お題:逃げるウサギ、ロシアンティー
お題 逃げるウサギ ロシアンティー
≪こちらスペード1、目標を発見≫
≪よし、よくやったトランプ・チーム。このまま距離300を維持。状況を逐一報告せよ≫
≪お言葉ですが司令、こちらは最新装備の4機編成です。しかも相手は旧式の逃亡兵――≫
≪奴を、白兎を甘く見るな。奴は先の大戦の英雄だぞ≫
≪英雄? あんなガキが英雄だって!? 笑わせるz――≫
≪……どうしたトランプ・チーム。何があった! 状況を報告しろ!≫
≪そっ……狙撃です! あのクソ野郎! こっちに気づいてやがった! このままじゃ全滅だ!≫
≪馬鹿なっ! 俺たちゃパワード・マッスル最新最強のトランプ・チームだぞ! それg――うわあぁ!≫
≪―――聞こえているか。ワンダーランドのジジイども≫
≪白兎、貴様……このまま逃げられると本気で思っているのか≫
≪……≫
≪今なら私の力で原隊に復帰させられる。悪いことは言わん。戻って来い≫
≪……断る。貴様らの駒にされるのはもう真っ平だ≫
≪ふざけるな! 貴様にそんな選択肢があると思っているのか! 孤児の貴様を育ててやったのは誰だと―――≫
敵から奪った無線のスイッチを乱暴に切り、少年は雪原の中に身を投げ出した。
向こうは激昂こそしていたが、即座に追っ手を差し向けるということもないだろう。
今自分は、相手の切り札のうちの一つを破壊したばかりだ。これ以上の追撃は人的資材と時間の無駄だと思ってくれるはずだ。
いや、『そうでなくては困る』。
「……すまんな。ホワイト・ラビット。お前も腹ペコか」
少年は自分の相棒に声をかける。
全高5.5メートル、重量4.0トン、ソリエルト連邦製の第2世代パワード・スーツ。かつてアメリア公国と世界の覇者をかけた戦争で『ワンダーランドの白兎』と名を馳せた、純白の機体。
今は雪の下、至近距離からでも判別できないほどのカモフラージュが行われている。
ここが雪原地方でよかったと少年は思った。だが
「ロメールまであと7000以上か……。この雪ではさすがに歩けないし……」
燃料切れの旧型機と逃亡兵。助けてくれる仲間ももういない。
残りの弾薬と燃料で追っ手を払ったものの、備え付けられている自爆装置は、敵の機体の燃料すべてを燃やし尽くしてしまった。自力で燃料を調達しようと思ったが、全身の血液が足りず、その場から一歩も動けなかった。
「自分は、もうここまでかな……。まあ最後ぐらいは自分の好きに生きられたか……」
少年は疲れ果てた体の「もう寝かせろ」という命令に従うつもりで、まぶたを下ろそうとした。
「そんなところで寝ていたら、風邪を引きますよ」
凛とした女性の声を聞く、そのときまでは。
「どうぞ、温まりますよ」
食後の紅茶までいただいてしまった……。少年は己の浅ましさを恥じた。
「そんな顔しないで。実は作りすぎてしまっていて、私一人では食べ切れなかったのだから」
女性は少年に対しにっこりと微笑んだ。茅葺きの屋根と分厚い丸太とレンガの壁に、パチパチと音を立てて暖炉の中の枯木が燃えている。
紅茶のお替りを薦められる。最初は断ったがそんなこといわないで、と悲しそうな顔をする女性を見ると、少年にそれ以上断り続ける勇気はなかった。
この地方ではスプーンでベリージャムをすくい、口に入れてその後に紅茶を飲む、という飲み方で、女性はジャムではなく酒を入れていたようだ。シチューとライ麦のパンの重みで胃の周辺に集まっていた血が、紅茶を一口飲むたびに、熱量を持って全身に駆け巡った。
少年はこの飲み方を知らなかった。そもそも紅茶なんて飲んだこともなかった。戦火の帰りに見た、ワンダーランドの奴らが談笑しながら酒や肉にかじりついていた姿がうらやましかった。けれど自分には何も与えられなかった。戦って、戦って、戦い続けた。
英雄なんてよぶ人々の声は、少年にはパンのひとかけらの価値もなかった。
最初は自分と同じ仲間が何人もいた。しかし日を追うごとにその数は少なくなって、とうとう自分ひとりになってしまった。
「ぜんぶのおしごとがおわったら、いっしょにたびにでましょう」。そう約束した最後の一人が無残に捨て駒にされた映像を見た瞬間、少年は反逆を決意した。
すべて壊した。自分の過去も研究とやらのすべても。追ってくる相手は皆破壊し、彼らで修理し、生きながらえた。
それが少年の初めて体験した『自由』だった。
「大丈夫ですか?」
女性の声で現実に戻ってきた。すっかり紅茶は冷めてしまっていた。少年は目の前で心配している女性に聞いた。
「……なんで、何で見ず知らずの自分を助けたんですか?」
最初は夢かと思った。その次に罠だと思った。
「女性一人では食べきれないほどの料理を、貴方はなぜ作っていたのですか」
金銭に余裕があるような家には見えない。ワンダーランドからのスパイなら、わざわざ食事をさせずとも、最初雪の下で出会った場面で捕らわれているはずだ。少年は目の前の女性を見据える。
