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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第2話『意志を継ぐ者』
9/132

その1『ディバーナ・カノン』


 大陸第2といわれる規模の大都市、学問都市ネービス。

 その中央大通りを北に向かって歩き、一般住宅地と高級住宅地の境目辺りを西に歩けば、やがて広大な敷地が見えてくる。

 ミューティレイク家。

 このネービスのシンボルともいえる学園群の総元締めであり、ネービスきっての大貴族。

 そして同時にそこは、このネービス領の各地で悪さを行う異形の者たち――『魔』から人々を救うデビルバスター部隊『ディバーナ・ロウ』の本拠地でもあった。


 ティーサイト=アマルナ。男性。18歳と3ヶ月。

 成人男性の平均を15センチほど上回るひょろっとした長身と、年の割に幼い顔立ちが特徴的な青年だ。

 彼はつい先日、ある出来事をきっかけにイングヴェイ=イグレシウス――なぜか『アオイ』という奇妙なニックネームの――ミューティレイク家の執事に素質を見込まれ、デビルバスター候補生としてこのディバーナ・ロウに参加することになったばかりだった。

 そんな彼が所属することになったのは、ディバーナ・ロウの第三隊『ディバーナ・カノン』と呼ばれるチームだ。

 その日の朝、執事のアオイから簡単な説明を受けたティースは、さっそく敷地内にあるディバーナ・カノンの詰め所に向かったのだが、そこで待っていたのは思いも寄らぬ光景だった。


(な、なんなんだ、あの人……)

 詰め所に入ってすぐ、まるで鍛錬所のような広いスペースの中央。

「ルルル……ルラララー……」

 そこにいた人物を見て、ティースは絶句したまま立ち尽くしていた。

 ウェーブがかった長髪。身長は少々高めだが長身のティースよりは若干低いだろうか。真っ白い軍服のような衣服に身を包み、まるで踊り子のようにクルクルと回っている。

 その人物はどうやら化粧もしているようだったが、どこからどう見ても明らかに男性だった。

 しかも、

「あぁ! 来た来た、来たぞっ! 今まさに、私の中に美の女神が下りてこようとしているではないかっ!!」

 踊りながらひとりでいろいろと叫んでいたが、ティースにはその言葉の意味がなにひとつ理解できなかった。

(ま、まさかあれが、ディバーナ・カノンの隊長……?)

 ティースはここに、レアス=ヴォルクスという名の隊長が待っていると聞いてやってきたのである。

 周りを見るに他に人影はない。とすると、アオイが嘘をついているか、あるいはその隊長が約束をすっぽかしたのでない限り、あの踊っている男が隊長で間違いなさそうだった。

 ただ、

「素晴らしい! ブラーボ! ブラーボーッ!!」

 男はくるくる回りながら手を叩き始めた。

 別にティースの感想を待つまでもないだろう。どこからどう見ても『キテ』る。それもかなりぶっとんだ方向に、である。

(ど、どうしようか……)

 隊長らしきその男は踊りに夢中なのかティースの存在に気付いた様子もない。いや、気付いているとしても、少なくとも彼に向けてアクションを起こそうとはしなかった。

(止めて気分を壊されるのもなぁ……)

 そうティースは考えていた。

 たとえあんなのでも、これから先の上司となる人物である。できる限り波風は立てたくないというのが人として当たり前の感情だろうし、ましてティースという人物の性格も考えればなおさらだろう。

 結局、ティースは待つことにする。

 あれだけ派手に回っているのだから、それほど長くは保たないだろう、と、そう考えて。


 ――そして10分後。


(……ど、どうなってるんだ、あの人!)

 クルクルという円運動を中心に踊り続けている男は、いまだその動きを止めていなかった。さすが隊長というだけあって素晴らしい体力だとも感心したが、これではさすがにラチがあかない。

(あと3分待って止まらなかったら声をかけよう……)

 すぐに、じゃない辺りが実にティースらしい決断である。

 ……結局、最終的には声をかけずに終わることになったわけだが。

「おい、邪魔だ」

「え?」

 突然背後から聞こえた声にティースは驚き、

「……あ、ご、ごめん」

 誰かが入ってきたらしいことにようやく気づくと、慌てて道を開ける。

「ったく、でかい図体してぼーっと突っ立ってんじゃねーよ」

「……え?」

 避けながら振り返り、現れた人物を見てティースは困惑した。

 ……いや、正確には違う。

 そこにいるはずの人物の姿が『見えなかった』から困惑したのだ。

 だが、その原因はすぐに判明する。

「おい。……どこ見てんだ、てめえは」

「?」

 聞こえた声はすぐ近く。

 妙に低い位置から。

「え……こ、子供?」

 視線を落とした先にいたのは、ツンツンした赤毛短髪の少年だった。

 ティースとの身長差は30センチ以上あるだろうか。これだけ接近していれば、一瞬彼の視界に入らなかったのも無理はない。

「君は……?」

 この街では珍しい長羽織のようなものを上にまとい、子供ながらにつり上がった目が下からティースを見据えている。

 そして背中には、

(……剣?)

