16.悲鳴
扉が開いた瞬間、聞こえてきたのは絶叫だった。
初めて聞いたものだが、一瞬で誰のものか分かり、私は思わず二人のガーディアンの間をすり抜けて部屋へと飛び込んでいった。
カリスティの悲鳴だ。
喚きながら暴れている音がする。
そうと分かった途端、反射的に飛び込んでいってしまった。
寝室で聞こえてくるその声。慌てて飛び込めば、そこに広がっている光景に脚を止められてしまった。
多いと言うほどではないが、様々な人がいた。
カリスティを守っていたガーディアンに、世話をしていた女性神官。ニンフとその部下も混じっている。そして何よりも目に入ったのは、複数の男性のガーディアン――それも熊や獅子といった力のある者の血を引く獣人に寝台に抑えつけられて苦しむカリスティと、そんな彼女の額に手を当て、必死な表情で何かの魔術を唱えるヒパティアの姿だった。
「ソフィア……」
私の姿に気付いたニンフが呟いた途端、その場に居た者が一斉に私を振り返った。ヒパティアもまたちらりと私を見つめる。賢者の称号さえ手に入れた彼女の余裕のない様子に、私は戸惑うしかなかった。
――一体、何が起こっているのか。
「ソフィア……ソフィア、ソフィア――」
その時、寝台に抑えつけられていたカリスティが呟いた。その辛そうな声に駆け寄ろうとする前に、ヒパティアの厳しい声が響き渡る。
「いけない、抑えて!」
か弱い少女を抑えるには過剰すぎるほどの力で、ガーディアンの男性はカリスティを抑えつけ始める。しかし、そんな不自然さもすぐに忘れてしまうほど、カリスティはとんでもない力で猛獣の力に抵抗しはじめたのだ。
「いやあ、ソフィア!」
いくらガーディアンであっても、人間の力では無理だ。獣人の女――たとえばニンフの力であっても無理だろう。そのくらいの力が、あろうことかカリスティの身体から生まれているのだ。
「カリスティ、何が……あったの……?」
「来ないで!」
その時、カリスティが張り裂けんばかりの悲鳴を上げた。
「来ないで、ソフィア、来ないで!」
――どうして。
全身で拒絶され、私は立ち尽くしてしまった。
おかしい。寝る前に会った時は何ともなかったのに。どうして。どうしてこんなことに。分からない。どうして拒絶されるのか。だって、カリスティは――カリスティは……。
――今日から夢の中で、好きなだけアテナって呼ぶね。
何が起こっていると言うのだろう。誰か、説明して欲しい。私にも分かる言葉で、私にも分かる説明をして欲しい。
「ソフィア、お願い、助けて、ソフィア」
その時、突然カリスティが言葉を変えた。
拒絶ではない言葉に、思わず反応してしまう。
「苦しいの。この人達、怖いの。助けて。この人達を倒してよ。わたし、何もしていないんだよ。何もしていないの、本当なの。助けて、ソフィア。あなただけなの。あなただけが味方なの」
おかしい。何もしていないのなら、さっきまでの事は何だろう。私を拒絶したのはなんだったのだろう。
ああ、でも、カリスティが助けて欲しいと言っている。私を求めている。
目の前に転がっている言葉に易々と釣られて、私は思わず槍を呼びだした。その行動に、傍に居た殆ど全員が動じた。
「ソフィア……何のつもりだ」
ニンフの声が聞こえたけれど、私はカリスティから目を離せないままだった。
離して欲しい。彼女をそれ以上苦しめないで欲しい。さもなければ――。
「やっつけて、お願い」
魔法のようなカリスティの言葉に導かれるままに動こうとしたその時、冷たくて威圧的な視線が私の動きを止めた。
「アテナ」
その名で私を短く呼んだのは、ヒパティアだった。
私を睨みつけたまま、言葉に確かな魔術を含めて私の動きを縛り上げる。
「その名に命ずる。槍を捨て、服従しなさい」
逆らえない。その場で槍から手を離し、皆の見ている前でひれ伏した。
