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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第10話『デビルバスター試験(後編)』
79/132

その3『サバイバル~5日目~』


「30名? それはリタイアした人数ではなくて、か?」

「はい。第3試験で、これまでに命を落とした受験生の数です」

 第3試験『サバイバル』が始まって5日目の朝。

 第4試験『トーナメント』の審査員としてネービスから招待されていたディグリーズのクインシー=フォーチュンは、その知らせに眉をひそめた。

 目の前にいるのは、デビルバスター協会所属の事務官である。

 10日間の日程で行われる第3試験。今日は5日目。

「全試験を通しても死者は毎年10名前後のはずだが……」

 もともと危険な試験であるとはいえ、受験者はデビルバスターを志すようなツワモノばかり。毎年引きぎわを心得ない者が無茶をして命を落とすことはあるが、それはクインシーの言うように2桁に乗るか乗らないかという程度である。

 それが第3試験のみ、それもまだ半分の段階で、確認できた限りで30名にも達したというのだ。

「去年までと比べて特に過酷な環境になったわけでもないだろう。ということは、なにか起こっているのではないか?」

「それについては調査中ですが……」

 事務官は微妙な表情で肯定も否定もしなかった。

「……なるほど」

 それだけでクインシーは察した。

 なにもないのであればそれを隠す理由はない。ということは、なにかある、あるいはその可能性が高いということなのだろう。そしてこの事務官がはっきりと口に出せない理由も大体想像がつく。

(遺体に刃物傷がある、ということか……)

 本来の敵である獣魔以外のものによってもたらされた致命傷。毎年必ずうわさに上り、しかしそのほとんどがうやむやのままにされてしまう受験生同士の争いによる死者。

 その犠牲者が、30名の中に相当数いるということなのだろう。

 受験生がグループを作って潰し合いでも始めたか、異常者が紛れ込んだか。あるいは――。

 いずれにしても異常な事態であることは確かだ。それは目の前の事務官、さらにはその上にいる協会の上層部にもわかっていることだろう。

 だが、それを容易に公にできない事情もクインシーは理解していた。

 この試験には受験生個人とデビルバスター協会だけではなく、多くの国の色々な事情が絡んでいる。だから、この試験の運営にかかわっている者はすべて、試験そのものが『無効』となることを一番に恐れていた。

 デビルバスター協会自体はどこの国にも属さない中立の存在だが、試験の中止がもたらす不利益が各国だけではなくこの協会にも及ぶのだから、彼らが可能な限りそれを避けようとするのは当然のことだ。

 受験生の不可解な死は、毎年のように発生しているにもかかわらず、過去、デビルバスター試験が無効、あるいは延期となった例はたったの2回しかない。

 だから、基本的にはなにが起ころうと自己責任。それがこの試験の暗黙のルールである。

 それを当たり前のこととして受け取る者もいれば、必ずしもそうでない者もいるが、少なくとも現時点では、協会の上層部も、クインシーと同じ立場の試験官たちも、試験の中断を訴える者はいないようだった。

「……死者の発生している地域はほぼ限定されています。本日からはその地域の試験官を増やして監視に当たっていただく予定です」

「そうか」

 おそらく無意味だろうと思ったが、クインシーはあえてなにも言わなかった。

 あの危険な森を監視する試験官を務めるには、デビルバスターか、あるいはそれに準ずる実力が必要だ。なにか起きたからといって右から左へぽんぽんと連れてこられるものではない。増やすといってもせいぜい2、3名だろう。あの広大な森ではほとんど意味がない。

(せめて……)

 背もたれにゆっくりと身を預け、クインシーは祈った。

 せめて前途有望な者たちが、ひとりでも多くこの試練を乗り越えてくれるように――と。




「イストヴァン=フォーリーだろうな」

 ティースの目の前にはシアボルドがいた。朝の陽が木立の隙間から射し込んできている。

 第3試験『サバイバル』折り返しの日。そしてファティマが何者かに殺害されてから2日目の朝。

 その朝を、ティースはシアボルドとともに迎えていた。

 ティースは疑いの目を彼に向ける。

「イストヴァンっていうと、試験の最有力候補って人だろ? あんたにだまされそうになった直後にルドルフさんから聞いた。……彼が怪しいって言うのか?」

「そうそう。そのルドルフ=ティガーも怪しいな」

 ティースはため息を吐いた。

 殺されたファティマとヒューイットは受験者たちの中でもかなりの実力者だった。だったら、その彼らを殺したのも相当の実力者に違いない、と。それがシアボルドの意見だ。

 言うことはわからないでもない。だが、ティースは必ずしもそうではないと考えている。

 たとえば犯人がひとりではなく複数だったら。あるいは、ファティマとヒューイットがお互いのことしか見えなくなっているところを奇襲されたのだとしたら。

 いや、それ以前に、ヒューイットがその犯人の一味であった可能性もあるだろう。ヒューイットの遺体はファティマの下敷きになっていた。複数の敵を相手にして、ファティマがヒューイットだけをどうにか仕留め、その後に力尽きた。そんな可能性も考えられる。

 もっとも後者は――シアボルドの言葉によれば『ありえない』らしいが。

「まあいいさ。どっちにしろそいつらの『獲物』を片っ端から調べていけばいい。そうすりゃいずれ見つかるんだ」

 シアボルドはそう言った。

 このシアボルドという男、昔医者を志していたことがあるとかで、傷口からその武器の形状がほぼ正確に特定できるのだという。

 ヒューイットの腕などにはファティマが与えたものと思われる傷が多数あり、2人が戦闘状態になっていたのは間違いないと考えられるが、致命傷となった傷は双方ともまったく同じ、かつどちらのものでもない別の武器――つまり第三者の手によるものだという。

 武器を見れば、犯人が特定できるという特技。

 それが、ティースが彼と行動を共にした理由のひとつだった。もちろん彼の言葉をすべて鵜呑みにしたわけではないし、チームを組むのにふさわしい相手だとは今でも思っていないが、それでもファティマの仇に近づける可能性があるのなら、と、そう考えた末の判断である。

