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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部
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8.盗人

 僕は別に鬼族というものを甘く見てはいない。

 この世で出来る限り敵に回してはならない者は何かと問われれば、迷うことなく鬼族の名をあげるだろう。すべての鬼族には可能な限り善良でいて貰いたいくらいだ。けれど、そうではないからこそ、鬼族が相手の時は持っている限りの力を尽くして立ち向かわねばならない。

 ソフィアが奪われそうになっている今、甘くない相手であっても命をかけて飛びこまなくてはならなかった。

 一方、鬼族の女は僕を甘く見ているらしい。彼女の不可思議な目には、僕に関するあらゆることが見通せていると信じているようだ。僕が市場で売られていた多目的用の奴隷にすぎないのだと分かった時から、僕を見る目は雛鳥でも相手にしているようだ。

 それならむしろ好都合。自らの力に溺れ、怪鳥の末裔を甘く見るような連中は、のちのちその力に泣かされる事となる。

 鬼族への恐怖よりもずっと、僕は自分の力を信じていた。単なる自惚れではない。確かに僕の構えた大槍は、動きをわざと鈍らせているらしい鬼族の女の間近まで迫っていた。

 躊躇なんてしない。

 このまま貫いてやる。

 そんな血生臭い闘志と共に僕は槍を突き出した。

 しかし、甘く見ていたのはやっぱり僕の方だったらしい。

 彼女が亡霊のようにそれを避けたのだ。

 いや、あり得ない。もう避けるだけの時間は残されていなかったはず。どんなに身体能力が高かったとても、こんなにぎりぎりまで動かずにいれば普通は突き刺さるはず。いくらか譲っても、槍の何処かにぶつかっていただろう。

 だが、避けられたのだ。その事実は事実として今も目の前に存在する。

 きっと、高かったのは身体能力ではなくて、魔力のほう。単なるその力の量ではなく、それを駆使する能力の高さだろう。

 それでも、やっぱり僕は圧倒されてしまった。

 こんなにも軽やかに戦える魔術師なんて、ぶつかったこともなかったのだから。

「こっちだよ、小鳥ちゃん」

 嘲笑うような声に引っ張られ、僕は透かさず槍を突き出した。

 鬼族の女はその矛先の届かないぎりぎりの場所に立っていた。相変わらず、ソフィアを抱きかかえたままだ。細い腕の何処にそんな力があるのだろう。しかし、何よりも、現れては消える亡霊のようなその力に、僕の内心では早くも怯えが顔を覗かせていた。

 まるでその内情を見抜いたように、鬼族の女は微笑んだ。

「もう少し遊ぶ? それとも、一気に分からせた方がいいのかな?」

 飽く迄も自分が負けるなんて信じていない声だった。

 舐められている。

 そう分かっただけでも、怯えを払うことは出来た。何よりも、ガーディアン頭としてのプライドが許さなかった。ちっぽけではあっても、一応部隊長なのだ。今や、二人の青年という部下までいる。それもこれも神官長――キクノスが僕を信じてくれたからだ。

 これは編愛なんかじゃない。

 僕の力を信じてくれているからこそのことだ。

「怪鳥を舐めると痛い目に遭うよ」

 大槍を構えてそう言うと、鬼族の女はやや眉をひそめた。でも、ソフィアを解放してくれるような気配はない。となれば、躊躇う必要なんて何処にもなかった。

 何のこともない。ただ少し厄介なだけの魔術師が相手なのだと思えばいい。この厄介さに対抗するにはどうしたらいいのか。答えは決まっている。力でねじ伏せるしか僕には出来ないのだ。

 ガーディアンが魔術について学ぶのは、少しでも可能性を見出す目的もあるらしい。

 もしも魔術の才が見いだせたならば、そのまま本格的に魔術を学ばされる。場合によっては、ガーディアンから魔術師に天職となる場合もあるのだとか。

 生憎、僕には才能はなかった。

 学んだ魔術については知識として身についただけで、ほんのひと欠片も使えそうな魔力がなかったのだ。鳥と人との変化。これは魔力ではなく、身体的能力に過ぎない。変化は簡単に出来るのに、魔術の才はさっぱりだった。

 だから、相手が魔術師である場合、僕に出来る戦い方は結局これしかなかった。

 魔術なんて使えなくても、鳥と人との変化について来られる者は少ない。いると思ったところにいないのは当たり前。大地を這うしかない生き物には出来ない戦い方に、多くの者は翻弄されるのだ。

 さて、この鬼族の女はどうだろう。亡霊のように消えたとしても、魔術は魔術。どんな魔術であっても、完璧なものなんてない。本気で相手をしようと思えば、その何処かに弱点はあるはずだ。

