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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第10話『デビルバスター試験(後編)』
78/132

その2『サバイバル~3日目~』


「っ! てめぇ、一体なんのつもり――!」

 戸惑いの声をあげながらも、男は素早く体勢を整えていた。

 ……さすがはデビルバスターを目指そうとするだけのことはある。

 否応なしに気分が高揚した。

『故意に他の受験生を傷付ければ失格』

 そんな規定には脅しの効果すら無い。ひとつの街よりも広いこの森を10人程度の試験官が完璧に管理などできるはずもなく、この試験で毎年のように出る死人はその半数近くが森に放たれた獣魔ではなく同じ受験生同士の争いによるものだ。

 たまにそれが理由で失格し法の裁きを受ける者もいるが、それは全体からするとほんのひと握りの、運と要領の悪い連中だけである。

 つまり表向きはどうあれ、この第3試験『サバイバル』はその名の通りの生き残り戦。事実上、他人を実力で蹴落とし、踏みにじることも暗黙のうちに許された試験なのだ。

「……こんなものか」

 動かなくなった名も知らぬ受験者の亡骸を見下ろすと、その胸にぶら下がったクライアントの袋には目もくれずに背を向ける。こうして放置しておけば、クライアントの匂いに引かれた獣魔たちによって死体は見つかりにくくなる。見つかったところで、目撃者がいなければなんの問題もない。

 薄暗くなった森の中を自らのねぐらに向かって歩き出す。

 別に殺人狂というわけではない。ちょっとしたイザコザがたまたま刃傷沙汰に発展してしまったというだけのことだ。

 ざっ、ざっ。

 辺りの気配を探りながら森を歩く。

 そうしていて、ふと、自分の視線が他の受験者たちを探していることに気付いた。

「……」

 仮にあと1人や2人殺したとしてもたいした問題にはならないはずだ。受験者が命を落とすことなどそう珍しくないし、各国の様々な思惑が交錯しているこのデビルバスター試験は、試験そのものが無効になってしまうことをもっとも恐れている。よほど明確な事実がない限り、主催者側がそういったイレギュラーな出来事を隠してくれるだろう。

 時間はあと1週間以上ある。

 もちろんそれが目的ではないが――

「……」

 明らかに尋常ではない目つきのまま、その者は薄暗い森の奥へと消えていった。






「……おっと」

 ポロッ、と、指の隙間から干し肉がこぼれ落ちる。地面に落ちたそれを拾い、2度、3度と土を払って口の中へ。

 ガリッ、と音がして、ファティマは眉をひそめた。

「マズいな」

「それは干し肉がマズいわけじゃ……」

 たき火を挟んだ向こう側でティースはそう言ったが、ファティマはそんな彼を一瞥すると、再び干し肉を一口。

 ガリッ。

「……マズい」

「ちゃんと洗えば大丈夫だって。ほら、貸して」

 水筒の水で干し肉を軽く洗い、彼女に返してやる。

 無言でそれを口に運ぶファティマ。今度はマズいと言わなかった。

 やれやれ、と、ティースは自分の夕食を再開する。

 サバイバル3日目の夕方。初日に同盟を結んだファティマ=ヴェルニーというこの女性は、いかにも尊大そうな第一印象や、小耳に挟んだうわさ話――元盗賊というイメージとは少々違った性質の人物らしかった。

 妙に子供っぽいところがある。

 ……いや、その言い方は正確ではないのかもしれない。

 実際、おそらくはまだ子供と言っても間違いではないぐらいの年齢だろう。

(せいぜい15、6歳かな……)

 無表情に干し肉をかじる彼女を眺める。

 初対面のときはその態度に惑わされたが、実際に近くで見るとかなり小柄だし、やや鋭い目つきの顔にもまだ少し幼さが残っている。仮に実年齢よりも幼く見える顔なのだとしても、ティースよりは年下だろう。

 そのぐらいの年齢でこの試験を受けることは驚くほど珍しいことではない。特にティースの身近には11歳でデビルバスターの称号を手に入れたレアス=ヴォルクスという存在もいる。

 ティースは干し肉の最後のひと切れを口に運んだ。

「にしても、昨日今日と、ビックリするぐらい平穏だったなぁ」

「……」

 同じタイミングで夕食を終えたファティマが顔を上げてティースを見た。

「俺は最初の日は5回も獣魔に襲われたよ。まあ寝床を探してウロウロしてたせいもあるけどさ。それに比べて昨日と今日は楽だった、ってね」

「同じだ」

 と、ファティマは短く答えた。どこまで同じなのかわからないが、やはり彼女も初日は少なからず苦労したのだろう。

 それに比べてこの2日間ときたら、昨日は2度、今日に至っては水を汲みに出たときに1度戦闘になっただけだ。しかもこちらの戦力は初日の2倍。加えて夜は交代で睡眠が取れる。これが大きい。

