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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第2部
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3.部下

「ニンフ様、こんな所にいらしたのですか」

 困惑気味な様子が振り返らずとも伝わってきた。

 神官長室を逃げるように去ってから数時間。何事もないまま訓練にすら行かずに、ぼんやりと中庭を眺め続ける僕の元に、彼らはようやく訪れた。

 名前はスキロスとカロ、だっただろうか。

 人犬がスキロスでただの人間がカロ。

 どちらが喋ったのかを振り返って確かめる気にもならず、僕はただ中庭で一人きりで湖を眺めているカリスティ様のみを見つめ続けた。

「御捜ししました。てっきり訓練所にいるのかと――」

 若々しいその声に苦笑が含まれ、僕はようやく振り返った。

 どうやら喋っていたのはカロの方らしい。

「他の部隊が占領しているからね。とある部隊長のガーディアン頭がさ、鳥アレルギーだから昼間は来るなって言うんだもの」

「訓練所には他の人鳥の方もおりましたが……」

 馬鹿真面目に捉えるカロを前に、僕はもう一度中庭の方へと向き直った。

 嫌がらせは今に始まった事じゃない。女だから、人鳥だから、それだけじゃない。もともとは市場で売られていた食用鳥のくせに、神官長にたまたま拾われて養女になったという経歴が嫌われるのだ。

 ニンフという名前に何がこめられているのだろう。

 精霊や妖精という意味と信じているが、僕を毛嫌いする連中の言うように、もしもキクノスが少しでも下心があって僕を金で買ったのだとしたら。

 ……だとしたら、どうだろう。そうだとしても、僕は恵まれている。この世に多々いる愛玩用の人鳥と何ら変わりない。きっと実の両親はもういないだろう。繁殖に回された人鳥だって、役に立たなくなれば殺されるだけだ。僕だってそうなるはずだった。羽根は装飾として毟られ、肉は食用として速やかに消費される。

 人鳥だって人間の血を引いているはずなのだ。聖域を越えられる者は守られるべきはずなのに、世の中はまだまだ純血の人間以外に厳しい。特に僕のような人鳥には。

「何にせよ、カリスティ様を見守られるのなら、我々も同席させていただきます」

 今度は違う声だ。スキロスだろう。彼が深く問い詰めてこないのは、きっと人犬だからだ。人鳥と比べてまだ恵まれている種族だが、獣人は獣人。彼もまた人犬として生まれて辛かったことの一つや二つがあるのだろう。純血の人間と同等かそれ以上に恵まれている獣人なんて人馬くらいのものなのだから。

 そんな僕達の雰囲気を察してか、カロもまたそれ以上深くは追求してこなかった。

 純血の人間にしては気が利いている。

 僕の傍に立ち、僕と同じように中庭を見下ろして、二人はそのまま茫然と美しい中庭の光景に目を奪われていった。

 輝く日光。湖の揺らめき。黄緑色の絵具でも垂らしたような陸地。壮大で僕のはるか頭上まで伸び続けるユグドラシル。そしてその根元に寝そべる天使のようなカリスティ様。

 聖域を守るためだけに生まれた彼女。

 今もその心臓には魅惑の果実が宿されている。

 この神殿にいる者だって、いつどんな理由であの果実を欲するかは分からない。悪魔は常に人々の心に寄り添い、悪事を唆すのだから。

 僕だっていつそうなるかなんて分からない。ただ、ソフィアへの同情と親愛がある限り、悪魔の言葉なんて届きはしないだろう。

「美しいですね……まるで絵画のようです」

 カロがうっとりとした様子でそう言った。

 可愛げのある青年だ。まだ子供っ気も抜けていないのだろう。スキロスの方は黙ったまま見つめているが、その姿も何処か幼さが残ったままだ。

 ガーディアンとなる訓練は相当幼い頃にするものだ。貧しいものや孤児も多いが、そういう者の多くは片田舎に配属される。神殿に配属される者は身元のはっきりした者や、そういった者の懇意がある者ばかりである。さて、この二人はどうだろう。