「あとは、そうそう。パーシヴァル=ラッセルも、だな」

「パーシヴァル?」

「ああ。俺の情報によれば奴もかなりの実力者らしいからな。なんでもすでにネービスでデビルバスターと一緒に『魔』を狩ってるらしいって」

 シアボルドは思い出したようにポンと手を叩いた。

「そっか。そういやお前と知り合いだったっけ」

 といっても人の内面なんてわからんもんだがね、と、シアボルドはどことなく小馬鹿にしたように言ったが、もちろんティースは気にも留めなかった。

 そもそもパーシヴァルの武器はトンファーである。いくらなんでも打撃と斬撃による傷を見間違えることはない。

 それからは特に会話を交わすことなく朝食を終え、ティースたちは動き始めた。

 この第3試験は本来、水・食料を確保できる環境を探し出し、そこからあまり動かずに10日間を乗り切ることが突破への最短ルートである。

 だが、犯人の手がかりを探す――つまり他の受験生と出会うためにはそうしてはいられない。動き回って情報を集めることが必要だ。

 最初、ティースがその方針を伝えたとき、シアボルドは大いに反対した。そもそも彼がティースと組もうとしたのはあくまで身を守るため、つまりはこの第3試験を無事に突破することが目的だったらしいからそれも当然だろう。

 もちろん、ティースとてこの試験の結果がどうでもよくなったわけではない。だが、ファティマの仇を討つ機会はおそらくこの試験中しかないだろう。それだけではない。ここで犯人を野放しにすることは、同じ受験生を手にかけるような卑劣な人間をデビルバスターとしてこの世に放してしまうことにもなりかねないのだ。

 デビルバスターを目指す人間として、それは絶対に許せないことだった。

 ティースが率直にその旨を伝え、それを協力の条件として提示すると、シアボルドは最初唖然とし、信じられないものを見るような顔をして、しばし思案した後、渋々といった様子でそれを――条件付きで、承諾した。

 それから2日。

 これまでに出会った他の受験生は4名。いずれも顔の知らない受験生だったが、彼らについてはシアボルドが即座に『白』と断定した。

 ファティマとヒューイットの命を奪った凶器はかなりの重量の剣、もしくは斧のようなものらしく、出会った4名はいずれも標準サイズの中剣を手にしていたからだ。

 そういう意味での収穫はゼロだったが、その4名のうちのひとりから、ティースたちはとある有力な情報を耳にすることができていた。

「……ったく。ほんと気が知れないぜ」

 ティースの前を進みながら、シアボルドはまたブツブツ言い始めた。

「こんな、アテもなくぶらぶらしてたって偶然犯人に会える可能性はかなり低いんだ。あの拠点にいれば寝床に困ることもなかったのによ」

「そんなことわかってる」

 1日に2人の受験生に会えれば上出来とすると、残っている受験生の分母を考えれば、犯人にたどり着く確率の低さは言わずとも十分に想像できる。それに加え、うろつくことによって獣魔に襲われるリスクが高まり、寝床、食料、水の確保、あらゆる面でデメリットしかないことも承知の上だ。

 ただ、それがまったく無駄な行動かというと、決してそうではない、と、ティースは思っている。

「少なくとも犯人はまだこの辺りにいる。シアボルド。お前だってそう言ってたじゃないか」

 ティースは正面を向いたまま、その声に怒りをこめた。

「犯人はファティマを殺した後、別の受験生も何人か手にかけている。それもこの近辺で、だ」

 それがティースたちがこの2日間で手に入れた『有力な情報』である。昨日出会った受験生のひとりが、人の手によるものと見られる別の受験生の遺体を2つ発見していたのだ。

「そりゃ、まだこの辺りにいる可能性はある、とは言ったがね……」

 いや、その可能性は高いのだ。犯人がどういう目的を持って行動しているのかはわからないが、少なくとも獣魔へのリスク、寝床、食料、水などの問題を抱えているのはティースたちと同様のはずで、だとすれば、絶えず広範囲を動き回っているとは考えにくい。

 おそらく犯人はこの辺りを拠点としているはずだ。とすれば、こうして歩き回ることは決して無意味ではない。

 少なくともティースはそう考えている。

 そうして歩いているうちに、行く先から川のせせらぎが聞こえてきた。

 ちょうど良い、と、軽くなっている水筒を満たすため、2人は音のする方角へ歩みを進めた。

「水場があるなら、この辺りにも誰かいるかもしれない」

 少し開けた場所だった。ゆるい傾斜を川端まで下りて行く。川底には魚の影が見えた。綺麗な水のようだ。

「『毒見草』は?」

 あとから下りてきたシアボルドがそう聞いてくる。

「持ってるよ。大丈夫だ」

 そう答えてティースはふところの薬袋から1枚の葉を出し、川に浮かべた。

 サバイバル時の必需品として知られる通称『毒見草』は、一部の地の獣魔が持つ毒に反応して色を変えるという特徴を持つ。

 この毒は空気に触れるとすぐに毒性を失ってしまうが、水中ではしばらく毒性を維持し、体内に入ると、死に至ることはほとんどないが、全身に強い痺れの症状が現れる。

 だから獣魔が徘徊するような場所では、必ずこの毒見草を川に浮かべ、その毒が混入していないことを確認するのがセオリーなのである。

「……おい、少し休もうぜ」

 水筒をいっぱいにして歩き出そうとしたティースに、シアボルドが人差し指を真上に向けながらそう言った。

 見上げると、川の形にぽっかりと切り裂かれた青空のど真ん中に太陽が昇っていた。時間の感覚がなかったが、正午ぐらいだとすると、歩き始めてから4、5時間は経っていたらしい。

 よっぽどお腹が減っていたのか。その辺で木の実でも取ってくる、と言ってシアボルドは森の中へ消えていった。付いていこうかとも思ったが、誰か水を汲みに来るかもしれないからここにいろ、という彼の言葉に従い、大粒の砂利の上に腰を下ろす。

 がさがさ、というシアボルドの気配が森の奥に消えると、あとは川のせせらぎしか聞こえなくなった。

 この辺りは虫の鳴き声もほとんど聞こえない。試験用に作られ、獣魔の放たれたこの閉鎖空間は、外の世界の森とは生態系が大きく異なっているようだった。

 目を閉じて耳を澄ませる。

 まぶたの裏に、3日前の夜の光景が浮かんだ。

 ――なぜ。

 心でつぶやいたその疑問は、ファティマの理不尽な死に対して向けたものではなかった。

 その彼女と一緒に死んでいた受験生――ヒューイット=レーゼル。

 言葉すら交わしたことのない、巨漢の男。

 なぜ、彼はあそこで命を落とすことになったのだろう、とティースは考えていた。

 シアボルドの言葉を聞くまでもなく、彼がファティマと剣を交えたのは明白だ。ほんの数日とはいえ彼女とともに戦ったティースには、ヒューイットの体に刻まれたいくつかの傷が彼女の攻撃に因るものだという確信があった。

 ファティマがヒューイットを狙う理由はおそらくない。それでも2人は戦いになった。

 うわさを信じるのであれば、ヒューイットが一方的にファティマの命を狙い、ファティマが応戦したということになるだろう。客観的に見てもそれが真実である可能性は低くはないし、ティースもそれで間違いないだろうと考えている。

 腑に落ちないのは――その結果がなぜ『ヒューイットの死』でも『ファティマの死』でもなく『双方の死』だったのかということだ。

 ひどく計画的な匂いがして仕方がない。

 つまり、犯人は偶然剣を交えていた2人を奇襲したのではなく。計画的に2人を戦わせ、タイミングを見計らって両方を殺害した――その結果の裏側には、そんな何者かの意図が見え隠れしているような気がしてならないのだ。

 ――犯人は?

