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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第9話『デビルバスター試験(前編)』
67/132

幕間『無秩序な景色』


「ネービスへ――」

 そこは真昼にも関わらず薄暗い。しかもカビ臭い。屋内であることは確かだろう。頭上を覆う屋根の隙間らしきところからかすかに陽光が漏れている。

 しかし少なくとも一般に使われている住宅ではない。なにしろ窓がない。後から塞いだというわけでもなさそうで、人が快適に住むことを前提として作られた場所でないことは明らかだった。あるいは死刑囚などの凶悪犯罪者を閉じこめておく特殊な牢獄だったのかもしれない。

 しかし……なんにせよ。

そこは今現在、本来の目的としては使用されていない廃屋であり、当然そこにいるのも死刑囚などではない。

 それよりも凶悪な者たちだ。

「行ってこようかと思っています」

 青年だった。静かで紳士的、しかしどこか得体の知れなさを感じさせる青年の声。その場の雰囲気にそぐわない、まるでちょっとそこまで買い物に行ってくるかのような、なにげない言葉。 

「構いませんよね?」

 薄暗闇の中、壁や天井、その辺に散らばるガレキに反響してかすかに不気味さを増したその声は、もちろんひとりごとなどではなかった。

 そこには青年の他、さらに複数の気配がある。

「んー……これ、むっつかしぃなぁ……あぁ、もうやんなっちゃうナー」

 聞こえたのはまるで子供のような言動、だがその姿を見れば、それが充分に成長した女性のものであることがわかる。

 女は手にパズルのようなオモチャを持っていた。

「ねぇねぇリューちゃん。これ、やってー」

「……」

 女性の声が向けられた先に、寡黙そうな男の気配。

「ねぇ、リューちゃんってばぁ――」

 低く精悍な男の声がした。

「ネービスへ? どういった風の吹き回しだ。貴様のことだ、あの男――クロイライナを助けに行くというわけではないのだろう」

「ええ、リューゼットさん。もちろん、そんな気はこれっぽっちもありません」

 青年は答える。薄い氷のような笑みを口元に貼り付かせ、ゆっくりと壁から離れて歩み出す。

 そしてまるで詩をそらんじるような口調で続けた。

「それにそもそも助けなど必要もないでしょう。彼のことだ。今回のことぐらい想定の範囲内で、もちろん集めた金を持ってネービスから脱出する方法――プラスアルファぐらいのことは考えてあるに違いない。そうですよね、ニューバルド」

 ――ちりん。

 かすかに、澄んだ音がした。

 ニューバルド――『報恩』と『復讐』を司る古い女神の名で呼ばれた女性、マリアヴェル=フューレ=ソーヴレーは短く口を開いた。

「そうだ、ね」

 途端、換気口のない部屋に冷風が満ちる――そんな錯覚に襲われる。悪寒とは違う。威圧によってムリヤリ引きずり出されるものではなく、あまりの神々しさに自ら自主的に頭を垂れそうになる、そんな感覚。

 彼女は神秘的だった。大陸でも珍しい振り袖型の装いと、9つに分けた髪にくくりつけられた鈴の音もまた、その雰囲気に輪を掛ける。

 ――ちりん。

 澄んだ音が薄汚れたガレキの山に反響する。

 マリアヴェルは続けて言った。

「どうしたの? 楽しそうだね、ザヴィア」

 そんな彼女を見つめ、ザヴィア=フェレイラ=レスターの口元がさらに歪んでいた。

「ええ……」

 白いターバンに添えた左腕が目線を隠す。その手の甲には涙のような形の入れ墨が3つ。黙っていれば優しげな好青年だが、その笑顔は確実に歪んでいた。

 彼は夢想してしまったのだ。

 目の前にいる神々しい彼女の未来を。彼女の道の先にある破滅を。そのとき訪れるであろう極上の愉悦を。

「ニューバルド。あなたという女性は、いつでもこの私を幸せにしてくれます」

「そう」

 見つめるマリアヴェルの瞳は確実にその内なる欲望を見抜いている。しかし彼女はそれを咎めることはない。彼女にとってそれは些細なことであり、興味もなかったのだ。

 と、そこへ。

 さっきまでオモチャで遊んでいた女性が口を開いた。

「クロちゃん帰ってくるの?」

「そうみたいだよ、ネイル」

「そっか~じゃーあのマズくて固いパンともお別れだね~」

 ネイル=メドラ=クルティウスはやはり子供のようにはしゃいでピョンと立ち上がった。すそのギザギザになったスカートがふわりと揺れて、それに合わせるように外側に跳ねたクセのあるロングヘアが踊る。

