プロローグ
圧倒的な力にはしがらみがついて回る。
憧憬。嫉妬。打算。欲望。
それが権力であれ金力であれ、武力であれ、知力であれ、そのしがらみから逃れるすべはなく、結果としてあらゆる人々の思惑の波に呑まれることになるだろう。
その力が望んだものであろうと、また望まざるものであろうと――。
「殺して欲しいヤツがいます」
それを生業にする者たちにとって、このネービスほど住みづらい土地はないだろう。
ご承知の通り、ネービス領の首都であるこのネービスの街は大陸でも屈指の治安を誇り、犯罪者たちの存在を決して許そうとしない。他の街では当たり前のように起こる殺人事件も、この街ではそれほど日常の出来事ではなかった。
殺し屋。
その名の通り、生き物を殺すことを生業とする人々がいる。彼らは当然に犯罪者であり、もしその身を拘束されたなら、ほぼ間違いなく死罪が待っているであろう。
この世のもっとも底辺に位置する犯罪者だ。
「……」
夜のネービス。
この裕福な街にも、ごく一部ではあるがスラム化した地域が存在する。その一角にある無人の建物の地下に、交渉のテーブルを構えた1組の殺し屋と依頼主がいた。
「余計なことは言うな。用件など言わずともわかりきったこと」
地下室の壁に声が響く。
「ターゲットと、必要な情報、前金と成功時の連絡方法だけを残して立ち去れ」
「……」
フードの奥から向けられた淡々とした声に、依頼主はかすかに背筋を震わせた。
と、同時に期待に彩られた頬が笑みを刻む。
「こ……これが前金です。ターゲットの情報はこっちの資料にまとめてあります」
お互いに顔を隠し、明かりは部屋の端に備えられたろうそくの揺らめきのみ。もちろん彼らはお互いの素性を知る必要もなく、またそれを探ろうとすることは協定違反でもある。そのときはどちらかが血を流し、命を落とすことになるだろう。
ゴクリとのどを鳴らしたのは、依頼主の方。
「……」
しばらく資料を眺めていた殺し屋は、無言のまま手にした資料をふところに入れた。
それは依頼を受けたことの証。
「……お願いします」
依頼主は手の平の汗を握りしめ、奥歯をかすかに震わせながら席を立った。
小さな空気の動きに、ろうそくの炎が大きく揺らめく。
――矢は放たれた。もはや後戻りはできない。
だが、それでも。
それでも、その依頼主の心には後悔よりも期待の方が大きかった。
「ふふ」
ひんやりとした夜の空気を浴びて、その頬に引きつった笑みがもれる。
「これで私は自由になれる……」
圧倒的な解放感。
長いトンネルの向こう、自由の光はもうその眼前にまで迫っていて――
「これで、ようやく――!」
達成感とかすかな恐怖に震えるその声は、晴れ渡るネービスの夜空へと吸い込まれていった。