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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第10話『デビルバスター試験(後編)』
77/132

その1『サバイバル』


 帝都の早朝。

 その一角の、とある宿に慌ただしい物音が響いている。

「ティースさん! 早く早く! 受付、始まっちゃってますって!」

「す、すまん、パース! お前だけ先に行っててくれ!」

 そこが1階で、かつ泊まり客の少ない宿であったことが幸いだった。でなければ他の泊まり客からクレームが来ていたに違いない。

「なに言ってんスか! ここまできて遅刻で不合格なんて目も当てられないっすよ! 待ってますから急いで急いで!」

 部屋の入り口でそう急かす少年の名はパーシヴァル=ラッセルという。この6月、帝都で開かれるデビルバスター試験の受験者のひとりで、デビルバスター集団『ディバーナ・ロウ』の一員である。

 平均よりやや小柄であるものの、なかなかの美少年だ。

 そしてもうひとり―― 

「悪い、パース。ええーっとなにか忘れ物は――」

「あ、ティース様! 武器が置きっぱなしに!」

「う。さ、サンキュー、フィリス!」

「ティース様! 受験証をお忘れです!」

「あ! すまん! 助かったよ、パメラ!」

「ティースさん! 急いで急いで――!」

 見送りの少女たちにペコペコと頭を下げながら、ようやく部屋を飛び出したのがこの物語の主人公、ティーサイト=アマルナだった。

 ひょろっとした長身、撫で肩、やや猫背で童顔というなんとも頼りなさそうな外見だが、彼もまた大陸屈指の難関であるこのデビルバスター試験の受験者だというのだから、世の中わからないものである。

 さて、そんな彼らの現状をおさらいしておくとしよう。

 ディバーナ・ロウのデビルバスター候補生であるティースとパーシヴァルが、年に1度のデビルバスター試験を受けるため、帝都ヴォルテストにやってきたのが10日ほど前のことだ。

 そんな彼らと一緒に来たのが、ディバーナ・ロウの後輩で護衛役のクリシュナ=ガブリエルと、身の回りの世話や体調の管理役である、シーラ=スノーフォール、フィリス=ディクター、そしてパメラ=レーヴィットの3人の少女たちである。

 さて、目的であるそのデビルバスター試験は1週間前からすでに始まっており、おとといまでに2科目が終了していた。

 このデビルバスター試験は全4科目で構成されており、毎年2千人余りの受験者は最初の科目『測定』試験で半数近くが落とされ、2つめの『筆記』試験で千人以下にまで減る。今年はこの時点で残りが800人余り。

 ティースとパーシヴァルの2人はこの800人余りの中にどうにか残っている、と、そんな状況であった。


「――じゃあ行ってくるよ!」

「ほら、ティースさん! 早く早く!」

 ドタドタドタ、ガチャ、バタン! と。

 遠くなっていく慌ただしい足音。

 そんな2人の足音を聞きながら、部屋に残された2人の少女はホッと胸をなで下ろした。

「どうにかなりそう、かな……」

「だね」

 互いに顔を見合わせ、苦笑を交わす少女たち。慌ててはいたが、急げば受付には充分間に合う時間。なにごともなければ遅刻するということはないだろう。

「さて、と」

 グッと軽く背伸びをしたのは純朴そうな見た目の少女――パメラ=レーヴィットだった。

「フィリスは今日どうするつもり?」

 問いかけられたのは、まるで羊を思わせるふわふわの髪のおとなしそうな少女、フィリス=ディクターである。

「なにも考えてないけど……パメラちゃんはどうするの?」

「私は屋敷のみんなのお土産を見てこようかなって。エレンに髪飾り頼まれてるし……」

 と、パメラは答えた。

 2人の受験生が万全の状態で試験を受けられるようにと、身の回りの世話役として派遣されてきた少女たちだったが、主役であるティースとパーシヴァルがいない間は基本的にヒマである。

 もちろんなにかあったときにはその対応やミューティレイクへの連絡を手配したりしなければならないが、基本的になにも問題が起きなければなにもすることがない。

 滅多に訪れる機会のないこの大陸一の都でゆっくりと観光を楽しむことも充分可能で、彼女らの同僚たちがこの任務をうらやましがったことも、あながち的はずれなものではなかった。

 ただ、この2人の少女に関していえば、どちらも根が真面目なこともあり、それほどハメを外すことはなく。

 フィリスはニコリと微笑んでパメラに言った。

「いいよ。じゃあ私、お留守番してるから」

「ごめんね。クリシュナ様がいたら留守番お願いして2人でお出かけしたかったんだけど……」

 パメラは残念そうにつぶやいた。

 さすがに宿を空っぽにするわけにはいかない。サポート役としてついてきたうちのひとり、クリシュナ=ガブリエルは今日も朝早くから姿が見えなかった。

「たまには留守番ぐらい引き受けてくださってもいいのに。そりゃクリシュナ様は護衛役として来られたのだから、しばらくお役目はないのだけれど……」

 不満そうにつぶやいたパメラに、フィリスが言った。

「そういえば今朝はシーラ様も早くにお出かけになったみたいだね」

 シーラの名前が出ると、パメラはパッと表情を変えて、

「あ、うん。シーラ様だったらお知り合いに会いに行かれたみたい」

「え? 帝都に知り合いがいるの?」

「うん、すごいよね。でもシーラ様ならなんか納得かなぁ」

 そう言ったパメラの目は憧れの色で輝いていた。

「シーラ様って一般人なのに、どこか高貴な雰囲気をお持ちだもの。シーラ様ならきっと帝都の社交界に出てもまったくヒケを取らないんじゃないかな」

「う、うん、そうかもね……」

 フィリスは少し控えめに相づちを打った。パメラの意見に異論はなかったものの、崇拝のようにも感じられる彼女の態度に少々気圧されてしまったのである。

(でも……)