 この試験場の中、容疑者となるのは受験生か試験官しかいない。それ以外の者が紛れ込んでいる可能性もゼロではないが、この試験場は入り口以外は高い塀で囲まれているし、試験官や係員がその入り口を監視している。部外者が侵入するのは容易なことではない。

 また、監視に当たっている試験官はそのほとんどが素性のはっきりしたデビルバスターである。こちらも可能性はゼロではないが、やはり受験生が犯人である可能性が一番高い。

 ――ファティマがターゲットになった理由は?

 いくつか考えられるが、真っ先に思いつくのは合格が有望視される人物だった、という点だろう。もし犯人の目的がライバルを減らすことにあったのなら、ヒューイットをけしかけて争わせ、隙を見て2人を殺害したというのは十分に考えられる話だ。

 その筋――ライバルを減らすのが目的だとすれば、犯人は当落線上の受験生、ということになるだろうか。ただし、合格が確実な受験生などほんのひと握りだから、その場合はほぼすべての受験生が容疑者ということになってしまう。

 しかし、そう考えたなら、イストヴァン=フォーリーやルドルフ=ティガーといった有力どころは逆にシロだろう。黙っていても合格する可能性が高いのだから、受験生を殺すなどというリスクを侵すのは賢い考えではない。

 ……いや。

 そもそも、第4試験のトーナメントはあくまで『内容』が評価される試験だ。シアボルドは『椅子取りゲーム』などと表現したが、実際には椅子の数は定まっておらず、1回戦で負けた者が合格することもあれば、決勝までいった2人しか合格しなかった年もある。

 有力選手がいなくなってトーナメント自体のレベルが下がれば、逆に合格へのハードルが上がることだってありえるのだ。

 だったら――個人的な恨み?

 確かにファティマの過去は、うわさと、本人から聞いた話を総合すると、誰にも恨まれることがないと断言できるような類のものではない。だが、そうするとファティマ以外に複数の犠牲者が出ているらしいことの説明がつかなかった。

 すると――

 草を掻き分ける音がして、ティースはとっさに振り返るとともに剣の柄に手をかけた。

 やってきたのはシアボルドだった。ティースは緊張を解いて柄から手を離し、それからシアボルドの姿を見て首をかしげた。

 木の実を取りに行ったはずの手にはなにも持っておらず、その顔が緊張しているように見えたからだ。

「どうしたんだ?」

 足音を殺しながらシアボルドが駆け寄ってくる。

 そして開口一番、言った。

「……見つけた。ヤツだ」

「ヤツ?」

「ルドルフ=ティガーだ。いたんだよ、向こうに。ひとりだ。仲間らしきやつは見当たらない」

「ルドルフさんが?」

 当然のことだが、ティースはシアボルドの言う『ルドルフ犯人説』にはまったく賛同していない。彼とは一度話しただけだがとても悪人には思えなかったし、そもそもシアボルドの言う説はあまりにも根拠が薄すぎたからだ。

 だからシアボルドがそう言って駆け寄ってきたときも、ルドルフがなにか有力な情報でも持っていればいいな、ぐらいの気持ちだった。

 しかし、

「さっき言ったときは半分冗談のつもりだったが……本当にヤツかもしれない」

「……なにがだ?」

 間抜けな聞き返しだった。それほどに、ティースの頭に『ルドルフ犯人説』は無かったのである。

 だが、ティースはすぐにシアボルドの言葉の意味に気付いて、

「ルドルフさんの――武器が、ってことなのか?」

 そういえばティースは彼の武器を見ていない。試験開始前に話しかけてきたときはどこにも武器を持っていなかったように記憶している。

 シアボルドはさらに声をひそめた。

「かなり重量級の両刃だ。条件に合致する。それに、ヤツなら実力的にも申し分ない」

「でも――」

 ティースは反論しようとして、言葉に詰まった。考えてみれば反論するだけの材料をほとんど持ち合わせていなかったのだ。

 あるとすれば――

「……あの人はお前にだまされそうだった俺を助けてくれた。ライバルを減らすのが目的なら、辻褄が合わないじゃないか」

 言っていて、その反論にほとんど意味がないことには気付いていた。

 案の定、シアボルドは言った。

「それが目的じゃなかったとしたら? うわさによれば、殺されたヒューイットのヤツもそういう目的じゃなかったと聞いたがね」

 シアボルドの言うことはもっともだ。受験生の中で絶対に犯人じゃないとティースが断言できるのは、自分とパーシヴァルぐらいのものである。

 まして、現時点においてほぼ唯一の手がかり――遺体の傷口の形状に合致する武器を持っているというのであれば、確かめなければならないだろう。

「とにかく行ってみよう。案内してくれないか?」

 そう言ってティースは腰を上げた。

 だが、シアボルドは少し困惑した顔をして、

「ちょっと待ってくれ。俺は行かないぞ」

「なんだって?」

「条件、覚えてるだろ?」

「……もちろん」

 協力関係を結ぶときにシアボルド側から提示した条件。

 ティースから出した条件は、犯人探しに協力すること。

 そしてシアボルドから出した条件は――

「危険なことはゴメンだ。もしヤツが犯人だったとしたら近付くのも危ねえ。場所は教えるから、とりあえずお前ひとりで行ってくれ」

 ルドルフのヤツにゃ顔も知られてるからな、と、シアボルドは言った。

 これにはティースも少し眉をひそめて、

「それじゃ確証が取れないじゃないか。遠目からじゃ、それがファティマを殺した凶器かどうかはわからないんだろ?」

 それができるという話だったからティースは彼と手を結んだのだ。

 シアボルドは少し怯えたような顔をして、

「そりゃそうだ……けど、ヤツが本気でそういうことをするヤツだったら……」

「そのときは俺が相手をする。お前はその間に逃げればいい」

 ティースはすぐにそう答えたが、シアボルドは馬鹿なこと言うな、と吐き捨てて、

「ルドルフの野郎が本気だったら俺もお前も逃げるヒマなんかあるもんかよ! あいつは去年の時点でも楽にこの試験を突破できる実力だったんだ。今年はもっと強くなってるに違いない」