 軽やかに見えても、何処かにトリックがあるはずなんだ。

 けれど、どうして。どうして当たらないんだ。

 いつの間にかちゃんとした考えに基づいていたはずの自分の動きが、猛獣が獲物に噛みつくようなものへと変わっている。

 気付いたところで、冷静さを取り戻すには時間がかかりそうだった。

「さすがに純血の人間とは違うね」

 背後で声が聞こえ、慌てて槍を向ける。鬼族の女の姿が見えたと思えば、すぐにまた何処へともなく消えてしまう。その繰り返しで、段々と自分の中で冷静さがかき消されていくのが分かった。

 まずい。どうしたらいいのか分からなくなってきた。

 混乱が混乱を呼んでいる。何処からどう攻めてくるのか考える余裕すらなかった。そうして、ソフィアを救うどころかがむしゃらに身を守るしかなくなっている内に、ついに鬼族の女は大胆に動き始めた。

 きっと僕を殺すつもりだろう。

 翻弄している間に逃げるなんてことはせずに、はっきりとした殺意をもって僕の身体を狙い始めた。分かりやすい武器なんて一つもない。彼女が持っているのは己のちっぽけな牙と、あとは全て魔力なのだろう。

 戦ってみて良く分かった。

 やっぱり僕はこういう相手に弱いのだ。

「そろそろ終わりにしよう」

 冷たい声が響き、何処に居るかも掴めない中で非常に大きな力が溜められているのが肌で感じ取れた。僕が着せられている鎧には魔術への抵抗力が秘められてはいるが、あれほどまでに大きな力は弾けないだろう。

 ――まずい。

 本能に従って空を飛ぶのが先か、その魔術が放たれるのが先か。

 別の動きが起こったのは、そんな切羽詰まった時のことだった。

 どんという鈍い音とともに、あれほどまでに溜められていた魔力が一気に弾けて泡のように空気中に溶けていく。何が起こったのかと視線を泳がせ、やっとこの目に留まったのは地面に放り出されたソフィアの姿だった。

「ソフィア!」

 鬼族の女の手を離れたのだ。

 でも、どうして。

 解放されたソフィアの傍にすぐに駆け寄り、ふと辺りを見渡してみれば、その理由がようやく分かった。

 鬼族の女に果敢に挑みかかっている者がいる。いつの間に、いつから、此処に辿り着いたのかは分からない。ただ、音もなく非常に恵まれたスピードで、彼は鬼族の女の白っぽい手に噛みつこうとしていたのだ。

 黒みがかった茶色の猟犬。

 スキロスだ。

 全力で走っていた勢いそのままに、こちらまで突っ込んできたのだろう。彼が追いつけるまでに足止め出来たということだ。よかった。でも、彼にばかり任せているわけにはいかない。いくら人犬だからといっても、相手は鬼族なのだ。部隊長として、部下にばかり頼っているわけにはいかない。

 ソフィアを安全な場所まで運んで、僕はすぐに大槍を構え直して揉み合う両者の元へと突っ込んだ。不届き者をこれ以上野放しには出来ない。場合によっては、その胴を命ごと貫いてしまわなくては。

 恐怖心を覆い隠すように、そんな使命感が溢れだした。


 こちらは二人、相手は一人。

 それも、ただの人間二人ではない。みっちりと訓練を積んだ人鳥と人犬だ。そのうち、僕はどう足掻いても女ではあるが、それはあまり関係ない。相手だって女だ。しかし、鬼族であるか、そうでないかということは、性差どころではない壁を産むらしい。

 僕も、スキロスもほぼ無心だった。

 ただ、相手の息の根を止めたいという一心で命を狙う。

 あわよくば捕えてしまおうなどと、戦えば戦うほど思えなくなってしまった。そのくらい、戦いは長引いていた。

 けれど、僕は思うのだ。この争い、長引けば長引くだけこちらが有利にはならないのだろうかと。鬼族というものは頭の良さと恵まれた魔力が特徴的ではあるけれど、獣人を凌駕するほどのスタミナがあるなんて聞いたことはない。

 持久力では此方の方が上と考えてもいいだろう。その上、僕達二人が相手ではあまり体力を使わずに戦うなんて不可能のようだ。

 持久戦ならば、勝機はある。

 僕達はただ、この鬼族の女の攻撃を避けるだけでいいのだ。

 そうしている内に、いつの間にか横たわるソフィアの傍にはカロが辿り着いていた。己の力量を正しく理解してか、大人しくソフィアを守る役目に徹してくれていた。

 やがて、長引く戦いの最中で、カロの声が聞こえた気がしたのだ。

「ソフィア様……」

 震えるような、涙目のような声だ。

 ――ソフィア。

 目覚めたのか。

 確認する余裕はなかった。ただ、カロが一緒についているというだけで

「御怪我は……?」

 ああ、やっぱり目覚めたのだ。

 そんな彼らの様子に気付いて、鬼族の女が気をとられる。今の彼女の目的はソフィアだ。どういうつもりか、こだわる理由があるのかは分からないが、この際、この狂った女に何を言ったって無駄だろう。