 言葉には出さず、フィリスは視線を外に向けた。

(シーラ様、最近少し様子がおかしいような気が……)

 確信ではない。というより思いつきに近い。

 元々フィリスはそれほど勘が鋭いタイプの人間ではなく、どちらかといえば鈍い方だ。そのことで使用人の同僚や、彼女が所属するディバーナ・ファントムのチームメイトにもからかわれている。

 ただ、そんな彼女が覚えた違和感。……今回に限って言えば、それは少なからず的中していたといえるだろう。

 もっとも――彼女がその違和感を口にすることは、結局最後までなかったのだが。

 

 


 ざわ、と。

 周りがざわめいた。

「やっぱ注目されてるっすね」

 その動きに先に反応したのはパーシヴァルだった。

 そして、

「え? なにが?」

 と、相変わらず鈍感なティース。

 だが、そんな彼も周りに視線を動かしてようやく気付いたようだ。

「……え?」

 デビルバスター試験の受付会場には受験者の他、たくさんのスカウトたちも姿を見せている。そんな受験者、そしてスカウトたち、その両方からの様々な思惑のこもった視線が明らかにティースたちに集中していたのである。

 どうして自分たちが注目されているのかわからなかったティースだったが、パーシヴァルが誇らしげに言った次の言葉で理解した。

「ま、聖力測定であれだけ高い数値を出せば当然っすよ」

「ああ……なるほど。いや、まぐれだよ」

 ティースが照れ隠しにそう返すと、パーシヴァルは即座に答えた。

「聖力の数値にまぐれはないっすよ」

 そう。

 その原因は数日前に行われた第1試験『測定』試験にさかのぼる。

 第1試験『測定』は、デビルバスターとして欠かすことのできない『聖力』の測定試験である。『魔』の纏う絶対防壁『魔力の壁』を破るための基本的な能力――聖力は鍛錬によってある程度鍛える(正確には全身に巡る聖力を一点に集中する)ことはできるものの、他の要素と比べて圧倒的に天性の素養に左右される割合が大きい。そのため、各国のスカウトたちの中には戦闘技術そのものより聖力の強さを重視する者も多いぐらいだ。

 そんな聖力の測定試験において、ティースはなんと、この2千人を超える受験者の中で上位10名の中に入ってしまったのである。

 デビルバスター試験そのものの合格者が毎年だいたい20名余りだから、聖力の数値だけ見れば彼は悠々と合格ラインを突破した、というわけだ。

 結果、ほぼ無名だった彼はいきなり各国のスカウトとライバルの受験者たちに名前を覚えられることになったわけである。

 本人にとってはまことに厄介なことに。

(これじゃ変にプレッシャーになっちゃうなぁ……)

 第2試験の筆記は対照的にギリギリでの通過だったものの、今日の様子を見る限り、周囲からの注目度に変化はないようだ。

「筆記なんて、合格さえすれば点数なんてどうでもいいわけで」

 とは、パーシヴァルの弁である。

「ま、どっちにしても本番はこれからっすけどね」

 パーシヴァルは笑っていた表情を急に引き締めて周りを見回した。

 広大な会場にはここまで残った800人余りの受験者たちが勢揃いして次々に受付を済ませていく。

 第3試験『サバイバル』。

「例年、この試験で50人ぐらいまで落とされるらしいっす」

「50人、か……」

 単純計算で16人に1人。最終的な合格者が20名強だとすると、この第3試験さえ突破すれば残った半数近くが合格する計算なのだから、まさに正念場といえるだろう。

 その第3試験は『サバイバル』の名が示すとおり、実戦さながらの生き残り戦である。

 4つの試験の中で唯一帝都の外に移動し、高い塀に囲まれた、ひとつの街より大きい広大な森に数日分の水と食料を持って入り、特定の条件を満たしつつ生き延びる、という内容だ。

 生き延びる、という条件からわかるとおり、その森には敵――数種類の最下級獣魔が放たれている。

 最下級とはいえ、獣魔は獣魔。毎年、必ず死者の出る過酷な試験だった。

「――なお、特定の条件とは、君らの手元に配られたその袋を10日間守り抜くことだ」

 全員が受付を済ませた後、800人の受験者を前に50歳ぐらいの試験官がよく通るバリトンの声で第3試験の説明を始めていた。

「その袋はこの試験において『クライアント』と呼ばれる。その名のとおり、デビルバスターとなった君たちの仮想依頼主・依頼品だと思ってくれればいい。その袋からはほんのわずかではあるが森の獣魔たちを引き寄せる匂いが出ており、そのクライアントを獣たちの襲撃から10日間守り抜くことが合格の条件だ。ただし――」

 と、初老の試験官は淡々と続けた。

「身の危険を感じ、限界だと感じたときは迷わずそれを放り投げて逃げた方がいいだろう。この試験はいつでも君らのリタイアを認めている。試験は今年だけではない。死んでしまえば次のチャンスは永遠にこないのだからね。なお――」

 説明が延々と続く。

(10日間、か……)

 ティースの手元にも先ほど説明のあった袋『クライアント』が配られていた。鼻に近付けてみたが特にそれらしき匂いはしない。

「なあ、パーシヴァル」

 ふと、思った。

「? なんスか?」

「この試験って受験者同士が協力するのはいいのかな? 目的が身を守るってことなら、集団で動けばそれだけ有利ってことになるだろ?」

「え? それはまあ……そうっすね」

 パーシヴァルは意表を突かれたような顔をした。

「ここにいる800人全員が協力すれば10日間生き延びるなんて簡単なことじゃないのかなぁ」

 まさにそのとおりである。それは極端な例であるとしても、たとえば5、6人のチームを作って行動するようにすれば、それだけで生存率はグッと上がるだろう。

 しかし、それだと受験生の間で不公平が生じる。たとえばティースとパーシヴァルのように、元からの知り合いがいたほうが有利、つまり最終的にはなんらかの組織に属している受験生が圧倒的に有利になってしまうことになるだろう。