 そうなのだろうか。実力者であることはシアボルドの話から理解できているが実感はない。

 いずれにしてもこれ以上は話しても無駄なようだった。

「わかった。じゃあとりあえず俺ひとりで行くよ。シアボルド、お前は隠れながら付いてきてくれ」

「どうする気だ?」

「まずは話をしてみる。うまく武器を見せてもらえることになったら出てきてくれ。もしルドルフさんが犯人で、すぐ戦いになるようだったら、お前は出てこないでそのまま逃げればいい。それならどうだ?」

「ほ、本気か? 殺されるかもしれないんだぞ」

「……」

 ティースは黙ってうなずく。

 もちろん自信があるわけではなかった。だが、容疑者が有力候補だからといって引き下がるのだったら、そもそも最初から犯人探しなどしていない。

 シアボルドはそれでもブツブツ言いながら考えた後、

「……わかった。けど、雲行きが怪しくなったら俺は逃げるからな」

 と、言った。

 そして2人は川を離れて再び森の中へ入る。

 途中、ティースはその男の顔を頭の中に思い浮かべていた。

 ルドルフ=ティガー。

 言葉を交わしたのはほんのわずかだったとはいえ、恩のある相手である。ファティマの仇は見つけ出したい、だが、彼が犯人であって欲しくはない、という、なんとも複雑な気分だった。






 1日ぶりだ。

 たった1日空いただけで『ぶり』という表現はおかしいのかもしれない。それでも、昼近くになってルナと再び会った私の頭は、無意識のうちにそんな表現を浮かべていたのだ。

 それはきっと、それまで3日連続で通っていたから、というだけではない。

 おそらく私は、この数日で2年もの時間を飛び越えてしまっていたのだ。

 毎日のように顔を合わせていた、あのころに。


「はじめまして。ルナリア=マジェットといいます」

 私はそのとき初めて彼女の新しい姓を聞いた。結婚したのだから当然のことだったが、彼女はもうルナリア=ローレッツではないのである。

 そんなルナの目線の先にはフィリスとパメラがいる。

 そう。

 今日は彼女が私たちの宿を訪れたのだ。

 言い出したのはもちろんルナのほうだった。特に拒む理由はなかった。いや、あるいは私もそれを望んでいたのかもしれない。

 言葉だけでは伝えきれない、私の今の状況を知ってもらいたくて。

「あ、えっとはじめまして。私、フィリス=ディクターです」

「あの……パメラ=レーヴィットです」

 2人とも若干人見知りする性格だ。歳も5つ以上離れているから少し気後れしているのだろう。

 するとルナがすぐに言った。

「パメラさんのお父様はフィンレー領のご出身ですか?」

「えっ……?」

 パメラは一瞬困惑した。一拍遅れて驚いたように目を見開く。

「あ、はい。父ではなく、祖父ですが、もともと……はい。フィンレーからネービスに移り住んだみたいです。まだ父も生まれてないころですが」

 それから不思議そうに、なぜわかったんですか、と質問する。

 ルナはいつものように穏やかな微笑を浮かべ、簡単なことですよ、と言った。

「レーヴィットというのはもともとフィンレー領の秘境にあった村の名前なんですよ。その村の住人はもともと姓というものを持っていなくて、村が開かれて外に出るときに全員レーヴィットという姓を名乗ることになったそうです。その村があったフィンレー領の東部はつい最近まで閉鎖的な地域でしたから、住人が他の領地に出て行くことはそれほど多くなかった。ですから、レーヴィットさんというと最近までフィンレー領にいたという方が非常に多いみたいです。私はフィンレー領の東側に接するジェニス領の出身ですから、たまたまそういったお話を耳にしたことがあったのです」

「へぇ……」

 パメラは知らなかったようだ。もちろん私も知らなかった。およそ歴史にかかわる話でもないから、知らなくて当然の知識であるが、ルナの引き出しの広さは雑学にも及んでいる。

「『パメラ』というのもフィンレー領に深いかかわりのある名前ですよ。お父様がネービスに来てからお産まれになったということであれば、もしやパメラさんの名付け親はお祖父様ではありませんか?」

「あ、はい。私が物心付く前に亡くなったんですけど、父からそう聞いています」

「おそらく、お祖父様は初めてのお孫さんが可愛くて仕方なかったのでしょうね」

 そう言ってルナはクスッと笑った。

 初めての孫、とはパメラが言ったわけじゃないから、おそらくルナの言う名前の由来にかかわることなのだろう。

 図星だったようで、パメラもそれを否定しなかった。

「――あ、フィリスさん」

「え? はい?」

 フィリスはちょうど紅茶の準備をしようとしているところだった。

 ルナは言った。

「お近づきの印に、お茶は私にご用意させてください。準備も整えてきました。お湯だけいただいてもよろしいですか?」

 と、ルナは自分で持ってきたティーセットを広げる。

「は、はい……」

 フィリスはテキパキと動くルナの様子を眺めて、圧倒されたようなつぶやきを漏らした。

「フィリスさんもパメラさんもお屋敷に仕える方のようですね。私も昔はさるお屋敷にお世話になっていたことがあります。もしよろしければ、ジェニス流の紅茶の淹れ方を学んでみませんか? ついでに、私にもネービスの流儀を教えていただければ嬉しいです」

 ニッコリとそう言って、そこから小一時間ほどは紅茶の淹れ方の話題となった。実のところ、ネービス領とジェニス領で紅茶の淹れ方に大きな違いはない。ただ、その技術にはかなりの差があるようで、結局はルナのこだわりの淹れ方に、フィリスとパメラが何度も感嘆のため息を漏らすことになった。パメラなどは途中からメモを取っている。

