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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第1部
18/54

13.異変

 ユグドラシルの枝が揺れている。

 沢山の骨を吸いこんだ湖の水面もまた同様だった。

 青い世界に包まれて優しげな夜風に宥められながら眠っているのはカリスティと言う名の神聖な少女。枝を揺らしてあやすような音を立てるユグドラシルの根元に抱かれながら、人形のような寝顔に薄っすら微笑みを浮かばせている。

 その口から漏れだす寝言は幸せそうなもの。

 きっといい夢を見ているのだろう。

 愛らしい光景は穏やかなもので、見張っているらしきガーディアンたちでさえ無意識に油断をしてしまうほどのものだった。

 いや、それとも彼らは警戒しているつもりなのだろうか。ただの人間だけではなく、魔術を使える者や獣人だっているのに、誰もが何も気付かず、夜風に似たその奇妙な風を止めることが出来なかったのだ。

 奇妙な風は寝ているカリスティを起こさぬようにそっと忍び寄り、そしてその傍に留まると一人の女の姿となった。

 鬼族の女。本物の吸血鬼の血を引く者。

 ガーディアンは誰も気づかない。そちらを見ていたとしても、彼らには女の影すら見えないのだろう。そのくらい強過ぎる魔力が女の姿を覆っていた。女の方もまた、周りにいるガーディアンには一切目もくれずに、眠り続けるカリスティの頬にそっと唇をつけた。

「いい夢を見ている所を御免ね」

 耳元で囁きその額に手を当てた。

「でも、もう私には時間がないみたいなんだ」

 震える手。その額に浮かぶ汗。目は揺らぎ、息は荒い。見た目だけならば妖艶な美しさをもつその鬼の女は、今やほんの少し残された自我のみで成り立っていた。

 哀れにも純粋な女。

 その手に含まれた魔力がじわりじわりとカリスティに浸透していく。いい夢を見ていただろうその寝顔がひきつり、眉が顰められる。その様子を見つめながら、吸血鬼はカリスティの身体を撫でる。

「大丈夫。痛い事はしないから」

 そう言って寄り添うように、半透明の彼女はカリスティの身体に吸い込まれていった。

 傍から見れば何事もなかったように思うだろう時間。変わった事と言えば、カリスティの寝顔と、その身体が異常なほど冷たくなっていることだろう。しかし、昏睡状態に陥った人形のような少女に誰が気付けるだろうか。

 だが、意外にも早く異変に気づく者はいた。

 月光を浴びながら吹き抜けの階上より鳥の姿で飛び降りる者。羽毛を散らして中庭を汚しながらカリスティの傍に着地し、彼女はすぐさま万華鏡のような目で動かぬ果実の少女を見つめた。

「カリスティ様?」

 そっと手を伸ばし、その頬に触れる。

 魔術に長けていたとしても、何が起こったかを把握する事なんて難しいことだろう。それでも、人鳥というケダモノの血を引く彼女はただの人間よりもずっと気に聡い所があったらしい。

「カリスティ様、起きてください」

 ただ事ではないと気付いた彼女は呼びかけ、カリスティの身体をそっと揺さ振った。

 しかし、そのくらいで起きられると思っているのだろうか。昏睡しているカリスティの意識はとっくに闇の中。誰にも介入できないような閉ざされた場所で、カリスティは経った一人悪夢の餌食となっているというのに。

 ようやく事態に気付いた人鳥女。

 カリスティを茫然と見つめ、今度は有りっ丈の声で叫びだした。

「スキロス! カロ!」

 遠吠えでもするように唸り続ける。

「誰でもいい! とにかく来てくれ!」

 異様なその声に人々は集まる。

 だが、もう何もかも遅いのだ。


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