 少年の身長と同じ、あるいはそれ以上あろうかという長剣を斜めに背負っていた。

 それを見てティースは目を見開く。

「え、あ……君もここの隊員なのか……?」

 その赤毛少年はどう見ても10代前半。どれだけひいき目に見ても15歳には達していない風貌だった。

(まさか、でも……)

 確かに真に剣の道を目指すものは小さい頃から鍛錬し、このぐらいの歳からすでにかなりの技術を身につけている場合も多い。

 だが、このディバーナ・ロウが相手にするのはただの人間ではなく魔である。このような子供がすでにその一角を担っているなんてことは、常識的に言えばなかなか考えにくいことであった。

「なんだ?」

 そんなティースの疑問の視線に、赤毛少年はただでさえ吊り気味の目をさらに吊りあげて、

「なんだ? 俺みたいなガキがここにいちゃおかしいとでも言いたそうだな?」

「あ、いや……」

 ケンカを売るかのような少年の態度に、ティースは慌てて弁解する。

「別にそういうわけじゃないけどさ。ただ君みたいな子供が魔と戦えるのかなって……」

「戦えるかどうか、確かめてみるか?」

「え?」

 ティースが困惑の表情を浮かべた――その瞬間。

「……っ!?」

 ぞわっとした感触がティースの背中を貫く。

 そして直後、驚愕に目を見開いた。

(え……!?)

 ――赤毛少年の姿は、いつの間にか彼の視界の中から消えていたのだ。

 急に襲った強烈な威圧感に、彼の視界がおろそかになっていたのはほんの僅かな時間、おそらくはコンマ数秒のことだろう。

 だが、

「俺にてめえを殺すつもりがあったなら――」

 赤毛少年の声が『背中に』聞こえた。

 驚きにティースの体が凍り付く。

「もう3回は死んでるぜ。間違いなく、な」

「……」

 冷や汗が、首筋から背中に向けて流れ落ちる。

 ――ティースは動けなかった。

 一瞬感じた圧倒的な威圧感。直後に起きた、まるで時間を飛び越えたかのような動き。

 あまりにも子供――いや、人間離れしすぎている。

「おい、ビビ! てめえはいつまで踊ってやがる!」

「ちがぁぁぁぁぁう!!」

 踊っていた男は赤毛少年の言葉にピタリと動きを止め、人差し指を突きつけた。

「ビではない! ヴィだっ!! 私の名はヴィヴィアン=ミットフォードだっ!!」

「聞いてねーよ! いいからその目障りな踊りをとっとと止めやがれ!」

「……え?」

 ティースはようやく我に返って振り返った。

「ヴィヴィアンって……あんたがレアスって人じゃ……」

「む?」

 ヴィヴィアンと名乗った男はティースを見て怪訝そうに眉をひそめたが、やがてチッチッと目の前で人差し指を振る。

「誰かは知らんが、違うな。私は美の伝道師、ヴィヴィアン=ミットフォードだ!!」

「何度も名乗ってんじゃねーよ、タコが! 変な踊りを踊ってねぇで、てめえはさっさと他の2人を呼んできやがれ!」

「変な踊り!?」

 命令口調で追い払う仕草をした赤毛少年に、ヴィヴィアンは手で顔を覆って、

「ああ、これだから美しさに対する造詣のない凡人は!」

「……で? てめえがティーサイト=アマルナだな?」

 赤毛少年はヴィヴィアンのセリフをまったく無視し、入り口で立ち尽くすティースを肩越しに振り返った。

 そして驚くべき事実がそこから明かされる。

「俺がレアスだよ。このディバーナ・カノンの隊長、レアス=ヴォルクスだ」

「……え?」

 ティースの動きが数秒間、完全に停止する。

 ……少年がただ者でないことを見せられた直後だけに、それは決して受け容れ難いというほどのものではなかった。

 とはいえ。

「き、君が……隊長……?」

 それがかなり常識外れな出来事であるということには、変わりはなかったのである。




「ファナさん。あの新人さん、結局カノンに行かせたんだ」

 ミューティレイクの屋敷は内部でつながった本館と別館に分かれている。本館の方は当主であるファナ=ミューティレイクの生活空間、執務室、応接室や蔵書庫などがあり、別館の方は主に客人が生活する場所だ。

 ただ、当主であるファナもまた、別館での執務を好む傾向にあったため、このミューティレイク邸は事実上、別館のほうがメインとなっていた。

 さて、その別館にある、本館のものに比べると少々小さめの執務室。

 そこには今、2つの人影があった。

「本気で期待してるんなら、素直にナイトに加えてあげればよかったんじゃないの?」

 部屋の正面にあるファナ専用の執務机。その隣に直角に配された机に座っているのは10代前半の少女だ。

 リディア=シュナイダー。それが彼女のフルネームである。

 若干長めのショートカット。少しきつめの目はまだ多少の幼さを残していたが、その右手にはミューティレイク家の先月の決算報告を示す紙束がにぎられており、左手で手元の紙にペンを走らせる姿は、まるでキャリアウーマンさながらだった。

 だが、それもそのはず。彼女は11歳にしてこのミューティレイク家のスチュアード、つまり当主であるファナの補佐役であり、アオイと並ぶもうひとりの執事としての役割を果たす少女なのである。

「カノンではいけませんでしたか?」

 顔を上げたファナは、まるで春の日射しのような朗らかな微笑みを湛えている。

「ダメってことはないけど」

 そう答えるリディアなどは常々、『この人の笑顔と家の肩書きがあれば大抵の男は落ちるんだろうな』などと、11歳の少女には似つかわしくないことを考えているのだが、それはひとまずおいておこう。