 そうしているうちに、いつの間にか2人はすっかりルナと打ち解けてしまったようだ。

 さすがというべきか。彼女のこういうところは私にはとても真似できない。

 その間、私は少々手持ち無沙汰になって外を眺めていた。

 小さく開けた窓からは暖かな風が差し込み、少し日に焼けたカーテンがひらひらと揺れている。帝都の喧騒は町外れの宿にも小さな波となって流れ込んできていた。

 少しの間、目を閉じてその喧騒を浴びていると、ふいにネービスの朝が恋しくなる。

 この喧騒は学園に向かう途中のそれとよく似ていた。

 ――いや、それは勘違いか。

 私はいつもその喧騒の只中にいたのだから、実際はそこで感じていた喧騒の方がずっと近くて大きかったはずだ。時間的距離と物理的距離が頭の中でごっちゃになってしまったのかもしれない。

 なんにしても、私はほんの少しだけ感傷的な気分になっていた。

 ホームシック、とでもいうのだろうか。

 ――ガラじゃない。

「シーラ様?」

 一瞬、誰の声かわからず視線をさまよわせた。ボーっとしていたこともあるが、ここにいる3人が3人とも私のことを様付けで呼ぶからだ。

 私を呼んだのはどうやらルナだった。彼女は本来私のことを『お嬢様』と呼ぶのだが、私の立場に気を遣ってかこの場ではそう呼ばないことにしたらしい。

 それでも、明らかに年上のルナが私に対してへりくだるのは本来不自然なはずだが、フィリスとパメラの2人は特に疑問を口にはしなかった。なにか察して気を遣っているのか、特になにも疑問に感じていないのか。2人の反応を見る限り半々というところだろうか。

「なに? どうしたの?」

 ようやく私が言葉を返すと、ルナはほんの少しだけ不思議そうな顔をした。見ると、フィリスとパメラも同じような表情をしている。

 私は事情を察した。

「ああ、ごめんなさい。ボーっとしていて話を聞いてなかったの」

 どうやら私に対してなにか話題が振られたところだったようだ。

 その言葉に、フィリスはなにを勘違いしたのか、

「そういえば試験も5日目ですね。ティース様とパースくんは無事でしょうか……」

「そうね」

 2人の安否を気にしてボーっとしていたわけではないが、言われてそれも気になった。

「おそらく無事でしょう」

 ルナがそう言った。

「第3試験は続行が不可能となった時点でリタイアが許されるそうですから。まだこちらに戻られないのは無事であることの証ではないでしょうか」

 夫が言っていたことの受け売りですけれど、と、付け足す。

 そんなルナに対し、パメラが興味津々といった様子で、

「そういえばルナリアさんの旦那様は、新米デビルバスターのスカウトが目的でいらしているんですよね」

 その話は、おそらく私がボーっとしている間に聞いたのだろう。

「だったら、ティース様やパースさんのこともご存知なんですか?」

 するとルナは小さく首を横に振って、

「夫は仕事の話をほとんどしない人なんです。ティースくんのことは個人的によく知っていますけれど」

 それでもパメラは興味のありそうな顔をした。

「ティース様とは……えっと、どういうお知り合いなんですか?」

 と、少しだけ私のほうを気にしながら尋ねる。

 パメラは年相応の少女らしい好奇心の持ち主だが、かといって無闇に他人の過去を暴いて喜ぶようなタイプの性格でもない。

 今回好奇心が勝ってしまったのは、おそらく彼女が、ティースの部屋を担当するメイドであるということ以上に、彼に対して特別な親しみを感じているためだろう。

 その理由をだいたい理解している私は、特に彼女の質問をさえぎろうという気もなかった。私と古い知り合いであるという時点でティースともなんらかの関わりがあることは簡単に想像できるだろうし、私にとって本当にばらされたくないようなことをルナが口にするとも思えなかったからだ。

 そう思いながらルナを見ると、彼女は少し嬉しそうな顔をしていた。

 今日会ったばかりでティースとパメラの関係を知らない彼女でも、そこにある感情が好意的なものであると感じられたからだろう。

「ティースくんは弟です」

「えっ!?」

 案の定、パメラが驚いた顔をして、隣のフィリスも目を丸くした。

 ルナリアは微笑んですぐに補足する。

「もちろん血はつながってませんけれど、小さいころから弟のように思っていました。ティースくんも同じように思っていてくれたものと思います。私たちは互いに兄弟がいなかったものですから」

 そう言うと、2人は一斉になるほどという顔になった。

 そんな様子を見て、私はふと、ルナがミューティレイク家にメイドとして来てくれる日を妄想する。それは残念ながらあり得ないことだが、きっと色々な人に良い影響を与えてくれるに違いない、と、そう思った。

 それはもちろん、私やティースを含めての話で――

 ……いけない。

 頭を振る。

 どうもここ数日は郷愁めいた感情が抑えられない。今の妄想も、ネービスの風景をなつかしく思う感情も、出どころはたぶん一緒なのだろう。

 過去をなつかしむのは、現状に不満があるからなのだろうか。

 まだ来ぬ未来に期待が持てないからなのかもしれない。

 ルナと楽しく会話する2人の少女に、過去の自分たちの姿が重なった。


 故郷を出てからこれまで、そんなこと一度も考えたことはなかったのに――


「……お屋敷に戻られる気はありませんか?」

 だから、だろうか。

 そんなルナの言葉に、私は即答ができなかった。

 外のあたたかい風が、遠い喧騒とともに頬を撫でている。

 結局、3時間以上は居たのだろうか。私がルナとともに宿を出たころ、太陽はかなり西の方角に傾いていた。

 西日を背にしたルナの表情はうっすらと翳って見える。

「戻る? レビナスの屋敷に?」

 即答できなかったから、私は意味のない疑問を彼女に返した。

 それほどに、それは私にとって意外な提案だったのだ。

 ルナはゆっくりとうなずいて言葉を続ける。

「今すぐということではなく、お嬢様の夢――薬師になるという夢を叶えた後でも良いのです。すでにお屋敷を出た私が言うのは差し出がましいと、それを承知の上で申し上げております」

 わかっている。彼女があえてそれを言うのは、たぶんそれが大勢の人間の幸せにつながると、そう思っているからに他ならない。

「学問を修める場所としてネービス以上の土地はこの大陸には存在しないでしょう。ただ――」

「わかってるわ、ルナ」

 薬師として生計を立てるのに適しているかといえば、必ずしもそうではない、ということだ。

 考えればすぐにわかることである。優れた学校があるということは、優れた人間が多く集まるということで、もちろんそのままネービスで開業する人間も多い。いくら人口が多いといっても、ネービスはやはり供給過多な土地であるといえるだろう。

