表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部
35/54

14.大罪

 清めの間の奥。

 御殿の一部から地下へと潜り込むように造られているその施設は、関わらないような者ならばたとえ神殿に仕える人間であっても詳しくは知らない。

 それは僕も同じだった。週に一度、カリスティ様が此処で具体的に何をされているのか、その奥は一体何処まで広がっているのか、ここで働く魔術師連中やこの場所に配属されたガーディアン連中が何を目撃しているのか、これまで考えたこともなかった。

 これまでは知ることだって規制されていただろう。

 しかし、今回ばかりは違う。

 これまでずっとソフィアの傍に常に寄り添ってきたからだろう。そして何よりも、神官長やヒパティアの許可があったからだろう。

 清めの間に引きこもり、ある種独特な誇りを築いてしまったガーディアンや魔術師連中でも、僕の訪れを拒むことは出来なかったらしい。

 あっさりと名も知らぬ魔術師によってソフィアの元へと案内されながら、悪趣味だが確実に今の世に必要な実験が繰り返されているという部屋を横目に、物々しさをじっと耐えた。

 実験に使われているだろう生体は僕のような者の目に曝されない場所にいるだろう。だが、噂で聞いたことがある。此処での実験は国での健康や平和維持のためのものではない。飽く迄も、神殿と此処で働く者を守るためのものであり、真実を追求する姿勢を真理の国の者たちより学んで以来は、より一層、倫理と言うものが薄くなってしまったのだと。

 この施設の何処かで、大昔は魂を宿した機械人形が作られていた。ある時代までは人間の手伝いをするために重宝され、親しまれてきた。今では信頼の国を除いたほぼすべての国で、昔から現存する個体がただじっと死する時を待つのみだ。

 今ではもう機械人形は作られない。技術者たちの関心は、パラスのような合成生物へと向けられてしまった。それすらも、もう過去の話である。現在、この施設を含む各国では、一から命を作りだす研究が進められているらしい。機械人形でも、合成生物でもなく、人工生物と呼ばれるもの。

 命を作ろうとしているのだ。

 何のために、此処でしているのか。

 人工生命にまつわる著名な研究者の中には、かつて家族が武器として選ばれて神殿に引き取られ、早世してしまったという者がいる。たしか、この国のものではなく、真理の国の研究者だ。かの国の武器は斧。斧の印を得て生まれた妹との別れと、その死の報せは彼を掻きたてた。何故、家族が引き離されなければならないのか。最初から武器も果実も神殿の下で生まれるわけにはいかないのか。

 彼を含んだ研究の果てにあるのは、天使の与えた定めを支配しようという願望でもあるらしい。

 その研究が、此処でも行われている。

 ソフィアのような少女を、さらに管理するためのもの。

 ――此処は嫌だ。

 進めば進むほど結界の強まる空間の中で、僕は確かに不快なものを感じていた。天使の系譜であるカリスティ様や、恐らくソフィアも薄々感じている嫌悪とは少し違うかもしれないが、ここは確かに長居したくはない場所だった。

 居ればいるほど、罪深さを思い知らされる。

 英知の天使が与えたものの理想の姿がこれだなんて思いたくもない。

 しかし、ここで働いている者はきっと、信じているのだ。自分達がしていることは善なのだと。

「こちらですよ」

 やや冷たく魔術師が僕を狭い部屋へと誘導する。

 僕はガーディアン頭、彼は一介の魔術師。身分上、僕の方が位は高いが、彼にとって僕は、頭とは言え、固く閉ざされた扉の向こうにしか配属されないようなガーディアン。もしかしたら此処に配属されているガーディアン連中よりも下に見ているかもしれない。この場所に配属される者たちは、神官、魔術師、ガーディアンという役職を問わず、何処か選民的な思想に囚われやすいのだと聞いているが、確かなようだ。

「ソフィア様です」

 そう言って彼が指差すのは一面ガラス張りの壁だった。

 向こう側でソフィアが立ち尽くし、じっと前を見つめたまま動かない。

「ずっとあのように立ち尽くして、ろくに休まれないのでヒパティア様まで心配なさっています」

 ああ、動かないのは当り前だろう。この世で一番大事なものをあのように吊るされていれば、動く事なんてとても出来ないはずだと僕なら分かる。ずっと、ずっと、あの二人を見守ってきたのだ。少しでも、ちょっとでも心を通わせ合える瞬間があるようにと祈りながら、ずっとずっと。

 それが、どうしてこんなことに。

 それは、気を抜けば泣きだしそうになる光景だった。

 だだっ広く薄暗い不気味な実験室の中にて、独り立ち尽くして一点を見つめるソフィアの前で、カリスティ様は手足を固定され、口も塞がれた状態で吊るされていた。礼服は着せられたままだが、あんな姿、不敬にも程があるだろう。だが、今は特殊な状況なのだ。ああしなければ、カリスティ様は守られない。

