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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第3部
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4.成長

 翌日の昼間、憂鬱さと不安は晴れないまま。

 空もまるでわたしの心を現しているように雲がかかっている。闇の混じった青色ばかりが世界中に満たされているようだ。

 そんな中庭で、わたしはユグドラシルに縋りつきながら湖を見つめていた。

 わたしの罪の証の場所を。

「カリスティ」

 本当は、呼ばれる前から気付いていた。でも今日もまた、まるで気付いていないかのように反応することが一切出来なかった。

「隣、座ってもいい?」

 アテナだ。

 いいよ、と言いたくても様々な感情がぶつかり合って口すら動かない。

 そうしている内に、アテナは自分から座りだした。しばらく特に何も言わずに共に湖を見つめ、その間が落ち着かなくなる頃になって、アテナの方が口を開く。

「おかしな夢を見たんだ」

 ぽつりと小雨が降るように、彼女は話した。

「パラスみたいに角が生える夢。びっくりして鏡を見たら、耳も馬の耳で、ケンタウロスみたいに馬の身体が生えちゃっているの」

 一角獣。

 その存在感に、思わずアテナを見つめた。

 なんだか奇妙だ。昨日、あんなことがあった頃に、アテナがそんな夢を見るなんて。このまま果実が熟れたらこの人はどうなってしまうのだろう。本当にその夢のように一角獣になってしまうのだろうか。

「……どんな色の角だったの?」

 勇気を出して訊ねてみれば、アテナがやや驚いたようにわたしを見た。

 まるでわたしの声なんて聞けるとは思っていなかったかのよう。

「銀色……だったかな。その湖の光みたいな」

 示された湖の銀色。わたしがいつも見つめているあの銀色。

 裁きの色か、それとも、罪の色か。あの色はかつて嫌いだった。でも今は、どうしようもないほど手が伸びる。いっそ死ぬ気で潜ってみて掴み取ろうかと思うくらいのもの。

 でも、そんなことはしてはいけない。

 わたしが死んだらアテナまで巻き添えになってしまうのだから。

「そっか……」

 結局、そう反応する事しか出来ないまま、わたしは黙りこんでしまった。

 これではいけない。

 そうは思うのだ。でも、あの銀色を見つめていると、勇気の波がぐらぐらと揺れる。わたしが宿すのは英知であって勇気ではない。その上、その英知も怪しいものだ。

 わたしは英知の民の中で最も知恵が足らないものなのではないだろうか。

 過去の罪を振り返れば振り返るだけ、わたしは自分が果実に生まれたこの時代に憂鬱さを感じてしまう。


「カリスティ」

 名を呼ばれ、はっとした。

 アテナが此方を見つめている。その聡明な目が宿すのはどんな感情だろう。怖くて、怖くて、動けなくなってしまう。

 でも、駄目だ。

 これでは駄目なのだ。

 身体が成長し、果実も熟れていく今、次に成長しなくてはならないのは心の方。しっかりと、逃げてはならない事柄に向き合わなくては。

 そんなわたしを導くように風向きは変わり、湖の銀色の光に変化が生じた。

「ねえ、ソフィア」

 その揺らめきを見つめたまま、わたしは沈黙を破った。

 此方を見つめているアテナのことを怖がらずに、足りない勇気を必死に絞りだして梟の目を見つめてみる。

 これ以上、逃げてはいけない。

「わたし、ソフィアに話したいことが――」

 ユグドラシルの枝が揺れ、ざわざわとした音がする。 

 背中を押されるようにある告白をしようとしたその時、急に空気が変わった。

 ばたばたとした物音。足音だ。中庭に走りながら入りこんできたのは、純血の人間ではない野性味あふれる顔つきをしたガーディアンの青年だった。

 その姿を見て、アテナが立ち上がる。顔つきはすでに警戒しきっていた。そんな彼女の前で、ガーディアンの青年は膝をついた。

「ソフィア様、すぐにご準備ください」

 戦いの報せだ。すぐに分かった。

 ここ最近はまだ穏やかなものだったのに、またアテナが駆り出されるような揉め事が起こっている。

「ニンフ様の命令で参りました。侵入者です。臭いによれば鬼族。もしかしたら例の吸血鬼かもしれません。いますぐに私と共にお越しください」

 ニンフ。

 わたしをいつも見守っている美しい人鳥の女性だ。アテナと仲のいい神官長の娘。立派な怪鳥の血を引いていて、その腕は確かだと聞いている。

 彼女まで戦い、アテナまで駆り出される存在。

 吸血鬼と言っただろうか。

 神殿に侵入する者の狙いはだいたい決まっている。大罪と分かっていながら、全てをひっくり返してでも叶えたい欲望のために、黄金の果実を狙っている。

 つまりは、果実を宿すわたしのことを死ねばいいと思っている者の侵入。

 アテナがそっとわたしを振り返り、優しく言った。

「カリスティ。他の皆の言う事を聞くのよ」

「ソフィア……」

 無事で、というべきだろう。しかし、今、確かにわたしは引き留めようとしていた。行かないで、と言いたくなったのだ。

 危険な人物との戦乱。それはわたしを守らなくてはならないアテナの使命であり、宿命でもある。だが、わたしは嫌でも耳にするのだ。戦いで負傷したアテナの姿を。この目で見たことはないけれど、少なくともこれまでの十回以上、アテナの身体は無残なものにされている。

