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英知の槍  作者: ねこじゃ・じぇねこ
第1部
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5.ガーディアン

 現れたのはガーディアンの青年。人の姿をしているけれど、一見して純粋な人間でないと分かってしまう容姿。さほど獣人に詳しくなくとも、独特な雰囲気は隠しようがない。

 彼は人犬にんけんという人間に寄り添い生きる獣人だ。

 人間に比べて鼻が良く、与えられた任務に忠実な性質を持つ。人のような姿をしているが、本人が願えば簡単に犬の姿にもなることが出来る。

 人犬はガーディアンの中にも多い。

 鼻の良さと忠義な性格が好まれる上、国内で人間として生きる人犬の中にも志願者が多いらしい。

 彼もその一人だろう。

 その人犬である彼が、どうして慌ただしくも中庭に踏み込んだのか。

 立ち上がる私の前で、人犬のガーディアンが膝をついた。用があるのはカリスティではなく、私の方だとすぐに分かった。

「ソフィア様、すぐにご準備ください」

 その一言で彼の来た意味もまた理解出来た。

 何者かが神殿を侵そうとしている。

「ニンフ様の命令で参りました。侵入者です。恐らく鬼族。もしかしたら例の吸血鬼かもしれません。いますぐに私と共にお越しください」

 ニンフが戦っている。

 それを聞かされてじっとしていられるわけがない。

 いやそもそも、吸血鬼などという危険な人物が入り込んでいると聞いて、じっとしている事なんて出来るだろうか。

 私はカリスティを振り返り、そっと言い聞かせた。

「カリスティ。他の皆の言う事を聞くのよ」

「ソフィア……」

 不安げな表情に後ろ髪を引かれる思いで、私は再び人犬のガーディアンへと向いた。

「すぐ行きます。その場所に案内して」


 ここは英知の国に住まう全ての人にとって尊い場所だ。

 何故なら、ユグドラシルの根元でカリスティが匿われているのだから。

 聖なる大樹の命とその守護より生まれる聖域を瑞々しく保つには、果実がすくすくと育ち、守られ続ける必要がある。

 カリスティの体内に宿る黄金の果実は、英知の国の人々を悪しき魔物より守りきるために誰の手にも触れられぬよう隠されなくてはならないものだ。

 けれど、そんな言い伝えをどんなに聞かせたところで、不届き者は生まれてしまう。

 英知の果実に限った事ではないけれど、ユグドラシルの心臓である果実というものは、無尽蔵な力の象徴であり、あらゆる可能性を秘めた貴重な品物なのだ。

 魔術師でなくとも、黄金の果実を手に入れたら英知の国を好きに出来てしまうだろう。

 聖域など守られなくたっていいと愚かにも考える者がいれば、その者は私利私欲の為だけにカリスティを攫おうとする。

 そう言った者の侵入があるからこそ、私は戦わなくてはならなかった。

 ところが、私は実のところ強いわけではない。十七歳の少女なのだから仕方がないという言い訳で済ます気はない。努力は重ねているけれど、自分の意思で志願してきたようなガーディアン達の方が遥かに強いだろう。