「私のおかげだな」

 なんのためらいもなくそう言ったファティマに、ティースは苦笑した。

 確かに彼女のおかげではあるが、もちろんその恩恵は彼女も受けているはずで、実際はお互い様である。

「さて、と」

 ティースは西の方角へ視線を向けた。日が沈むまではあと1時間ほどだろう。

 寝床を準備すべく、焚き火から離れて洞穴へ向かう。穴は入り口が広くそれほど深くない。寝床はそこにボロい布を敷いただけのものだが、穴の向きや角度のおかげか風がほとんど入ってこなかった。今の状況で準備できる環境としてはかなり良質だといえるだろう。

「よし、と」

 寝床の準備といっても下に敷く布の泥なんかを払って綺麗に敷き直すぐらいだ。ものの1分ほどでそれらの作業を終え、ティースは洞穴から顔を出した。

「ファティマー。今日は昨日と逆でいいか? 俺が先で――どうした?」

 ファティマが焚き火の向こうから意味深な視線で彼を見ていた。

「ティース。お前は変わったヤツだな」

「え?」

 突然の言葉にティースは戸惑った。

 まあ、変わっていると言われることにはそこそこ慣れているのだが、その理由については毎回微妙に違っていたりするので、ああ、あのことか、と瞬時に理解できるわけでもなかった。

「変わってるって? なにが?」

 ひざの泥を払いながら洞穴を出たティースに、ファティマは言った。

「自己主張が弱い。デビルバスターを目指す人間には珍しいタイプだ」

「別に主張が弱いわけじゃない。争い事が嫌いなだけだよ」

 ティースは意味もなく反論してみたが、ファティマは表情を変えずに、

「それが珍しいと言っているんだ」

 確かに。言われてみればその通りかもしれない。

「そして――」

 ファティマは続けて言った。

「私は疑い、見極めようとしている。お前のその態度が演技なのか、それとも本質なのか」

「疑う? ああ……」

 一瞬なんのことかと思ったが、彼女の立場になって考えればわかる話である。

 ティース自身、この第3試験の開始直前に思い知らされたとおり、受験者同士は基本的に競争相手だ。

 協力する振りをして油断させ、利用し、最後の最後に裏切る――なんてシナリオは、あまりに簡単すぎて3流の吟遊詩人でさえ語ることのできるチープな物語だろう。

 もちろん、ティースの内面に触れたことのある人間であれば、彼がそんな企みを行うことがどれほど有り得ないかすぐにわかる。だが、出会って3日の彼女にしてみれば、疑いを持つのは仕方のないことだ。

 どうやって誤解を解こうか、と、ティースは少し考えてみたが、すぐにやめた。

 彼は基本的に口べたな人間である。それが誤解であると主張すればするほど、相手がますます疑念を抱くかもしれない。

「演技するのは苦手なんだ」

 結局最低限の言葉だけで答え、再び焚き火の前に戻った。

 あたたかい熱風が前髪をなびかせる。

「奇遇だな。私もだよ」

 そう言ってファティマは傍らに置いた剣の鞘を撫でた。今のティースの返答は、少なくとも悪い印象ではなかったようだ。

 ティースは少し考えて切り出す。

「ファティマはどうしてデビルバスターを目指すことになったんだ?」

「突然だな」

「いや、なんとなく。っていうか、こういうことを話せばお互いにもっと信用できるようになるのかなって」

「……」

 ファティマはやや呆気に取られたような顔をしたが、

「いいだろう。では、私から話そう」

 案外素直にそう答えた。

 それぞれの武器の手入れをする傍ら、遅めの自己紹介を始める。

「生まれは南方だ。2年前までは盗賊稼業をしていた――」

 そのうわさがすでに知れ渡っていることを意識したのか、彼女はその話題から切り出した。ただ、そこに至るまでの経緯について詳しくは語らず、その2年前に、自ら思い立って盗賊団を抜けたところから、紆余曲折を経て、とある資産家の後ろ盾を得ることでデビルバスターへの道を歩み始めたことまでを語った。

「ケチなヤツでな。1発で合格しなければ次の機会はないと言われている。だから今回合格できなければ色々と面倒なんだ」

 ケチなヤツ、とは、彼女の後ろ盾となっている資産家の話らしい。なにげない口調だったが、その出会いが彼女にとって良いものであったことは、言葉の端々から感じることができた。

「……そんなところか」

 せいぜい5分ほどだったが、それで彼女の話は終わった。もちろん細かく追求するつもりなどティースにはない。この会話はそういう趣旨のものではないのだ。

「次はお前の番だ。ティーサイト」

 その言葉に応じ、ティースも語る。語るほどのこと――は意外と多かった。彼は自らを凡夫であると評価しがちだが、彼の歩んできた道は決して平坦なものではなく、凡庸なものでもない。

 とはいえ。さすがの彼も馬鹿正直に生い立ちのすべてを語るようなことはなく、語ったことは略歴のようなものだ。

 東方の出身であること。元は屋敷の使用人だったこと。理由があって故郷を離れネービスに移り住んだこと。デビルバスターを目指したのはちょうど1年ほど前だったこと、などである。