 そして不思議そうにザヴィアを見つめた。

「あれ? ザッピー、どっか行くの?」

 ザヴィアは苦笑して、

「ええ。今さっきまで、その話をしていたのですがね」

「ほぇ?」

「無駄だ、ザヴィア。その阿呆が聞いているはずもない」

「あ~! リューちゃん、また私のこと阿呆って言った!」

「阿呆を阿呆と言ったまでだ」

 リューゼット=カサ=ドゥギラスは戦闘時と変わらぬ騎士のような甲冑に身を包み、ガレキに腰を下ろして鋭い視線を正面に向けている。隙のない、威圧感漂うその姿は、並の人間ならば出会っただけで腰を抜かしてしまうだろう。しかし粗暴な雰囲気は微塵もなく、そこには隠しようもない知性の色も浮かんでいる。

「阿呆! リューちゃんも阿呆!」

 ――タナトス。人々は彼らのことをそう呼ぶ。

 神出鬼没、残虐非道。ただ獰猛な快楽殺人集団で、金品には目もくれずに殺戮を繰り返したかと思えば、襲った行商人やその家族には目もくれず、子供のオモチャを2、3個強奪していくだけだったりと、彼らがこの大陸で起こす事件はあまりにも無秩序で予測できない。

 中には、真偽のほどはわからないが、彼らに命を救われたと主張する者もいる。それほどに彼らの正体は一般の人々にとってあやふやなものだった。

 また彼らは強大な力の持ち主ではあるものの規模が小さく、国家レベルでは脅威と認識されていないため本腰を入れて討伐しようとする国もない。稀に正義感に燃える者や被害にあった者たちが彼らを討伐しようとしても、ことごとく失敗に終わっていた。

 そんなタナトスの中核を為すのが、今、ここにいる4人に、クロイライナという青年を含めた5人である。

「……おや」

 かすかな気配。

 ザヴィアが視線を横に動かした。

「誰か来たようですね」

 空気が小さく動く。

「ザッピーも阿呆! ヌーボーも阿――」

 ゴン!!

「いった~~~~~~っ!!」

「少し黙れ」

 立ち上がったリューゼットがゆっくりと音もなく歩き出す。

 ちらり、と、マリアヴェルの方をうかがった。

 ネイル以外は、近付いてくる気配に気付いているようだった。

「……」

 気配は2つ。ここは人里から遠く離れた廃屋だ。なんの目的もなく人が訪れるような場所ではなく、迷子にしては足取りがしっかりしすぎている。足音そのものに闘気がある。

 人間の雇った刺客――デビルバスターか。

 ――いや。

 リューゼットが入り口の前に立つ。

 気配が無造作に近付いてくる。

 緊張が高まる。

 と。

 ゴォッ……

「!」

 突如、辺りが明るくなった。

 オレンジ色に。

 ――敵の攻撃?

