を見せてごらんなさい。
そうして、あなたの心に伝わってくる生母の言葉はどんなものなのか思い知りなさい。
「死にたくなかったら退きなさい」
冷たい声で周囲を圧倒し、扉を破ろうとするあなた。
その言葉は自分のものではなくて悪魔のものだと思っているのかしら。悪魔のわたしに言わされているのだと信じているのかしら。
残念だけれど違うわ。
あなたはあなた自身の感覚で喋っているの。わたしが言わせているのではないわ。わたしがあなたにしてあげたのは、力を与えた事と、抑えられていた感情を解放してあげただけ。そうしてあなたはひたすら「修復」という願いに向かって突き進む。
安心しなさい、カリスティ。
わたしは今のあなたの味方。たった一人の味方よ。
気高き果実として生まれながらこんなにも落ちぶれてしまったあなたを、最後まで尊ぶことが出来るのはわたしだけ。
だから、解き放ちなさい。
怖がらずに、あなたの願いを叶えにいきなさい。
――いやだ。アテナ。助けて、アテナ。
その声だけが虚しく響き、身体の中では全く別の感情が渦巻いている。欲望と怒り。果実という特別な身のために抑え込んできた感情が暴走し、ほんの少しの理性ですら思考の水底へと沈めてしまっている。
――誰か、わたしを止めて。
泣いているのは心の一部だけ。その他の全てはほくそ笑んでいるのがこの尊い果実の子には分からないのだろうか。ああ、分かっていたとしても、この子はきっとわたしを恨んで終わるのだろう。
これは自分ではない。自分は操られているだけなのだと。
「さようなら、英知の天使」
頑丈とは何だっただろう。
これまでどの僕たちも破ることが叶わなかったこの扉。別に、内側と外側では強さが違うのだということではないだろう。ただ、カリスティは、わたしの大事な大事な果実の子は、見事、この呪われた扉を打ち破ってしまったのだった。
「さようなら、英知の人々」
冷たく言い放って外へ出ようとするカリスティを、ガーディアンたちが止めようと飛び込んでいった。命知らず。でも、馬鹿にしてはいけない。彼は彼らで必死だったのだろう。国の終わりを予感して、それぞれに頭を過ぎる者や情景があったのだろう。
けれど、そんなセンチメンタルなお話で、今のカリスティを止められるわけがない。
――いや……。
弱々しい声が少しだけ響いた直後、カリスティの背後にてガーディアンたちが次々と倒れ伏した。カリスティは振り返ってもいない。ただ、感覚が彼女を手助けし、わたしの力をふんだんに使ってしまった。
哀れな人たち。大人しくしていれば、こんな事にはならずに済んだのに。
「あなた達が悪いのよ」
カリスティの口が呟く。
「わたしは忠告したのだもの」
悲しいかもしれないけれど、カリスティ、これがあなたの本音なのよ。




