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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部
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6.不審者

 その臭気に気付いたのは、僕とスキロスが最初だった。

 次いで、パラスが耳をぴんと立てて異様な雰囲気にきょろきょろしだす。カロはそんな僕達の様子に気づいて、訝しげに声をひそめた。

「どうしたんです、皆さん?」

 純血の人間だからこそ鈍いのは仕方ない。

 しかし、まだ年齢も幼いくせに状況を判断してかすぐに慎重な態度に切り替わることが出来たのは、さすがと言ってもいいだろう。

 その問いに答える前に、僕は臭気を探った。

 嗅覚は僕の取り柄の一つでもある。人鳥の多くは目に頼るから嗅覚は、ただの人間と同等かそれ以下しかないらしいけれど、僕は違った。親兄弟がどうだとかは全く知らないけれど、僕の鼻は少なくとも此処に居る人犬のスキロスの次には鋭いはずだ。

 そんな僕の鼻が嗅ぎつけたのは、異様な雰囲気をまとった臭気だった。日頃、神殿にいるものの臭いではない。不吉な力と心を宿しながら、奴は少しずつ神殿の奥へと入り込んできている。

「侵入者のようだ」

 カロにそっと答えつつ、傍に立て掛けていた大槍を手に取ると、僕は声をひそめてパラスに向かって言った。

「パラス。君は部屋に戻っていた方がいい。巻き込まれないように」

 不安げな横顔が僕を見つめている。耳を再び倒し、怒っているような不安そうな心をやや僕の方に傾ける。

「気をつけてね、お姉」

 そう言ってそそくさと離れていく。

 去っていく蹄鉄の音と、ひそめられた声に宿った家族愛のようなものを感じながら、僕は真横に居る二人の部下に言った。

「スキロス、君はソフィアを呼んで」

「――ソフィア様を?」

 スキロスではなくカロの方が訊ねてきた。

 僕は頷き、臭気を掴んだまま手短に話した。

「カリスティ様のことは他に見張っているガーディアンや主治医の魔術師長がどうにかしてくれる。こういう時、ソフィアは戦わないと心が弱ってしまうって言っていた。スキロス、嗅覚でソフィアを誘導して欲しい。――出来るか?」

「ええ、勿論」

 訊ねてみれば、すぐさま返答はあった。しかし、やや不愉快のようだ。珍しく、その感情が薄っすらと表情に出ている。

 嗅覚に関する疑問は人犬にとってプライドに触ることだと聞いていたが、どうやら本当らしい。肝に銘じておこう。

「じゃあ頼んだ。カロ、君は一緒に来て」

 スキロスを残して走り出せば、カロはまだ納得しきれていないようだがとりあえずついては来た。いちいち説明せねば動けないようでは、ガーディアンは務まらない。そう思っているのだろう。僕も十代の頃はそう思っていたものだった。いや、そうではなく、深刻なほど疑問に思うことも少なかったためだろう。

 今はどうだろうか。この神殿の頂点である神官長キクノスの御意向に、僕は素直に沿えているだろうか。

「ニンフ様、侵入者と言うのは?」

 声を潜めながらカロは訊ねてくる。

 不安な様子がこちらにも伝わってきた。これまで訓練は飽きるほど積んだだろうけれど、実戦などひょっとしたら初めてなのかもしれない。そのくらい、ここ最近はまだ穏やかなものだった。

 臭気を辿りながら進み、僕は真面目なこの青年に答えるべく探りを入れる。そうしながら進んで、ある地点に達した時、僕はある事に気付いた。

「似ている」

 思わず呟いた。

 そのくらいの気付きだった。

 似ていたのだ。この臭気が。ソフィアに頼まれて都に飛んだ時のものに。遥か上空にすらただよってくる負の臭い。都では何の騒ぎがあっただろう。

 そう、吸血鬼。

「吸血鬼……鬼族きぞくかもしれない……」

「鬼族――」

 カロが目を丸くした。

「怯むな、カロ」

「でも、鬼族って、あの鬼族ですよね?」

 鬼族。その厄介さと脅威は純血の人間の方が強く感じるところだろう。始祖である怪鳥の血を信じる僕だって、やっぱり鬼族が相手だと恐ろしかった。どうして奴らは聖域を越えられてしまうのだろう。そのぎりぎりの境界の在り方にすら不満を抱いてしまうほど、鬼族は怖かった。

 かつてこの神殿に仕えるガーディアンの中にも鬼族がいた時代があったらしい。その時は本当に頼りになったのだという記録が残っている。しまいには、鬼族がいるというだけで侵入を諦める者もいたらしい。

 しかし、今は違う。鬼族自体が少ない世の中で、いるのはせいぜい獣人くらいのもの。魔族なんてその八割程度が獣人だ。

 鬼族にとって僕なんて脅威でもなんでもないだろう。何故なら彼らは聖域を越えた向こうで飛びまわる本物の怪鳥すらも物ともせず戦えるというのだから。

 しかし、だから何だと言うのだろう。怯えてばかりで逃走してしまえばガーディアン失格だ。僕がするべきことはせめてもの足止め。その間にカリスティ様が安全な場所に隠されてしまえばそれでいい。