 しかし、それでも、引き留めてはならないのだ。

 もどかしさが顔色に出ているのだろう。一瞬だけアテナはわたしの事を心配そうに見つめてきた。だが、それも長くはなく、すぐさまガーディアンへと視線を戻すと厳しめな口調で言った。

「すぐ行きます。その場所に案内して」

 そうして、あっという間に立ち去ってしまった。


 結局、言えなかった。

 だが、それだけではない。むしろ、それどころではない。

 アテナは今、危険な場所に居る。対するわたしは、危険ではなくとても安全な場所にいることになるだろう。

 でも、不快だった。此処は嫌いな場所だから。

 清めの間。そう呼ばれている。

 神殿の中の、固く閉ざされた扉の向こうに広がる世界。その大部分は地下に広がり、多くの人々に真実を隠すかのように存在する。

 此処ではかつて頭のいい機械人形が作られていたらしい。命ある機械人形。心と魂を持っているのに、寿命は与えられずに壊されるまでずっと動き続けている。

 今ではもう殆ど存在しない。大昔に作られて、運良く動き続けているごく少数の者たちがこの神殿と、都にて、人間として暮らしているらしい。

 それも段々と減っていきつつある今、ここで日々作られているのは、不可思議な姿をした生き物たちだった。

 合成生物。そう呼ばれている。他の国でも作られているらしくて、たとえば、時折中庭のわたしを見つめている一角獣のような女性神官もその一人だ。彼女はアテナの世話係をしているらしい。見るからに美しくて健康そうだけれど、多くの合成生物は身体が弱いものなのだと聞いている。聞かされているのではなく、聞こえてくるのだ。

 清めの儀式の日。

 一糸まとわずヒパティアの指示のもとで聖水に身体を浸してじっとしていなくてはならないその日。

 準備のために待機している中で、時折、怪しげな会話は聞こえてくる。

 わたし達が知らないだけで、この清めの間の奥では今も実験体とされる合成生物がいるらしい。

 頭のいい人形から、頭のいい生き駒へ。

 材料のかかる人形よりも、勝手に成長する生き物のほうがいいのだとか。だから、生き物と生き物のいい部分を上手くくっつけて、神殿を守る優秀な門番を生みだそうとしているのだとか。

 その姿は一角獣に似ているものを目指している。

 頭に一本角の生えた、馬、もしくは狼。時には空を飛べるものをも研究されるのだとか。どれも、此処を守るため、わたしという果実を守るためのこと。

 でも、気になることばかりだ。

 その実験体は――多くの英知の獣人の情報が組み込まれているというその生き物たちには、人としての権利はないのだろうか。

 彼らもまた英知の天使に愛されている者たちではないのだろうか。

 此処に居ると疑問が浮かぶばかり。

 だから、わたしはこの場所が大嫌いだった。

「――それでも、わたしは何も言えない」

 薄暗い青の部屋に一人閉じ込められながら、わたしはぽつりと呟いた。

 部屋の外では魔術師たちが何やら話をしている。

 此処で行われている日常の話か、はたまた、固く閉ざされた扉の向こうで繰り広げられているだろう戦いの話か。

 ――合成生物。

 かつて、言ってしまったことがあるのだ。合成生物なんて可哀そうだなんて。

 しかし、まともに取り合っては貰えなかったし、向けられた目の色を感じて、しまったとさえ思った。

 合成生物が何故作られ始めたのか。それは、機械人形を作る材料が勿体ないから。では、材料が勿体なくなければ、機械人形でよかったのか。

 機械人形だって生きている。壊れてしまえば直す事は出来ても、もう元の人格は戻って来ない。壊された記憶も復元は出来ず、全く違う存在となってしまう。だから、機械人形のガーディアンというものは、時代の流れと共に憐れまれるようになっていった。

 だからといって、命を張る仕事を自然に生まれてくる国民ばかりにやらせるべきなのかどうか。

 果実を守るためには時に命が消費される。

 それは多くの命を守るためには仕方のない事。

 そう、仕方のない事とわたしは言われたのだ。

「――御免なさい」

 誰にも聞こえないこの部屋から、わたしは必死に外へと向けた。

 硬い扉の向こうへ、そしてこの清めの間の地下へ。

「御免なさい」

 頼りない果実で御免なさい。

 不出来な果実で御免なさい。

 せめて、アテナにあのまま話せていたら、少しは強気でいられたのだろうか。しかし、銀色の光が脳裏に浮かぶ度に、わたしは謝罪の言葉ばかりを口にしてしまう。

「御免なさい」

 言えば言うほど落ち着かなくなっていくのが実感できる。


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