(でも、禁止なら禁止って言うはずだよな……)

 初老の試験官はそのことにはいっさい触れていない。パーシヴァルもわからないらしく首をかしげていた。

 説明が終わったら質問してみるべきだろうか――なんて考えていると、後ろから突然声が聞こえた。

「そいつぁ自由だよ。まぁ、実際やるかどうかは別だがな」

「え?」

 ティースとパーシヴァルが同時に振り返ると、そこには無精ひげを生やした一見汚らしい風貌の男がいた。ずっとそこにいたのだろうか。記憶にない。

 驚く2人をよそに男は続けた。

「ただし、森に入るときは50カ所もある入り口に全員がランダムで振り分けられる。だから、あんたたちみたいな元からの顔見知りが示し合わせて協力するってのは現実にはなかなか難しい」

「あなたは?」

 パーシヴァルがそう問いかけると、男はそのひげ面に似合わない人なつっこい笑みを浮かべて名乗った。

「いきなりですまん。俺はシアボルド=マティーニ。シアでいい。あんたたちは?」

 と、シアボルドは2人を見た。

 無精ひげのせいか20代後半ぐらいに見えたが、よく見ると童顔で笑顔も幼い。ティースと同じぐらいか、あるいは年下なのかもしれない。

「ティーサイト。ティーサイト=アマルナといいます」

「パーシヴァル=ラッセルです」

「よろしくな」

 差し出された手を軽く握って挨拶をかわす。小さな手だった。よくよく見ると身長的にもやや小柄、平均より小さめのパーシヴァルよりもさらに背が低いようだ。

「あ、それで、シアさん――」

「シアでいい。俺も呼び捨てにさせてもらうしさ」

 と、シアは再び人なつっこい笑みを浮かべる。

 ティースも了解して口調を砕いた。

「えっと、じゃあ、シア。今の話だけど――」

「ああ、協力プレイはまったく問題ない。なんで知ってるのかって聞きたそうだな? 俺は今年で4回目の受験なんだ。だから信用してもらって構わないぜ?」

「あ、いや、そうじゃなくて……」

 それについてはティースは最初から疑っていなかった。

「その後の、やるかどうかは別、ってのはどういう意味なんだ? 問題ないのなら協力した方が絶対に有利じゃないのか?」

「ああ、そっちか」

 シアはフフンと笑った。

「簡単なことさ。さっきも言ったように顔見知りが森の中でうまく再会できる保証はない。つまり協力プレイをするとなれば、ほとんどの場合はまったく見知らぬ他人同士で組むしかない」

 ここがミソさ、と、人差し指を立てて難しい顔をした。

「重要なのは、この試験に合格してもまだデビルバスターにはなれない、ってとこだ。最終試験のトーナメントはいわば椅子取りゲーム。そこで誰もが考えるのは――」

「ライバルは少ない方がいい……ってことスか?」

 パーシヴァルの回答にシアはニヤリと笑った。

「そう。しかも最終試験は純粋な力比べだ。だったら皆、手ごわそうなヤツにはこの第3試験で消えて欲しいと考える。なぜなら――」

 シアは自分の首にぶら下げたクライアントを指さした。

「この試験では実力で相手を倒す必要がないからだ。ちょいと頭を使ってこいつをかすめ取ってしまえば、それでゲームオーバー。強力な競争相手が消える」

「……」

「……」

 ティースとパーシヴァルは顔を見合わせた。だが、なるほど、言われてみればその通りだろう。クライアントを狙ってくるのはなにも獣魔だけではないというわけだ。

 そんな意表を突かれた顔の2人を交互に見て、シアは満足そうにうなずいた。

「やっぱ声をかけて正解だったな。2年前は俺もそんな感じでよ。それで去年と一昨年の2度、痛い目にあった。……ちなみに最初の1回は甘く見ていた筆記で落ちたんだけどな」

 言って、笑う。

「俺は腕の方には自信あるんだが、頭がなかなか回らなくてね。2年も無駄にしちまった。だからあんたらみたいのはどうしても放っておけないんだ」

「そっか……忠告してくれてありがとう、シア」

 ティースは素直に感謝した。確かに、彼の忠告がなければそういう考え方に気付かなかったかもしれない。

 シアはひげ面に人の良さそうな笑顔を浮かべた。

「いや、感謝されるほどのことじゃない。じゃ、俺はこれで。あんたらの健闘を祈ってるぜ――って、おっと」

 いったん立ち去りかけて、シアは足を止めた。

「そうそう、もうひとつ忘れてた。ティーサイト。その首にぶら下げたクライアント、実は種類があるってことは知ってるか?」

「種類? いや、全然」

 と、ティースは首にぶらさげた袋を見下ろす。

 知るはずもない。見ることも初めてなのだ。

 シアはティースのところまで戻ってきて、自分の首のクライアントをプラプラと揺らした。

「実はそれぞれに配られるクライアントには4種類あってな。見た目にはわからないがそれぞれに違う匂いを発していて、引き寄せやすい獣魔の種類が決まっている。それを知っていれば森のどこに滞在するのが有利か、ってこともわかってくる。ま、これも過去2年の失敗と引き替えに手に入れた知識だがな。貸してみな。調べてやる」

 そこまで一気に言って、シアは相変わらずの人なつっこい笑みを浮かべながらティースに向かって手を出した。

「わかるのか?」

「一見しただけじゃわからないが、実は確かめる方法がある。ちなみに俺のは地の獣魔を引き寄せやすいタイプだ。地の獣魔が少ないのは森の東北辺り。つまりその辺りを中心に動くと危険度はグッと減る。これを知ってるのと知らないのとじゃぜんぜん違うぜ」