「御可哀そうですが、此方としても油断なりません。ちょっとでも隙があればすぐに抜け出して、御自分の立場も忘れて悪魔に自分を差し出そうとなさる。それに、ヒパティア様が厳しく私共に言いつけているのです。エリスを侮ってはならないと」

「エリスか……」

 窓越しに見るカリスティ様の身体には、やはり寄り添うように青い光がべったりとくっついていた。あれがエリスだとしたら、確かに此方としても油断できないほどカリスティ様に密接している。

「奴はどうやって果実に手を出すつもりなんだ?」

「恐らくですが、カリスティ様の抱える内なる願いを叶えさせた上で、あの御身体を支配し、ユグドラシルを枯らさせるのでしょう。その後のことはヒパティア様でも想像できません。聖域が無くなれば私たち人間の世界は終わってしまうのですから……」

 ただ、カリスティ様が此処で監禁されている限りは守られる。

 悪魔の取引というものは、そのしもべが生きている限りは新たに出来ないものなのだと聞いている。新しく僕を作るには、今までの僕を殺させなければならない。

 こうなったら此方と悪魔の根競べになるのだろうか。

「ヒパティア様は他にも危惧されています。悪魔が早々に別の手段に移ることです。都合のいい人物を誘惑し、カリスティ様の命を奪って僕とし、ユグドラシルの元へと向かわせるという手段です」

「……なるほど、そうなったらまずいな」

「一応申しますと、そうならないように、見張りも人を選んだ上で行われています。ソフィア様も悪魔の囁きに負けずにいられたらいいのですが……」

 窓の向こうでカリスティ様ばかりを見守るソフィア。震えているのだろうか。哀れなその姿が目に焼き付いて離れない。

「状況は分かった。そろそろソフィアに会わせてくれないか?」

「此方としては、引き留められるような権限は御座いません。ただ、ソフィア様が話したいかどうかに寄りますが」

 冷たく返され、溜め息が漏れた。

 彼の視線。眼差し。別に僕が人鳥女だからといって見下しているわけではないだろう。だが、これまであまりにもそういう場面が多過ぎた。神官長の妾、人鳥女、ケダモノに過ぎない僕を見つめるあれらの視線の全てが、目の前に居る彼がこちらに向けてくる眼差しによく似ていたのだ。

「――聞き方が悪かったね」

 心を落ち着けつつ、僕は言った。

 ただでさえ今は、胃がきりきりと痛んでいるというのに。

「神官長の言伝を持ってきた、と言えば通してくれるかな」

 その言葉にやっと、魔術師の冷たい眼差しに揺らぎが生まれた。


 運んでいる言葉は、別に「死ね」という直接的で無慈悲なものではない。

 神官長という立場の者は馬鹿には務まらない。キクノスだって他の幹部連中を押しのけてその座に就いたのだ。それも、前任の推薦あってのことだと聞いている。そんな立派な人の娘になれたなんて誇らしいことだと嫌というほど思ってきたし、今だってそうだ。

 キクノスは分かっている。

 あまりにも露骨にソフィアやカリスティ様を見放すような真似をすれば、僕のように英知の国に生まれながら心の無駄を捨て切れずにいる者たちの反感を買うのだと。

 そもそも、大昔とは違って外国生まれの国民だっている。昔とは違って、聖域を越えての移動も少しは安全になった。限られた身分や力を持つ者しか移動できなかった時代は終わり、今やそれなりに金さえあれば気軽に聖域を隔てた他所の国へと行くことができる。

 その結果、英知に住まう人々の間には英知以外の血を引く者が増えたのだ。

 たとえば、パラスだってそう。愛情の国で作られて生まれた彼女は、一滴も英知の民の血を引いていない。パラスに限った話ではなく、一般市民にもそういう者たちはいる。一時の留学に過ぎない者もいれば、すでに永住権を手に入れて英知の国民となった者たちだっている。それぞれに各々の理由があって、母国を離れて英知で暮らすと決めた者たちではあるが、やはり、各天使に愛された者たちの子孫という事実はそう簡単に薄まらない。

 たとえば、信頼の国生まれの国民ならば、神官長が果実と槍をあっさり見放したと知ればすぐに批難するだろう。希望の国生まれの国民も同じだし、愛情の国生まれの国民だってそうだ。