 語っていたのは、2人合わせてもせいぜい20分程度だろうか。

 ふと気付けば森に射し込むオレンジ色は少しずつ黒に近くなってきていた。

「そろそろだな」

 と、ファティマが腰を上げる。焚き火が作る影が薄暗い森の奥に揺らめきながら伸びていった。

 そんな彼女にティースは言った。

「なかなか有意義な時間だったよ、ファティマ」

「そうか。――私もだ、ティーサイト」

 出会って初めてだろう。焚き火のオレンジに照らされたファティマの頬に、ほんのわずかな笑みが浮かんだ。そこに年相応の幼さがにじむ。

(……この子は信用してもいい、かな)

 競争相手であることに変わりはない。だが、少なくとも奸計によって自分をおとしいれるような人物ではないだろうと、ティースは思った。

(レイさんあたりには、また甘いとか言われるかもしれないけど……)

 しかし結局のところ、それがこのティーサイト=アマルナという人物の欠点であり、そして長所でもある。この本質だけは何度だまされ、何度ワナにかけられようと変えられそうにない。

「じゃあ俺が水を汲んでくるよ。君はここを頼む」

 就寝前の最後の仕事だ。目的地はここから徒歩で10分もかからない川である。

「ああ。気を付けて行けよ」

「わかってる」

 昨日は聞かなかった言葉だった。

(少しは向こうも信用してくれたのかな……)

 立ち上がってあたりの気配を探るティースの耳に、遠くの獣の遠吠えが届いた。警戒するような距離ではない、が、今もどこかで獣魔と戦っている受験者がいるのかもしれない。

 そう考えると、全身に再び緊張が満ちた。

「じゃあ、行って来る。君も気を付けて」

 そう言い残してティースは焚き火を背にした。






 パチ、パチ、パチ……

 焚き火の明かりが少しずつ存在感を増してきている。

 ……生い立ちを語って時間をロスしてしまったのは失敗だったかもしれない、と、ファティマは今になってそう思っていた。

 語ったこと自体を後悔しているというわけではない。夜闇が森を完全に覆い尽くすにはまだ時間があり、水を汲みに行った彼が道を見失うことはないだろうし、暗闇に足を引っ張られて獣魔に遅れを取る可能性も低いだろう。

 問題はそっちではない。

 こっちだ。

「いい拠点だな」

 木々の陰から姿を現した男は、そう言って無造作に彼女に近付いてきた。

「どうだ、お嬢ちゃん? ここ、俺にも使わせちゃくれないか?」

 ファティマは即答した。

「断る。ここは定員オーバーだ」

「定員? そいつは残念だな」

 大柄な男だ。身長はティースよりさらに大きい。ファティマより20センチ以上高く、おそらく190センチぐらいあるだろう。

「だったら仕方ないな。ここは俺がひとりで使わせてもらうことにしよう。お嬢ちゃんはよそへ行きな」

 ゆっくりと、ファティマは立ち上がった。

「それも断る。どうしてもここを使いたいなら腰の剣を抜け」

「……」

 男の口元に笑みが浮かぶ。話が早くて助かる、と、いったところか。

 もちろんファティマとて、相手も見ずにいきなりケンカを吹っかけたわけではない。ティースと同じようにその男のうわさは耳にしていた。

 ヒューイット=レーゼル。昨年のデビルバスター試験で受験者を殺害したといううわさのある男だ。

「その返り血は獣のものか? それとも――」

 ファティマは正面からその男に向き合った。男はにやけた顔のままなにも答えようとはしない。

「そもそも、お前はそれが目的なのか?」

「お嬢ちゃんは確か……ファティマ、とか言ったか。女だてらに有力候補とか言われてるそうじゃないか。強いんだろうな、きっと」

「お前よりは強いよ」

 先に剣を抜いたのはファティマだった。

 それを見て、ヒューイットもニヤリとしながら剣を抜く。

 形状は互いにオーソドックスなミドルソード。ヒューイットの方がサイズ、質量ともに少し大きいが、体格差のためかファティマのそれの方が大きく見えた。

「そうそう。さっきの質問だが……」

 ヒューイットは口元をさらに歪めながら答える。

「別にそれを目的としてるわけじゃない。ただ俺は、他人の俺に対する礼儀にうるさいだけさ」

「狂人だな。……なら」

 嫌悪の色を言葉の端に乗せて、ファティマはつぶやくように言った。

「手加減しきれずに殺してしまっても、私の心が痛むことはないな」

「心が痛む? ぬかせ」

 ヒューイットはあざけるように笑った。

「お前だって人殺しの目をしてるぜ。心が痛む? 嘘をつくなよ」

「……」

 ティースが戻ってくるまでおそらくあと10分はかかる。決着がつくには十分すぎる時間だ。

 構えたファティマの剣先が、焚き火の炎で鈍色に輝いた。

 そんな彼女の鋭い殺気を浴びながら、なおもヒューイットの顔には愉悦の笑みが浮かんでいる。

 その直後、動いた。

 焚き火が掻き消えてしまいそうなほどの風を巻いて、ファティマの小柄な体躯が駆ける。10メートルほどあったヒューイットとの距離が一気に詰まった。

 対し、ヒューイットは緩慢な動きでそれに応える。

 間一髪。

 急所を狙い澄まし振り下ろしたファティマの一撃がヒューイットの剣に防がれる。

 その瞬間。

「っ!!」

 ファティマの体が地上から浮き上がった。とっさの判断でファティマはそこに自らの力を加え、後方に飛んで距離を取る。

 すぐに体制を立て直した。

「馬鹿力か……」

 ヒューイットは追ってこない。

 手が痺れていた。剣を弾き飛ばされなかったのが幸いだ。

 ファティマは即座に再び前に出る。

「っ……」

 ヒューイットは意外そうな顔で一歩後ろへ下がった。

 今度は下から上へ、低い体勢からファティマの剣閃がヒューイットのあごを狙う。

 キンッ・・・!

