5.宝物
スキロスとカロが部下となって数日経った。
もはや僕の夜間の見回りには何も言わない。キクノスにも大して咎められたりしなかったのだろう。その代わり、僕の方は軽く諌められた。あまり若い二人を困らせてはいけないと御小言を貰ってしまったのだ。
それでも、禁じられていない限り、僕は毎夕のように都へと飛んだ。
僕が居ない間、馬鹿真面目なスキロスはカリスティ様の見張りをしているらしい。きっと、僕がそうするようにと口を滑らせたからだろう。適当にその場をしのぐために言ったことなのに。いや、そうだと分かっていても、スキロスはそれを守るのだろう。理由は上司の命令だから。それが人犬というものだ。
カロの方はそれに付き添ったり、付き添わなかったりと様々であるらしい。付き添わないからと言ってただ暇を潰しているわけではなく、大抵は訓練所にいるらしい。
部下となったあの日、展望台までの道のりを置いてきぼりにされたことがそれだけ悔しかったそうだ。ガーディアンとなったからには、獣人と同等に動けなければと彼なりに思ったのだろう。
――どいつもこいつも真面目だな。
僕はつくづくそう思いながら今日も中庭を見つめていた。
ソフィアもよく訓練所に居るらしい。
カリスティ様の傍にいない時は大抵身体を鍛えている。壊されては再生するあの身体は、常に動かしていないとすぐに鈍ってしまうらしい。それだけではなく、不可思議な槍を獲りだすあの能力も、何度も練習しなければ怖いのだと彼女は言っていた。
いくら不死だからといっても、それで恐怖が薄れるわけではない。痛みもあるし、意識を失うときだってあるのだから。
それに、ソフィアには生まれながらの使命がある。カリスティ様をお守りすることは、ともすれば自分の存在よりも大事なことだと思っているのかもしれない。
そのくらい、ソフィアはカリスティ様のことばかり考えているようだった。
「ソフィア様がいらっしゃる時は、僕達のような下っ端もなかなかあがれないんですよ」
そう言うのはカロ。
共に中庭を見つめながら、呟くような声で僕とスキロスに向かって笑いかける。
「何しろ、槍の御方と言っても僕達よりも年下とか同い年とかそのくらい。それも女の子ですよ? 彼女がぎりぎりまで頑張るのなら、僕達だって頑張らなきゃってなって、結局予定していた以上に動いちゃうんですよ」
スキロスは相変わらず黙ったままだ。でも、彼も似たようなものだ。カロと同じくまだ若くて幼い。直向きなのはとてもいいが、もう少し力を抜いたっていい。
「ほどほどにしなよ。ソフィアに付き合おうってのが無茶ってもんだからさ」
何しろ、破壊されては再生する身体だ。
それだけじゃない。ソフィアは無理をし過ぎるところがある。だが、無茶をすることが訓練になると勘違いしているというわけでもなさそうだ。まるで恐怖を払うように彼女は動き続けている。溜めこんだストレスのせいなのか、それがなくとも、槍として生まれた宿命なのか、ソフィアは何度訓練を重ねても安心出来ずにいるらしい。
それでも、いつかは飽きてカリスティ様の元へ来る。
今もそんなひと時だった。
中庭にはカリスティ様の隣に座っているソフィアが何かを話している。カリスティ様は相変わらずだ。湖を見つめたまま、何を考えているのか全く分からない。
どうしてだろう。
カリスティ様は僕から見て、ソフィアのことが嫌いなわけじゃないとよく分かる。同じような事はソフィアの世話係をしているパラスも言っていた。
彼女――パラスとはよく雑談をする。
喋るのは他愛もないことだが、最近はどうしてもソフィアとカリスティ様の話になってしまう。二人がそれぞれ落ち込んでいると、僕達も落ち込んでしまう。特に、ソフィアの身の回りの世話をし、寝食も共にしているパラスはその傾向が強い。
パラスはキクノスが購入した一角獣種だ。
片や市場という劣悪な場所で売られ、片や選ばれた者しか参加できないような競り市に厳重に守られながら出品されて、と、境遇もその価値も恐らく全く違うだろうけれど、パラスとは話が合った。
パラスを競り落としたのは都に住まう富豪だ。あまり人前には姿を出さず、その競りにも予め入札金額の上限を伝えられた使いの者が参加したらしい。噂に寄ればその主人は人馬であり、家系図を辿ればある地点に伝説の槍ミラの名前が現れるのだとか。
真相はともかく、競り落とした富豪はパラスを格安でキクノスに譲った。信仰心がそうさせたのだと聞いたが、格安といっても高額だった。それで、提示された価格とキクノスは何日も睨めっこしていたわけだ。
僕はそんな彼を何とも言えない虚無と共に見つめていた。
片や誰からも愛されるべくして生み出された者。片や一時の金儲けのためだけに生み出された者。
同じ買われるにしても、この違いはなんだろう。
考えればきりが無い。その時の僕とは比べ物にならないくらいの嫉妬と絶望を、きっと市場で同じように売られていた人鳥達は抱いただろう。そう、あの場には僕だけが売られていたわけではなかった。複数に売られる人鳥たちの中から、キクノスは僕を選んだのだ。
物言わぬ視線のみに背中を刺されたような感覚。あの時にそんな視線を送ってきた同胞たちのどのくらいが今も生きているのだろう。
きっとほぼ全ては生きていない。
でも、彼らとは違う。僕は選ばれたんだ。
そう割り切って、後は有耶無耶にしてしまう。その方が楽だった。そうしないと辛かった。そうしても苦しさは消えなかった。だからこそ僕も、修行に打ち込んだ。とにかく強くならねば。引き取られた以上、その金以上の働きをしなければ。そう思い続けて、僕はとにかく身体を鍛えたのだ。
