その4『サバイバル~10日目~』
幸いなことに、その日はどこからでも太陽の姿を確認することができた。雲ひとつ浮かんでいない蒼空の下、ある者は落胆し、ある者は疲弊した体を引きずり、そしてある者は次のステージへ向けて気を引き締めなおしながら。
10日目の正午。
この時間をもって、50箇所あるリタイア用の入り口は、第3試験『サバイバル』合格者たちの通用門へと変わる。
それから6時間以内、つまり18時までに『クライアント』を手にしてここを出た者のみが、最終試験『トーナメント』へ駒を進めることができるのだ。
最初の合格者が生まれたのは12時13分のことだった。それからパラパラと、途中、森を出ようとした受験生に獣魔が襲い掛かって試験官に退治されるというようなアクシデントもあったが、15時までに9名の合格者が生まれた。
そして、そのころの帝都。
デビルバスター試験会場の待合室では、合格者の名前が逐一発表され、そのたびに各国のスカウトや受験者の身内などがどよめきを上げていた。
「――番。ステルシア=ブライトン。第3試験、10人目の合格者とする」
10人目、本試験では初めて女性の合格者が発表される。
時間は16時を回っていた。
――例年よりもかなり少ない。
――今年はレベルが低いのか。
――いやなにかアクシデントがあったらしい。
会場が例年以上にざわめき、憶測の入り混じった情報があちこちで乱れ飛んでいたのは、ファティマ=ヴェルニーやルドルフ=ティガー、ヒューイット=レーゼルといった、試験前に有力候補としてささやかれていた面々の名前が、いつまで経っても合格者として挙がってこなかったことが原因だった。
そんな中、
「……ティース様もパースくんも、なかなか戻ってきませんね」
フィリスが心配そうにつぶやきながら視線をさまよわせる。
羊を思わせるくせっ毛が心配そうにふわふわと揺れていた。
「そうね。なにをのんびりやっているのかしら」
そんな彼女に隣で言葉を返したのはシーラである。
2人はティースとパーシヴァルの結果を聞くため、パメラとクリシュナを留守番役に残し、朝からこの会場へとやってきていた。
ティースもパーシヴァルも、今のところリタイヤしたとの情報は入ってきていない。つまり2人ともまだ試験会場である森の中ということになる。
通常だと、ここまでリタイヤしていないのは、第3試験を突破する可能性が極めて高いということになるのだが、今年の試験がなにやらキナ臭い雰囲気であるらしいうわさは、すでにシーラたちの耳にも届いていて、2人とも言葉には出さないものの、若干の不安を覚えていた。
合格までのタイムリミットはあと2時間弱。にもかかわらず、ここまでリタイヤしていない受験生の数は40名。うち10名はすでに合格者として発表されていたから、森に残っているのは約30名ということになる。
これは異常なことだった。
『クライアント』を所持し、合格条件を満たしている受験生は、12時を過ぎてすぐに試験会場から出てくるのが普通だ。例年15時を過ぎるころには残った受験生の9割程度は合格者として森から出てきている。試験会場に長く残っていてもなんのメリットもないのだから当然のことだ。
にもかかわらず、今年は16時時点で40名中10名しか戻ってきていない。
残った30名。
これがどういう状態なのか、考えられるケースは3つあった。
ひとつは、合格条件を満たしていながら森から出られないケースだ。道に迷って出口の場所がわからなくなっていたり、出ようとする途中に獣魔の襲撃を受け、撃退にてこずって出口までたどり着けずにいる者、中には日付を勘違いしていて翌日が試験終了日だと思っていた、なんてケースも過去には何度かあった。
このケースの場合、事情があって遅れているだけなので、タイムリミットにさえ間に合えばなんの問題もない。つまり、合格する可能性がまだまだ残されているグループである。
2つ目は現時点で『合格条件を満たしていない』ケースだ。つまり合格条件である『クライアント』を獣魔から守りきれずに失ってしまった者である。
この場合、タイムリミットギリギリまで自分の、あるいは他人のクライアントを求めて森をさまようことになるが、獣魔に奪われたクライアントはボロボロに破壊されてしまっているのが普通だし、他人が誤って落としたクライアントをこのタイミングで偶然発見できるなんてことはまずあり得ない。
だから、このケースの受験生たちはタイムリミット後、不合格者として森を出てくることがほとんどだ。……中には出口付近で別の受験生を待ち伏せし、クライアントを奪おうとする者もいるが、相手も警戒している上、その付近では試験官の目も光っているから成功する可能性はほとんどない。
そして3つ目は、すでに命を落とし、あるいは動けなくなるほどの重傷を負って、かつ試験官にまだ発見されていないケースである。
これら3つのケースのうち、1つ目と2つ目のケースに当たる人数は、その年ごとに大きな変化がないのが普通で、つまり今年の場合は、3つ目のケースに該当する受験生が異常に多いのではないかと考えられていた。
そのうわさが会場内のざわめきを大きくしていたのである。
……と。