「デビルバスターを目指していたつもりが、間違ってコメディアンにならないことを祈るよ」

「まあ」

 リディアの言葉に、ファナはクスクスとおかしそうに笑った。

「ティースさんは真面目な方ですから。それは大丈夫だと思いますわ」

「カノンの連中だってみんな真面目だよ。ただ、その真面目さがあさっての方向を向いているってだけでさ。ビビさんとかはその典型だよね」

「ヴィヴィアンさんは楽しい方ですわ」

「そりゃファナさんにかかればみんな楽しい方なんだろうけどさ」

 リディアの言うとおり、ファナの人物評には『楽しい人』や『おもしろい人』という表現が頻繁に出てくる。

 ヴィヴィアンの場合は確かにそう表現できなくもないとリディアも思うのだが、たとえば誰が見ても無愛想な人物でさえそう評してしまうことがあり、とある人物いわく『彼女の中では、悪人の逆は善人ではなく、楽しい人か面白い人ってことらしい』なんて言われるほどであった。

「でも、本当にカノンでよかったの? あまり教育に適したチームじゃないと思うんだけどなぁ」

 リディアは話を戻した。

 ファントム。

 ナイト。

 カノン。

 ディバーナ・ロウという部隊を支えているのは基本的にこの3チームだ。

 第一隊の『ディバーナ・ファントム』はこの屋敷で(おそらく)唯一の女性デビルバスター、アクア=ルビナートを隊長とするチーム。

 ただしこの部隊は機動性、隠密性、諜報力を重視した部隊であるため、入ったばかりのティースには少し荷が重い。それはリディアも理解できた。

 第二隊、レインハルト=シュナイダーを隊長とする『ディバーナ・ナイト』は、総合的な見方をすればディバーナ・ロウの最強チームと言って間違いないだろう。

 世間がディバーナ・ロウに対して持つイメージ、つまりはあらゆる魔を蹴散らす正義の味方をそのまま体現しているようなチームで、ディバーナ・ロウを理解するためにも、あらゆるノウハウを学ぶためにも最も適していると言える。

 そして第三隊、『ディバーナ・カノン』。

 ここは正直なところ『イロモノ』チームだ。まず隊長のレアスからして普通じゃない。

 なにしろ彼はリディアより4ヶ月程度年上の、誕生日を迎えてまだ2ヶ月ほどしか経たない12歳の子供なのである。それだけでも普通のチームとはひと味違うことがうかがえるが、その隊長をサポートする3人の中にも少々クセの強いメンバーが揃っていた。

 新人教育という点でいえば、あまりにもアクの強すぎるチームである。

「ティースさんにはカノンだけでなく、将来的にはファントムやナイトにも行っていただこうと思ってますの」

「え? そうなの?」

 ファナの言葉にリディアは目を丸くした。

 それもそのはず。彼女も今までに数人のデビルバスター候補生を見てきたが、最初から複数の部隊に所属させることを想定しているケースは聞いたことがなかったのだ。

 リディアは怪訝そうに眉をひそめて、

「それって、期待してるから? それともそうでもしないとうまく育ってくれそうにないって意味?」

「両方ですわ」

 ためらうことなく、ファナはにこやかに答えた。

「ティースさんには色々なことを学んで欲しいのです。ディバーナ・ロウの将来のためにも、彼の未来のためにも」

「ま、確かに。見るからに今のままじゃ役に立ちそうになかったけどね」

 皮肉っぽいその言葉に対しては、ファナはなにも答えなかったが、

「カノンにはサイラスさんがいらっしゃいますでしょう? なんとなくティースさんに良い影響を与えてくれそうな気がしますの」

「ああ、なるほど」

 リディアはようやく納得顔をした。

「つまりけしかけるってことかぁ。……ファナさんって、なにも考えてないような顔して結構計画的だよね」

「? そうですか?」

 ファナはとぼけた風でもなく首をかしげてみせた。

 あるいは彼女にしてみればその采配は計画的でもなんでもなく、単なる直感じみたものだったのかもしれない。




「こいつらがウチのメンバーだ」

 鍛錬場のようなディバーナ・カノンの詰め所には、ティースと向かい合うように4人の人間が集まっていた。

 まず、最初に口を開いた赤毛の少年。ティースも他の3人も座っていたが、なぜか少年だけは立ったまま、

「一応アオイのヤツに言われてるし、改めて自己紹介しておくぜ。俺が隊長のレアス=ヴォルクスだ」

「あ、えっと……さっそく質問いいかな」

 ティースは手を上げた。

「なんだ?」

「その、レアスくんは――」

「なれなれしく『くん』とか呼ぶんじゃねぇよ」

 子供らしからぬつり目がティースをにらんだ。

「い、いやそれじゃ……レアス隊長?」

「なんだ?」

「隊長はやっぱりデビルバスター……なんですか?」

 レアスは小馬鹿にしたような呆れ顔をして、

「お前、なんにも知らないんだな。まあいい。そのぐらいのことなら後でこいつらにでも聞けよ」

 親指でその他の3人を指し示して、

「お前らも今のうちに適当に自己紹介しとけ。俺はリディアのヤツに呼ばれているから、ちょっと屋敷の方に行ってくる」

 そう言うなり、レアスは長剣を負った背中を向けてさっさと詰め所を出ていってしまった。

(……な、なんか無愛想な子だなぁ)

 面食らった様子を隠そうともせず見送ったティースに、残ったメンバーのひとりが口を開く。

「では私から……確かティースくんでしたかしらぁ?」

 それはメンバー中唯一の女性だった。

 黒縁の眼鏡、白衣姿が場の雰囲気から少し浮いてはいたが、ボブカットで全体的には優しそうな印象だ。歳はティースよりも2、3歳上、20歳過ぎぐらいだろうか。

(でも……なんだろ)