「実際に絵画になることもあるみたいだしね。都の美術館なんかに飾られていたりしてさ」

「異国の画家の作品ですね。カリスティ様をモデルにした作品はあるのでしょうか?」

 カロに問われ、僕は考え込んだ。

 美術館という場所に行ったことがないわけではない。非番の日、下手なりに都まで空を飛んで行けるのはとても便利なことだった。普通ならば移動だけで時間を潰されてしまうところを、障害物にも阻まれない空の移動によって結構短縮出来てしまう。

 けれど、そう頻繁に行けるわけではないし、最近の見習い画家についてはよく分からない。ただ、ここに仕える神官の中に、絵を描くのが趣味で、寝泊りしている部屋が画材で溢れているとかいう者がいたはずだ。

 それで食べているわけではない彼を画家と呼ぶべきかどうかはともかく、数回見たことがあるその絵は素晴らしいものに違いなかった。

 彼の絵の中にカリスティ様を描いているものもあった。

「……あるにはあるけれど、本物には敵わないだろうね」

 そう、それでも、僕は思ったのだ。

 この目で見つめる中庭の光景には及ばない。絵画が現実を越えるということは滅多にないだろう。あの絵を見せてもらったのは確か二年前。この二人もまだぎりぎり子供として過ごしていた頃なのだろう。そう思うとなんだか憂鬱なほど時の流れを感じる。当時、アイギスは十五歳。カリスティ様は八歳。もうすでにすれ違いも生まれている時期だった。

 あの時より前から、アイギスは悩み続けている。いつの間にか、悩んでいるアイギスが当り前になってきているのに気付いた。

「ねえ、二人とも」

 僕は隣に立つ二人の《部下》に話しかけた。

「君たちから見て、カリスティ様とアイギスってどんな存在?」

 何気ない問いでもあったのだけれど、スキロスもカロも顔を見合わせると、二人して大真面目に悩み始めた。

 まあ、当然だろう。

 天使が舞い降りて千年以上、ともすれば二千年にも届くかもしれない今現在、科学も知識も文明も何もかも大昔とは比べ物にならないくらい優れたものになってきたけれど、それでも天使を中心とした信仰は強く守られ続けている。

 なぜ、英知の天使は「人鳥を食うな」とはっきり言ってくれなかったのかと怨むほどに、英知の国の人々は天使を信じているのだ。もちろん、他の天使が舞い降りた他国でも同じ。いや、むしろ、他国の方がもっと天使を崇拝しているかもしれない。

 実際に、こんなにも豊かで便利な世の中になったけれど、やはりそれも聖域というものがあってこそのことなのだから仕方ない。聖域より一歩外に出ただけで、恐ろしい魔物がうろついているのだから――時折、それで死人が出るのだから、怖がるのは当然だ。

 魔物達を弾く聖域というものへの期待とおそれは、むしろ昔より今の方が強いかもしれない。それだけに、果実と武器として生まれた者たちは徹底的に守られる。

 もしも聖域を害そうとする者がいれば、容赦なく排除されるだろう。果実を盗もうと企てた者、神殿を侵そうとした者は、国によってはそれだけで死罪。我が国では長い獄中生活を強いられることとなる。

 だから、天使の国の民は皆、内心恐れているのだ。自分たちが聖域を害するものとして裁かれることが無いように。特に、神殿に仕える者は。

「意地悪な質問しちゃったかな」

 そう言うと、カロの方がはっと僕を見つめ、慌てたように否定した。

「そんなことないですよ。ちょっと言葉にするのが難しかっただけです」

 スキロスはというと、相変わらず黙りこくったまま考え続けている。

 何処からどう見ても人間にしか見えない容姿ではあるが、今の状態でも十分、猟犬のような獣らしい心が目に浮かびあがっている。

 対照的な二人を見比べつつ、僕は再びカリスティ様を見つめながら問いかけた。

「――で、まとまった?」

 すると、カロの方からはいい返事が生まれた。

「僕から――」

 といいかけ、あっとカロは言いなおす。

わたくしから見て、カリスティ様は天使様の化身のようです。青い礼服もお似合いですし、御顔立ちも今まで見たどの町娘よりも美しくて驚きました。ここで働けることになって、僕、本当に感動しているんです」