 その点、故郷のジェニス領は雨が多く比較的住みにくい土地だから、ネービスで学んだような薬師がわざわざ移り住むケースが少ない。

 おそらくは、ネービスのサンタニア学園でトップクラスの成績を残した薬師、という肩書きだけで、自分ひとりの生計を立てるのに困ることはなくなるだろう。

「お嬢様が嫌がられていた縁談もとっくに破談となりました。あのお方もすでに他のお相手を見つけられたようです」

「……そう」

 それは初耳だった。当時は嫌なヤツだと思っていたが、今にして思えば悪いことをしたという気持ちもある。会ったらひとことくらい詫びるべきかとも思ったが、相手にしてみれば余計なことだろうか。

 会ったら――か。

 それも、あの日、屋敷を飛び出してから一度も考えたことのない未来だった。

『会ったら』

 その単語が、別の情景を私に想像させる。

 ルナが私を見ている。

 不思議と、私は彼女がどんな言葉を期待しているかすぐにわかった。……いや、違うか。正確には、私がなかなか口に出せずにいる言葉をルナが察していて、その言葉が私の口から出てくるのを待っているのだ。

 私は言った。

「……お父様は、お元気かしら」

 その問いをためらった理由は、それもやっぱり私の罪悪感からだろう。

 そもそも私は父が嫌いだったわけではない。屋敷を出た理由のひとつ――許婚のことだって、長く離れて、月日が経って、当時の父の苦悩を推察する程度の経験も得た。

 言葉にすると、大きな感情の波が胸の中に押し寄せる。

「寂しがっておられました。それを表に出す方ではありませんでしたけれど」

 ですが、と、ルナは付け加える。

「お嬢様が戻られることを、今でも信じておいでです」

「そう……」

 なつかしさがこみ上げる。

 でも――

 私はそれを押さえ込んですぐに言った。

「戻れないわ」

「卒業なさった後でも――」

「そうじゃなくて」

 もちろんそれもある。ただ、それは一番の理由じゃない。

 私は肌身離さず持っている黒い本の背表紙をそっと撫でた。

「いい加減、あの男を解放してあげようと思っててね。ずっと探しているの。その方法を」

「……?」

 ルナは珍しく戸惑った顔をしたが、やがてその言葉の意味に達したようだ。

「お嬢様、それはティースくんの――?」

 私は彼女を制した。

 言いたいことはわかっている。

「あいつはもう自分自身の目的を見つけている。やり方さえ間違わなければ、本当のことを思い出したところで道を失うことはないと思うわ」

「……」

 その程度の強さはもう持っている。ああ見えて芯はそこそこ強い男なのだ。

 私はそこでかすかに頬を緩ませた。

「どの道、ずっとこのままじゃいられないじゃない。だってこのままじゃあの男、好きな女の子と触れ合うことすらできないのよ。この呪いの副作用で、ね」

 そう言って頭に思い浮かんだのはリィナの顔だった。

 ……実際どうなのかはわからないけれど。その機会ぐらいは与えてあげないとかわいそうだ。

 ふと見ると、ルナが心配そうな顔で私を見ている。

 なんとなく、彼女の考えていることがわかるような気がして、私は答えた。

「本当のことを知れば、きっと恨まれるでしょうね。でもいいのよ、別に。これまで散々利用させてもらったのだし」

 そっと、無意識に手が髪飾りに伸びた。

「……お嬢様がそこまでお考えなのであれば。今のあの子のことは、きっと――私よりお嬢様の方がお詳しいのでしょうから」

 そう言ったルナの表情は少しだけ寂しそうだった。

 私はそんな彼女から視線をそらして西日の方角を眺める。

「それが終わったら――そうね」

 乾いた風の音が妙に胸に響いた。

「考えてみてもいいかもね。あなたの言うとおり……」

 学園を卒業し、あの男がデビルバスターになって――そう。

 そのころにはもう、私がネービスに留まる理由はなくなっているかもしれなかった。






「今度は君か」

 と。

 ルドルフ=ティガーはそう言った。

「君のような人材が一番危険ですからね」

 と、付け加えるように言った。


「君たちと近い場所でスタートすることができたという意味では、とても運がよかった」


「!?」

 それが合図だった。

 聞いたことのない鳴き声で数羽の鳥が飛び立つ。上空の枝葉がざわざわと揺れて、抜刀の音がそれに重なった。

 ルドルフ=ティガーの武器は抜き身の大剣だ。

 抜刀したのはティースのほうである。

 いきなりの事態にもちろん戸惑った。

 丸い眼鏡も、細い切れ長の目も、奇妙な文様の長羽織も、最初に会ったときとなにも変わっていない。

 ただ、ティースに向けられた殺気は間違いなく本物で、彼はそれを隠そうともしていなかった。

 これだけの明白な事態なら、ティースとてモタモタしてはいられない。

 迎え撃つ。

 ためらいなくしかけてきたルドルフの動きは、大きな剣を携えながらも俊敏だった。

「くっ……」

 襲い掛かった一撃を受け流そうとしたティースの体がバランスを崩す。

 その武器の形状から容易に想像できたことだが、重い。

 片ひざをついて転倒を回避すると、次の一撃に剣を合わせながらティースは叫んだ。

「待ってくれ! なにか勘違いを――」

 その言葉に剣戟の音が重なった。

 ルドルフはなにも答えず、ただ大剣を打ち振るう。

 今度はつばを合わせる形になった。

 片ひざをついたティースに対し、ルドルフは上からぐいぐいと力を込めてくる。

(……この、剣――)

 顔からほんの数センチ。やや刃こぼれの目立つ大きな剣は血の跡がこびりついたままだった。

 切るというより『切り潰す』という表現が似合いそうなその武器は、特別な知識を持たないティースにさえ、あの夜に見たファティマの傷口を連想させるのに十分な形状をしている。

(なら――)

 シアボルドの言葉、そして今のこの現状。

『まさか』

『なんのために?』

 湧き上ってくるそれらの疑問を頭の隅っこに追いやって、スイッチを切り替えた。

 そう。

 おそらく犯人は――彼だ。

 そう認識した瞬間、心臓から全身へ熱い血が駆け巡る。試験のことも、目の前の相手との実力差のことも、一時的に頭の中から消え失せた。

 ただ、最後に一度だけ問いかける。

「貴方が……ファティマを殺したのか?」

「……」

 ルドルフは答えない。表情すらも動かない。丸い眼鏡の奥の目はただ無機質な殺気だけを放っていた。

 それで、ティースの覚悟は完了した。

 ざっ……!