 いや、違う。

「バルちゃん――」

「なっ……」

 『味方』の攻撃だった。

 ゆらりと立ち上がったネイル。リューゼットに殴られた後頭部を押さえる彼女の背後に、大柄な炎の狩人がその姿を現していた。

「リューちゃんにもたんこぶ作ってあげてっ! 私とお揃いのっ!」

「ネイル、貴様――!」

 リューゼットが振り返る間もなく、炎の狩人は――明らかにたんこぶ程度では済まないであろう――幾本もの炎の矢を放った。

 ザヴィアはいつの間にか軌道上から横に避けている。

 マリアヴェルは少々驚いたような顔でそれを見ていた。

 轟音。

 鋼鉄で出来た扉が外側に吹き飛んだ。

「あはははは。リューちゃん、吹っ飛んじゃった――あれ? あれれ? 避けた?」

「貴様……」

 リューゼットは避けていた。だが、それでもわずかに爆風を浴びたらしく、髪の先が少し焦げ、頬には黒い炭とかすかに血が滲んでいる。

「なぁんだぁ、避けたのかぁ……つまんないの~」

「……」

 拗ねるネイルの姿を映したリューゼットの瞳には明らかな殺意が浮かんでいたが、残念ながら彼の希望は果たされなかった。

「――ああ、やはりそうだ」

 声。

 マリアヴェル、ザヴィア、リューゼット、ネイル――そのどれでもない。4人の視線を集めた者は建物の外にいた。

「タナトスの方々ですね」

 逆光を浴びて、2つの影が浮かぶ。外まで及んだネイルの暴挙の影響を受けた様子はなく、平然と立つ2つの者。

 ただ者ではない――とわざわざ言う必要もないだろう。

 男と女だった。

 片方は漆黒の正装に漆黒のマント、漆黒の髪、漆黒の瞳――黒ずくめの男。物腰は高貴な者のそれで、一礼するとまるでそこが宮廷のパーティホールであるかのような錯覚に襲われそうになる。