 今度も間一髪でヒューイットの剣がそれを防ぐ。

「……」

 ヒューイットの口が歪んだ。低い体勢のファティマを地面に叩き付けるべく剣を持った腕に力を込める。

 だが、その瞬間。

 甘い、と。

 ファティマの口が動く。

 瞬間。

「!?」

 ヒューイットの腕にかかっていた彼女の圧力が急に消失する。まるでネコのようなしなやかさで、小柄な少女の体は飛び込んできたときと同じ、いやそれ以上の速度で飛び退く。

 飛び退いただけ、ではない。

 血が宙を舞った。

「っ……てめぇっ……!」

 自らの利き腕を襲った鋭痛に、ヒューイットが彼女をにらみ付ける。

 飛び退きざま、急激に変化したファティマの剣閃がヒューイットの右腕を切り裂いたのだ。

「浅いか。落とすつもりだったが」

 ファティマが軽く剣を振るう。血雫が飛んだ。

 ヒューイットの右腕を血が伝う。手首と肘のちょうど中間ぐらいに開いた傷口は骨までは達していないが、決して浅い傷ではなかった。

「調子に乗るんじゃねえ……っ」

 力を込めた腕の傷口から血が噴き出す。

 今度はヒューイットの方から動いた。

「……」

 ファティマはまともには相手をしない。

 傷の様子からすればまともに力は入らないはずだが、薄暗いから実際にどの程度のダメージがあるのか正確に把握できなかったし、動きは相変わらず緩慢だとはいえ、その異常なまでのパワーは侮れなかった。

(……殺すと決めたからには)

 殺すまで油断はしない。ファティマはそういう世界を生き抜いてきた。持ち前の瞬発力を生かし、決してヒューイットの剣線の正面には入らない。

「相手を間違えたな、お前……」

 先ほどよりも大きな血しぶきが舞った。

「っ……ぐぁっ!!」

 ヒューイットが苦痛の叫びを上げる。今度は二の腕を縦に切り裂いた。いくらタフでもこれで右腕は使い物にならないだろう。

「くっ……てめぇ……っ」

 先ほどまでの威勢もなく、ヒューイットは右腕を押さえてうずくまった。力無くだらりとなった右腕から剣が落ちて地面に刺さる。

「殺す……殺してやる……っ!」

「お前には無理だよ」

 見逃す気などさらさらなかった。それは向こうも同じだろう。

 試験への影響、なんてこともチラリと頭をかすめたが、ここまで来たらそうも言っていられない。

 それに――

「……死人に口なし、か」

 ファティマにとってあまり好きな言葉ではなかった。だが、それはきっとこの試験における残酷な現実だ。

 受験者が受験者を殺すのは珍しくないと風のうわさに聞く。にも関わらず、それで失格となった話をほとんど耳にしないのが、その証拠だ。

「ちくしょう……小娘が……!」

 落とした剣を左手に持ち変えて立ち上がるヒューイット。

「予想外だ……くそっ……!」

「……」

 ファティマは油断無く、ヒューイットの一挙手一投足を見つめた。

 足下にブレはない。まだ戦う力は残している。剣を持つ左手……おそらく左でも剣を扱えるはずだ。油断はできない。ただ、右腕はさすがに使い物にならないだろう。ファティマの与えた2つの傷は明らかにその機能を奪っていた。

 剣を構える。

 ――特に感じることはない。

 そう。

 確かに彼女はかつて人殺しだった。盗むだけではない。人の命も奪ってきた。言い訳をするつもりはない。ただ、自分が生きるために殺してきたから。

 今もそう。

 だから心は痛まない。

 ただ――

「……」

 いい気分ではない。

 殺したいわけではなかったから。

 それがたとえ、狂人のごとき男だったとしても。

「……」

 ファティマの足が地面を蹴る。

 血しぶきと、断末魔の悲鳴が森に響き渡った。






「……あら? 今日はこの前とは違う葉ね。でも、なんだか覚えのある香りだわ」

「はい、お嬢様。これはレビナスのお屋敷で使っていたものと同じ種類の紅茶です」

「そうなの」

 言われてみれば、と、思った程度。それほど詳しいわけではない。

「この帝都では色々なものが比較的簡単に手に入るようですから。いかがですか?」

「悪くないわね」

 私がこうしてルナのところにやってくるのは今日で3日連続だった。ティースが受けている第3試験も今日でちょうど3日目。その途中経過を私たちが知ることはできないが、リタイアした者はすぐにでも戻ってくるはずだから、今のところはまだ頑張っているということになる。

 日は頂点に近づき始めていた。

 最初の日――結局ルナはティースの記憶のことで私を問い詰めようとはしなかった。その手のことは彼女の知識の範囲外だ。それ以上追求していいものかどうかすぐには判断できなかったのだろう。

