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デビルバスター日記  作者: 黒雨みつき
第7話『デビルバスター・ハンターズ』
56/132

その7『反省会』


「うーん、おっかしいなぁ」

 そんな悩ましい声が聞こえてきたのは、ティースたちディバーナ・ロウの第四隊が帰還してから6日ほど経った日のことである。

 おわかりかと思うが、悩ましいというのは決して官能的という意味ではなく、そのまま言葉通りの意味だ。

「うーん」

 場所は広大なミューティレイク家の庭。

 言葉を発した人物はこのディバーナ・ロウが誇るデビルバスターの候補生であり、女性アレルギーで高所恐怖症、馬車に乗るとすぐ酔っぱらってしまう、やや猫背でなで肩な頼りない容貌の――いや、正直に羅列するとあまりにヒーローらしくない要件ばかり揃ってしまうのでこの辺にしておこうか。

 つまりその人物とは、この物語の主人公であるところのティーサイト=アマルナであった。

「うーん」

 ひょろっとした長身に乗っかった童顔がかすかにかたむき、腕を組んだままうなるその様は、どこからどう見ても知的には見えず、たとえるなら道に迷って途方に暮れる情けない青年といったところか。

 とはいえ、いくらそんな頼りない彼であっても、歩き慣れたこのミューティレイクの敷地内で迷子になるはずはなく。

「このまま死ぬのかと思ったぐらいだったのに……」

 彼が首をかしげていた原因は、もちろん迷子になったからではなかった。

『……なんだ。どんな大怪我かと思ったら、かすり傷ばかりじゃないか』

 ティースを悩ませていたのは、6日前、彼が戦場から戻った際の、屋敷の主治医であるマイルズの言葉だ。

 事実、彼の傷はそんなにひどくなかったようだ。あれから6日経った今日、早くも彼にトレーニング再開許可の診断が下されたこともそれを裏付けていた。

 確かに彼らは心力のひとつである『自愛』によって、一般人よりは治癒力が高くなっている。その能力に長けたものであれば、常人の半分、あるいはそれ以下の時間で怪我が完治することさえも珍しくはない。

 しかし――

「かすり傷ばかりって、あんなに勢いよく意識が飛んだんだから、出血もかなりしてたと思うんだけどなぁ」

 ブツブツ言いながらティースがたどり着いた先は、敷地内にある第四隊の詰め所。

「――おはよう」

 ガチャ。

 ティースの呼びかけに、扉の向こうで銀色の髪がかすかに揺れ蒼色の瞳がゆっくりと動いた。

「おはよう、ティース」

 分厚いハートマーク付きのセーター、季節外れのマフラー、変化のない表情、まるで雪女のような冷たい容貌。

 アルファ=クールラントの出で立ちはいつもとまったく変わらなかった。

 だが、

「お前、今日もそんな格好してるのか? 外はいい天気なんだけどなぁ」

「別に問題ない」

「暑くないのか?」

「特に感じない」

「ならいいんだけどさ」

 そんなアルファのそっけない態度にも、ティースは以前ほどの拒絶感は感じていなかった。

「けどお前、まさか真夏もそれで通すつもりなのか?」

 ベッドに腰掛けたアルファの前を横切って部屋のカーテンを開けると、まぶしい日差しが直方体の建物を満たした。

「なにか問題があるのか?」

「いや……そりゃ勝手だけどさ」

 真夏にこの格好で外を歩く彼の姿を想像して、ティースは少しおかしくなった。

「夏はセシリアが着るなと言う」

「だろうなぁ。俺もその方がいいと思――」

「だからマフラーだけは外している」

「……マフラーだけ?」

 どうやら彼の体温調節機能は相当優秀にできているらしい。

 ……と、まあ。

 こうして見てもわかるように、彼らの関係になにか劇的な変化があったというわけではない。

 アルファは相変わらずアルファ(当たり前だが)だったし、淡々とした口調も能面のような表情もどこか理不尽に思える行動も、そのすべてが変わっていない。

 にも関わらず、どこか以前と違って見えるのは、おそらくティースの中にある彼のイメージが少し変わったためだろう。

(……冷たいわけじゃない、か。確かに、ファナさんの言うとおりかもなぁ)