 なるほど、とティースは思った。

「じゃあ頼むよ、シア」

 と、首にぶら下げていたクライアントを外してシアの方に差し出す。

「あ、じゃあ俺もお願いしていいっすか?」

 パーシヴァルも続いた。

「ああ、もちろんさ。んじゃティーサイトの方からな。ちょいと借りるぜ。微妙な違いだから少し時間が――」

 シアがそう言いながらティースのクライアントに手を伸ばした、そのときだった。

「――待ちなさい、シアボルド=マティーニ」

 少し特徴的なアクセントを持つ男の声が響いた。

「またそうやって他人をおとしいれるつもりですか? 相変わらずですね」

「え?」

 そう言いながら近付いてきたのは、これまた20歳前後の男だった。丸い眼鏡に切れ長の細い目。地方の伝統衣装だろうか、どこかで見たような複雑な文様の長羽織。

 男は眉間に皺を寄せてシアを見つめ、それからティースたちに視線を移動させると冷たい声で言った。

「それをその男に渡したら、偽物にすり替えられて戻ってきますよ。必死の思いで10日間守り通してみたら真っ赤な偽物で失格……ひどい話です」

 小さく首を振った男は、再びシアを鋭い視線でとらえた。

「去年は世話になりましたね、シア。おかげで1年も無駄にしてしまいましたよ」

「ルドルフ=ティガーかよ。……ちっ」

 舌打ちしてシアは手を引くと、小馬鹿にしたような顔でティースを一瞥する。

「え、シア……?」

 ティースの言葉には反応せず、シアはふてくされた様子でそのまま立ち去っていった。

「……え? あれ?」

 あっけにとられるティースたち。

 長羽織の男は言った。

「気付きませんでしたか。どうやら聖力測定のときから目を付けられていたようですね」

「え……」

 ルドルフは再びシアが去っていった方角に視線を移す。

「シアボルドは毎年ああやって有望そうな受験生を潰して回っているのです。私も去年だまされた口でしてね」

 そう言って再び眉間に皺を寄せた。

「試験はもう始まっています。広大な森の中では試験官の監視にも限界がありますし、受験者同士のだまし合いどころか殺し合いだって起こり得る。実際――」

 と、ルドルフは右手をゆっくりと会場内の一点に向けた。

 まず複雑な文様のバンダナが目に入った。よく見てみると大柄ながら細身の男で、背中には長めの槍と短めの剣を1本ずつ背負っている。顔は遠くて見えない。

「彼はヒューイット=レーゼルといいます。昨年の受験者で最終試験に残った1人ですが、この第3試験において受験者を2名殺害した疑いがもたれている男です。あくまで疑い、ですが」

「同じ受験者を……殺した?」

 驚きに目を見開いたティースたちに、ルドルフはさらに別の人物を指さす。

「ファティマ=ヴェルニー。女性では今回の最有力候補です。ただ、元々は南の発展途上地で盗賊稼業を行っていたといううわさがあります。これもあくまでうわさ。そして――」

 と、最後にひとりの人物を指さす。

「悪いうわさがあるわけではありませんが、今回合格確実と言われている男です」

 壁際で腕を組んで立っている黒い軽鎧の男。

「イストヴァン=フォーリー。彼のことを知る受験生の多くは、最終試験で彼と当たらないことを今からすでに祈っているそうです」 

 いずれにせよ、この先甘い気持ちでは危険ですよ――と、そう言い残してルドルフは去っていった。

「……」

 少しして。

 ティースは改めて周りを見回す。

 800人の受験者たち。

 そのすべての視線が自らの胸元――守るべき依頼主クライアントに向けられているような錯覚に囚われた。

 急激に身が引き締まっていく。

 第3試験『サバイバル』。それはこのデビルバスター試験においてもっとも過酷な、文字通りの生き残り戦なのである。






「イストヴァン、ファティマ、ルドルフ、か……」

「あら? レイくん、なに見てるの?」

 その声に、レインハルト=シュナイダーは手にした書類から視線を上げた。

 歩み寄ってきたのは頭に2つの団子を結った女性――彼と同じディバーナ・ロウのデビルバスター、アクア=ルビナートである。

「よぅ、アクア。相変わらずヒマそうにしてるじゃないか」

 アクアは眉間にかすかに皺を寄せて、

「それ、あたしが昨日遅かったの知ってて言ってる?」

「もちろん」

 悪びれもせず即答したレイに、アクアは小さく肩をすくめて彼の正面に腰を下ろした。

 ここはミューティレイクの1階ホール。朝のもっとも慌ただしい時間が過ぎてやや緊張感が解れ、掃除に勤しむハウス・メイドたちの口からもときおり仕事とは関係のない雑談が聞こえてくる、そんな時間帯だ。