 ティースはその女性にどことなく不自然な印象を受けた。

 どこが、と言われればうまく答えられない。一見上品そうな笑顔、物静かなたたずまい――それらがどことなく『作られたもの』のような、そんな感じを受けたのである。

 鈍感な彼がそう感じるぐらいだ。実際に彼女の仕草はかなり不自然だった。

 綺麗に正座しているようにみえる足は、見るからに形を崩したがってムズムズと動いていたし、ピンと伸ばした背筋も気を抜くたびに丸まりそうになっている。

 少なくともそのたたずまいが彼女元来のものでないことは明らかだった。

 ただ、女性はあくまでそのままで言葉を続けた。

「私、医事担当のフローラ=カンバースと申しますの」

「医事担当?」

 ティースの疑問に、フローラはうなずいて答えた。

「各チームにはそれぞれ、医療に通じたメンバーがひとりずつ入っているんですよ。ここを離れて活動することも多いですからぁ」

「え、でもそれって――」

 危険じゃないのか、と、そう問いかけようとしたティースに、その機先を制してフローラは言葉を続けた。

「ええ。もちろんご覧になってわかる通り、戦うことはとても苦手なのですけど、皆さんがきちんと守ってくださいますからぁ」

 ニッコリと。

「はぁ」

 その瞬間、なぜかティースの目には、眼鏡の奥の瞳がキラリと光ったように感じられた。

 が、それは見なかったことにして、一応社交辞令を述べておく。

「そ、そうだよなぁ。フローラさんて見た感じ、いかにも育ちが良さそうだし――」

「……!」

「……」

「……え?」

 一瞬表情の固まったフローラと、ハッとした他の2人に気付いて、ティースは言葉を止めた。

「あ、え? 俺、なんか悪いことを――」

「そ、そう見えますかぁ!?」

「え?」

 いきなり満面の笑みを浮かべたフローラに、ティースは呆気に取られてそれを見つめてしまう。

 眼鏡の奥は……明らかな喜色を浮かべていた。

「いえ、『わたくし』別に育ちがいいとかそんなことはないんですのよぉ! で、でも、ティースくんにそう見えたのは、もしかすると、『わたくし』の内面の上品さが自然とにじみ出てしまったせいかもしれませんわねぇ!」

「……」

「ティースくん」

 少し離れた場所からヴィヴィアンが手招きしていた。

 ホホホホホ、と不気味な笑い声をあげるフローラがどうやら別の世界に行ってしまっていることを悟り、ティースはこそこそとヴィヴィアンのほうへ近付いていく。

 ヴィヴィアンはそっと耳打ちした。

「彼女は『育ちが良い』とか『上品』とかいう言葉に過剰に反応するんだ。今後は気を付けた方がいいだろう」

「過剰に反応って?」

「ま、つまり実際はそうではないということだよ。……自らをあえて偽ろうなどとは、私には到底理解できない行動だ。まあ、美しすぎてパーフェクトな私には自らを偽る理由などどこにもないのだがね!」

「……」

 無言で振り返ると、フローラはまだ高笑いを続けていた。

(……うーん。この人は普通の人かと思ったのになあ)

 ティースの心に広がりつつあった不安は、おそらく杞憂などではないだろう。

「では私の番だな」

 フローラをひとまず蚊帳の外に置いて自己紹介は続いた。

 ヴィヴィアンは大げさな仕草で目に掛かっていた前髪を払うと、

「ヴィヴィアン=ミットフォードだ。……それ以上の説明は必要あるまい」

 ティースをまっすぐ見つめて口元に笑みを浮かべると、ビッと指先を突きつけた。

「この私の美しい姿さえ見てもらえれば、それだけですべてが理解できるであろう!」

「……はぁ」

 その言葉でティースに理解出来たことといえば、やはり彼がフローラ以上にアレな人物だということぐらいだった。

(どっちもどっちだけど……)

 とはいえ、フローラが医事担当だというのだから、おそらく他の2人は純粋に戦闘用のメンバーなのだろう。彼もそれなりの剣技に長けた人間のはずだった。

「じゃ、あとは俺かな」

 最後にそう言ったのは、フローラやヴィヴィアンの自己紹介を苦笑いで見守っていた、おそらくはティースと同じ年代の青年だ。

 外見は『優男風』と表現するのがもっともわかりやすいだろうか。はっきりいってティースの目から見てもかなりのハンサムで、身長はティースより少し低いが、彼よりはしっかりとした体つき。それでいてスラッとしており、なんとも無駄のない体型だった。

 身につけているものも特に着飾ったものではなく、実用的で動きやすい服装。胸にロケットのようなものをつけている以外は特に飾り気もない。ただ、それでいてそれなりに洗練されたイメージがあるのは、やはり質素であってもモノを選んでいるからだろうか。

(女の子にモテそうだなぁ……)

 羨望でも妬みでもなく、ティースは素直にそう思った。

 というのも、その青年の爽やかなイメージは、他ならぬティースにも充分な好印象を与えていたからである。

「俺はサイラス=レヴァイン。カノンでは唯一のデビルバスター候補生だ」

「え?」

 ティースは怪訝に思って、

「唯一の? ヴィヴィアンさんは?」

「ノンノン!」

 ヴィヴィアンが人差し指を振った。

「他人行儀な呼び方は止めたまえ。これから私たちは生死を分かち合う戦友となるのだからな。私のことはヴィヴィアンと呼び捨てにしてくれたまえ」

 そこへサイラスが口を挟んだ。

「呼びづらかったらビビでもいいんだぞ」

「ノゥッ! ビではない! ヴィだ!! 私はヴィヴィアンだっ!!」

 ヴィヴィアンがサイラスに指を突きつける。

 どうやら彼はそこに異常なこだわりがあるようだった。

「は、はぁ……」

 ティースはそのテンションに少々置かれ気味だったが、

「じゃあ……えっと、ヴィヴィアンはデビルバスター候補生じゃないのか? あ、っていうか、すでにデビルバスターだったりするのか?」

「ティースだったっけ? お前、ホントなにも知らないで来たんだな」

 サイラスは馬鹿にした風でもなく明るく笑いながら答えた。

「まず前提として、このディバーナ・ロウにデビルバスターは4人しかいないんだ。つまり各チームの隊長、アクア隊長、レイ隊長、レアス隊長、それに第四隊……って言っていいかわかんないけど、そこのアルファさんって人」