 あの日、彼が妹――セシルからのプレゼントを大事に身につけていたことを知り、そして後日、彼がいつも身につけているハートマークのセーターやマフラーが、やはり彼女からの贈り物であったと聞かされたとき、ティースはちょっとだけそう思ったのだ。

 あの日も気絶したティースを見捨てることなく、不調の体で彼を背負って下山し、無理がたたって2日ほど寝込んだらしいという話を人づてに聞いている。

 本当にただ、不器用なだけかもしれない、と、最近ティースはそんな風に思えるようになっていたのだった。

「そういや、セシル。この春から学園の二回生なんだな」

「そうか」

 アルファは短くそう言って、会話はいったんそこで途切れるかと思いきや、

「……セシリアはよく君の話をする。君のことがよほど気に入ったようだ」

 視線を動かさないまま、今度は自分から話題を口にした。

「俺のこと? へぇ、そんなに俺の話をしてくれるんだ?」

「ああ」

 アルファはゆっくりとうなずいて、例の香り袋をふところから取り出すと、それを目の前でユラユラと揺らしながら、

「最近はマルスの次ぐらいに君の話題が多い」

「狼よりは下なのね……」

 いつもセシルのそばにくっついている銀毛の狼を頭に思い浮かべて、ティースはなんとも複雑な気分になった。

「……」

 アルファの視線が一瞬だけティースのほうへ向けられる。だが、それはすぐ元の位置に戻り、長いまつ毛がまばたきに揺れてあとはいつもの無言。

 ティースの方も特に話題が思い浮かばなかったので、ひとまず会話はそこで打ち切り、自主トレの準備を始めることにした。

(さて……と)

 まずはウォーミングアップから。体の先から順番に、じっくりと時間をかけて伸ばしていく。脇腹辺りに少し違和感は残っていたが、体を動かすのに支障がないことは屋敷の主治医であるマイルズのお墨付きだ。

(……にしても、不思議だなぁ)

 そうしながら、彼の思考はここに来る途中の疑問を蒸し返していた。

(確かにあのときは疲労もピークだったし、精神的にもかなり参ってたけど……)

 思い出すのはあの、抵抗の余地もない強烈な脱力感。

(だってあの感じは、まるで――)

 と、そこへ。

 コン、コン。

「おい、アルファ。入るぞ」

 ノックに続いた声。ちょうど顔をしかめながら太股の裏を伸ばしていたティースは、突然の来訪者に顔を上げた。

「レイさん?」

「よぅ、ティース」

 ティースの言葉通り、その扉の向こうから姿を現したのは、ディバーナ・ロウの第二隊、ディバーナ・ナイトの隊長を務めるデビルバスター、レインハルト=シュナイダーだった。