そのとき、会場の隅がいっそう大きくどよめいた。
シーラが騒ぎの方向へ視線を移すと、そこには、デビルバスター協会の事務官らしき男と、その彼の言葉にうつむいたまま動かない女性の姿が見えた。
なにか悪いことがあったのだろう、と、容易に想像できた。
無言で視線を逸らす。隣を見ると、フィリスも同じものを見ていたのだろう。少し表情をこわばらせていた。
直後、1名の受験生のリタイヤが会場に告げられる。
先ほどの女性は、おそらくその受験生の関係者なのだろう。
「……」
いつの間にか、シーラとフィリスの間には会話がなくなっていた。
ふと会場の外に視線を向けると、外はだいぶ暗くなっている。時間を見ると17時近かった。
10人目の女性以降、合格を告げる事務官の声は聞こえていない。代わりに、この1時間で11名のリタイアが発表された。その大半が死亡によるリタイヤであろうことは、会場の雰囲気でなんとなく察することができる。
17時を回って、さらに3名のリタイアが告げられた。
幸か不幸か、その中にティースとパーシヴァルの名前はない。
「遅い……ですね」
「そうね」
不安になっているのだろう。フィリスの声は少し小さくなっていた。
もちろん、シーラもなにも感じていないわけではない。ただ、なにも情報がないのだから、余計なことを考えても仕方ないと割り切っているだけだ。
「駄目なら駄目で、とっとと戻ってくればいいのに。待つ方の身にもなってほしいものね。……寒くない? フィリス」
「あ、はい。大丈夫です」
開け放たれた入り口から入り込んでくる風は少し冷たくなっていた。だが、会場にはたくさんの人が詰めているので、それほど寒さは感じない。
残りは15名ほどだろうか。
17時30分。
1名のリタイアが告げられる。
「――番。シアボルド=マティーニ。要件を満たさなかったため不合格とする」
その名に反応する者は会場には誰ひとりいなかった。
「……」
「……」
会場もしんと静まり返っている。
あと20分。
会場の外から馬のいななきが聞こえた。
ひとりの事務官が駆け込んでくる。おそらくは試験会場からの早馬だろう。
またリタイヤだろうか。
それとも――
「――番。パーシヴァル=ラッセル」
ハッとする。
隣を見ると、目を大きく見開いたフィリスと視線が合った。
2人同時にその視線を事務官のほうへ向ける。
息を呑む。
「第3試験、11人目の合格者とする」
はっきりと、事務官の言葉が聞こえた。
と同時に、フィリスが文字通り飛び上がって手を叩く。
「やりました、シーラ様! シーラ様! パースくんが!」
「落ち着きなさい、フィリス。試験が終わったわけではないのだから」
そう言いながら、シーラもホッと短く息を吐く。
喜びよりもどちらかといえば安堵の方が強かった。
それに、まだ――
「あ――」
そんなシーラの心情を察したのか、一転してフィリスの表情が曇る。
「そ、そうですよね。まだティース様が……」
そして申し訳なさそうに声を小さくして言った。
シーラはそんな彼女に微笑みを向けて、
「違うわ、フィリス。まだ最終試験が残っているという意味よ。ティースのことはまた別の話」
そうしているうちに、残り10分を切った。
あるいはパーシヴァルと一緒に行動していて、立て続けに名前を呼ばれるのではないかとかすかに期待していたが、どうやらそうではなかったらしい。
シーラはフィリスに言った。
「あなたは先に宿に戻ってなさい。パーシヴァルもあと1時間もすれば戻ってくるだろうし、出迎えてあげるといいわ」
だが、フィリスは首を横に振った。
「いえ。私もティース様の結果が気になります。それに宿にはパメラちゃんやクリシュナ様もおられますし」
「……あなたが出迎えてあげることに意味があると思うんだけど」
「?」
「まあ、いいわ」
これ以上は余計なお節介になりそうだったので、シーラはそれ以上なにも言わなかった。
そんな話をしているうちに、とうとう時間は18時を回る。
「……ダメ、かしらね」
まだ完全に締め切られたわけではない。試験会場からここまで早馬で20分はかかる。18時ギリギリに合格者が出たとすると、それがここで発表されるのが18時20分ごろ。試験官が締め切りのアナウンスをするまで、可能性はゼロではない。
だが。
先ほどもいったように、合格者は前半に集中するのが普通である。パーシヴァルのように17時台で合格者が出ること自体が稀だ。だから18時過ぎてから合格者が発表されるなんてことはほとんどない。
だからシーラもフィリスもなかば諦めムードだった。あとは無事に戻ってきてくれさえすれば、と願うのみ。
――と。
そのときだった。
「おおーい」
結果の出た受験生の関係者たちがいなくなり、結果を待つ人々の姿も半分ぐらいに減った会場の中に、妙に聞きなれた声が響く。
「え?」
フィリスは最初気付かなかったらしい。
だが、シーラはすぐにそれが誰の声なのかわかった。
「シーラ様?」
辺りを見回すシーラに、怪訝そうな視線を向けたフィリス。
だが、
「おおーい、こっち、こっちー」
次の呼びかけに、フィリスも気付いたようだ。
「え……」
2人で辺りを見回すと、会場を埋める人垣の中、他の人々より頭ひとつ分ぐらい抜けた、見覚えのある顔の青年が、彼女らに向かって手を振っているのが見えた。