 それは、心の整理が終わっていない私にとっても好都合なことで。

 そんな思惑もあり、私たちは今日も取り留めなく、昔一緒にいたころの思い出話を続けている。

「先ほどのお話の続きですが……」

 自らのカップに紅茶を注ぎ終えたルナはそう言って、穏やかに私を見つめた。

「お嬢様方はなぜ、お互いに入れ替わったりなさっていたのですか?」

「たいした理由じゃないわ。それこそ髪を束ねるのが嫌だからたまには代わって、とか。あとは単純にみんなに気付かれないのがおもしろかったというのもあるわね」

 一番最初は悪戯心からだったと記憶している。それがあまりにもうまくいったものだから、何度も繰り返すようになったのだ。

「でも、本当の意味で入れ替わったのは2、3回だけよ。確かなのは9歳ぐらいのときに入れ替わって、私がシルメリア、あの子がシーラになったこと。あの子が死んだときに、私がシーラに戻ったこと」

「そのときはなぜ入れ替わられたのですか? つまり、シーラ様だった貴女が、どうしてシルメリア様に?」

「あの子が――」

 私は少しためらったが、相手がルナであることを思い出して言葉を続けた。

「あの従者を好きになった、と、そう言ったからよ」

 ルナはすぐに察したようだ。

「シルメリア様には許婚がおられたから、と、そういうことなのですね?」

「そうね」

 長女であるシルメリアには許婚がいた。それが恋するあの子にとって枷になったのだ。

「それですべてがうまくいくものだと思ってたのよ。まだ子供だったから」

「お嬢様は、それをどう思っておられたのですか?」

「うん? あの子とティースのこと?」

「はい」

 少し考える。

「興味なかったわ。……ああ、いえ、違うわね。そのころの私はよくわかってなかったのよ。でも、あの子が嬉しそうにしているのは嫌じゃなかった。たぶん、そのぐらいのことしか感じてなかったと思う。あなたは――私がそれをよく思ってなかった。そう考えているのでしょう?」

「はい。そのころから、シルメリアお嬢様が急にティースくんにそっけなくなった、と、そのように私には見えました」

「それは違うのよ」

 私は当時のことを思い出しながら苦笑する。

「そういう理由で入れ替わったのだけど、あいつは『シルメリア』の方の従者だったでしょう? だからあの子は入れ替わった後も何度も私の名前を借りていったの。私は私でシーラの名前が必要になるときがあったからお互い様だったけれど」

 いったん言葉を切ってテーブルの焼き菓子に手を伸ばす。手にとってみるとそれぞれなんらかの動物を模した形であるのがわかった。見覚えがある。おそらくルナが焼いたものだろう。

「相変わらず綺麗に作るわね。……それで、あの子はそんな風に私の名前を借りて、あいつを連れ出して……でも、いつも複雑そうな顔をして帰ってきたわ」

 ルナは少し考えてすぐに解答を出した。

「御自分が本当はシルメリア様ではなかったから、でしょうか?」

 私はうなずく。

「他人から見れば私たちはどっちがどっちでも同じだったのだし、気にすることではなかったと思うのだけれど。でも、あの子はしきりに気にかけていたわね」

 あいつの好意は、あくまでシルメリアに対して向けられたもの――と、あの子はそこにこだわっていたようだった。

「だから、私がシルメリアとしてあいつに接するときは、わざと少し冷たい態度を取るようになったの。――今にして思えば、なんの意味もないことだったのだけど」

 そのときのことを思い出し、おかしくて自然と笑いがこみ上げてしまった。

「ティースはたまに、ものすごく困惑した顔をしていたわ。それはそうよね。同一人物のはずなのに、私とあの子であからさまに態度が違うのだから。でも――」

 そういえば、そう。

 屋敷の中ではあの男だけ、私たちが入れ替わっていることに気付くことがあった。

 話しているうちに、そのころの記憶が鮮明によみがえってくる。


『――ねぇ、シルメリア』

『なに?』

 金糸のような髪が白壁の上を踊っている。鏡越しに見える自分と同じ顔をした妹の顔。

 窓から射し込むのは朝の日。雨の多いこのカザロスの町にあってはそれなりに貴重な光と小鳥のさえずりの中。

 片方はベッドの端に腰掛けて、もう片方はベッドの中央にペタンと座り込んで、もう片方の髪を梳かしている。

『いたっ。ちょっとシーラ、もっと丁寧にやってよ……』

『やってあげてるのに、ひどい言い様ね』

 シーラはそんな姉の言葉に苦笑して、櫛を持つ右手の力を少し緩めた。サラサラの髪を少しずつまとめて束ね上げる。

『元はと言えば、あなたから言い出したことじゃない』

『私のせいでその髪型を強要されてるお姉様に、せめてもの罪滅ぼしのつもり』

 澄まし顔でそう言ったシーラに対し、シルメリアはおもしろくなさそうに言った。

『そう思うのだったら、また入れ替わってくれればいいのよ』

『それはダメよ。お父様が考え直して、お姉様の婚約を解消してくれたなら話は別だけどね』

『自分勝手なことばっか』

『だって私は自分が一番大切だもの』

 でも――と、シーラはクスクスと笑って続ける。

『その次ぐらいにはあなたを大事に思ってるわ、シルメリア』

『……別に嬉しくないわよ』

『かわいくないわね……はい、終わり』

 最後の髪飾りをパチンと止めてシーラが離れる。シルメリアは無言で鏡台へ移動し横を向いたり斜めを向いたりとその出来具合を確認していたが、やがて満足したのかクルッとシーラの方へ向き直る。