「あ、そうなのか」

 ティースにとってはもちろん初耳だったが、考えてみればそれはもっともな話である。

 だいたいひとつのチームが4人で構成されるとして、全員がデビルバスターだとすると、第四隊の所属がひとりであることを考えても13人。いくらミューティレイクとはいえ、個人でそこまでの数のデビルバスターを雇うのは、金銭的に可能だったとしても、集めること自体が難しいだろう。

「じゃあヴィヴィアンとかは一体?」

 サイラスはうなずいて、

「俺たちみたいなメンバーの中でも、最初からメンバーに徹する人間と、将来的にデビルバスターを目指す人間と、2種類いるんだ。ビビは前者。俺やお前は後者」

「私の夢は別にデビルバスターになることではないのでね」

 前髪をふわさっと掻き上げてヴィヴィアンはそう言った。

 サイラスが付け加える。

「っていうか、デビルバスターを目指す人間の方が圧倒的に少ないんだよ。今のデビルバスター候補生は俺とお前と、あとパーシヴァルって子がいるだけさ。……ま、正直、努力の他にある程度の資質も必要になってくるからな」

「……」

 その言葉がティースの不安をあおったのは言うまでもない。

(資質か。……俺みたいのがデビルバスターになんてなれるのかなぁ)

「ま、ともかく」

 そう言って、サイラスは改めてティースに手を差し出した。

「同志として、ライバルとして一緒に頑張っていこうぜ。よろしくな、ティース」

「あ、あぁ……」

 そんなサイラスのまっすぐな視線に、ティースは思わず引け目を感じてしまったのだった。




 夕方。

 徒歩でミューティレイクの門をくぐった美しいブロンドの髪の少女は、ポニーテールを微かに揺らし、別館へと足を向けながら小さく辺りを見回していた。

 綺麗に刈り揃えられた芝生。遠くに見える花壇には季節の花が綺麗に咲き乱れている。その世話をしていた使用人の少女が頭を下げた。

 それに軽く応え、逆方向に視線を向けると30代ぐらいの男が立派な庭木の手入れをしている。

「シーラ様。お帰りなさいませ」

「ええ」

 シーラ=スノーフォールは特に戸惑った様子もなく、ミューティレイク家の使用人たちと言葉を交わし、別館の中へと入っていった。

 入った途端、目の前に広がる丸テーブル群にシーラの足が一瞬だけ止まる。さすがの彼女もこのミスマッチな光景にだけは、慣れるのに多少の時間がかかりそうだった。

「おや。王女様のお帰りか」

 そこに座っていたのは、旅人風の精悍な青年。

 昨日ここにやってきたばかりのシーラでも、その青年のことはよく知っている。

「レイさん、だったかしら」

「ああ。ヒマならそこに座ったらどうだ? ひとりで飲むのも淋しいもんでな」

 第二隊ディバーナ・ナイトの隊長、レインハルト=シュナイダーである。シーラにとっては命の恩人のひとりであり、この屋敷においては先輩でもあった。

 だが、シーラはきっぱりと、

「遠慮するわ。この時間からお酒を飲む気にはなれないし、そういう歳でもないもの」

「別に酒に付き合ってくれなくてもいいんだがな」

 レイは笑った。

 片手に握られたコップに入っているのは麦酒だろうか。

「美人の顔なら、眺めるだけでもずいぶんと違うもんだ」

「……」

 その言葉に、シーラは嫌悪感を隠そうともせずに眉をひそめた。

「そういう理由なら、なおさらお断りよ。私は男に鑑賞されるために生きているわけじゃないの」

「……ほう」

 レイは特に気分を害した様子もなかった。それどころか、少し興味深げにシーラのことを見つめている。

 そしてわざとらしく話題を変えた。

「ティースなら今ごろ、カノンの詰め所でしごかれてるんじゃないのか?」

「だから?」

 階段の手前でシーラは振り返った。

「様子、見に行ったりしなくていいのか?」

「私が? なぜ?」

「……なるほど」

 クックッと、のどを鳴らすようにレイは笑った。

「お前らはホントにおもしろいコンビだな。どういう関係なのかいまいち見えてこない」

「そうかしら」

「ああ。最初は駆け落ちしてきたどっかのお嬢さんと使用人かとも思ったが」

「……」

 レイの勝手な推測に、シーラは不快そうに目を細めた。

「だが、それにしちゃお嬢さんは他に男がいるらしいし、使用人の方はそれを気にしている様子もない」

「……なにが言いたいの?」

 シーラは不機嫌を隠さなかった。人形のように整った顔立ちがわずかな感情を露わにしてようやく人間味を帯びる。

 それを見たレイは口元を緩めた。

「いいや、別に。ただ、あいつがお前のためにあそこまで一生懸命なのはどうしてかと、純粋に疑問だっただけさ。その美しさの虜になったといえば簡単に説明できそうなんだが、そうでもなさそうなんでね」