 そちらに向かおうとする鬼族を怒号と槍で牽制すると、鬼族という重たい名を背負った静かな殺気が此方に向いた気がした。

 鬼族の女も、僕も、スキロスも、立ち止まったまま睨み合っていた。

 随分と長い間揉み合った気がする。鬼族の女もさすがに疲れてはきているらしい。だが、僕とスキロスも同じだ。

 僕の横で、スキロスは半人半犬の姿で唸るように息をしている。半分は人だが、殆ど猛獣のようだ。他人の事は言えない。僕もまた半人半鳥のおぞましい姿で相手の肉を引き裂くことばかりを考えているのだから。

 しかし、こんな僕達を前に、鬼族の女はくすりと笑った。

 まだ嗤う余裕があるというのか。

 化け物め。

 飛び掛かる僕の槍も、そしてスキロスの攻撃も、鬼族の女は軽やかにかわす。やっぱり鈍くはなっている。僕達の攻撃を簡単に避けるというのは難しくなってきているらしい。

 では、何故、僕達を馬鹿にしたような笑みを見せられるのか。

「ソフィア様っ――」

 そんな時、カロの悲鳴染みた叫びが聞こえたのだ。

「駄目です。今は彼らに任せて」

「いいえ、もう大丈夫。私も戦わなきゃ」

 そんな二人の会話が耳に届いた。

 何を言っている。あれほどまでに血を吸われ、一度は死んでいたのだ。ソフィアが無理をすることはない。此処に連れて来たのだって、僕の判断ミスとキクノスに叱られても仕方がないだろう。

「ソフィア! 無理すんな!」

 吠えるようにそう言って、僕はなおさら鬼族への攻撃を強めた。

 ソフィアが無理をすることはないんだ。彼女はカリスティ様のためのもの。カリスティ様のためだけの武器。こんな鬼女相手にその力を借りるまでもない。

「こいつは僕に任せろ!」

 大槍を振り回してどうにかそう言い聞かせ、僕は鬼族の女を追い詰めていった。

 やっぱり、動きが鈍ってきている。持久戦は得意ではないのだ。相変わらず亡霊のように避けるけれど、諦めずに執念で追い続ければいい。更に、こちらにはスキロスがいる。僕よりも敏感なその鼻が彼の動きを引っ張る。その様子を見れば、次に敵が何処に出てくるのかだいたい把握できた。

「なるほど、匂いか」

 だが、そんな冷たい声が響いた直後、生温かい突風が僕とスキロスを襲った。その強さに身体が一瞬怯んだその隙に、隣でスキロスの身体が突き飛ばされるのを感じた。

「スキロスっ!」

 地面に倒された彼を、鬼族の女は強い視線で見つめる。

 魔力を溜めているのだ。大技が来る。一気にぶつけて、鼻のいいスキロスの命を奪うつもりかもしれない。

 ――そうはさせるか!

 怒りと警戒心。憤怒。闘志が湧き起こっては爆発し、言葉にならない怒声が口から出ていく。その声に引っ張られながら力任せに大槍を突き出す。

 鬼族の女はそれを瞬時に避けたものの、仕返しをして来るような余裕は見せなかった。そんなこと出来ないのだ。彼女は動けない。僕の動きについていく力を失っている。

 勝利は、僕のものだ。

 その確信が、勝機をつくる。大槍がついに鬼族の女の身体にぶつかり、地面に倒してくれたのだ。透かさずその先端を胸元に突きつければ、異様なくらい荒々しい衝動が僕の身体を駆け廻った。

 殺してやる。殺してやりたい。

 そんなおぞましい感情をどうにか封じ込めて、僕は言った。

「遺言があるなら聞こうか」

 しかし、鬼族の女は全く動じない。動じていないというよりも、上の空といった様子だ。狂っているせいなのか、違う意図があるのかは分からない。どちらにせよ、危険人物に変わりない彼女に与える未来は一つだけだ。

「随分と物騒ね。私の心は何も口にしなくても、すぐに君にも分かると思うよ。小鳥さん、殺すのなら殺しなさい。君の力で私を殺せるのなら」

 なるほど。怖くはないらしい。ならば、躊躇いはいらない。

 取りつかれたように大槍を突き出して、僕は女の命を奪った――はずだったのだ。


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