「ティ、ティース様!?」
「ティース?」
パッと顔を輝かせたフィリス。
だが、シーラは喜ぶよりも先に怪訝そうな顔をした。
そんな2人のもとへ、人垣をかき分けながらティースがやってくる。
……その格好を見て、シーラはますます怪訝な顔をした。
服装こそ、試験を受けにいったときと変わらない。だが、10日間を森の中で過ごした直後にしては、髪や体が汚れていなかった。
いや、そもそも――
「2人ともやっぱり来てたのか。パメラは留守番か? パースの結果はどうだった?」
相変わらずのとぼけた笑顔を浮かべながら、ティースは矢継ぎ早にそう質問した。
「ちょっと待ちなさい」
だが、シーラは眉間に皺を寄せてその質問をさえぎる。
当然の反応だった。
「お前のほうこそどうしたの? 合格もリタイヤもまだ発表されてないわ。それにその格好……」
するとティースは、一瞬頭の上にハテナマークを浮かべて、
「え? あ、そっか。まだ発表されていないのか」
「どういう意味?」
と。
シーラがそう質問したところで、会場の外から再び馬のいななきが聞こえた。
早馬だ。
おそらくは18時時点の最終結果を伝えるものだろう。
駆け込んできた事務官が、発表担当の事務官になにごとか伝える。
そして場内にアナウンスがあった。
「――番。ティーサイト=アマルナ。第3試験、12人目の合格者とする。なお、これをもって第3試験は終了したものとする」
「え?」
その事務官とティースの顔を見比べながら、フィリスが不思議そうな顔をする。
それはシーラも同じだった。
「……どういうこと?」
終了時刻ギリギリに合格したのだとすると、ティースがすでにここにいることの説明がつかない。かといって、もっと早い時間に合格していたのならば、発表が最後の最後になる意味がわからない。
「ああ、えっと……」
説明を求めるシーラに、ティースはちょっと困ったような顔をして、
「ちょっと面倒な話なんだ。とりあえず宿に戻ってから説明するよ」
と、言った。
そこへ事務官のアナウンスの声が続く。
「これより第3試験を合格した12名の氏名を読み上げます。――番、イストヴァン=フォーリー。――番、――、――番、パーシヴァル=ラッセル。――番、ティーサイト=アマルナ。――番、――」
人々が次々と会場を出て行く。
「なお、残る13名の受験生についてはこれより試験官による状況確認が行われます。この後2時間はこの会場において逐次状況をお伝えします――」
ティースのいう『ちょっと面倒な話』については、そこから1時間ほどさかのぼる。
「……合格、ですか?」
ティースは驚きとともにそう聞き返していた。
帝都内にあるデビルバスター協会本部、3階建ての2階にある客用の個室で、ティースはクッションのきいたひとりがけソファの上にいる。
「ああ、そうだ」
机を挟んで向かい合っているのは、顔見知りのデビルバスター、ディグリーズのクインシー=フォーチュンだった。変な、いや、少々特徴的な、全体を横に流した前髪を軽く手で梳くように直して、クインシーは机の上で手を組み、まっすぐにティースを見つめている。
「協議の結果、そういうことになった。私としては妥当な判断だと考えるがね」
「え、でも……」
ティースは戸惑いの声をあげる。
あの日――ルドルフと剣を交えた後、ティースは試験を中断し、状況をデビルバスター協会へと伝えた。それから3日の間、宿には戻らずにずっとこのデビルバスター協会本部に留まっていたのである。
クインシーは言った。
「この3日間の調査で、死亡したルドルフ=ティガーが数名、あるいはそれ以上の受験生を殺害したのはほぼ間違いないと判断された。なおかつ、君がその情報を持ち帰って調査を開始して以降、受験生の不審死はぱたりと止まった。それが君の功績であることに疑いはないし、それをもって第3試験に合格したと見なすことは決しておかしなことではない、と、私は思っている」
ティースの証言を聞いて、最初は協会側の動きも鈍かったが、ちょうど最終試験の審査員として帝都に来ていたクインシーと再会したことで事態は急速に動いた。
ティースの証言を元に試験の裏では調査が行われ、その結果、クインシーが言ったように、多くの受験生たちの不審な死が、そのやり口、傷口の形状などから、ルドルフの仕業であることが証明されたのである。
それは結果的に、ティースの証言が正しいことの証明ともなった。
「まあ、それでもだいぶ揉めたがね。私と同じような外部のデビルバスターたちは皆、君を合格させるべきだと主張したのだが、デビルバスター協会の連中はどうにも頭が固くてな。前例がないことに後ろ向きなのはどこの組織も一緒のようだ」
「……」
「どうした? あまり嬉しくなさそうだが」
クインシーは怪訝そうだった。
もちろん嬉しくないわけではない。ティース本人はリタイヤしたつもりでいたのだから、なおさらのことだ。
ただ――
「シアボルドは?」
すっきりしなかった。
「シアボルド=マティーニか」
クインシーは少しだけ視線を流した。
「君も理解していると思うが、彼に関しては証拠がなにもない。君自身、決定的ななにかをつかんでいるわけでもないのだろう?」