 耳は尖っている。

 人間ではなく、人魔だ。

 一方。

 女の方は銀髪で男と対照的な白色の正装。白色のマント。美しくどこか儚げな少女……いや、女性というべきか。

 こちらは耳が尖っていない。

 人間か。

 あるいは人に化けているだけか。

「ほぇ?」

 ネイルは惚けたように闖入者を見つめていた。彼女は誰かが近付いていたことすら知らなかった(聞いてなかった)らしい。

「おや、久々に客人が来たかと思ったら、まるでオセロのような方々ですね」

 ザヴィアが楽しそうにつぶやく。

「……」

 リューゼットは無言で目を細めた。

 そんなタナトスの面々を見回し、黒い男が口を開く。

「まずは誤解のなきよう。我々は敵ではありません。今日はあなた方にお話があって参上いたしました」

 隣の白い女は黙って静かに微笑んでいる。

「話? ……おもしろそうですね、ニューバルド」

 ザヴィアがそう言って振り返る。

「……」

 マリアヴェルは最初の位置から微動だにせず、2人の侵入者をただ見つめていた。

 ――ちりん。

「あなたがタナトスのリーダー、ニューバルド様ですね」

 黒い男がかしこまる。

 白い女もかしこまる。

「おうわさはかねがね。途方もない実力の持ち主であることも、もちろん――」

「サーヴァイン=ジーン=ベルリオーズ」

「……」

 マリアヴェルの言葉に、全員の視線が集中した。

「隣の子はフレア。フレア=ベルリオーズだね」

 黒い男は虚を突かれた顔をしたが、すぐに元に戻って、

「ご存じでしたか」

「ベルリオーズというと――」

 ザヴィアが意外そうな顔でマリアヴェルに問いかける。

「こちらの世界では最大の人魔の組織『ベルリオーズ』のこと、でしょうね」

「そう。この2人はそのベルリオーズの王子様と王女様。そうだよね?」

「……いかにも、私の父はベルリオーズの王です」

 やはり礼儀正しく、サーヴァインは改めてかしこまる。

「私はその長男で、闇の王魔ジーン族の血を引く者、サーヴァイン=ベルリオーズ。こちらは妹の――」

「フレア、と申します」

 静々と女は礼をした。やはりどこか儚げで、とてつもなく大ざっぱな括り方をすればマリアヴェルと雰囲気が似てなくもない。

「ほう」

 ザヴィアは薄い笑みで2人を見やった。

「ベルリオーズのトップは王魔でしたか。なるほど、人間たちが戦々恐々とするわけですね」

「それで?」

 問いかけたのはリューゼットだった。

「そのベルリオーズの者がなんの用だ?」

 サーヴァインがすぐに答える。

「ええ、それはとても簡単な話です。実は――」

 その言葉を言い終わる前に。

「バッカだなぁ、リューちゃん」

 浮き浮きした表情で、ネイルが言った。

「遊びに来たに決まってるじゃない。ねぇ?」

 ゆらり、と。

 ネイルの背後で陽炎が揺れる。

「……」

 無言であごを動かしたサーヴァインと、ネイルの視線が重なった。

 ネイルは言った。

「おーま、って、こないだの風の子と同じだよね。もっかい、試してみたいと思ってたんだ。ねぇ、ヌーボー。やってもいいよね?」

 向いた視線の先。どうやらマリアヴェルに向けて言ったようだ。

 マリアヴェルは答えた。

「好きにしたらいいよ」

 サーヴァインが少しだけ驚いた顔をする。

「ニューバルド様。我々は戦いに来たわけではなく――」

「話は聞くよ、サーヴァインさん」

「ルルー」

 会話を続けている間にも、辺りに急速に魔力が満ちていく。

 炎の天使が産まれる。

「でも、私は別にこの人たちを支配しているわけじゃないから、ね」

 ザヴィアは苦笑してその状況を見つめている。

 リューゼットは腕を組んだまま微動だにしない。

 マリアヴェルは――微笑んだまま。

 建物が震える。

 地の底から震えが迫る。

 サーヴァインが眉をひそめた。

 ようやく彼ら――タナトスが通常の組織ではないことを理解したようだ。

 漆黒のマントが熱風に揺れる。

「では……ニューバルド様。私が自らの身を守り、仮に彼女の身を害したとしても、あなたは私に敵意を抱かない……そう判断してもよいのでしょうか」

 マリアヴェルは絹糸のような声で答えた。

「さあ」

「……わかりました」

 仕方ない、といった様子でサーヴァインは隣を見た。

「フレア。私の後ろに」

「はい。お兄様」

 白い女が黒い男の後ろに隠れる。

 途端。

 男の雰囲気が変わる。

 満ちる。いや、あふれ出す。

 それは強大な――いや、王魔であることを考えればむしろ当然というべきか。強大な、あまりにも強大な魔力。

「……」

 ザヴィアの顔から笑みが消えた。

 リューゼットの目つきが厳しくなる。

 マリアヴェルは――やはり微笑んでいた。

「いけ~~~ルルー~~~~っ!!」

 炎の天使が手にした球体をサーヴァインに向けた。

 そしてその手から球体が波動となって放たれ――いや。

 放たれようとしたその刹那。

「!」

 サーヴァインの背後から白い影が飛んだ。

 一瞬。

 炎の天使が準備を整え、そして放つまでのその一瞬。

 その瞬間、ネイルは完全に無防備だった。

 それはほんのわずかな隙間だ。

 にも関わらず。

 白い衣の女は神速で翔んで、間合いに踏み込んだ。

「兄様を傷付けようとする人は、許しません――」

「――」

 ネイルが目を見開く。

 フレアの体がふところに入った。その手には接近戦に特化した短い和槍が握られている。

「っ……」

 ネイルがなにごとかつぶやくと、炎の天使が揺らいで、炎の騎士へと姿を変える。――変えようとする。だが、遅い。とても間に合わない。フレアの一撃の方が圧倒的に速い。

 一閃。

 しかし――

「!」

 ネイルを切り裂こうとした斬撃に対し、ぼんやりとした炎の騎士の中から、もうひとりの騎士が姿を現した。

「……リューちゃん!!」

「……」

 火花と、衝撃。

 いつの間にかネイルのそばに移動していたリューゼットが、その一撃を防ぐ。

「……」

 フレアが驚いた顔をする。その細い眉にかすかな憂いを浮かべ――すぐさま標的をリューゼットへと変えた。

 一方のリューゼットは、自らの腕を襲った衝撃に驚愕するとともに。

 ――好敵手。

 とっさにそう判断し、その口元に愉悦の笑みを浮かべる。

「下がっていろ、ネイル」

 短くそう言い放って剣を払う。

 ぎぃんっ!!