「それで、レイくん? 一生懸命なにを見てたの?」

 アクアが気にしたのはレイが手にしている書類だ。名簿のようである。

「これか? こいつは第2試験までの合格者リストさ」

「ああ、デビルバスター試験の? じゃあティースくんたちの結果も来てるの?」

「朝一番でな。ここまではどっちも順調に通過したそうだ」

 アクアは目を見開いた。

「すごいじゃない! 第2試験ってあのわけのわからない筆記のテストよね? あれ、ものすごく苦戦した記憶あるわ~。じゃあ2人とももう合格したようなもの?」

「そう思うのはお前を含めた一部の脳筋だけだ」

 ちなみに第2試験の『筆記』は4つの試験の中で不合格率がもっとも低い試験であるが、どうやらアクアを初めとする一部の人々にとっては超難関試験だったりするらしい。

「なんか馬鹿にされてる気がするけど、まあいいや。それで、レイくん? じっと眺めてたってことは、他の合格者に気になる子でもいたの?」

「ああ。去年の最終試験まで残った何人かと、ネスティアスの訓練生の一部ぐらいはな。五体満足でトーナメントまで残れば合格確実ってのは4、5人か」

 どれどれ、と、アクアがレイの手元をのぞき込む。

「……ん~、ぜんぜん知らないわぁ。あら? このファティマってもしかして盗賊ファティマ?」

「それらしいうわさを聞いたことはあるが、どうだろうな」

「大丈夫かしらね、ティースくん。美人だって聞いたことあるけど」

 関係ないだろ、と思ったがレイは口に出さなかった。

 いくら彼が女難体質だといっても、あの過酷なサバイバルの最中にそんなことを気にしなければならない状況におちいることなど、まあないだろう。

(ま、トーナメントで当たることになれば、多少はやりにくいかもしれんが……)

「ふーん。あとはよく知らないわね……あ、リィナちゃーん!」

 と、アクアは近くを通りがかった背の高いハウス・メイドの少女を呼び止めた。

「はい?」

 呼ばれた少女――リィナ=クライストがやってくる。

「あたし朝ご飯まだなんだけど、こっちに用意してもらっていい? 厨房のエルちゃんに言えばすぐわかると思うから」

「わかりました。すぐに御用意します」

「あ、それとねー」

 すぐにきびすを返したリィナの背中に言った。

「ティースくんたち、2つめの試験受かったらしいわよー」

「え、本当ですか!?」

 と、顔を輝かせたリィナ。

 そこをちょうど通りかかったダリア=キャロルがそれを聞きつけ、意地の悪い笑みをアクアに向けた。

「バカだなぁ。アクア姉でも受かった筆記試験なんだから、あの2人が落ちるわけないだろ」

「ちょっとちょっとぉ。ダリア、それどういう意味ぃ?」

「まんまの意味だろ。……でも、そっか。順調みたいだな、あいつら――お、セシル! ちょっと来なよ!」

「? なんのお話ですか? ……え? ティースさんとパースさんが?」

 そこに番犬たちとのコミュニケーションを終えて外から戻ってきたセシルがやってきて、さらに話を聞きつけた数人の使用人たちも集まってきた結果、ホールはアッという間にちょっとした騒ぎになってしまった。

「……やれやれ。本番はまだまだこれからだってのに」

 爆心地となったテーブルからさっさと避難したレイのもとに、アクアも苦笑しながらやってきた。

「ティースくんとパースくんが屋敷のみんなに愛されてる証拠ね」

「パースのヤツは見てくれがいいからともかく、ティースみたいな冴えないヤツが人気者ってのはどうも納得いかんな」

 レイがそうつぶやくと、アクアはバカねぇ、といわんばかりの顔をして、

「男は顔じゃないわ。ハートよ、は、ぁ、と」

「ハート、ねえ……」

「そうそう。ティースくんはなんていうか、こう、無条件に安らげるというか、そんな雰囲気があるのよねぇ。顔だってこう、母性本能を無性に刺激されるというか――ふふ、レイくんとは正反対ね」

「そいつはさすがに認めるが」

 レイは苦笑し、目を細めてやや上を見上げた。

「鈍感で馬鹿正直ってのは、まあ紙一重だな」

「紙一重? なんの話?」

「いや」

 レイはそれには答えず、ただつぶやいた。

「あいつら、あれ以上ややこしいことになってなきゃいいんだがな」

 アクアは不思議そうな顔でそれを見つめていた。






 目を閉じると、今でも容易に浮かんでくる光景だ。

 黄土色の長い坂。

 赤い屋根と白い壁の屋敷。

 色とりどりの花畑。

 背後に広がる新緑の森。

 そして黄金色にさざめく穀物畑――


『――今日はあなたが私で、私があなた。いい?』


 事故が起きたのは今から3年半前、私が12歳の晩冬のことだった。

 その日は年に何度かある長雨の途中で、雨が降り出してから1週間ほども経っていただろうか。

 馬車の事故だった。

 隣町から帰ってくる途中、馬がなにかに驚いて突然暴れ出し、馬車は勢いよく横転した。御者は放り出されて鎖骨と両手首を骨折する重傷。馬車に乗っていた2人の従者は1人が軽傷、もう1人は外に投げ出され頭を打って昏倒し、一時は生命を危ぶまれたが約半月後に意識を回復した。