「それは……そうです」
そのことはティースにもよく理解できていた。
そもそもティースが彼を疑ったのは、彼の態度や、状況的に必要がなかったにもかかわらずルドルフを殺したこと、あとは彼がそのときに使った武器が、以前ティースに向けられたことがあること……それらを総合して推測した結果だ。
つまりどれも決定的な証拠がない。ティースの証言が100%信用されるという前提でさえ、すべては状況証拠に過ぎなかった。
結果、捜査の手は結局シアボルドにまでは伸びず、ティースはそれが心に引っかかっていたのだ。
「君は、なかなか正義感の強い性格のようだ。それは私にとっても好ましいものではあるが、ね」
クインシーは言い聞かせるような口調で言った。
「少なくとも君はファティマ=ヴェルニーの仇を討った。自らの身の危険や不合格となるリスクを負って、実力のある相手に果敢に挑み、それを成し遂げた。……それ以上を求めることも決して悪いことではないが、妥協点を探すことも大事なことだよ」
「……」
「つまり、そろそろ自分の試験に集中してはどうか、という、まあいわば提案だ」
「……はい。ありがとうございます」
クインシーの言うことは十分に理解できた。
現時点でシアボルドを糾弾することは難しい。それに、再び試験に挑戦できるという事実は、ティースにとってやはり魅力的なことでもあった。
クインシーは満足そうにうなずく。
「礼には及ばないよ。礼などいらないから、君がディバーナ・ロウを抜けて、私のもとに来てくれればそれが一番良いのだが」
「はは……」
冗談だと思い、ティースは笑って返したが、クインシーは最後まで冗談だとは言わなかった。
「これは私の推測だが、ルドルフ=ティガーはおそらく魔の協力者の一味だろう。公にはなっていないが、過去にも何度かそういう輩が試験に紛れ込んだことがあるらしい」
ティースは驚いて、
「魔の協力者? 魔の組織に協力している人間ということですか?」
「珍しいことじゃないよ。特にヴォルテスト条約に加盟していない南の国々にはそういった連中が多いと聞く。連中にとってこのデビルバスター試験は、将来有望なデビルバスターのたまごたちを潰すのに絶好の機会だ。シアボルドについてもそっちの方向で秘密裏に調査が継続されることになる。だから、仮にあの男がクロだったとして、来年も同じことをしようとしたとしても、おそらく今年と同じようには行くまい」
「そうですか……」
その説明に、ティースは少しだけ胸のつっかえが取れたような気がした。
クインシーは満足そうにうなずいて、
「さあ、君もそろそろ会場のほうに向かったらどうだ? 君の合格の報を待っている者がいるのではないか?」
と、言った。
「あ、そうですね」
ティースは宿で待っているシーラたちのことを思い出す。
パーシヴァルが合格できたのかどうかも気になった。
ゆっくりとソファから腰を上げる。
「それじゃあ失礼します。クインシーさん、今回はありがとうございました」
「先ほども言ったが、礼には及ばんよ」
そんなクインシーに対し、ティースは精一杯の感謝を込めて一礼すると、部屋を出たのだった。
ティースとパーシヴァルが第3試験に合格した夜、ささやかなお祝い会が催されることになった。
「実は協力してた人に、最終日の朝にクライアントを盗まれてしまいまして。正直、もう間に合わないかと思ったっす」
会場は宿から徒歩5分ほどの場所にある小さな酒場。宿に留守番のクリシュナとパメラを残し、ティース、シーラ、パーシヴァル、フィリスの4人が顔を揃えていた。
「そいつはどうやら初日にクライアントを失くしていたらしくて、最初からそのつもりで俺に近付いたみたいっすね。結局逃げたそいつを見つけて奪い返すことには成功したんですが、今度は道に迷ってしまっていて」
「それであんなにギリギリだったのね。なかなか出てこないものだから心配してたのよ」
シーラは呆れたように言った。色白の頬が今はほんの少しだけ朱に染まっている。手には果実酒。それで3杯目だった。
「面目ないっす」
パーシヴァルは肩を落としてそう言うと、まるでそれが罪滅ぼしだとでもいわんばかりに、半分ほど残っていた麦酒を一気に飲み干した。
隣のフィリスが眉をひそめる。
「パースくん。そういう飲み方、あまり良くないってマイルズ先生が言ってたよ」
するとパーシヴァルは笑いながら胸を張って、
「まだ2杯目だから大丈夫だって。ティースさん、もう1回乾杯しましょ、乾杯。まだイケますよね?」
「ん、ああ。まあね」
ティースはちびちびとようやく1杯目の麦酒を消費しきったところだ。
フィリスを除く3人はいずれもアルコールを注文していたが、いずれもハメを外して飲むようなタイプではなく、場は比較的落ち着いた雰囲気だった。
「じゃあ、乾杯」
「かんぱーい! ……そういや」
同時に運ばれてきた麦酒で本日2度目の乾杯をした後、パーシヴァルはなにごとか思い出した様子で言った。
「俺、シーラさんがお酒飲んでるの初めて見たかも。屋敷でも普段あんま飲まないっすよね?」
そんなパーシヴァルの疑問に、シーラが答える。
「そうね。堂々と飲めるようになったのは先月のことだもの」