「っ……」

 フレアとの間合いが広がった。

 仕切り直し。その間は1秒の半分ほどだろうか。

 2人が動く。

 そして2撃目――は、なかった。

「フレア! そこまでだ!」

「!」

 ハッとして、白い衣の女が飛び退く。

 ――速い。

 リューゼットは一瞬ためらいを見せたが、結局追わなかった。

「申し訳ありません、兄様……つい」

 サーヴァインの後ろまで下がったフレアが申し訳なさそうに視線を落とす。

「いや。……気が済まれましたか?」

 サーヴァインはそう言って視線をネイルに言葉を向けた。

「……む~~」

 不満そうだった。黙っていればもう一撃、放っていたかもしれない。

 だが、それを制止したのは、それまで黙ってそのやり取りを見守っていたザヴィアだった。

「もういいでしょう、ネイルさん。私はこの方々のお話に興味があるのです」

 ザヴィアがそう言うと、ネイルは渋々――口をいっぱいに尖らせて、

「……つまんないのっ」

 奥の方に歩いていくと背中を向けてペタンと座り込んでしまった。ガサゴソと辺りを探って先ほどのオモチャを見つけだすと、不満をぶつけるようにガチャガチャと乱暴に遊び始める。

 リューゼットがそんなネイルを一瞥して、小さく息を吐く。

 手にしていた剣が光の形になって四散した。

「……」

 その右手に残った痺れ。

 儚げで細い体躯からは想像もできない身体能力だった。

 ……好敵手ではある。そんな強い敵と戦うことは彼の生き甲斐でもあったが、それはあくまで一対一のという状況が前提だ。この場でその望みは叶いそうにない。

 だから、体の奥底に沸いていた熱はすぐに静まった。

 ザヴィアが言った。

「それで? お話というのはどのようなことでしょう?」

「……」

 サーヴァインはネイルをチラリと見て、それからマリアヴェル、最後にザヴィアへと視線を移すと、

「簡単なことです。あなた方には、我々の仲間になってもらいたい。その交渉をするために参上いたしました」

 と、言った。

「確かに。簡単なことですね」

 予測していたのか、ザヴィアはクスクスと笑った。

「簡単なことですが、賢い提案とはお世辞にも言えませんね。いえ、失礼を承知の上で言わせてもらえば、とてつもなく馬鹿馬鹿しい提案だ」

 サーヴァインは怯むことなく生真面目に答えた。

「もちろんそれなりの見返りはご用意いたします。なんでも、というわけではありませんが、あなた方の望みも大抵は叶えられると思います」

 それを受けて、ザヴィアはますます愉快そうだ。

「だ、そうですよ、リューゼットさん、ネイルさん。お願いを聞いてくれるそうですから試しに言ってみたらどうです?」

 刹那。

「そこの2人と、リューちゃんを丸焼きにしたい!!」

 背を向けたまま、ネイルが即答する。

 リューゼットはそんな彼女を見下したように一瞥すると、腕を組んで目を閉じた。

「そうだな。その後ろの女――その女と、どちらかが死ぬまで1対1で闘わせてもらえるなら考えないでもない。もちろん前払いだ」

「……」

 サーヴァインが眉をひそめるのがわかった。

 からかっているようにも見えるが、おそらくどちらも本気だ。

「ね、馬鹿馬鹿しいでしょう?」

 ザヴィアがクククとのどを鳴らして笑う。そしてチラリと一番奥に視線を向けた。

「ニューバルド。あなたはどうです?」

「ない、よ」

 ――ちりん。

 マリアヴェルは簡潔に答えた。

「あなた方に叶えられる私の望みはひとつもない。今も、この先も、ずっと、ね」

「あなたはネービスの――ディバーナ・ロウとかいうデビルバスターの集団を敵対視していると聞きましたが、我々が代わりにそれを叩き潰してさしあげる……と言ったら、どうでしょう? それでもいけませんか?」