 ただひとり。そこに乗っていたもうひとり――当時12歳の少女だけが、事故の衝撃で馬車の外に放り出された上、運悪く横転する馬車の下敷きとなって命を落としてしまった。


「――あれは不幸な事故でした。同乗していただけのティースくんに防げるようなものではありませんでした」

 ルナの言葉に、私の意識は記憶の中から現実世界へと戻ってくる。

 と同時に、まぶしい陽光が目に射し込んだ。

 ここに来てからいったいどのくらいの時間が経ったのだろう。太陽の位置からするとまだ1時間程度だろうか。

 ティースたちはちょうど第3試験の受付を終えたころか。

 少しぬるくなった紅茶の残りを口にすると、のどの奥から良い香りが鼻に抜けて、私はホッと息を吐く。

 かちゃり、と、ティーカップを置いてルナを見た。

「あなたは、あの日の朝から私たちが入れ替わっていて、あのとき死んだのがシルメリアではなくシーラの方だった、と、そう思っているのだったわね」

 ルナはためらいもなくうなずいた。

「ティースくんはシルメリア様の侍従でした。シーラ様はティースくんを連れ出す口実として、よくシルメリア様のお名前をお借りしていましたね」

「屋敷の他の人間は誰も気付いてなかったのにね。ティースですら」

 その私の言葉が、なかばルナの言葉の正当性を裏付けてしまっていることには気付いていたが、もう私は自分の正体を隠すつもりはなくなっていた。

 いずれにしてもルナはもう確信している。これ以上しらを切り通すことに意味はないだろう。

 ルナは優しい笑顔を浮かべた。

 私がそれを認めたことを評価したのか、あるいはなつかしい過去に思わず笑みがこぼれてしまったのか、それはわからなかった。

「その髪飾り、ティースくんがシーラお嬢様に贈られたものですね」

 髪飾りに手をやる。

 とてもなじんだ感触。

「ええ、そうね。正確にいえば、私のフリをしたあの子に、あいつが贈ったものね」

「シーラお嬢様は複雑なお気持ちだったかもしれませんね」

「……」

 髪を束ねていたのは私――シルメリアの方。

 だから。

 ああ、そうだ。あのとき――


『これ、あなたに頼まれてた、宝石を売ってきたお金。それと――』

 妹のシーラがそう言って、ひどく寂しそうな顔をしたのをよく覚えている。

『ティースが、私に――いえ、シルメリアに、って』

『? 髪飾り? 私に?』

 怪訝そうな顔をした私に対し、シーラは目線を斜め下に落とした。

『なんでもいいからお嬢様の力になりたいんです。……だってさ』

『え? だって、それはあなたに贈られたものじゃないの?』

 私は当たり前のようにそう言ったが、シーラは首を横に振った。

『違うわ。髪飾りなんだから。あなたのものでしょ。ティースは私のことをシルメリアだと思っていたんだし』

『……』

 妹は小さいころから面倒を見てもらったその使用人を、心の底から慕っていた。立場、性格上から公の場でそれを口にすることはないが――

 私は言った。

『でも……ほら。彼、たまに私たちの入れ替わりを見抜きそうになることがあるじゃない。案外気付いている……とか』

 すると、シーラは少し考えて、

『……そうかしら。確かにそう感じるときはあるけれど』

 そんな根拠のない言葉にも、嬉しそうな顔をするのだった。

 ――不思議なものだ、と、そんな彼女を見て私はつくづく思う。

 この歳にしてジェニス領一の美人姉妹などと謳われる容姿に加え、田舎とはいえ過去には栄華を誇った名家の家柄の娘である。

 それが――よりにもよってあの、ひょろっとして頼りなく、お世辞にも決してハンサムとは呼べず、お金も地位も家柄もないに等しいタダの使用人であるあの男に、これほどまでに心を奪われているというのだから。

 不思議だ。

 するとシーラはそんな私の心を読んだかのように言った。

『でも不思議だわ、シルメリア。あなたは私よりずっと長い時間を彼と過ごしているのに、ちっとも彼の良さをわかろうとしないんだもの』

『別にそんなつもりはないけれど……』

『今から方針転換されてもそれはそれで困るけどね。ティースってば、私よりシルメリアの方が大事みたいなんだもの』

 冗談なのか本気なのかわからない表情でそう言ったシーラに、私は少しため息混じりに答えた。

『それはただ、彼がたまたま私の侍従をしてるからってだけじゃない』

『そうかしら。……まあいいわ。私にとって人生最大の幸運は、あなたが恋のライバルではなかったことよ、シルメリア』

『……大げさなんだから』

 私が呆れ顔をすると、シーラは子供のように無邪気に笑った。

 大げさは大げさだ。ただ、きっと本心だろう。

 恋は盲目、という。

 だからきっと、恋をしているのだろう、と思った。

 私の分身とも言える彼女にそれほどまでに慕われる青年。大した取り柄もない平々凡々とした青年――。

 私はそのことに、いつもほんの少しだけいらだちを覚えていたのだ。

『……なんにしても入れ込みすぎないでね、シーラ。あなたは少し思慮深さに欠けるところがあるから』

『あら、シルメリア。もしかして嫉妬? 大事な妹を取られて寂しいの?』

 シーラは冗談めかして言う。

 私はほんの一瞬だけ言葉に詰まって、

『そんなんじゃ――』

『ふふ、冗談よ、シルメリア。でも相変わらず淋しがりやね』

『……怒るわよ』

 私の言葉に、シーラはおどけながら部屋を出ていく。まるで子供のように無邪気に。

 私はそんな彼女をわざとらしいため息で見送って――。


 彼女が命を落としたのは、それから1ヶ月ほど後のことだった。


「そして――」

 ルナの言葉に、私は再び現実に戻ってきた。

 窓の外を見る。

 太陽の位置は変わっていない。少し長く回想していたような気がしたが、実際にはほとんど経っていないのかもしれない。

 ルナが私を見ている。

「……」

 私は彼女と視線を合わせた瞬間、思わず目をそらしてしまった。

 たぶん彼女が口を開くより先に、彼女がなにを言うのか想像できたからだろう。

「事故の半月後に意識を取り戻したとき、ティースくんはシルメリアお嬢様に関する一切の記憶を失っていました」

「……そうだったわね」

「ティースくんが不思議な体質になったのもこのときからでしたね。結局、屋敷の女性は誰もティースくんに触れることができなくなってしまいました」

「……」

 ひどくなじんだ罪の意識が、また深さを増す。

「お嬢様。ティースくんはまだ、あのときのままなのですね?」

 女性アレルギー。

 特定部分の記憶喪失。

「ええ。そうよ」

「……」

 ルナはひどく困惑したような表情をした。

 不可解――それはそうだろう。あの特異体質も、限定的な記憶喪失も、通常の現象では容易に説明できるものではない。自然発生したものとは考えにくいが、誰かがやったのだとして――誰が、どうやって、そもそもそんなことが可能なのか――と。