 幼い頃からの訓練のお陰で、あらゆる種類のあり物の武器を扱えるようにはなったけれど、本気で果実を奪いに来たような不審者相手にはなかなか難しい。

 結局のところ、私の武器は何処からでも生み出せる槍と不死の身体に他ならないのだ。

 そして、神殿の者たちはそんな私の武器を度々頼ることになる。誰だって死にたくない。死なせるわけにはいかない。

 私だけがカリスティの為に不死を定められたのだから、その分、動かなくてはという想いがいつだって私を狩りたてる。

 人犬のガーディアンに続きながら、私は神経を研ぎ澄ませた。

 純血の人間の私は不審者の気配に疎いところがある。その分をカバーしてくれるのが、この神殿に多数いる獣の血を引く者たち。

 特に人犬の鼻はこういう場面で本当に頼りになる。

 ――相手は吸血鬼だと言っていただろうか。

 吸血鬼は鬼族きぞくの一種。聖域を通り抜けられる程の人間の血以外は、ほぼ魔物の血しか引かないとされる彼らは、いつの時代だってトラブルの元だ。

 そんな鬼族が何故、弾圧されないのか。一つは真面目に暮らす鬼族も多いということがあげられるが、そんな理由だけではない。一番の理由は、鬼族の力があらゆる魔族、あらゆる魔術師の力を軽く超えてしまうため、強く出られるような人物が存在しないから、というものだ。

 鬼族を堂々と紛糾出来るのは正しい心を持った鬼族だけ。

 そう言われているくらい、彼らはどうしようもない。

 だが、幾らどうしようもなくとも、数で勝ればどうということもない。それに、私には武器があるのだ。不死と言う武器。そして、相手を翻弄する槍。聖なる一角獣とも混同されるというこの力で、なんとしてでもカリスティを守らなくては――。

 強く自分に言い聞かせ、私は人犬のガーディアンを追った。

 きっと犬に変身すればもっと速く走れるだろう。ガーディアンに抜擢される人犬の多くは、昔から戦いに適した者同士が結ばれてきた血統を誇っている。その中には、狼に勝るとも劣らない力を持つ一族も沢山いるらしい。

 彼もそんな一人と思われるのだが、私の為か人間の姿のままで走り続けていた。

 私には人犬のように誇れる鼻もなければ、獣人全般のように姿を変えて人よりも早く走る事なども出来ないからだ。

「――ん?」

 突如、人犬のガーディアンが立ち止まった。

 左右を見比べ、行き先を探っている。そのすぐ傍へと近寄り、私はそっと彼に訊ねた。

「どうしたの?」

「ニンフ様の匂いと侵入者の匂いが分かれているようです……」

 つまり、戦いの最中でニンフが見失ってしまったのだろうか。

「どちらを追いましょうか。侵入者はまだ近くに居るようですが――」

「侵入者の方に行きましょう。ニンフもきっとすぐに来るはずよ」

 彼女ならば怪鳥に変身して人間よりもずっと優れているその目で必ずや鬼の姿を捕えるだろう。そうでなかったとしても、気の聡い獣人のニンフがいつまでも侵入者を見つけられないとは思えない。

 私がぎょっとするほど獣人というものは敏感なのだから。

「分かりました。こちらです」

 すぐさま人犬のガーディアンは走り出した。


 人間と獣人の溝は深い。

 価値観やお互いに対する印象の話ではなくて、単純にその身体能力に関しての事だ。

 私を呼びに来た人犬のガーディアンは、嫌になるほど遠くを走っていた。

 人の姿をしていても、彼について行くのがやっとだ。私の方はまだ武器も出さずに身軽でいるはずなのに、気を抜けば彼との距離がどんどんと離れてしまう。

 これは男女の差というものだけではなく、純粋な人間と獣人という差でもある。

 こういう時、私もせめて獣人の血を引けばよかったのにと思う。

 別に獣人の槍がいなかったわけでもないと聞いている。

 歴代の槍でも最も神聖視されたのは百年以上の時を生き抜いたというミラという者で、彼女は本当に一角獣の血を引いているのだと信じられていたらしい。

 その正体は一角獣ではなく人馬じんばという種族で、本人が願えばその名の通り馬に変身する事が出来る、今となってはやや珍しい獣人の一派だ。人でいるときは何処からどう見ても人である他の獣人とあまり変わらない種族で、一角獣種などと名称づけられたパラス達のように角は生えていない。