『まあまあね。誉めてあげるわ』

『偉そうに』

 お互いにツンとした顔でにらみ合い、数秒後には同時に笑い出した。

 仲は良かった。ケンカした記憶すらここ数年の間はない。

『そういえばさっき、なにか言いかけてなかった?』

『え? あ、そうそう。忘れるところだったわ』

 と、シーラは笑いながら言った。

『シルメリア。明日、またあなたの体、借りてもいい?』

『体? ああ、名前を貸してってこと?』

『体を借りるようなもんでしょ。私たちの場合』

 そう言ったシーラが片手で長い金髪をひとつにまとめてみせると、そこにいる2人はまったく見分けが付かないぐらい瓜二つになった。

 実際に、周りもそう。

『シーラお嬢様。まだお休みになられてなかったのですか?』

『シーラお嬢様。なにかお持ちしましょうか――』

『シーラお嬢様――』

 すれ違っていく使用人たちの言葉にはなんの疑いの色もなく、誰もが彼女のことを妹のシーラだと思い込んでいる。

 ただ――

『あれ。どこへ行かれるのですか、シルメリアお嬢様』

 そんな使用人たちの中に、ひとりだけ違った反応を見せる少年がいた。

『……』

『お嬢様。あの……シルメリアお嬢様?』

 シルメリアはようやく自分が呼ばれているのだと気付いて振り返る。

 やってきたのはどこか頼りない、ひょろっとした長身の、だけど顔はまだ少年のあどけなさを残した人物。

 彼は専属の侍従だ。いつもは彼女の、しかし今は彼女に扮した妹の侍従。

『あ、あれ? あ、すみません。ひょっとしてシーラお嬢様でしたか?』

 怖ず怖ずとそう尋ねる少年の姿に、自然と頬が緩む。

『ええ、そうよ。私がシルメリア姉さんのように見えたの?』

『す、すみません。あんまり似てらっしゃるもので……そ、そういえばそうですよね。シルメリアお嬢様なら髪を縛ってるはずですよね――』

 少年はそう言ってひたすらに恐縮する。

 産まれたときからの付き合いで、接する時間は実の父親より長かった。とはいえ、それはなにも彼に限ったことではない。

 なのになぜか彼だけが特別だった。


「本当に不思議だったわ。普段はあんなにぼさっとしているのにね――って」

 ふと気付くと、ルナが面食らったような顔で私を見ていた。

「どうしたの、ルナ?」

「あ、いえ……」

 困惑したような態度。

 その理由が私にはまったくわからなかったが、

「彼のことでそのように笑うシルメリア様は、初めてだったものですから」

 と、ルナはそう言った。

「そう? ……そうだったかしら」

 あのころの自分はそんなにも冷たく当たっていただろうか、と記憶を掘り起こしてみたが、他でもないルナがそう言うのだ。私自身の認識はともかく、周りからはきっとそのように見えていたのだろう。

「……ティースくんの記憶のこと」

「!」

 急速に現実へと引き戻された。

 わずかに緊張しながら、言葉を発したルナの顔を見る。

 彼女はまだ少し、困惑したような表情。ただ、私を見つめる視線は、最初にその話をしたときよりもずっと穏やかなように見えた。

「あの事故のあと、シルメリア様に関する記憶を失ってしまったティースくんを、無責任だとののしる方はたくさんおられました。旦那様の御配慮で、本人の耳に入ることはなかったようですけれど」