ソフィアも同じなのだろうか。
彼女は本当の意味で選ばれた者だ。天の何処からか見守っている神々が、英知の国に生まれた数多の命から掬いあげて印をつけた。左胸に秘められたその印を目にした事は殆どない。だが、一度だけあった。闖入者と戦ったソフィアが身体を半壊させてしまい、破かれた服の下で見る見るうちに再生していく様を目の当たりにした時だ。
――英知の印。
鋭い槍にも見える尖った印。仄かに蒼く光りながらソフィアの復活を手伝っていた。それを目の当たりにした時、僕は思ったのだ。
この人は違う。課せられているものが、背負わされているものが、あまりにも大き過ぎる。
それは、カリスティ様が卵より孵ったその時を運良く立ち会えた頃の感覚にも似ていた。
同じく立ち会った者の中には、その光景に心を奪われる者も当然いた。しかし、幼くも僕はあの時気付いてしまった。
幹部の一部や時の神官長は違ったのだ。
サファイアのように輝く美しい卵からカリスティ様が現れ、迷いなく幼き日のソフィアに歩み寄った時、そして、その光景を見つめてソフィアが自ずと手を差し伸べた時。あまりにも美しいその光景にも関わらず、僕はその感動に浸れなかった。
気付いていたのだ。神官長の無表情に。そして、当時幹部であった養父の何処か冷え冷えとした眼差しに。その理由は時を経るごとに分かってきた。
選ばれるということはそれだけ重たいのだ。その重たさに耐えられる心身を、神々も天使も与え損ねてしまっている。きっと生き物じゃないから分からなかったのだろう。
果実も、槍も、生きている。だからこそ心を壊してしまうことがある。
――ソフィア。君は大丈夫なのかな。
スキロスとカロに悟られぬよう、僕はそっと中庭の聖女に想いを寄せた。
「ソフィア様は最近さらに自信をなくしているみたいなの」
やや雲が覆う昼間。晴れているのに何処か薄暗いその空の下。ユグドラシルの根元で寄り添い座るソフィアとカリスティ様は相変わらず沈黙が多いようだった。
そんな二人の様子を見ているのは僕と、カロと、スキロス。しかし、つい先ほどそこに新顔が加わっていた。
「私がどんなに慰めても無駄ね。この角に願っても、本物の一角獣のような力はちっとも生まれたりしないわ」
そう言って憂鬱そうに耳を倒すのは、パラス。
「お姉は、どう思う?」
血はつながっていないが、一応は僕の妹ということになるらしい。だから、こうして会う時は神殿における上下なんてあってないようなものだ。キクノスが聞いたらきっと怒られるのだろうけれど。
それに、スキロスとカロの前であるのだが、まあいいだろう。どうせ二人とも緊張気味だ。なんたってパラスに付けられた価値は本来ならば国民の九割以上が手を出せないもの。その上、容姿だってこの国ではなかなかお目に描かれない愛と美を約束された愛情の民の血を引くものなのだから。
そんなパラスの存在にすっかり慣れてしまっている僕だけが、この場で彼女の相手を出来る存在だった。
「そんなことないって思うよ。君がいなかったらソフィアの心はとっくに折れていたかもしれない」
安い言葉で慰めたところで、パラスの馬の耳はちっとも動かない。時折、神官服の下で床を掻いているらしい蹄の音が微かに聞こえる。蹄鉄の音が前会った時と違うなというような事を考えていると、パラスはやっと口を開いた。
「どうせなら、本物の一角獣になりたかったな」
珍しく後ろ向きに思えるその言葉に心配してしまった。しかし、パラスはすぐに自ら目を細め、幼い子供が夢を語るように僕に向かって言った。
「本物ならさ、ソフィア様を解放できるでしょう? 奇跡でも何でも起こして、カリスティ様と少しでも心を通わせられるようにお手伝い出来るはずよ。そんな一角獣、なってみたいなあ。こんな飾りじゃなくて、奇跡を起こせる角が欲しいわ」
今日も明るく振る舞おうとしていただけのようだ。
パラスは一生懸命らしい。神官長室付きを解任され、槍の世話係に飛ばされた時、パラスはただ微笑んだまま「かしこまりました、お父様」とだけキクノスに言った。でも、その内心ではきっと泣いていたのだろう。その時は僕も気付かなかったけれど、今ならパラスの心は分かってしまう。明るく振る舞っていても、軽い言葉で場を和ませようとしても、本当は色々なものを抱えている。
大金で買われた彼女だって不安なのだ。槍の世話係として、非常に長い時間を向き合う彼女にとって、ソフィアは全てなのかもしれない。そのくらい、パラスは世話係という役目に入れこんでいる。ソフィアの記憶の片隅にある今までのどの世話係とも勝手に競い、自分の価値を示そうとしているのだ。
僕と一緒だ。
「君は今のままで十分だよ。十分、ソフィアの役に立てているさ」
こんな言葉ではパラスの心は満たされないだろう。
彼女が本当に安心出来る時は、きっとソフィアとカリスティ様が真に心を通わせ、ソフィアの抱える心の負担が大幅に軽減された時だろう。
分かり切ってはいたけれど、それでも僕は慰めずにはいられなかった。
そのくらい、馬の耳を倒し、憂鬱そうなパラスの姿は悲惨だった。
この系統の美しい顔は、笑っていてこそ価値がある。それでも無理に笑わせるのは酷でしかないだろう。たまには暗い顔をさせたっていい。だってパラスは人形じゃない。命を宿してこの世に生み出された、生き物であるのだから。
それは英知の国の宝物とされるあの二人だって同じ。
ソフィアとカリスティ様。二人が真に心を通わせられるのはいつなのか。見守り続け、僕はその未来を待ち焦がれていた。