三つ編みにまとめたつややかな銀髪に、吸い込まれそうな蒼色の瞳。
少年より幾許かは年上と思われる女性は、意を決したように少年に語りだした。
「ぜんぶのしごとがおわったら、いっしょにたびにでましょう」
「……!?」
「私の妹が、最後に君に言ったそうですね。ワンダーランドの人が教えてくださいました」
女性の顔が苦悩にゆがむ。
「君といっしょにいた白いロボット、あれを見れば君が何者かなんて子供でもわかるわ。君は自分の名声に興味なんてなかったかもしれないけれど」
「……」
「さっきほかのロボットと近くで戦っていたでしょ。この機会を逃すわけにはいかない、と思ったわ」
「……復讐、ですか」
「ううん。でも同じ立場なのに妹は捨て駒にされて、君は英雄。そんなの、理解しろっていってもできるものじゃないでしょう……!」
「私は見たかった。君が一体何者か。でも見たら紅茶の飲み方も知らない普通の男の子なんだもの……。わからなくなっちゃった」
「なんで、なんで妹はあんな死に方をしなければならなかったの! あの子はただ……!」
少年は、目の前で泣き崩れる女性に声をかけることができなかった。
やはり逃げるべきではなかった。自由を手に入れようとした代償がこれだ。
少年は悔やんだ。苦しいのは自分だけではなかったのに。今すぐここから出て行くべきだと思った。
≪聞こえているか白兎、この辺一体はすでに包囲した。すでに貴様は袋の鼠だ。大人しく出てこなければ、我々の『アリス』がすべてを焼き払うぞ≫
遠くからサイレンとともに降伏をアナウンスする声が聞こえた。
最悪のタイミングだ、と少年は思った。今の位置こそばれていないが、このままではどうあがいても、目の前の女性を巻き込んでしまう。
「なんで、私が呼んだって思わないの?」
赤く泣き腫らした目で、女性はこちらを睨んだ。
「自分を捕まえるつもりなら、紅茶のお替りなんてくれないでしょう」。少年は女性を安心させようと笑った。その笑顔はぎこちなかったが
「……ふふっ。おかしな子」
女性は笑顔で返してくれた。それだけで十分だった。
少年は擬装を施していた純白の機体の前に立った。
「ただいま。ホワイト・ラビット。今お前にもメシをくれてやる」
そう言ってコクピットに座ると、親指を歯で噛み、血液を滴らせて、目の前の画面に指を押し付けた
――血液番号、認証。現在機動に必要な燃料が足りません。補充を開始してもよろしいですか――
「ああかまわない。存分に吸え。『今日は俺が燃料』だ」
瞬間、コクピットから無数の針とチューブが少年に絡みつき、全身から血液を吸い上げた。
最新パワード・スーツである第3世代の動力には、比較的安価で大量生産の利くメタル・リアクターと化石燃料による蒸気機動を採用しているが、第2世代のパワード・スーツ『ホワイト・ラビット』には、単独間長期戦闘の実現のためにアーク・リアクターを採用。その動力元は人体内の赤血球に含まれるヘモグロビン、人体だった。
――アーク・リアクター機動、現在装備可能武装、なし。摂取した燃料による行動可能時間は5分47秒となります――
「十分だ。ホワイト・ラビット。いくぞ」
少年と白兎は翔けた。
≪こちら、機動要塞『アリス3』。目標を発見。これより爆破する≫
≪了解。くっくっく。我等がワンダーランドに楯突く愚かなウサギめ、丸焼きにしてくれよう≫
≪こちらアリス2、こちらも発見した。相手は丸腰だ……くっ速いな。どこにいっt―――≫
≪アリス2! 後部甲板より火災発生しているぞ! 敵は背後だ! 索敵班は何をやっている!!≫
≪この野郎! なんで当たらないんだ! 畜生! アリス2が落ちた!≫
≪悪魔だ……。やっぱり英雄なんか相手にするべきじゃなかったんだ……≫
≪うるさいぞアリス1! 旧世代の遺物に俺たちが負けるk……!ぐああああ!≫
≪……ふざけるな。スペックだけなら我々の『アリス』に負ける道理が……!≫
≪聞こえるか、ワンダーランドのジジイども≫
≪く、白兎……!≫
≪自分はどこにも逃げない。追いかけてくるならいくらでも破壊してやろう。≫
≪ま、まて白兎、貴様を、いや貴殿を我がワンダーランドの幹部候補に加えてやろう! 世界をまたに掛けるPMCだ。金も名誉も思うがままだぞ!≫
≪ほう?≫
≪そうだ! 貴殿が望めばなんでも報酬を渡そう。なにがいい≫
≪そうだな。じゃあ質問に答えてもらおう。あの時、自分といっしょにいた奴らは一体どうしていなくなったんだ? あの娘はどうして捨て駒にされたんだ?≫
≪あ? ああ、あの第2世代機の実験体どものことか? 何でいまさらそんなこと―――≫
≪そうか、いや答えてもらう必要はない。今ので十分すぎた≫
≪どういうことだ!? ……! や、やめろ! 俺がお前を育ててやったことを忘れたのか!≫
≪ホワイト・ラビット。最大出力だ。ぶっ潰すぞ≫
少年は戦いの中に戻っていった。
今度は、もう逃げなかった。