「……そうだったわね」

「でも私は――」

 ルナのその細い指が子犬の背をゆっくりと撫でる。子犬は気持ちよさそうに寝息を立てていた。

「私は実は少しホッとしていたのです。無責任どころか、責任感の有りすぎる子ですから。あのときの彼がお嬢様の死を受けいれられたかどうか……下手をすると、彼は」

 その可能性を恐れるかのように、ルナは途中で止める。

 受けいれられたかどうか――その言葉に、私は数日前の出来事を思い出していた。

 幻覚に惑わされ、混乱し、レインハルト=シュナイダーに憎しみと殺意をぶつけた、彼のあの姿を。

「……」

 勘違いとはいえ、その感情は紛れもなく彼自身の中から生み出されたものであり――

 少しだけ背筋が震えた。

 あいつでも、あんな顔をするのだ、と。まったく知らなかったわけではないが、それでもその姿は私にとって衝撃的だった。

 あいつにとっての『彼女』は、それほどに大事なものだったのだろう。

 そして最悪なことに、それは嘘から出た実でもある。

 実際、彼女は3年も前に死んでいるのだから――


 ――その事実を知ったとき、彼のあの怒りは誰に向けられるのだろう。


 慣れた罪の意識が再び胸の中に渦を巻く。

 考えなかったわけではない。

 わかっていたことだ。

 すべてわかっていてやったことなのだ。


 黒い背表紙の本。

 握り締めた小ビン。

 意識のないあいつの寝顔――


「……私は、お嬢様のことを誤解していたようです」

 唐突なその言葉に我に返り、ルナを見て、そして驚く。

「え?」

 ルナが私に向かって頭を下げていたのだ。

 わけがわからず、私は少し慌てた。

「どうしたの、ルナ。突然」

 ルナはゆっくりと頭を上げて、そして申し訳なさそうに言った。

「あのころの私の目には、お嬢様がティースくんを疎んでいるようにしか映りませんでした。お恥ずかしい話です。本当は……逆だったのですね」

「……」

 戸惑う私に、ルナは穏やかな微笑みを見せて、

「おとといのお話をうかがってからずっと考えていました。記憶を奪った方法は知識のない私にはわかりません。でも、それでティースくんの心が救われたことは紛れも無い事実でした。もしお嬢様が本当にティースくんを恨んでいるのであれば、そのようなこと、なさるはずがありませんもの」

「……そうかしら」

 私はその言葉を素直に受け入れられなかった。

「そうだとしても、私は今もティースをだましているわ。故郷を捨てさせて、こんな危険な仕事までやらせてる。私が、自分の夢をかなえるために」

 真実を告げることがあいつのためにならないのだとしても。あいつをその束縛から解放する機会はこれまで何度かあったのに。

 だが、ルナは微笑んだままだった。

「お嬢様。もう一度、同じ質問をしてもよろしいでしょうか?」

「なに?」

 確かに同じ問いかけ。

 ただ、ルナの表情と口調は、そのときとは大きく違っていた。

「お嬢様はティースくんを、どうなさるおつもりなのですか?」

「……わからないわ」

「もし――」

 ひざの上に抱えた子犬の背を撫で、ルナは彼女らしい優しい目をした。

「お嬢様が御自分の夢のためにティースくんを利用なさっているという、ただそれだけのことなのであれば、私はそれでも構わないと思っています」

 私は眉をひそめて問いかけた。

「どうして? この前、それでティースのことを心配していると言ったじゃないの」

「いいえ。私が心配していたのは、お嬢様がシーラ様のことでティースくんを恨んでいるのではないか、ということだけです」

「だまして、利用しているのだとしても――?」

「どのような問題があるのでしょう」

 ルナはクスッと笑った。

「ティースくんがそれを望んでいるのですから」

「……それは違うわ」

 なぜか私は少しムキになっていた。

「あいつはただ単純にシルメリアを忘れたわけじゃない。シルメリアとシーラが最初からひとりだったと勘違いしているの。だから、あいつは私の中にあの子もいるものだと思っている」

 数日前の、取り乱したあいつの姿が脳裏によみがえる。

「あいつがきっと、命を張ってでも守ろうとしたあの子が。だから――」

「あのころのティースくんが、シルメリア様とシーラ様のことをどのように思っていたのかは私にはわかりません」

 ルナの口調はまるで諭すかのようだった。

「ですが、あれから3年も経ちました。私とティースくん、お嬢様との関係も大きく変わりました。その上で今のティースくんが、今の貴女に尽くそうとしているのであれば、あの子の気持ちを知るにはそれで充分ではありませんか?」

「……」

 胸を渦巻くいくつかの感情。

 納得したわけじゃない。

 ルナはそれを見透かしたように言った。

「ありがとうございます、お嬢様。きっと長い間、ティースくんのことで心を痛めてくださっていたのですね」

 あのころによく見た、慈母のような微笑み。

「……」

 いけないことだとわかっていながらも。

 その言葉に、心が少し軽くなった感じがした。






「……?」

 誰かいる、と、ティースが再びそう感じたのは、川で水を汲み、ファティマの待つ彼らのねぐらまであと少しというところだった。

 日はもうほぼ沈んでいる。目指す先には焚き火の明かりが見えていて、特に物音はしない。ファティマがいるはずの焚き火の元からはかすかに動く影が伸びているのがわかる。

 だが――

(誰だ……?)

 その影、どうやらファティマのものではない。

 これまでの経緯もあってティースは警戒心を強めた。

 争っているような気配はない。

 ただ。

(血の匂い……?)