「へ?」
と、パーシヴァルはきょとんとした顔をした後、
「え。そういや先月の誕生日……って。じゃあシーラさん、まだ16歳っすか!?」
「ええ、そうよ」
「パースくん、知らなかったの?」
フィリスが驚いた顔でそう言うと、パーシヴァルはなにやらショックを受けた様子で、
「知らなかったっつーか、初めて年下だと知りました……」
「あれ。パースも16歳じゃなかったっけ」
ティースがそう言うと、パーシヴァルはうなずいて、
「でも来週で17歳になるっす」
「ああ、そういや6月だったか、誕生日。フィリスは12月で17歳だよな、確か」
「はい」
今は3人とも16歳だが、誕生日からするとパーシヴァル、フィリス、シーラの順で、生まれた年でいうとシーラだけが1年遅い。
ちなみに、他の屋敷の面々ではリィナがパーシヴァルたちと同じ年の生まれである。
シーラは果実酒の杯を傾けながら、
「そんなに意外かしら?」
「少なくとも、俺やフィリスより下には見えないっす」
と、パーシヴァルは正直に言う。
その気持ちはティースにもよく理解できた。
(シーラのヤツ、昔からおとなびてたからなぁ)
ミューティレイクの屋敷に来る前など、3歳差で、かつ身長が20センチ以上違うにも関わらず、姉弟に間違われたことがある。それはもちろんティースが童顔であることも大きな要因ではあるが。
そこでフィリスが言った。
「でもシーラ様、髪を下ろしたらもっともっとおとなっぽく見えますよね」
「そう?」
少し首をかしげて、シーラはそっと右手を頭の上――ポニーテイルをまとめた髪飾りの上へと置いた。
パーシヴァルが言う。
「あ、そういや俺、シーラさんが髪を下ろしたとこ、見たことないかも」
「あら」
そんなパーシヴァルに、シーラはいたずらっぽく微笑んでみせて、
「髪をほどくのは寝る前だけよ。見たいなら夜中に忍んで寝室まで来てもらうしかないわね」
「ぶっ!」
パーシヴァルが盛大に吹き出して咳き込んだ。
「あ、いや、俺……ゲホッ! そんなつもりで言ったわけじゃ……ゲホ、ゲホッ!!」
顔が真っ赤なのは、おそらくアルコールのせいだけではないだろう。
シーラは苦笑して、
「冗談よ。あなた、レイさんの下で働いている割にはそういう冗談が苦手なのね」
「そ、その言われ方、年上の男としては少し釈然としないっす……」
しょんぼりとした様子のパーシヴァルにシーラは微笑んで、
「好意的に思っているわ」
「そ、そうっすか……」
言われて、パーシヴァルはやはり真っ赤になった。
なんとも微笑ましい。
ティースはそんな彼女に口を挟んだ。
「お前、そうやって年上の男をからかったりするから年相応に見えないなんて言われるんだぞ。たまには年相応の女の子らしくだな……」
なんて。
酒の勢いに任せて慣れないことを口走ってしまったのが運の尽きだった。
シーラはチラッとティースの顔を見て、
「あら。だったらお前もたまには年上の男らしく振る舞ってみたらどう? 聞いたわよ。試験の初日、遅刻しそうになってフィリスやパメラにだいぶ迷惑をかけたそうじゃない?」
「……う」
「おおかた、緊張しすぎて前の日に寝られなかったんでしょうけど。子供じゃあるまいし」
「……」
あの日、シーラはその場にいなかったはずだが――と、フィリスを見ると、彼女は少しバツの悪そうな、すまなそうな顔をしていた。
どうやら彼女がシーラに話してしまったようだ。
とはいえ、もちろん彼女はこれっぽっちも悪くない。
「なにか言いたいことはある?」
「……俺が悪かった」
結局、彼らはいつもどおりである。
「素直でよろしい」
ただ、そう言って笑うシーラは機嫌が良さそうだった。
アルコールの力なのかもしれない。
(……そういや)
と、ティースは思い出す。
(あの日も、ちょっと陽気になってったっけ……)
ネービスを発つ前の日、壮行会の後のことだ。
彼女がティースの前でアルコールを口にしたのはそのときが初めてだった。ティースはそのときすでにかなりの量を飲んでいて、結局彼女より先に酔いつぶれてしまったため、詳細まで思い出せない。ただ、そのときも彼女は少し陽気になっていて、いつもしないような話をした記憶がある。
(ああ、そうだ。故郷の話をしたんだっけ――)
2杯目の麦酒を飲み干して、少しだけ酔いが回り始めた。
「そういや――」
と、ティースは言った。
「シーラ。あの後、ルナ姉さんには会ったのか?」
「ん……会ったわ。何回かね」
「そっか……」
入り口から新たな客が入ってきて、酒場は少し混み始めていた。
パーシヴァルとフィリスは2人でなにか話をしている。
「元気だったか?」
ティースがそう聞くと、シーラは少しの沈黙の後、3杯目の果実酒を空け、それから少しドキッとするような流し目で彼を見た。
「ルナに、会いたい?」
「……そりゃ。できるなら、な」
ルナリアはティースにとって文字どおり、姉のような女性だ。単純に会いたいという気持ちの他に、黙っていなくなったことを謝罪したいという気持ちもある。
ただ、シーラがそれを嫌がるなら、無理に会いたいとは言わないつもりだった。
ティースは自分とシーラの分の飲み物を注文し、それからテーブルの上のチーズに手を伸ばして口に運ぶ。少しクセのある味だ。ネービスのものとはかなり風味が違う。