 たぶん彼女は当時から疑問を感じていたのだろう。そしてきっと、自然現象でないならそれは『誰の意志なのか』という部分に関して、すでに答えを見つけているに違いない。

 ただ、ルナはその答えをなかなか口にしようとはしなかった。

 それもそのはず。

 ルナは聡明だが、一般常識外についての知識は皆無に等しい。だから推測しかできないし、根拠のない推測で私に疑いを向けることにためらいを覚えているのだろう。

 だから、私としてはそのままごまかすこともできた。

 ただ――

 私は言った。

「それは私がやったことよ」

「!」

 ルナが目をいっぱいに見開く。

 私はすでに心を決めていた。

 もともとこのデビルバスター試験は、私にとってもひとつの区切りと位置付けていたのだ。その区切りでこうしてルナに再会したのはなにかの運命なのかもしれない。

 ……いや、もしかすると。

 もう、自分だけで抱えることが嫌になっただけなのかもしれないが――。

「あいつの特異体質も、記憶のことも、私がやったことよ。事故のショックで記憶喪失なんて真っ赤な嘘。全部……私のやったことだわ」

「……」

 ルナの時間が止まっている。突拍子もない話ですぐには信じられないという顔……ただ、数秒後には今の状況と私の性格を考慮し、最終的にはそれが事実であるという結論に達するだろう。

 右手が無意識に髪飾りに触れた。

 事実だ。

 すべて事実。

 また胸の中の暗闇が深みを増す。

 そんな私のふとことには今もあの、黒い背表紙の本があった。






「えやあああぁあぁぁぁぁぁあッ!!」

 3度目にティースの手の平に伝わってきた感触には、確実な重みがあった。

 引き抜いた剣――細波の刀身が西日にきらめく。と同時に、獣魔の黒い体躯がズシャリと土の地面に落ちた。

「はぁっ、ふぅっ……」

 注意深く視線を辺りに動かす。血をまき散らして土の上に伏した獣魔はまだ絶命してはいなかったが、もう立ち上がることはないだろう。

 荒くなった息を整えてさらに周囲に注意を配る。

 ……気配はない。それに元来群れを好まない性質の獣魔だ。おそらく大丈夫だろう。

 ふぅっと大きく息を吐き、まずは胸元にぶら下げたクライアントの無事を確認すると、剣を鞘に収めた。

 西の方角にはオレンジ色の太陽。

 1日目が終わろうとしている。

(パースは無事だろうか……)

 今日1日でどのぐらいの受験生がリタイヤしたのだろう。10日間で700人以上が脱落するのだから、単純計算で70人ほどか。いや、後半になるほど厳しくなるだろうから今日は50人程度かもしれない――などと、とりとめのないことを考えながら、ティースは場所を移動することにした。

(想像以上にきつい、な……)

 早くも全身を疲労が襲っている。

 この数時間ですでに5回の襲撃を受けていた。それが他の受験生と比べてどの程度の水準なのかわからないが、これが10日間続くのだと考えるとかなり厳しい。

 体力のある初日はまだいいが、これが3日、5日……1週間後にはどうだろうか。その間は睡眠だってまともに取れるわけではないのだ。

 ティースは初日にして、この第3試験が最難関と言われる理由を体で感じていた。

 ひとまず――そう。日が落ちるまでに拠点を探すことだ。少しでも仮眠が取れる場所の確保。そこには獣魔の襲撃に備えてトラップの準備をしなければならない。

(どこか洞穴のような場所があれば――)

 と。そんな彼の祈りが通じたのだろうか。

 15分ほどさまよったところ、生い茂った木々の密度がやや薄くなってきたかと思うと、その先の少し小高くなったところに洞穴のようなものが見えた。

「……」

 はやる気持ちを抑え、ティースは慎重に細波を抜き放った。

 獣魔の巣になっている可能性もある。

 ティースは気配をひそめながらゆっくりと近付いた。

 ゆっくり。

 ゆっくりと。

 気配は感じない。

 頭の中をいくつかの獣魔の特徴が駆け巡る。それらの獣魔が突然襲いかかってきたときの対策をシミュレートしながら、一歩、一歩と。

 木々が開ける。

 洞穴まで3メートル。

「……大丈夫らしいな」

 どうやら洞穴の中にはなにもいないようだ。中の様子を見てみなければなんとも言えないが、どうやら使えそうである。

 一応剣は手にしたまま洞穴へと近付く。

 かなり大きな穴だった。傾斜も急にはなっていないし、人が入るには持ってこいだろう。

 状況によっては10日間をここで過ごすことになるかもしれない。

 まずは穴の深さを――

 と、ティースがその洞穴をのぞき込もうとした、そのときだった。

「!」

 鋭い風切り音。

 獣の疾走?

 いや、飛び道具だ。

 振り向きざま、射線から体をさばきながらほとんど勘を頼りに剣を合わせる。

 カン、と、軽い音がした。

「誰だ!?」

 さすがのティースも、それが悪意のある人の仕業であることはすぐに理解した。

「……」

 返答はない。

 辺りは少し暗くなってきている。

 気配――かすかにある。1つか、2つか。

 ヒュッ……

「っ……」

 木の陰からもう一射。まっすぐに飛んできたそれは、木を削り出して作られた矢だった。

「この……っ!」

 第2射を避け、矢の飛んできた方向に駆け出すと、その先から、ざざざざざっ、と茂みをかき分ける音がした。

 どうやら逃げるようだ。

「待て! いったいなんの真似だッ!」

 ティースは懸命に追ったが、いかんせん、薄暗くなりつつある森の中である。最初から距離がありすぎたことと、相手の逃げ足が速かったこともあって、10分も経たないうちに見失ってしまった。

(……逃げられた。なんだったんだ、いったい)

 もやもやした気持ちを抱えながら、ティースは洞穴へ戻ることにした。追いかけるのに夢中になって道を忘れたりしなかったのは幸いだ。

(明らかに人だった。他の受験者が俺を……?)