「理由なんて知らないし、どうでもいいわ」

 それに対してのシーラの返答は、あまりにも素っ気ないものだった。

「あいつが尽くしてくれるというから、私はそれを利用してるだけよ。なにか問題でもあるの?」

「そう突っ掛かるなよ」

 レイは愉快そうにコップを口元に運ぶ。

 一呼吸。

 空になったそれをテーブルに置くと、冗談交じりに、だが、明らかに試すような声色でレイは言った。

「そういう態度、逆にお前自身が納得してないように見えちまうぞ」

「……」

 口をつぐんだシーラに、レイは再び口元を緩めた。

「なに、深く詮索する気はないさ。けど、半端な決意で進むにゃキツすぎる道だからな。あいつの決意の源がどこにあるのか、それがどれほどのものなのか。少し気になっただけのことだ」

「……知らないわ」

「いつ死んでもおかしくない仕事だからな」

「知らないって言ってるでしょう。……だいたい」

 シーラの表情から突然いらだちが消え、スッと表情が失われた。

 そして淡々と言い放つ。

「私が強制したわけじゃない。あいつが選んだ道よ。あいつがどうなろうとあいつの勝手。死んだら死んだで――それこそ」

 一転、怖いほど整った顔に氷の微笑が浮かんだ。

「私の美貌を持ってすれば、貢いでくれるだけの男なんていくらでも見つかる。あいつの世話なんてなくたって」

「……なるほど」

 レイは否定しなかった。

 それは彼女の自信過剰でもなんでもなく、おそらくは事実だろう。もちろん彼女にその気があれば、の話だが。

「わかったなら、これ以上余計な詮索はしないで欲しいわね」

 微笑のまま、シーラは背を向けて階段を上がっていく。

「……」

 レイもまた無言で、冷たく美しいブロンドの少女を見送ると、もう一度、口元に笑みが浮かんでつぶやいた。

「……かわいいやつだ」

「あら、レイくん。それは聞き捨てならないわね」

「……」

 レイが口をつぐんで振り返った先。

 3メートルと離れていない、先ほどまでなんの気配もなかったその場所に立っていた人物に、レイは特に驚いた様子もなく首を横に振った。

「ま、いきなりそこまで近付けるのはお前ぐらいのものか」

「他人の奥さんに手を出そうだなんて、おねーさん見逃せないなぁ」

 第一隊ディバーナ・ファントムの隊長アクア=ルビナートは、からかうような色をそこに浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってレイの向かいへと腰を下ろした。

「奥さんねえ。ありゃ本当に奥さんって感じでもなさそうなんだけどな」

 レイは頭の後ろで手を組んで背もたれに体を預け、テーブルに足を乗せて椅子を傾ける。

 アクアは階段の方を見ながらうなずいて、

「確かに彼女の方は意外に冷たいのよねぇ。死んだら死んだで、なんて、あれじゃ旦那も浮かばれないなぁ」

「ま、それはさすがに本心じゃないだろうが」

「でもねえ。旦那があれだけ一生懸命やってるんだから、少しぐらい素直に応えてあげてもいいと思わない?」

「……そんなもんかね」

「なに?」

「いや」

 レイは体を伸ばすようにして、豪華なシャンデリアの揺れる天井を見上げながら、

「もっと色々と複雑そうだなと思ってね」

「あら? 昨日は、どうせ愛情の裏返しじゃないのか、なんてわかった風なこと言ってなかった?」

「それは撤回だ。……ま、複雑になっただけで結局のところは同じことなのかもしれんが」

「?」

 まるで理解した様子もない、怪訝そうな顔のアクア。レイは横目でそれを見ると、小馬鹿にしたように鼻で笑って、

「お前はそんなんだから、いっつも男に逃げられるんだぞ」

「なっ……ちょっとレイくん! それは聞き捨てならないなぁ!」

 アクアは思いっきり身を乗り出すと、胸に右手を当てて、

「言っとくけど、これでもあたしに言い寄ってくる男なんてごまんといるんだぞ!」

「しかしまあ、いざとなると誰も彼もが後込みして逃げ出しちまう、と」

「うっ……!」

 どうやらかなり身に覚えがあるらしく、アクアは言葉に詰まった。

「い……いいのよ。いつかきっとあたしのことを理解してくれる王子様が現れるんだから……」

「何十年先の話やら」

「何十年単位!?」

「三十路まであと7年を切った女にゃ厳しい話だな」

「あぁぁっ! それ以上歳のことは言わないでぇぇっ!」

 アクアは耳を塞ぎ、崩れるようにテーブルに突っ伏してしまった。

 こういった反応といい、この歳でお団子頭にするところといい、彼女はどうも大人っぽい部分と子供っぽい部分とのギャップが激しい人物だった。

 とはいえ、そういう部分がまた、この屋敷内での彼女の人望にもつながっているのかもしれない。

 レイはゆっくりと身を起こして、

「で? その旦那の方はどうなんだ? どうせ様子でも見に行ってたんだろ?」

 だがその視線の先で、アクアは頭を抱えたままだった。

「し、仕方ないわ……こうなったら今夜中に力尽くでもアオイくんをモノに――」

「おい」

 ゴン!