「……でも、そっか。何度か会ってるってことは、ルナ姉さん、やっぱりお前を連れ戻そうってつもりはなかったんだな」
「そうね」
「じゃああのとき、別に逃げる必要なかったんじゃないか」
「……逃げた理由はそれだけじゃなかったけど、覚えてないのね」
「ん?」
「なんでもないわ」
それからしばし沈黙。
やがて、シーラは言った。
「明日にでも、会ってきたら?」
「え?」
「ルナの宿は知ってるわ。今を逃したらいつ会えるかわからないんだし、会ってきたらいいじゃない」
「……いや、明日はやめとくよ」
どうして――、と、シーラが口にする前に、ティースは言葉を続けた。
「今は試験に集中したいからさ。せっかくここまで来たんだ。それに姉さんの旦那さんはデビルバスターのスカウトなんだろ? だったら最終試験には絶対に顔を出すはずだし、姉さんだって見に来るかもしれない。会おうと思えばそれが終わってからでも大丈夫だよ」
「そう。……そうね。お前のことだもの、下手に会ったりしたら気が抜けて使い物にならなくなるかもしれないわね」
そう言ってシーラはクスクスと笑った。
「なんだか引っかかる言い方だなぁ」
とはいえ、ティースはそんな彼女の物言いにはもう慣れっこだ。
(なんせ、こいつは昔から――)
昔から。
自分で思いついたその表現に、ティースはふと違和感を覚える。
(……昔から、だったっけ)
昔の彼女は。
……もっと優しかった気もするし、もっと冷たかった気もする。もっと明るかったような気もしたし、もっと引っ込み思案だったような気もした。
酔っているのだろうか。それとも幻魔の術にかかった後遺症だろうか。少々記憶が混乱しているようだ。
「……どうしたの?」
「あ、いや……」
なんでもない、と、そう答えたものの、今度は目の前のシーラの姿が二重に見えた。
(あ、あれ……)
しかも、ぼんやりと重なって見える彼女は、目の前の彼女とまったく同じではなく。
(シーラが……髪を下ろしてる……?)
パーシヴァルがあんな話をしたからだろうか。
髪を下ろした彼女の姿は、不思議と違和感がなかった。
(なんだ……?)
そのお祝い会は夜遅くまで続き――その『幻』はその間、何度かティースの目の前に現れた。
第3試験の合格者には、疲れを癒すために2日間の休日が与えられる。それは第3試験がすべての試験の中でもっとも過酷であることの証明であるとともに、一般公開される最終試験に向けての、ギルド側の準備期間という意味もあった。
その最終試験『トーナメント』はその名のとおりトーナメント形式による受験生同士の試合であり、帝都内のスタジアムに一般の客を招いて開催される。
デビルバスターを目指す者たちのハイレベルな、かつ実戦的な戦いが見られるとあって、帝都ではスポーツをベースとした武術会よりも圧倒的に人気が高い。
今年の出場者は12名。
例年だと50名近くが出場して20名程度が合格するのだから、今年は圧倒的に少なく、最終試験での合格率が約4割であると考えると、今年の合格者は5名程度が見込まれる。
だから、好内容で1回戦を突破することが合格のひとつの目安となると考えられていた。
そして――ティースたちがお祝い会を催した夜の、次の朝。つまりは最終試験の前々日。
抽選によるトーナメントの組み合わせが発表されるその日に、ティースとパーシヴァルは連れ立って会場へとやってきていた。
「できれば決勝で当たりたいっすね」
と、パーシヴァル。
その言葉にはティースも同意だった。決勝だなどと贅沢なことは言わない。ただ、1回戦で潰しあうようなことは避けたかった。
(ここまできたら、2人そろって合格したいもんな……)
と、ティースはトーナメント表を見つめた。
表には1番から12番までの番号が振られている。1から4がAブロック、5から8がBブロック、9から12がCブロックで、B、Cブロックの2回戦を勝ち上がった者たちが準決勝を行い、そこでの勝者がAブロックを勝ちあがった受験生と決勝戦を行う。
Aブロックに入ると若干有利になるが、各ブロックの勝者は合格がほぼ確実なので、試験の結果という意味ではそれほど差はない。
だから問題はどのブロックに入るかよりも、同じブロックにどんな相手が入るか、もっといえば1回戦の相手が誰になるかが重要であった。
抽選は午前中の間にくじによって行われるが、くじを引くのはデビルバスター協会の事務官であり、受験生はこの場にいなくても好きなときに結果を確認できる。それでも周りを見ると、第3試験の合格者と思われる受験生が5、6人は確認できた。
なお、くじは第3試験を合格した順番の逆順で行われる。つまりはティースが1番目、パーシヴァルが2番目だ。
「緊張するっすね……」
パーシヴァルのつぶやきに、ティースは黙ってうなずいた。
緊張で体が少し堅くなっているのを感じる。
そうこうしているうちに、
「あ、始まるみたいっす」
事務官がくじ箱の前に移動し、声をあげる。
「それでは、これより抽選を行います。ティーサイト=アマルナ」
続けて事務官がくじ箱に手を入れ、手にした紙を読み上げた。
「――2番。Aブロック」
「!」