その瞬間、ヒパティアの口から出る命令が、この世界全ての真理か何かのように思えた。冷静な時に考えればあり得ない事だけれど、この魔術はそういうもの。普段は使われない封印された私の名前を捕えて、ヒパティアは時折、これで制御の効かなくなった槍――つまり私の身体を操ってしまう。
これは幼い頃から仕組まれてきた魔術だ。
教育係を任せられると同時に、時の神官長に命ぜられてのことらしい。
ヒパティアがこの魔術で捕えているのは私だけであるし、私の名を捕えているのもヒパティアだけだった。
アテナ。その名をヒパティアが唱えるだけで、発動する恐ろしい魔術。
ヒパティアが勇退したとしても、この魔術はヒパティアの弟子の一人に継がれるらしいと聞いている。
「ソフィア……ソフィア……アテナ、アテナ、起きてよう」
寝台の上で暴れながらカリスティが叫んでいる。
その姿を私は床に座り込みながら聞いていることしか出来なかった。ヒパティアの魔術は解かれないまま。縄か何かででも縛られたように身を震わせながら、私はじっとカリスティの様子を見上げていた。
どうして。
カリスティが何をしたというの。
一体、何が起こっているの。
魔術に縛られ口もきけない私の疑問に対して、しっかりと答えてくれそうな人は、しばらくの間何処にも居ないようだった。
結局、服従の魔術が解かれたのはカリスティが拘束されたまま何処かへと連れて行かれてからのことだった。数名の神官、そしてガーディアンや魔術師も一緒に彼らと共に退室していった。だが、ニンフだけは私の傍に残り、ヒパティアに魔術を解かれるのを黙って待っていてくれた。
私が呼ばれたのは、ヒパティアの命令であったらしい。
ソフィア、と、神官長の付けた名をヒパティアが呟くと、いきなり身体が楽になった。圧力が全て消え、呼吸も一気に楽になる。あまり慣れることのないその感触に戸惑っていると、ヒパティアはそっと私に近づき、抱きしめてきた。
「御免なさい、ソフィア。残酷な事をして」
拘束されていたことだろうか、それとも、この場に呼ばれた事だろうか。
どちらでもあるような気がした。
「ねえ、ヒパティア」
自由を与えられてさっそく、私は彼女に訊ねた。
「何があったの? カリスティは何処に連れていったの?」
すると、ヒパティアもニンフも気まずそうに視線を逸らしてしまった。
よくない事に決まっている。けれど、もうそのよくない事を目の当たりにさせられたのだ。後はその正体を掴むだけ。
私は半ば二人を睨みつけるつもりで見つめ、再度訊ねた。
「教えて、カリスティは――」
「清めの間だ」
ようやく答えてくれたのはニンフだった。
「暫くの間、結界の強い場所に居て貰うらしい」
清めの間。結界の強い場所。
カリスティが嫌う場所だ。カリスティだけではなく、代々の果実が嫌ってきた場所。一週間に一度、その場で清められなくては生きていけないと言われていても、やっぱり嫌なものは嫌だと言っていたその場所。
悪魔を遠ざけるものではあるが、天使をも遠ざけるためだからだと言われていたではないか。そこに、清めの日でもないのにどうして。
「ねえ、どうして。どうしてカリスティはそこに――」
訊ねる私を抱きしめたまま、ヒパティアは答えに詰まっていた。
答えを模索しているのか、言葉を探しているのか。ニンフも答えない。私から目を逸らしたまま、全てをヒパティアに委ねているようだった。
やがて、ヒパティアは覚悟を決めたかのように、小さな声で呟いた。
「ソフィア」
その口調は、幼い頃に散々聞いた声にもよく似ていた。
「落ち着いて、よく聞いてください」
沁み込んで来るようなその声が、服従の魔術を唱える時のヒパティアよりも怖いと思ってしまった。
そして、私は、世界の残酷さを聞かされることとなった。