 事前のルドルフから受けていた忠告で、そういうことが起こり得るのは知っていた。だが、やはり実際に狙われるとなると気持ちが悪い。

(……くそっ)

 さすがにいらだちを感じながらも、ティースは洞穴まで戻ってくる。

 だいぶ時間を無駄にした。早いところ準備をしなければ日が暮れてしまう。まずは洞穴の状態の確認を――と、ティースが洞穴をのぞき込もうとした、そのときだった。

「……ん?」

「へ?」

 にゅっ、と。

 洞穴の中から人の顔が出てきた。

「うわぁっ!」

 思わず飛び退いて細波に手をかける。

 ――油断していた? いや、確かに少し注意力が散漫にはなっていたが警戒をおこたっていたわけではない。

 相手が気配を完全に消していたのだ。

 だが幸い、今度は悪意のある人間ではなかったようで、

「ああ、お前もこの洞穴を目当てに来たのか? 残念だな。ここはいま私が占拠した」

 洞穴から出てきたのは女性だった。

「あ……」

 見覚えがあった。と言っても知り合いではない。つい最近、厳密にいうと今日の午前中、ルドルフから名前を聞いたばかりだった。

「確か、ファティマ――」

「ん?」

 少し女性の視線が鋭くなった。

「私を知っているのか? ……ああ、いや。そんなことはどうでもいいな」

 ファティマはそう言って片手を腰に当てると、西の方角に視線を移した。

「もう日が沈む。急がなければ夜の森をアテもなくさまようことになるぞ」

「……あ」

 急に全身の力が抜ける。

 先ほど彼女は『いま占拠した』と言っていた。とすると、ティースが謎の敵を追いかけている間に占拠されてしまったということだろう。

(ついてない……)

 とはいえ、仕方ない。先に見つけたから譲れと主張するわけにもいかないだろうし、主張したところで譲ってくれるはずもなかった。

 ティースはいさぎよく諦めて別の場所を探すことにする。

 と、そこへ、

「ああ、ちょっと待て。お前。なんだったらここに泊まっていくか?」

「へ?」

 立ち去ろうとしたティースは、意外な提案に驚いて足を止めた。

 ファティマがズボンをパンパンと払いながら無造作に近付いてくる。その行動があまりにも自然すぎて警戒することも忘れてしまった。

「見たところお前は今回初受験のようだ。だったらおかしなことを考える余裕もないだろう」

「……」

 意図を計りかねて言葉を探していると、

「ん? わかりづらいか? 要するに協力しないかと言っているんだ」

「……どうして俺に?」

 あまりに突然の申し出に、ティースの心には少し警戒心が生まれていた。それはそうだろう。いくらお人好しの彼でも、試験開始前にあんなことがあったばかりで、即座に信用する気になれるはずもなかった。

 ところがファティマはあっさりと、

「なんだ嫌なのか? だったらさっさとどこかに行ってくれ。それともなにか? 私とこの場所を賭けて争いたいのか?」

「あ、いや。そういうことじゃなくて……」

「別に無理にとは言ってない。ただ、この第3試験はどう考えても協力者がいた方が楽だからな。お前がその気ならと思っただけだ」

「あ、いや、だから……」

 あまり人の話を聞かないタイプなのか。ただ、その口調はなにかをごまかそうとして早口になっているというより、元来のそういう気質が表に現れているだけのように思える。

 彼女の言葉が切れたところで、ティースはようやく自分の主張を口にした。

「つまり、俺が聞きたいのは……どうして名前も知らない俺なんかを協力相手に選ぶ気になったのかってことで……」

 ファティマは即答した。

「自分以外に名前を知っている奴はいない。誰を選んでも同じことだ」

「……なるほど」

 明快な回答だった。

「どうする?」

 再びの問いかけ。

 ティースは考え込んだ。

 確かにこのサバイバル、1人と2人では難易度が格段に違ってくる。1人だと運が悪くれば10日の間一睡も出来ないことさえあり得るが、2人なら交互にほぼ確実に休息を取ることができる。

 もちろんそれが100パーセント信頼できる相手であれば、という条件つきだが。

 一種の賭けである。

 ……皆、そう考える。

 ティースはさらにその先に考えを巡らせた。

 皆、誰か協力者が欲しい。ただ、誰かが裏切る危険は常にひそんでいる。だから誰もが、必要最低限の人数にとどめたいと考えるだろう。不必要に仲間を増やすことは賢いことではない。

 つまり、日が進めば協力者は探しにくくなる、と考えるべきだろう。

 1週間後、限界を感じて協力者を求めたとしても、受験者の数自体が減っている上、残っている受験者たちもおそらく受け容れてはくれない。

 もし協力者を作るなら早いほうがいい。

「……」

 ティースが彼女の後にここに戻ってきたのは偶然だ。向こうから話しかけてきたシアボルドのときとは違い、少なくともティースを積極的におとしいれようとしてここにいたわけではないだろう。

 ただ、完全に安全だともいえない。なにしろ協力を提案してきたのは向こうだ。

(どうする……?)

 2度、3度と色々な考えが頭を巡って、結局――

「……ティーサイト」

「ん?」

「ティーサイト=アマルナだ。よろしく、ファティマさん」

 と、ティースは言った。

 なにか決め手があったわけではない。ただ、はっきりとした彼女の物言いに好感を持ったことと、あとは最後まで単独で切り抜けることのリスクを天秤に架けた結果である。

 一瞬の間があって。

「ファティマ=ヴェルニーだ。よろしくな」

 ニコリともせずにファティマはそう言った。


 第3試験『サバイバル』初日。

 こうしてティースに予期せぬパートナーが誕生したのであった。


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