「い、一番最初の試合っすね……」
パーシヴァルも緊張しているのか、かすかに唾を飲み込む音が聞こえた。
(最初の試合か……)
いいのか、悪いのか。いや、なにも考えずに試合に挑めるという点ではいいのかもしれない。それにB、Cブロックに比べれば決勝までの試合数が1試合少なくて済む。
ティースはあえて悪いことを考えないようにした。
「次、パーシヴァル=ラッセル」
ティースとパーシヴァルは同時に事務官を見つめる。
1番なら1回戦で当たることになる。3、4番であれば2回戦で当たる。
それ以外であれば――決勝までは当たらない。
「――7番。Bブロック」
「!」
「! ……ふぅ」
パーシヴァルは胸を撫で下ろし、ちょっと笑ってティースを見た。
「同士討ちはなんとか避けられたみたいっすね」
「……ああ」
ティースの口にも自然と笑みがこぼれた。
なにしろパーシヴァルとの稽古ではいまだにティースが劣勢だ。勝つ見込みがないわけではないが、少し分が悪い。
「これで2人揃って合格できる可能性が出てきたかな」
「ええ」
と。
「――8番、Bブロック」
「あれ?」
次に読み上げられた番号に最初に反応したのはティースだった。
「8番ってパースの最初の相手じゃないか? 誰だったんだ?」
「え? あ、えっと」
どうやらパーシヴァルも聞いていなかったようだ。
トーナメント表を見ると、まだティースとパーシヴァルの欄しか埋まっていない。
「10番目に合格した人っすよね。ってことは――」
なんて考えてはみたものの、2人とも合格した順番など知っているはずもなく。そのうち事務官がパーシヴァルの隣に受験生の名前を書き込んで、ようやく確認することができた。
「……ステルシア=ブライトン。女性で唯一の合格者っすね」
「女性、か」
ティースはふと、ファティマのことを思い出す。彼女は確か女性で一番の有力候補だと言われていた。その彼女とパーシヴァルとの比較なら――少なくとも圧倒的に劣っているとは思えない。
とすると、単純に考えて、その1戦はパーシヴァルのほうに分があるのではないかと思えた。
もちろんあくまで世間の評価。絶対というわけではないだろうが――
「ステルシアさんって、ティースさん、知ってます? 俺、どんな人かまったく知らないっす」
「いや、俺も知らないよ。でも――」
ティースは先ほど会場を見回したときに、第3試験の合格者らしき女性がいたことを思い出し、再び会場を見回した。
すると、
「パーシヴァルさん、ですね」
「ッ!」
目の前に、その女性がいた。
「へ? あ、そうっすけど……あなたは?」
「よろしく。あなたと1回戦で当たることになったステルシアです」
その女性は、明らかに年下であるパーシヴァルに対しても非常に丁寧な口調でそう言って右手を差し出した。
歳はおそらくパーシヴァルより――いや、ティースよりも上、おそらくは20歳を越えているだろうか。
身長も女性にしてはやや大きめで、パーシヴァルとほぼ同じだから170センチぐらい。やや短めの髪をてっぺんで縛っていてまるでパイナップルのような頭をしている。
小奇麗な服装をしていて、腰には幅広で短めの剣を2本差していた。
「あ、どうも。パーシヴァル=ラッセルです」
「存じております。確か――ネービス領出身の方ですね? それと、こちらは聖力試験で非常に優秀な成績を残されたティーサイト=アマルナさんですね」
「あ、ええ」
同じく差し出された右手に、ティースは悪いと思いつつも気付かない振りをした。
ステルシアは特に嫌な顔もせずに右手を下ろし、
「聖力試験上位10名の中でここまで残ったのはティーサイトさんだけのようです。ここで優秀な成績を残せば3年ぶりの『サン・サラス』に選ばれる可能性もあるかもしれませんね」
「……いえ、そこまで高望みはしてません」
と、ティースは答えた。
「そうですか。……そうですね。まずはデビルバスターとして認められることが優先です」
ステルシアはそう言ってうなずいた。
口ぶりや振る舞いが、どことなく知的なイメージの女性だった。
ティースは逆に尋ねる。
「ステルシアさんは、どこから?」
「ヴィスカイン領です。ヴィスカイン領出身の受験生はどうやら私だけになってしまったようですし、『騎士の国』として、合格者ゼロという不名誉は避けたいところですね」
「ってことは、ステルシアさんってもしかしてヴィスカイン領の女性騎士っすか?」
と、今度はパーシヴァルが尋ねる。
古くから『騎士の国』の名で呼ばれるヴィスカイン領は、ティースたちがこのヴォルテスト領に来る途中で通過した領地のひとつである。
領主が抱える精鋭部隊はヴィスカイン騎士団と呼ばれ、その中には対魔騎士隊と呼ばれるデビルバスターだけの部隊も存在しているという。
「いえ。私はまだ騎士にはなれていません。ですが、この試験に合格した暁には対魔騎士隊へ入るつもりです」
「へ? でもここまで来れるぐらいなら、騎士団の入団試験ぐらい合格できるんじゃ……」
と、パーシヴァルが尋ねると、ステルシアは少しだけ眉をひそめた。
「父がどうしても認めてくださらなかったのです。どうしても騎士団へ入るつもりならば、デビルバスター試験に合格して対魔騎士になってみせろ、それ以外は認めない、と」