 それでも、時折美しい馬に身を変えて戦うミラは、もう何百年も時が経った今でも崇拝され、数々の伝承が遺されている。

 そんな前例があるからこそ、英知の国の人々はどうしても槍が代替わりする時に心の何処かで人馬の槍が生まれる事を期待するらしい。

 けれど、人馬の血を引く者は減る一方であるらしいし、槍の印は人々の願いなんてどこ吹く風と言った様子で気紛れに赤子に取りつくものだから、ここ最近はずっと人馬とは縁もゆかりもない生まれの槍ばかりが出現しているそうだ。

 私はというと、やはり人馬に生まれたかったと思う瞬間がある。

 優れた知性を尊ぶはずの英知の国においても、獣人として生まれてしまった者の多くは無知な差別と偏見に曝され、人間としての権利の多くを潰されているのが悲しい現状だけれど、その中でも人馬だけはミラが誕生するより昔から特別であるらしく、辛うじて現存している家系はどれも名家ばかりであるらしい。

 勿論、私が羨むのはそんな恵まれた立場ではない。

 そんなもの、槍として生まれてしまえば誰だって意味を無くしてしまう。

 そうではなく純粋に、その身体能力が羨ましかった。

 人馬の血を引く者は、こうして人犬を追いかける時も苦労しないし、いざとなって馬になれるのならば、危険が神殿の奥深くまで迫った時にカリスティを乗せて何処までも逃げる事だって出来る。

 伝承によれば、若き日のミラもまたそうして己の果実を守ってきたらしい。

 年老いた後、彼女がどうやって生き抜いてきたのかの記録はあまり残っていないのだが、それはともかく、いざとなれば変身出来るという力は戦いに身を投じる者として羨ましいものだった。

 不死の身体を持っているくせに高望みしすぎだと言われればそれまでなのだけれど。

「――ソフィア様!」

 人犬のガーディアンが振り返り、私の名を呼ぶ。

 カリスティの隠れている御殿から、だいぶ離れてきている。それほどまでに神殿の敷地は広くて、魔族でもなく、魔術も大して使えない人間にとっては神殿を出るだけでも途方に暮れてしまうほどなのだ。

 けれど、この広さがカリスティの危険の多くを防いでいるのだから文句は言えない。

 愛らしくもか弱いカリスティが少しでも平穏に暮らせるのならば、今の私のしんどさなんてどうだってよかった。

 ようやく追いついて静かに息を整えると、人犬のガーディアンはそっと息を潜めて獣らしい目で周囲を睨んだ。

「近くに潜んでいます。我々に気付いたようです――」

 緊張が走った。

 私も神経を研ぎ澄まし、鍛練で磨いた感覚を最大限に生かせるように周りの音を拾い集めた。英知の天使は人間の血しか引かない私に印を与えたけれど、それはそれで意味のある事に違いないのだとかつて私の教育係だった賢者が言っていた。

 私もそれを信じている。

 槍である事を活かせば、カリスティを守るために、鬼族とすらも対等に戦えるのだと信じて戦わなくてはならない。

 そう強く自分に言い聞かせた時、傍に居た人犬のガーディアンが突如唸りだした。私が何か尋ねるより先に、彼の身体の輪郭が歪み、見事な骨格と筋肉を誇るこげ茶色の猟犬の姿へと変わっていく。

 その目が睨みつけている先を、私もまた注意深く見つめた。

 何もないように見えたのは最初だけ。

 人犬の確かな嗅覚に裏付けられた存在感は、人間の血しか引かない私にでも分かるほどへと膨らんでいた。

 やがて、《彼女》は観念したように姿を現した。

 ――鬼族。吸血鬼。

 その背後を青い影のようなものが走っている。

 亡霊のように彼女は現れ、特有の美しい顔立ちがこちらを眺めている。妙齢の女性のようだ。ニンフよりも更に年上といった所だろう。

 犬の唸り声を聞きながら、私は彼女を睨みつけて槍を取りだした。

「去りなさい、あなたは罪を犯している!」

 私の声が響くと、何故だか彼女は嬉しそうに笑みを浮かべてみせた。


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