「った~~~~~っ! ちょっ、今、もしかしてコップの底で殴った!?」

「夜這いの計画なら後でひとりで立ててくれ。……で?」

 コップを置いて平然と先を促すレイ。

「新入りは役に立ちそうなのか?」

 アクアは恨みがましい目で後頭部を撫でながら、

「あ、えっと……あー、もう。レイくんが頭を打つから旦那の名前忘れちゃったじゃない」

「お前が顔と名前を覚えないのは元からだろ。ティースだ」

「ああ、ティースくんね。……なんかねー。とりあえずダメっぽい」

「全然か?」

 その問いにアクアはうなずいて、

「まあサイラスくんに歯が立たないのは今は仕方ないけど、ビビくんにまで軽くあしらわれちゃってるんだもの。レアスくんなんか、役立たずが来たって機嫌悪くしちゃって」

「そうか」

 レイは特に意外に感じた風でもなかったが、アクアは納得できない顔で首をひねる。

「アオイくんの言うように、地下での彼の動きはあたしも結構見どころあると思ったんだけど、レイくん、どう?」

「ああいうタイプにはよくあることさ」

 悟ったようにレイは答えた。

「能力をすべて引き出すだけの精神的体力がまったく足りてないんだろう。簡単に言えば、追い詰められなきゃ実力を発揮できないタイプさ」

「見込み、あると思う?」

「追い詰められて役に立たなくなるタイプよりはマシだが、どうだろうな。この仕事を甘く見ているうちは絶対に無理だと思うが」

 バッサリと切り捨てたレイに、アクアは首をかしげて、

「甘く見てるってことはないと思うけど。実際一度は現場を見てるわけだし、その上で彼には彼の目的があってここに来たわけじゃない?」

 その言葉をレイは特に否定しなかった。

「いずれにせよ、ピンチにならなきゃ力を発揮できないってんなら、もってせいぜい3ヶ月ってところだろうな」

「諦めちゃうってこと? 彼、そんな根性なしかな?」

 アクアの疑問に振り返って、レイは鼻で笑うと短く言い放った。

「いや。……命がもって3か月ってことさ」




 鍛錬場を思わせるディバーナ・カノンの詰め所では、この日、昼前から夕方まで休みなく、激しく甲高い打撃音が響いていた。

「くはぁっ……はぁっ……!」

「……」

 堅い木刀を正眼に構えたティースと向かい合うのは、ウェーブがかった長髪の青年、ヴィヴィアン=ミットフォードだ。

 ティースの全身には滝のような汗が流れ、疲労を色濃く映した瞳は虚ろ。対するヴィヴィアンは木刀を片手で適当に持っているだけで、構えさえ見せていなかった。

「おい、ティース! てめえ、いつまで休んでるつもりだ!」

 対峙する2人を見ていた3人の人物。その中のひとり、このディバーナ・カノンの隊長である少年からイライラしたような声が飛んだ。

「くっ……!」

 子供とはいえ、充分な威圧感のある怒声にティースの体は押し出されるように動いた。

 だが、まるで宙に浮いたような浅い踏み込み、力強さの欠片もない打ち込みはヴィヴィアンの手元に届く間もなく弾かれた。

「っ!」

 甲高い音を立てて、ティースの木刀が宙を舞う。

「隊長」

 ヴィヴィアンが息を吐く。

「今日はこの辺にしておこうではないか」

 丸腰になったティースに木刀の先を突きつけてそう言った。

「初日からこれでは、ティースくんも厳しかろう。それに、これ以上やったところで良い結果が出るとは思えんよ」

「ちっ……」

 ガクリと膝をつき肩で息をするティースを、レアスはイライラした目で一瞥すると、

「やる気も実力もねぇヤローがこんなとこに来てんじゃねぇよ! 役立たずはとっとと消えちまえっ!」

「はぁっ……くっ……!」

 反論する余裕もなく、ティースの視線は床を見つめたままだった。

 ……いや、余裕があったところで反論などできようはずもない。

(こんなに……力差があるなんて……)

 力試しにと挑んだサイラスとの試合。お互いが本気でやろうと示し合わせたその試合の結果は、わずか一撃、ほんの5秒ほどの決着――決着というのもおこがましいほど、ティースはなにもできないままだった。

 いつ打ち込まれたのかもわからない。ただ、気が付けば手に痺れるような衝撃が走り、木刀が宙を飛んでいたのだ。

 続くヴィヴィアンとの試合。

 あくまでサポート役、デビルバスターを目指してすらいない彼との試合もまた、結果は同じ。

 次元が違う、とさえ言える内容だったのだ。

 ティースが落胆するのも当然だった。

「……ま、そう落ち込むな、ティース」

 タオルをかぶり壁際に移動してうなだれたティースに、隣のサイラスが軽くその肩を叩いて励ました。

「お前はまだ来たばかりだ。勝手がわからなくて当然さ」

「……」

 ティースにはそれに答える気力もなかった。

(……遠すぎる……)

 アオイにスカウトされたことで、ティースの中にも多少のうぬぼれらしきものが生まれていた。自分にも少しぐらいは見込みがあるんじゃないかと心のどこかで思っていたのだ。

 だが、ここで起きた一連の出来事は、その甘い考えを跡形もなく打ち砕くのに充分すぎる内容だった。

 勝手がわからないとか、そういうレベルの問題ではない。

 歴然とした力の差だ。

「おい、ビビ。体力が残ってるなら少し肩慣らしに付き合え。つまんねぇ試合を見てストレスが溜まっちまった」

 レアスが長羽織を軽くはためかせ、木刀を片手に立ち上がる。

「ふむ。別に構わないが、今日の私は絶好調だ。怪我をしても知らないよ」

「アホか。てめえがどうやって俺に怪我させるってんだよ」

 数言のやり取りがあって、沈黙。

 ぼんやりとしたティースの耳に、それはまるで幻聴のようにしか聞こえていなかったが、

「おい、ティース。見てみろ」

「……?」

 サイラスの言葉にティースが顔を上げると、ちょうどレアスとヴィヴィアンの試合が始まるところだった。

 ヴィヴィアンはティースのときと同じように、片手の無造作な構え。どうやらティースを見下していたわけではなく、これが彼のもともとの構えらしかった。

 対するレアスは剣先が床に擦りそうなほど下段の構え。

 両者の視線がぶつかり合うところに、渦のような熱量が生まれているようにティースには感じられた。ヴィヴィアンの視線にも、さっきまでとは比べものにならない真剣さがあって。