ティースはそこでふと気付いて、尋ねた。
「ステルシアさんって貴族の家の出身だったりします?」
「ええ」
「なるほど」
事情がなんとなく見えた。
彼女の父親はおそらく、騎士団に入ろうとする娘を諦めさせるためにデビルバスターになれと言ったのだろう。だが、彼女はそれを本気にして、そしてそれを実現させようとここまでやってきた、というわけだ。
「へえ、ヴィスカイン領ってのは貴族の娘でも騎士になったりするんスか?」
パーシヴァルの問いに、ステルシアはうなずいた。
「騎士となるのはむしろ家の誇りです。私には姉が2人いるのですが、男兄弟がいません。私が騎士にならなければ、私たちの代では騎士がいなくなってしまいます。それは家にとっても不名誉なことなのです」
「へぇ……」
貴族ならぬティースとパーシヴァルには、わかるようなわからないような、そんな話だった。ただ、彼女のこの試験にかける意気込みだけは理解できた。
と。
そこでステルシアはハッとした様子で口元に手を当てて、
「少し話しすぎてしまいましたね。申し訳ありません。挨拶だけのつもりだったのですが」
「問題ないっす」
と、パーシヴァルは笑って返す。
ステルシアも微笑んで、
「明日は良い試合をしましょう」
最後にそう言って去っていった。
「……みんな、色々事情があるんスねぇ」
そんな彼女の後ろ姿を見送って、パーシヴァルはポツリとそう言った。
ティースは黙ってうなずく。
ファティマもそうだった。いや、そもそもそんな目的もなしにここまでたどり着けるほど甘い試験じゃない。確固とした目的や事情があるのはむしろ当たり前なのだろう。
「けど、絶対負けないっすよ、俺」
と、パーシヴァルは力強く言った。
そう。それはティースも、そして聞いたことはないが、おそらくパーシヴァルも同じなのだ。
体を包んでいた緊張は、やがて武者震いとなる。
(よぅし、俺も――)
視線を正面へ移す。
抽選はひとりを残し、すべての枠がすでに埋まっているようだった。
(ええっと、俺の相手は――)
視線をAブロックの第1試合へと移す。
だが、
(あれ?)
まだ埋まっていない。
ということはつまり、最後のひとりがティースの相手ということになる。
ちょうど、事務官がその最後のひとりの名前を読み上げるところだった。
「イストヴァン=フォーリー。1番。Aブロック」
「……イストヴァン=フォーリーか。よりにもよって」
第3試験の合格、そして最終試験の組み合わせ。その2つの報がミューティレイクの屋敷に届けられた夜、レイはいつもどおり屋敷の1階ホールで酒を飲んでいた。
そして、
「強いの? その人」
そんな彼の正面に座っているのは、屋敷の執事にして彼の妹でもあるリディア=シュナイダーである。レイが酒を飲むときによく話し相手となっているアクアは、今は任務でネービスを離れていた。
「会ったことはないが、俺の知ってる限り、この12人の中じゃ1番強そうだな」
「ふーん」
「で? なんだ、そいつは?」
と、レイはリディアの胸元を指差す。
「この子?」
その腕の中には白い猫がすっぽりと収まっていた。リディアはその子猫の前足を指で持ち上げて、レイに向かって小さく振ってみせる。
「ジョエッタさんの家で飼ってるんだって。たった1日で屋敷の女性たちの心を鷲づかみにしちゃったんだから。兄さんも見習ってみたら?」
「冗談じゃない。俺は可愛がるほう専門なんだ」
興味なさそうなレイに対し、リディアは少し考えて、
「んー、まあ、そうか。確かに頭撫でられてる兄さんの姿を想像したら気味悪いね」
そんな妹の物言いにレイは苦笑して、
「お前、そんな俺の妹であることを忘れるなよ?」
「あたしはほら。ミューティレイク家のマスコット的立場を確立しつつあるから」
「ここのアイデンティティが危ぶまれるような話だな、そいつは」
「で、パースさんの相手はどうなの?」
と、リディアが話題の方向を修正する。
ああ――、と、レイはうなずいて、
「ステルシア=ブライトン。12人の中じゃ唯一の女だな」
「強いの?」
「いや、聞いたことがない名前だ」
「ってことは、合格できそう?」
少し弾んだ声でリディアはそう言ったが、レイはそれを否定する。
「考えてみろ。3年前の『サン・サラス』だって、試験前はまったくの無名だっただろ?」
「ああ、アルファさんね」
リディアは一瞬で納得した。
「デビルバスター試験じゃ珍しくもないことさ。ま、いずれにしても、どっちかには受かって欲しいところだな」
ぐいっと残っていた麦酒を飲み干して、レイは少し真面目な顔をした。
「少しキナ臭い話も聞こえてきてる。ウチとしても戦力はあるだけあったほうがいい」
リディアは腕の中の猫をあやしながら、少し上目遣いに兄を見て、
「来年までにはもう1部隊ぐらい増やしたいって話?」
「できればな。ただ、どっちにしても、あいつらのどっちかが受かってくれなきゃどうしようもない話さ」
空になったジョッキをテーブルに置いて、レイは天井を見上げる。
ヴォルテストからの早馬がネービスに到達するまでの日数を考えると、向こうではすでに結果が出ているはずだった。
「さて、どうなっていることやら――」