 サーヴァインがそう言うと、マリアヴェルは少し意外そうな顔をした。

 どこからそんな情報を手に入れたのか。――いや、この大陸の各地に勢力を持つ組織だ。その程度の情報収集能力はあっておかしくないだろう。

「ふふ」

 マリアヴェルはのどの奥で琴のような美しい音色を奏でると、それからゆっくりと視線を持ち上げた。

 ザヴィアが目を細める。

 ネイルの手の動きが止まる。

 リューゼットのこめかみがピクリと動いた。

 彼ら3人が同時に動きを見せたのは、決して偶然ではない。

 彼らのごとき無法者でさえ、従う、従わざるを得ない――それは。

「生きてここを出たいのなら――ね……」

「!」

 その瞬間、サーヴァインは世界がすべての動きを止めたような錯覚に襲われていた。

 ――ちりん。

 ――ちりん。

 ――――ちりん。

 かすかな鈴の音が何度も耳の奥で反響する。

 切り取られて網膜に焼き付いた視界の中、ただひとり、その中心にいる神のごとき女性の視線だけがゆっくりと動き、それが網膜を突き破り、脳の中心を焼いた。

 脳髄を満たす、痺れ。

「そういうことは言わない方がいい。言わない方がいいと思う、よ。ましてや、それを実行しようだなんて――……」

 その言葉に戦意はない。

 ないように見える。

 今は。

 しかし。

「――」

 サーヴァインは絶句した。

 彼は王魔。そして目の前にいる女性は――情報が間違いでなければ将魔である。

 『王』と『将』の差は、『上位』と『下位』のそれよりはるかに大きい。『王』は戦う技術に長けていないと言われる場合も多く、それはある意味真実でもあったが、彼は違う。

 戦うことに長けた、本当の意味での王魔である。

 だから通常、考えられない。とても考えにくいことだ。

 将魔である彼女の視線だけで、王魔である彼の背筋が緊張に震え、冷や汗が浮かぶなどということは――。

 しかし。

 サーヴァインはすぐに認識する。

 それは現実だ。

 ザヴィア、リューゼット、ネイル――視界に在る彼らと戦ったところで、まともであれば決して負けないだろうという自信が彼にはあった。2人、いや3人を同時にしたとしてもそれは同じだろうと思っている。