 かすかに、ほんのわずかに鼻腔をくすぐったその感覚に、ティースは迷わず腰の剣に手をかけ地面を蹴った。

「ファティマ!」

「!?」

 焚き火のそばにいた人物が飛び退る。と同時に抜刀した。だが、戦う意思は見せず、

「待て!」

 そう言って武器を持たないほうの手を広げてティースに向けた。

「お前は……」

 見覚えがあった。

「シア? シアボルド=マティーニ? なぜ――」

 それはこの第3試験開始直前、ティースをだまして『クライアント』をすり替えようとした男、シアボルドだった。

 それがなぜここに、と、口調を鋭くして問いかけようとしたティースは、その途中で言葉を失った。

「な……」

 焚き火の前に倒れる人影に視線を奪われる。

 見覚えのある小柄な女性。

「っ! 貴様……ッ!!」

 カッと頭に血が上り、ティースは目の前の小柄な男をにらみ付けて剣を構える。

 焚き火の前に倒れているのはファティマだった。その腹部には大きな傷口があり、この暗闇でもわかるほどおびただしい量の出血。明らかに絶命している。

 状況から、とっさに目の前の男の仕業だとティースが考えたのは至極当然のことだろう。

 だが、

「待て! 俺じゃねぇ! その女をよく見ろ!」

 シアボルドはさらに一歩ティースから離れ、そして焚き火の前に倒れるファティマを指差した。

「なに……!?」

 言われて気付く。

 シアボルドが手にしている剣に血が付いていない。拭いたらしき痕跡も――暗がりではっきりとはわからないが、見当たらない。

 それで少し思考能力を取り戻したティースは、もう一度焚き火の前に倒れるファティマを見た。

 そして気付く。

「なんだって……?」

 仰向けに倒れる彼女の下の土が、こんもりと盛り上がっていたのだ。

 ……いや。

「これは、どういう……」

 土が盛り上がっているのではなかった。ファティマと重なるようにして大柄な男が倒れていたのだ。

 その男のシルエットにも、ティースはほんのわずかに見覚えがあった。

 シアボルドが言った。

「ヒューイット=レーゼルだ。あんたも聞いてるだろ? 『受験生殺し』のヒューイットだよ」

「どういう……ことだ」

 2人の死体から視線を動かしシアボルドに疑問を向ける。

 ティースの殺気が治まりつつあるのを感じたのか、シアボルドは構えた剣を静かに下ろして言った。

「まずは互いに武器を収めようぜ。どっちも殺したのは俺じゃねぇ。……初対面であんなことをした俺を信じられないのはわかるが、俺は殺しはしない。リスクが高いからだ」

「……」

 それで完全に信じたわけではなかったが、今はひとまず状況を整理する必要がある、と、そう考え、ティースはゆっくりと剣を鞘に収めた。

 それを見て、シアボルドも剣を収める。

「お前、その女……ファティマと組んでたのか?」

「……そうだ」

 さらに思考能力が戻ってきて、今度はやるせない気持ちが湧き上がってきた。

 どうであれ、さっきまで普通に会話していた少女が命を落としたのは紛れもない事実だ。

 初めての経験ではない。だが、いつになってもこの無力感には慣れることがなかった。

「そうか。そいつは残念だ。まともなら、この試験は突破したも同然だったのにな」

 そんなティースの気持ちには気付かない様子で、他人事のようにシアボルドは言った。

 ティースは唇をかみ締め、そして問いかける。

「お前は、どうしてここにいたんだ?」

 まだ疑いが晴れたわけではない。その一挙手一投足に注意を払い、また周囲にも気を配りながらゆっくりと焚き火に近づいていく。

「弔うつもりか? 下手に触らないほうがいいぜ。試験官にあらぬ疑いをかけられるからな」

「……」

 シアボルドの言葉はもっともだった。ただ、そのままにしておくのは忍びない。ティースは洞穴の中に入って敷いていた布を回収し、それを2つの遺体の上にかけた。

 その間、シアボルドはそれを手伝おうとはせず、

「俺はずっとそこのヒューイット=レーゼルを監視してたんだ。そいつは実力も確かな男だからな。他の受験生に手を出した証拠がつかめれば、戦わずに失格にしてやれるだろ?」

 手ごわいライバルは少ないほうがいいからな、と、シアボルドは言った。まったく悪びれないその態度が、逆に真実を語っているようにも見える。

「かといって、ビッタリくっついていて気付かれずにいられるほど簡単な相手でもない。見失ったり見つけたり……そんなことを繰り返していて、最終的にたどり着いたのがここだったのさ。どうやらその2人はここで剣を交えたらしい」

 シアボルドはティースが戻ってくる前に簡単に遺体の検分を済ませていたらしい。その言葉を信じるなら、ヒューイットの腕の傷はファティマが付けたもので、戦いはファティマが優勢に進めていたようだ。

 ただし、

「2人とも致命傷となった傷はまったく別のものだ。つまり、2人が戦っているところに誰かがやってきて、2人とも殺していった。そういうことだろうな」

「……それは、本当にお前じゃないんだな?」

 ティースがそう疑いを向けると、シアボルドは小馬鹿にしたような態度で両手を広げた。

「んなわけないだろ。この2人を殺せるぐらいの実力があるなら、いちいちお前をハメたりとか下手な小細工打つかよ。もちろん獣の仕業でもない。こいつは人間がやったことだ」

 死体の傷は見慣れている、と、シアボルドは言った。過去にそういう仕事をしていたらしい。

「おい、ティース。ひとつ提案があるんだが――」

 そしてさらにシアボルドは言った。

「俺と組まないか? こいつが誰の仕業なのかはわからない。けど、そういうイカレタ奴がうろついているのは事実だ。俺たちはそのことを知っている。……いろいろ、メリットがあると思うがな」


 第3試験『サバイバル』3日目。

 雨を予感させる空模様とともに、試験は一気に血なまぐささをまといつつあった。


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