 外から流れ込んだ風に、彼の頭に巻かれたバンダナの尾がかすかに揺れる。

「珍しいですね、レイさんがここに来るなんて」

 柔軟の手を休めずそう尋ねるティース。

「まあな」

 確かに彼がここにやってくるのは珍しい。……というか、そもそも、この場所をセシルとティース以外の人間が訪れること自体珍しいことだ。

「……」

 一方のアルファは視線も動かさなかった。

 そんな彼に対し、レイはいつもの口調で、

「元気そうじゃないか、アルファ。ネアンスフィアとの激戦の後で、てっきり寝込んでるんじゃないかと思ってたが」

「別に問題はないよ、レイ」

 淡々と答えるアルファ。

 誰を相手にしても変わらない、彼独特のペース。ともすれば拒絶しているようにも取れてしまうその口調に、レイは少し肩をすくめて、

「そいつは重畳なことだ。お前が珍しく苦戦したらしい話を聞いて、また例のモノが出たんじゃないかと心配してたんだがな」

「例のモノ?」

 その言葉を聞き咎めたティースは柔軟の手を止めて、

「なんですか? その例のモノって」

「……」

 アルファが無言でレイを見つめた。

 レイは答える。

「こいつの持病さ。なぁ、アルファ」

「……」

 やはりアルファはなにも言わなかった。

 だが、ティースはピンと思い当たって、

「あ、じゃあ……あのときってやっぱ調子が良くなかったのか?」

「なにかあったのか?」

 逆にそう問いかけるレイに、ティースはうなずいて、

「ええ。あの日のこいつ、珍しく寝坊したり……はっきりとわかったわけじゃないですけど、どことなく動きに精彩がないような感じにも見えたんで」

「ほぅ、なかなかよく見てるじゃないか」

 レイは少し感心したような声でうなずいた。

「いいことだ。男はマメな方がモテるからな」

「は、はぁ」

「ま、医者がどうこう言ったわけじゃない。本人もなにも言わないしな。俺が勝手に想像して『持病』ってな感じに定義しただけのことさ」

「はぁ……?」

 いまいちよくわからなかった。

「……」

 そして相変わらずレイをじっと見つめるアルファ。見ようによっては非難しているようにも思えたが、表情自体はいつもと変わらないので気のせいだったのかもしれない。

 いずれにしろ、レイはそんなことはまったく気にした様子もなく、

「それに、こいつの持病にはちょっとした法則がある」

「はぁ……?」

 ますますわからない。

 だが、本当にそういったことがあるのなら、一応この第四隊の隊長として把握しておく必要がある、と、ティースは単純に考えて、

「法則ってなんですか?」

 その問いかけに、レイの口元にかすかな笑みが浮かぶ。試すような、からかうような、明らかになんらかの意図を含んだ笑みだった。

「原因はまったく不明だが、おおよそにして月に1回程度、こいつは急に体調を崩すんだ」

「月に1回程度?」

「……」

 無言のままのアルファ。

 笑みを浮かべたままのレイ。

 そんな2人を交互に見比べながら、ティースはさらに首をかしげた。

「なんですか、それ? そんな病気あるんですか?」

 だが、レイは肩をすくめて、

「さあね、俺は聞いたことがない。だから言ってるだろ? 原因は不明だ、って」

「?」

「レイ」

 と、そこでアルファがようやく口を開く。

 相変わらずの独特な声色は抑揚がない分、低く響いて聞こえる。だが実際、それをなんの先入観もなく聞けば、どちらかというと男性より女性のものに近い高さに聞こえるだろう。

「私になにか用があるのか?」

「いいや」

 レイは少々おどけた調子で両手を広げてみせて、

「さっきも言ったろ? お前の体調を心配したのと、あとは久々にその、美女も真っ青な美しいご尊顔を拝みたくなった……ただそれだけのことさ」

「……」

 ピクリとも動かない長いまつ毛の奥で、蒼色の瞳がさらに深くレイを見つめた。まったくクセのないシルバーブロンドの長髪が、扉から流れ込む風にかすかに揺れる。

(……でも。確かに、なぁ)

 そんなアルファを見つめ、ティースは改めて首をかしげた。

 女性と見紛うと言ったらそれはおそらく間違いで。

(って……あれ?)

 そこまで考えが及んだところで、恐竜の神経並に鈍いティースの頭にようやく白色電球の光が灯った。

 ……思い出したのは、あの戦いの日、気を失う直前の出来事。

(そういやあのとき……)

 ひとまずの窮地を脱して安堵し。

 アルファの体調が悪そうなことに気づき。

 それを気遣って手を伸ばした。

(支えようとしたら、逆に俺の方が気が遠くなって――)

 そして抗いようもない、脱力感。

 急速に現実から剥がれていく意識。

 ……その感覚には、覚えがあった。

(え……あれ? え?)