「何も戦って勝てというわけじゃないんだ。身を守りつつ、邪魔が出来ればいい。心配なら僕に任せて大声で人を呼ぶといい」

「ぼ、僕だって戦いますよ!」

 軽くからかってやると面白いくらいに反応があった。

 ガーディアンだから当然だろう。しかし、戦うだけがガーディアンの仕事ではない。各々の能力に応じて役割を分担するのも大事なことだ。

 だがわざわざ口うるさく言わなくても、今に分かることだろう。

「こっちだ。来い」

 臭いの元が強くなる場所へと、僕はカロを連れて近づいた。

 ――はずだったのだが。


 僕はこれまでガーディアンという職業に就くための訓練は嫌というほど行ってきた。

 それは幼い頃の僕を見て、キクノスがそちらの方が向いているだろうと判断したためだ。僕自身、その判断が正しいと思ったからこそ、身体を鍛えることに専念し、勉学もそれに関する事ばかりに傾倒してきた。

 だが、実戦を積んでいくうちに、それ以外の知識も大事なのだと知った。

 たとえば、魔術。

 力と力でぶつかり合うだけならば必要ないことだけれど、相手は魔術を使えるものも多数いる。魔術と一口に言ってもその流派も種類も恐ろしく多く存在し、年々増え続けているとさえ聞く。だから、いくら学ぼうとしてもなかなか追いつけなかった。

 それでも、僕はこの魔術を知っていた。

 有名だが殆ど使えない魔術というものは数少ないながらも、この神殿にも使える者が居て、知っていた。知っていたけれど、知っているだけでは意味がなかった。知っていたとしても、気付かなくては意味が無いのだ。

 臭気の根源の場所。非戦闘員である下っ端の神官たちが住み込む宿舎のすぐ傍。

 そこに辿り着いた時に、待ち受けていたのは確かに一人の女だった。

 恐ろしく美しく、虹色の目を輝かせている。異国――愛情の民の類だろうかという疑問は虚しい。相手は鬼族。ただの国民の価値観に当てはめるような相手ではない。

「立ち去れ、侵入者め!」

 槍を構えて牽制すると、女はふっと笑みを浮かべた。

 武器らしきものは持っていない。けれど、油断出来るわけもなかった。遅れ1て到着したカロは数歩後ろで剣を構えている。動揺しているのが振り返らなくても分かった。相手は女とは言え、相手の異様さをしっかりと感じ取り、怯えているのだろう。

 僕がなんとかしないと。

「カロ、人を呼べ!」

 そう叫んで僕は鬼族の女に飛び掛かった。

 カロがなんと返事をしたかも分からない。僕に見えるのは大した動きも見せずにこちらを見つめている鬼族の女の表情だけ。まるで煽るように、僕を静かに見つめている。立ち去る気なんて何処にもないのだろう。

 ――鬼族だからって人鳥を馬鹿にしやがって。

 その表情。仄かに笑うようなその目に見事煽られたのだろう。それでも、僕の勢いは止まらなかった。この槍を異様なほど美しいその姿にぶち込まなければ気が済まない。それだけ血を滾らせた怪鳥は恐ろしいのだ。

 だが、相手は飽く迄も鬼族だった。

 僕の向けた槍がその腹を貫くよりも先に、鬼族の姿は幽霊のようにすっと消えてしまった。驚いた僕の傍で含み笑いが聞こえる。

「そこか!」

 この時点でもはや冷静さなんて保てなかった。

 ただの人間が相手ならば、或いは、ただの獣人が相手ならば、あの一撃で貫いていたか、さもなくとも避けた先の姿ははっきりと捉えられていただろう。それなのに、僕の目にはまだ鬼族の女の姿は見えなかったのだ。

 ――なんなんだ、こいつ……。

 ただ、その目的だけがぐるぐると頭の中を駆け巡る。

 きっとカリスティ様を狙ってのことだろう。英知の国を危機に陥れてでも、カリスティ様に秘められた黄金の果実を欲しているのだろう。

 その理由、背景なんてどうでもいい。

 我が神殿を侵す者は、敵だ。敵でしかないのだ。

 目に頼らず、臭いにも頼らず、僕はただ侵入者の気配を探った。惑わすように現れては消える。その奇妙な存在感に翻弄されながら集中していくにつれ、僕はふとある事に気付いたのだ。

 おかしい。

 動きが生き物らしくない。

 鬼族はたしかに聖域の中で頂点に君臨する魔力の持ち主だ。けれど、生き物は生き物。いくら魔術に長けているからと言って、ここまで亡霊のように動くことが出来るのだろうか。聖域の外にいる魔物だってもっと生き物らしく動くものなのだと聞いているのに。

 そんな疑問が頭を過ぎった直後、僕はやっと《それ》に気付いた。

 神官たちの宿舎のそばには月桂樹が植えてある。宿舎に住まう神官たちが大切にしている若木だと聞いたことがある。手入れは丁寧だが、特になにかを装飾するわけでもなし、あるがままの姿で美しさを保たれていた。

 そんな月桂樹の一つに、ゆらりと風に揺らされるものがあったのだ。

 何の変哲もない、布紐。黄色でよく目立つが、何故かさりげなくその場に溶け込んでいた。それでも、そのゆらゆら揺れる紐を見つめている内に、僕はようやくその事態に気付けたのだ。

「そんな……まさか――」

「どうしたんです、ニンフ様?」

 カロの問いに答えてやることも出来ないまま、僕は槍を抱えたまま月桂樹に飛び込み、その黄色の紐を毟り取った。その途端、あれほどまでに僕を牽制していた鬼女の気配が恐ろしいくらい呆気なく消えてしまったのだ。

「えっ?」

 カロが驚いて周囲を見渡す。

 僕もまたこの異様な魔力を含んだ紐を握りしめたまま、茫然としてしまった。一分一秒が大事だと言うのに、この場所に忍びこんだ鬼族の魔力を目の当たりにして、少しでも畏れ慄いてしまったのだ。

「――魔術だ」

 茫然と呟く僕を、カロが困惑気味に見つめてきた。


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