 無駄を嫌って、あまりにも感情を捨てた選択ばかりすれば、むしろ新たな火種を生みかねない。もしかしたらキクノスは、ただそれを恐れているだけなのかもしれない。

 しかし、悩んでいた彼の姿を見た時、僕は別の可能性も考えだした。もしかしたら、キクノスは厳格な立場をとろうとしていながら、心の何処かで引け目を感じているのかもしれない。それが、ソフィアとカリスティ様に対してのものなのかは分からない。ひょっとしたら、娘である僕や、愛情深いパラスを想ってのことかもしれない。でも、どちらにせよ、彼は命令という切羽詰まった行為には至らなかった。

 しかし、それでも。

 それでも、僕はキクノスから受け取った言葉を重たく感じた。今のソフィアに受け取らせるにはあまりにも重たい。その重みの理由はなんとなく分かっていた。

 僕が……僕自身が恐れているのだ。

 単なる槍としてだけではなく、神殿にて生まれ持った役目を必死に果たそうとしてきた十七歳の少女としてのソフィアをすぐ近くで見守ってきた僕が、近づいて来る時代の終わりの予感に怯えているのだ。

 ――運命を司る神々がいるのだとしたら、どうか友を奪わないで欲しい。

 そんな思いをどうしても振り払えずにいるのだ。

 何故、そんなにも悲観的なのか。

 僕は分かっていた。キクノスの言葉を受け取ったソフィアが何を想うのか。そして、最終的にどう判断してしまうのか、気持ちが悪いほどに予想がついたのだ。

「任せる、か……」

 そう繰り返して、ソフィアは力なく笑う。

 場所はカリスティ様の拘束される部屋の中。ここからソフィアを連れ出すことは不可能だった。頑なにソフィアが拒んだのだ。こんな事は一度だってなかった。どんなにカリスティ様が心配でも、呼び出されれば後ろ髪引かれる想いを抱きながらも向かうのがこれまでのソフィアだったのだ。

 しかし、今は違う。状況を考えれば、仕方がないことかもしれない。

 ソフィアは自分を責めていた。どうしてカリスティ様が悪魔に付け込まれたのかを考え、自分がカリスティ様の心にしっかりと寄り添えなかったせいなのだという結論に至り、自分を責め続けていた。

「エリス……」

 ソフィアがその名を呟く。

「あいつが憎い」

 震えながら彼女は唸った。

「見えるのか、奴の姿が」

 その姿に問えば、しっかりと肯いた。

「今まで見えなかったのが不思議なくらいよ」

 疲れてはいてもまだ濁ってはいない梟のような目をカリスティ様へと向け、血の気の引いた顔を上げて表情を歪ませる。僕にはやはり青い光にしかみえない。だが、ソフィアはその視線をしっかりと一つに止め、確かに睨みつけていた。

「ヒパティアの言った通りだわ。姿はまるで天使のよう。けれど、その正体は悪魔。カリスティを騙して、罪人にして、今でもずっと苦しめて、今度は私に罪を唆してくる」

 ――カリスティを救いたいでしょう?

「可哀そうだと思うならこの拘束を解けと、もしくはこのまま果実を奪ってしまえばカリスティを楽に出来るって」

 ぞっとした。

 あの青い煌めきは僕には語りかけてはこない。それはきっと僕が本当の意味で不幸でもなければ、魅力的な力を持った者でもないからだろう。

 だが、あれが沢山の人々を惑わし、罪を作らせているのだとしたら、酷く恐ろしいことだと思えた。そして、そんな者の言葉をずっと向き合っているカリスティ様や、ソフィアが哀れでならない。

「そんなのは嘘だって分かっている。でも、奴は言うの。果実を奪って食べてしまえば、カリスティを永遠に自分のものに出来るって――」

 虚ろなソフィアが怖かった。この短時間で、もう随分とエリスに汚濁されてしまっているのではないかと思わせるソフィアの姿が恐ろしかった。

「いったん此処から出よう、ソフィア」

 そっと提案してみるも、ソフィアの反応はやはり悪いものだった。

 問いかける僕の顔をじっと見つめ、泣き出しそうな顔で答える。

「カリスティから離れたくないの。少しでもあいつと二人きりにさせたくない。だってあの子、ずっと私に助けを求めているのよ。私の本当の名前を呼んで――」

 ――アテナ。

 その名を心の中で呟き、僕はそっと俯いた。

 もう、限界なんだ。

 カリスティ様も、ソフィアも。

 そんな気付きだけが、虚しく心の中に響いていく。

 力も、魔力も、知性も、きっと奴には及ばない。ただ時計の針だけが運命を手繰り寄せているような状況。

 誰もがきっとある種の結末を予感していることだろう。

 そんな状況下で、僕は憎んだ。

 ――エリス。

 その名を持つあの青い光を、ただ憎んだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