 ルドルフの右足が跳ね上がる。鋭い蹴りはティースのわき腹を狙ったものだったが、ティースはそれを狙い済ましたように全身に力を込めた。

「はぁっ!」

 押し込む。

「っ!?」

 ルドルフの体勢が崩れる。右足の蹴りは大きく軌道をそらし、ティースの眼前で空を切った。

 その間にティースは間合いを取って体勢を立て直す。

「……」

 同じように体勢を立て直したルドルフが、油断なくティースを見据えた。

「……聖力値が高いだけかと思ったら、意外と戦い慣れしていますね」

 意外そうだった。

 どうやらすぐに決着がつくものだと考えていたらしい。

「少なくとも、昨日始末した連中よりは手ごわそうだ」

 そう言ってルドルフが構えを直す。

「……」

 ティースも剣の柄を握りなおした。そうしながら意識を少しだけ周囲に向ける。

 人の気配は感じない。シアボルドは言葉どおり逃げたのだろうか。あるいは気配を消して様子を見ているのか。

 いずれにしてもこの状況では、彼が加勢してくることはないだろう。

 そこまで確認して、ティースはルドルフに問いかけた。

「……どうしてこんなことをする?」

「どうして?」

「お前は普通にしていても合格できるだけの実力者なんだろ? こんなことをしたってなんの意味もないじゃないか」

「意味はありますよ。といっても、ヒューイット=レーゼルのようなイカれた理由ではなく」

 説明する気はありませんが、と、ルドルフは冷笑して、再び動いた。

「なら……!」

 覚悟はできている。

 結果は考えなかった。全身を駆け巡る血液がそれを拒否している。

 今はただ――目の前の『悪』を討つ。

 彼の気合に呼応したかのように、愛剣『細波』の刀身が瑞々しさを増してきらめく。そこに無骨なルドルフの大剣が重なって甲高い金属音が響いた。今度は力比べにはならず、互いにすぐさま切り返す。

 剣戟の音に遠くの獣の遠吠えが重なった。

(重い……っ!)

 手のひらがしびれる。それほど大柄ではないが、あれだけの大剣を振り回しているだけあって、ルドルフの斬撃には重みがあった。

 あっという間にティースは防戦一方となる。

 受けて、流す。

 受けて、流す。

 すぐに相手の動きを注視する。

 次の一撃を受け流すべく。

 受けて、流す。

 受けて、流す。

 受けて――

 と。

(……なんだ?)

 やがて、ティースはその違和感に気付いた。

(手を抜いているのか……?)

 確かにルドルフの一撃は、気を抜いていたら手が痺れ、剣を落としてしまいそうなほどに重い。だが、それはティースが対応できないほどのものではなかった。

 事実、今のティースは体勢を崩さず、相手の次の一撃を待ち構える程度の余裕がある。

 言い方を変えると、反撃のチャンスがあった。

 防戦一方だったのは、強敵であるがゆえに、あえて防御に重点を置いて戦っているからだ。

 加えて、ルドルフの動きはどこか緩慢に見えた。重量のある武器を振り回しているのだから、それも当然なのかもしれないが、相手はこの試験でも1、2を争うほどの実力者なのだ。そんなことはあるはずがない。

 そう思えた。

 逆に実力差がありすぎて遊ばれているのかもしれない。

 だとしたら、いや、そうだとしても――

「……っ!」

 しかし。

 ふとした瞬間に、ティースはその認識を改めることとなった。

「ぉぉぉぉぉぉ――っ!!」

 先に張り詰めた声を上げたのは、ルドルフのほうだった。先ほどまでの落ち着いた気配はすでになく、仮面のようだったその表情には明らかな『誤算』が浮かんでいる。

 まさか。

 いや、そうか――

 そこに至ってティースはようやく気付いた。

 直線的な斬撃を受けて、流す。

 直後、ティースは反撃に出た。

 おそらくはじめての反撃。

「くっ!」

 それだけでルドルフはわずかに崩れた。ティースの剣筋に、その速度に、反応しきれていない。かろうじて剣のつばで防いだが、慌てて後ろによろめいた。

 互角?

 いや――

 一瞬で立場が入れ替わる。

 細波の繰り出す斬撃に、今度はルドルフが防戦一方となった。

 そこでティースは確信する。

(パースほどじゃあない……!)

 はっきりとわかった。タイプは違えど、パーシヴァルほど手ごわい相手ではない、と。

 それはつまり勝てない相手ではない、ということ。

 ガキィン!!

 再びつばが重なり合う。今度は互角の体勢。

「……ルドルフ=ティガー」

 カチカチ、と、刃と刃が乾いた金属音を立てる。

「!」

「もしお前が犯人でないのなら、今のうちにはっきりと言ってくれ。じゃないと――後悔するぞ」

 30センチほどの距離で、互いの視線が絡まる。

「……」

 1秒。

 互いに離れ、すぐに次の一撃。

 ティースは下段に。

 ルドルフは上段に。

 切っ先が動いたのはルドルフの方が早かった。

 だが、ティースが遅れたわけではない。

 あえて遅らせたのだ。

 凝視する。

 両手でぐっと細波の柄を握る。

 斜め上段から。

 ルドルフの持つ禍々しい大剣が振り下ろされる。

 その動き出しを凝視する。

 そして次の瞬間。

「!」

 ティースは下段に構えたまま突っ込んだ。

 傍から見れば無謀な、捨て身のようにも見える突進。

「!?」

 ルドルフの驚愕の表情が見える。

 おそらく彼の目には、ティースがまるで博打の一手を打ったように映っただろう。

 だが、違う。

 ――見えていた。

 まるでスローモーションのように。

 時間が止まったように。

 ルドルフの剣の動き、角度から、一瞬の未来に訪れるであろう、その斬撃の軌道。

(避ける……!)