 結局、「僕」に戻ったか。

 雰囲気からカロがどういう子供だったのか、なんとなく伝わってきた。そして、今、どういう性格なのかも。非常に素直で純粋。なるほど、此処に配属されるだけ素直な人物なのだろうし、キクノスが僕の下に付けただけあるのだろう。だが、ガーディアンには少しばかり珍しい性格かもしれない。その点、スキロスの方は合格なのだが。

「ソフィア様は、まさに僕の思い描いていた一角獣ユニコーン様の化身でした。槍で戦う御姿。訓練所で初めて拝見した時、今まで町で見てきたあらゆる一角獣の絵や彫刻が頭の中に甦ったくらいです。まさしく、僕らの一角獣様。正義の味方なのでしょう」

「――そうだね。ソフィアは確かにユニコーンだな」

 だが、その正義の味方があれだけ縛られ、思い悩むことになっているなんて、神殿の外で暮らす民は知らないのだろう。ソフィアは強くなくてはならない。英知の果実――カリスティ様を守る者として、不安を感じていることを国の者に悟られてはいけないのだ。

 まだ十七歳の少女なのに。

 憂鬱な気持ちを払い、僕はスキロスにも訊ねた。

「君はどうだい、スキロス」

 すると、礼儀正しく頭を下げ、スキロスは答えた。

わたくしは多く語れるほど御座いません。ただ、御二方とも神聖で、讃えるべき存在であるとしか――」

「――そっか」

 やっぱり人犬だった。人間のなりをしていても、上下というものに縛られてしか生きられない。その代わり、敵とみなしたものに対しては獰猛なものだ。善良なる人犬の多くは国の為のガーディアンをやっているらしいが、国と国を行き来する用心棒をしている者も多いらしい。

 魔物が跋扈する聖域外の道中、勇猛果敢にそれを追い払う人犬というものは純血の人間にとってこの上ないほど頼りになり、そんな存在にさせるために改良されてきたという歴史もある。兵力を増強するために合成生物を生みだすときだって、人犬の血は重宝されるらしいと聞く。

 それでいてこの生き方に疑問も持たない。それが人犬なのだ。

「恐れながらお尋ねしたいのですが――」

 考え込んでいると、ふとカロが僕を覗きこんできた。

「なんだい?」

 軽く促すと、カロは周囲を窺いつつそっと言った。

「神官長――キクノス様は、もしかして槍や果実に何か暗い思い出でも御持ちなのでしょうか? まるで御二人が此処を離れてしまう日が来ることを前提に考えていらっしゃるようですが……」

 ――暗い思い出か。

 詳しくは聞いたことが無い。キクノスはソフィアやカリスティ様以前の槍と果実を知っているはずだ。スキロスやカロと同じくらいの年からここに仕えていると言っていたから、その前も知っていることになる。その頃は今のように槍や果実に対する権限もなかったはずだ。

 ただし、幹部になったと聞いているのはソフィアが生まれる以前のこと。つまり、前の槍や果実がまだ生きていた頃だったと聞いている。

 カロに言われてみて、ふと気付いた。

 その頃に、何か嫌なことでもあったのだろうか。

 先代の末路を聞いたことはある。あまりいい終わり方ではなかった。キクノスは当時から幹部だった。二十年近く前のことだが、確かなことだ。

 ひょっとして、その末路が彼の心に何か――。

 ふとした疑問をそっとしまいこみ、僕は今一度、カリスティ様を見つめた。いつの間にか、カリスティ様は眠ってしまっていた。


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