 だからこそ彼は堂々とたった2人でこの場にやってくることができたのだ。

 そしてマリアヴェルに対しても、つい先ほどまではそうだと思っていた。

 しかし。

 認識は改められた。

 彼女と闘ったならば――あるいは1対1で負けることもあるかもしれない。

 それは彼が矜持を持たないからではなく、聡明な人物であったがゆえの正常な分析だ。

 それほどに、彼女の身にまとうものは異質だった。

「サーヴァインさん」

 その異質を表情にまとったまま、マリアヴェルは続ける。 

「無駄なことはやめたほうがいい。ただ気付いてくれるだけでいいの。それだけで誰も死ななくて済むし、誰も悲しまなくて済む」

 マリアヴェルの声はどこか悲しげで、しかし優しく微笑んだまま。

 まるで声と表情が別の生き物のようだ。

 おそらく、彼女は異端。下位魔、上位魔、そして将魔――そんなくくりを与えることが間違いなのだ。

 それはその強さだけでなく、性質も然り。強さは同じ境地であったとしても、決して相容れない。

「……残念です、ニューバルド様。今回のお話は諦めます」

 それを悟って、サーヴァインは礼儀正しくそう言った。

 周りから見ればあっけないように思えるほどだが、決して相容れない――これ以上が無駄であることを悟った今、彼にしてみれば当然の決断だった。

「ですが」

 そう言って毅然と、まっすぐに、堕天の女神を射抜く。

「我々は近いうちにネービス領にも進出いたします。その邪魔だけは決してなさいませんよう」

「邪魔?」

「あなたのおっしゃる『無駄なこと』が起きないことを祈っております。……では」


 そうしてサーヴァインとフレアは去っていった。

 ほんの5分ほどの交渉だった。


 からん、と、ガレキが音を立てる。

 開けっ放しになった入り口から風が吹き込んで粉塵を空気中にばらまいた。

 ザヴィアは貼り付いた笑みで入り口を見つめ、リューゼットは腕を組んだまま微動だにせず。そしてネイルは思い出したように再びオモチャをいじりだした。

 一瞬の沈黙。 

「――けほ、けほっ」

 マリアヴェルが小さく咳き込んで、全員の視線が彼女に集まった。

 袖で口元を覆ったマリアヴェルは、少し困ったように辺りを見て、

「ん。ああ……風が入ってくるからかな。すごい埃。ザヴィア。あなたの力でどうにかならない?」

 まるで来客などなかったかのような、平然とした振る舞いだった。そして実際、彼女にとってベルリオーズの来訪など気に留める必要のない出来事だったのだろう。

 ザヴィアはそんな彼女を見て、あらためて薄い笑みを浮かべる。

「残念ですが、そういう使い方はしたことがないですね」

「そう。それじゃあ仕方ない、ね。そろそろクロイライナとの待ち合わせ場所に移動しようか。……ザヴィア。あなたはネービスへ行くんだったよね?」

「ええ。そのつもりです」

「リューゼット。ネイル。あなた方は?」

「私はお前についていく。特に用もない」

「んじゃ私も~~~ん~~~むつかしぃよぉぉぉ~~~」

 ガチャガチャ、ガチャガチャ。

「そう」

 マリアヴェルは微笑んでうなずく。

 そして、

「あ」

 と、ちょっとだけ驚いたような顔をする。

 途端。

 くるるるるぅ~~~という奇妙な音が鳴った。

「?」

 リューゼットとザヴィアが不思議な顔で見ると、マリアヴェルはほんの少しだけ頬を染め、視線を泳がせて小さな声でつぶやいた。

「……お腹減った、ね」

「お腹減った~~~!」

 ポーン、と、ネイルがオモチャを放り投げる。

「固いパンも飽きた~~~!」

 マリアヴェルはゆっくりとうなずいて、

「ふふ、私も飽きたよ。……そうだ、ザヴィア。出掛ける前にみんなで食事でも行ってこようか」

 ザヴィアは一瞬考えて、

「ネイルさんが恥ずかしい真似をしないと約束してくれるのであれば」

「え、私? ザッピー、恥ずかしい真似ってなんのこと?」

「行儀悪く食い散らかした挙げ句、下に落ちた肉を拾って食べたりする、あなたの食事マナー全般のことですよ、ネイルさん」

 マリアヴェルは真顔でうなずいて、

「ああ。それは良くないよ、ネイル。お腹壊すから、ね」

「大丈夫だろう。犬猫が喰って大丈夫なものを、こいつが喰って腹を壊すはずがない」

「ん? リューちゃん、それって、どういう意味なの?」

「要するに貴様が犬畜生と一緒ということだ」

「犬? なぁんだ、そっかぁ」

 なぜかネイルは機嫌をよくしたようだ。

 マリアヴェルもザヴィアも彼女にその言葉の意味を教えてやるつもりはないらしい。

「5月だね」

 外に出ると生い茂った枝の隙間から眩しい陽光が射し込んでくる。

「デビルバスター試験の季節……か」

「風のうわさでは、ディバーナ・ロウからも受験するそうですよ」

 後ろからついてきたザヴィアが言った。

「ティースさんも、受けるかもしれませんね」

 マリアヴェルは振り返って、

「受かる、かな?」

「さぁ、どうでしょうか」

 後方で爆音が上がる。

 どうやらネイルとリューゼットがまたいさかいを起こしているらしい。

「そう」

「受かって欲しいですか?」

「どちらでも」

 小鳥のさえずりが耳に心地よい。

「そうですね。どちらでも――」

 ザヴィアの笑みが悪辣に歪む。

「どちらでも、あなたにとっては同じだ。デビルバスターであろうとなかろうと。ただ、殺すときに涙を流すか流さないか。それだけの違い。でしょう?」

「ふふ……どっちにしても涙は出ないよ。出し方がわからないから、ね」

「だから、あなたは彼らを殺すのですか?」

「さあ」

 ――ちりん。

 澄んだ音。

 水色の小鳥が飛んできて――

「あ」

 肩に止まる。

 マリアヴェルは小さく微笑んで、腰の袋から細かくちぎったパンくずを手の平に乗せ、差し出した。

「平和だね。ザヴィア」

「平和ですか。……あなたの口からそんな言葉が出てくることが、不思議です。あなたの感覚にはさすがの私もついていけません、ニューバルド」

 ザヴィアは未だ爆音の止まない後方を見やり――それから手にした管楽器を口にする。

「ふふ……そう、かな?」

 ――ちりん。

 鈴の音に合わせて、不思議な音色が流れ出した。

 ちちちちち、と、小鳥が飛んだ。

 爆音。

 長閑な陽気。

 剣戟の音。

 微笑む女神と、悪辣な奏者。

 

 ――それは、とてつもなく無秩序な景色だった。  


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