 無駄な動きを一切省き、ギリギリで、かつ自らの一撃を保つ。

 無謀ではない。

 ティースには自信があった。

 受けることは考えず、ただ次の一撃を確実に決めることだけを考えた。

 振り下ろされる重い一撃。

 ……だが、その一撃がティースの体をとらえることはなかった。

 捌いた体のほんの数センチ横、凶刃が空気を裂く。

 と、同時に、

「懺悔しろ……ルドルフ=ティガー――ッ!!」

 振り上げたティースの剣が、完全に無防備となったルドルフの体を捕らえた。

 手ごたえ。

 肉を裂き、骨を絶つ感触。

「ッ―――!!!!」

 声にならない絶叫がルドルフの口から漏れた。

 血しぶきがティースの体を汚す。

 大剣が斜めに地面に突き刺さった。

 少し遅れて、体を離れたルドルフの右腕が地面に落ちる。

「っ――が……っ!!」

 ルドルフはひざから崩れ落ち、左手で、肘の先の無くなった右腕を押さえた。

「終わりだ……」

 勝負はあった。

 そう言ってティースはルドルフに剣を向ける。極度の緊張が緩んだせいか、全身からどっと汗が吹き出した。

「ぅ……ぎ……っ!!」

 ルドルフは奥歯をかみ締め、叫び声をどうにか抑えながらティースをにらみ上げた。

「おとなしくすれば、命までは取らない。お前には……本当のことを話してもらう必要がある」

 すぐに手当てをすれば命は助かるだろう。もちろん殺す気はなかった。

「……」

 しばらくティースをにらみつけていたルドルフだったが、やがて諦めたように視線を落とす。彼がいくら強靭な精神力の持ち主であったとしても、これ以上戦うのは不可能だろう。

「……止血するから、おとなしくしていろ」

 ルドルフはなにも答えなかった。

 一応油断なく、右手に剣を持ったまま、ティースは左手でふところを探り、止血用の包帯を取り出す。

 抵抗するような気配はない。武器を隠し持っているような気配もない。どうやら本当に観念したようだった。

 と。

「……?」

 ふと目を上げて気付いた。

 視線の奥。

 木々の生い茂る森の、奥の奥。

 そこに、それまで感じなかった人の気配が生まれた。

 集中していて気付かなかったのか。

 あるいは相手が完璧に気配を消していたのか。

 嫌な気配。

 ――殺気。

 同時に、風切音が鳴った。

「っ! 伏せろっ!!」

 叫んだが、遅かった。

「!?」

 どすっ、と。

 鋭利なものが肉にめり込む鈍い音。

 ルドルフの体が仰け反った。

 顔は驚愕と苦痛に歪み。

 上空を向いたのどからは、2本、木の枝が突き出していた。

 いや、枝ではない。

 堅い木の枝を削って作られた矢だった。

(――っ!?)

 ルドルフはそのまま仰向けに倒れた。

「……誰だっ!!」

 攻撃に備えながら、矢の飛んできた方向に駆ける。

 だが、次の攻撃はなかった。

 それどころか、そこにあった気配は逃げ出すこともせず。

 ざっ、と。

 森の奥から姿を現す。

「っ……お前――!」

「よお、ティース。危ないところだったな」

「シアボルド……」

 姿を現したシアボルドは右手に弓を抱えていた。

 その場に似合わない、呑気な顔と声。

 別れぎわ、ルドルフに怯えていたときの面影はどこにもなかった。

「ま、言葉どおり逃げようかとも思ったんだがな。お前が思ったより善戦してたようだから、とっさにその辺のものを使って弓矢を作ったのさ。いや、お前ががんばってくれて良かったよ」

 そう言いながら、シアボルドはティースの脇を抜けてルドルフのもとへ向かう。

「……おい」

「ああ、これがルドルフ=ティガーの武器か。間違いないな。ファティマとヒューイットを殺ったのはこいつだ」

 こつん、と、地面に突き刺さった大剣をつま先で軽く蹴り飛ばし、そのままくるっと身をひるがえして戻ってくる。

「おい、シアボルド!」

「ん? なんだよ」

 シアボルドは怪訝そうにティースを見た。

「心配すんなって。これまでの経緯を話せばきっと試験は続行できるさ。こういうケースはこれまでにもあったんだ。つまり――」

 と、完全に事切れたルドルフの遺体を見下ろす。

「よからぬことを考えて試験に参加した悪党と、やむを得ず戦った。結果として相手の命を奪ってしまった。まあこれは正当防衛だな。俺とお前の証言、ファティマとヒューイットの死体。ルドルフの武器、その他諸々……ま、俺たちの正当性を示すには十分すぎる証拠がある。こういう場合、この試験では大抵お咎めなしになる」

 得意そうにそこまで言って、シアボルドは軽く両手を広げた。

「……おいおい。剣を下ろせよ、ティース。なんのつもりだ?」

「それはこっちのセリフだ、シアボルド」

 ティースは両手で細波を構え、シアボルドをにらみつける。

 ある疑念が生まれていた。

「お前――なにが目的だ?」

「なんのことだ?」

「とぼけるな!」

 ルドルフののどを貫いた矢は、サバイバル初日の夜にティースを襲ったものと同じだった。もちろん即席で作られた木の矢はそれほど珍しいものではない。だが、シアボルドが手にしている弓は明らかに既製のもので、最初から持ち込んでいたものだ。

 獣魔を相手にするというこの試験の性質上、弓を武器として持ち込む受験生は多くない。

 つまり――あの日、ティースを襲った矢の持ち主は彼である可能性が高い。

 加えて、今のこの状況。

「勝負はついていた! 彼を殺す必要はなかった!」

「なんだって? いや、遠目だったんで状況がわかりにくくてな」

 シアボルドはさらにとぼけた。

 あり得ない。彼は明らかに嘘をついている。

 しかし――そうだとして、シアボルドがあえてルドルフを殺した理由は?

 すぐに思い浮かんだことがあった。

 ……ルドルフとシアボルドが、グルであったという可能性。

「まさか、お前――」

 考えてみれば、ティースと相対したルドルフの態度は最初からおかしかった。まるでティースが来ることを知っていたかのようで、そしてティースをルドルフのもとまで案内したのはシアボルドだ。

 ならば。

 もしそうだったとして。

 仲間だったルドルフを殺した理由は?

 簡単だ。

 ――口封じ。

 体勢が不利になったのを見て、ルドルフを切り捨てたのだ。

「なにを邪推しているかは知らないけどよ」

 ティースの視線になにかを感じ取ったのか、シアボルドは少し距離を取った。

「証拠がないなら迂闊なことは考えないほうがいいぜ。下手なことすりゃ、試験失格どころか犯罪者となって牢獄行きだ。ま、お前ならそんなことしないだろうけどさ」

「……!」

 確かに証拠はない。たとえその推測が真実だったとしても、ファティマたちを殺したのはやはりルドルフなのだろう。

 とすると、その推測を裏付けることは難しい。

「……」

「ま、いいさ。なんにしろ良かった。これでお前と俺が組んでる理由もなくなったな。そんじゃ」

 そう言って立ち去るシアボルドを追求する手段は思いつかなかった。


 第3試験『サバイバル』5日目。

 ティースはこの日、事態の説明のため試験を中断することになったのだった。


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