(俺とやってるときはやっぱ本気じゃなかったのか……)

 それに気付いて、ティースは再び落胆した。

(……これ以上は――)

「うなだれるな、ティース。良く見ろ」

「っ……」

 サイラスに首根っこをつかまれ、ティースは仕方なく顔を上げた。

 ――動く。

 打ち込んだのはヴィヴィアンだ。

 まるで、なにかに突き動かされたかのように。

(あっ……そんなのじゃ――)

 ティースがそう思った瞬間だった。

 ヴィヴィアンの長めの腕から繰り出された剣筋は急激に加速度を増し、まるでムチのようなしなりでレアスの体に迫る。

(当たる……いや!)

 レアスが動いた。

 引いたのではない。無謀とも思える突進だ。

 ただ、

(なっ……!?)

 その動きは驚愕に値するものだった。

 小柄な体躯が地を這うように移動したかと思うと、変則的な軌道を描くヴィヴィアンの太刀筋を難なく避け、その懐に入り込んだのだ。

 カッ……!

 レアスの手にした木刀が床と軽くこすれ合う。風を起こしながら跳ね上がった太刀はヴィヴィアンのアゴへと吸い込まれるように伸びた。

「く……」

 だがヴィヴィアンも黙ってはいない。

 バックステップを踏み、その剣筋からかろうじて逃れる。

「――!!」

 ティースは再び息を呑んだ。

 ……剣筋にばかり集中していたティースの視線がレアスの方へ――その体がある『はず』の場所へ移動したとき、そこに彼の姿はすでになかった。

 同時に、ヴィヴィアンのアゴを狙っていた剣筋が、まるで残像のように消える。

「あっ……」

 ティースが次にレアスの体を『見つけた』のは、バックステップを踏んだヴィヴィアンの、そのさらに背後。

「くっ――!」

 気付いたヴィヴィアンが体勢を立て直そうとしたときにはすでに遅い。

「っ……」

 勝負は決していた。

 レアスの木刀は斜めにヴィヴィアンの体を袈裟切ろうという辺りで止まり、ヴィヴィアンは額に汗をにじませながら両手を挙げて降参のポーズ。

 少し離れたところでそれを見ていたフローラは、パチパチと手を叩いて喜んでいる。

「隊長! お見事ですわぁ!」

「すっ……すごい……」

 その光景に目を見開いたティースは、思わず正直な気持ちを声に乗せていた。

「これが、デビルバスター……」

「たいしたものだろ、ウチの隊長も」

 サイラスの言葉に、ティースはそのままの表情でただただうなずく。

「ああ。あんな動きができるなんて……」

 口をつくのは、なんの変哲もない感嘆の言葉のみ。

 本来ならそれを見て、さらに自信喪失するはずだったかもしれない。だが、今のティースは驚きと興奮の感情がそれを大きく上回っていた。

「……」

 そんなティースの反応を満足そうに見つめ、サイラスは笑顔でもう一度その肩を叩く。

「けどな、ティース」

 そして立ち上がった。

「お前も、やっぱり大したものだよ」

「……え?」

 ヴィヴィアンが、やれやれというように両手を広げて戻ってくる。

 立ち上がったサイラスは木刀を片手にしていた。どうやら次は彼の番らしい。

「普通なら今の試合、目で追うことも難しい。けど、お前の目、隊長の動き、太刀筋の動きをほぼ正確に追ってたじゃないか」

「……あ」

 自分でも気付かなかったその事実に、ティースは少し戸惑って、

「いや、でもそれはたまたま……」

「たまたま、か。……んじゃ、それが本当にたまたまだったかどうか、確かめてみるといい」

 笑顔でそう言ったサイラスの瞳に、瞬間的に炎が灯った。

「俺と隊長の試合でな」

「あ……」

 背を向けたサイラスは、すでに声をかける雰囲気になかった。無駄のない体つきがひと回り大きく見えるような、そんな錯覚をティースは覚える。

「ティースくん。見ているといい」

 戻ってきたヴィヴィアンが、チラッとサイラスの背中を見送りながら言った。

「彼が今、おそらくはこのネービスで、もっともデビルバスターに近い一般人だ」

「え……?」

「実力は折り紙付き。おそらく来年のデビルバスター試験、彼は確実に受かるだろう」

 対峙したレアスとサイラス。

 先ほどと同じ構えのレアスからは、そのとき以上の緊張感がほとばしっている。

 対するサイラスもまた。

 まるで本気の殺し合い――そんな雰囲気をティースは感じていた。

 そうして始まった試合。

 ティースにとってそれは、一瞬のようにも永遠のようにも感じられた不思議な時間。

 超人同士が互角に打ち合ったその内容は、彼にさらなる劣等感と、それをはるかに上回る憧憬を植え付けたのだった。


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