 いつもというわけではないが、何度も体験した感覚。

 数日前、この屋敷に帰還した日にも体験した感覚。

 そう。

 それはまるで――

「……あぁぁぁぁぁぁッ!?」

 素っ頓狂な叫び声をあげたティースに、アルファとレイの視線が集中した。

「え!? え、あ……え!?」

 突然の奇声とともに取り乱す彼の姿は、明らかに挙動不審である。

 レイが怪訝そうに眉をひそめた。

 それに対し、アルファから向けられた無言の視線は――おそらくはティースの思い込みであろうが――まるで彼が気付いた『限りなく真実に近い推測』を口止めするかのように、まっすぐ彼の顔面を射抜いていた。

『限りなく真実に近い推測』

 それは、つまり――

(ま……間違いないッ! あのときは戦いが終わった直後で気も抜けてたし……不自然に気が遠くなったことの説明も付くじゃないか!)

 女性に触れると気絶してしまうという特異体質を持つ彼ならではの理論。

(つ、つまり、こいつ――この人ってやっぱり……)

 チラッ。

「……」

(うッ!)

 感情のない視線が相変わらずティースを射抜いていた。

 ゆら、ゆら。

(ううッ!)

 手の中で揺れる『誘蛾灯』の切っ先が、心なしか彼の方を向いている……ように思えて仕方なかった。

 気のせいか。

 いや、あるいは――

「おい、ティース?」

「……な、なんでもありません!」

 レイの呼びかけに、ティースは反射的にそう答えていた。……いや、彼がそうしたというより、本能が彼にそう命じていたのだ。

 そう答えなければ、かなりの高確率で殺られてしまう――と。

「……」

 アルファの視線はすぐにティースから離れ、いつものように部屋の隅に飾られた紫色の花へと向けられた。だが、その手の中の誘蛾灯は相変わらず、まるで獲物を狙う食虫植物のように静かに揺らめいている。

 ゆら、ゆら。

 ゆら、ゆら、と。

(お、俺ってもしかして……)

 ゆら、ゆら。

 ゆら、ゆら――

(触れちゃいけないところに触れちゃったんじゃ……)

 意図も望みもしていない。彼自身が踏み込んだというより、目隠しされて歩かされた結果、必然として泥の沼地にはまりこんでしまったというところか。

 兎にも角にも。

 否応なしに貧乏くじを引かされるのがこのティーサイト=アマルナという男であり――

(ま、また厄介ごとがひとつ……)

 そしてティースはガックリと肩を落としたのだった。




「ティースさんにとっては、これがおそらく最後の任務になるかと思います」

「へ? 最後?」

 午後も3時間ほどが過ぎ、庭を照らす陽光がほんのわずかに赤味を帯び始めたころ、別館の執務室に呼び出されたティースを待っていたのは、衝撃の解雇通告だった。

 ……と、そこへ突っ込み。

「アオイさん。その言い方じゃ、まるでティースさんヤメさせるみたいじゃん」

「え?」

 パタン、と分厚い本を閉じた少女は、屋敷の若すぎる執事、リディア=シュナイダーである。

 そして、

「あ、ああ。あの、最後というのはもちろん、試験前の最後、ということです」

 慌ててそう訂正したアオイ。

 ティースはホッと胸をなで下ろすとともに少し笑って、

「あ、ああ、なるほどね。びっくりしたよ、なにか悪いことでもしたのかと――って、試験? 試験ってなんのこと?」

 天然ボケはどうやらアオイだけではなかったようだ。

「……はぁ」

 そんな二人の天然ボケラー(?)に囲まれて、ひとりだけ回転の良すぎる頭を持った少女は、自らの不幸を嘆いてため息をもらした。

「決まってるじゃん。5月といえば、大陸中のデビルバスター候補生が帝都ヴォルテストに集まる月でしょ」

 5月。それは、帝都ヴォルテストにおいて半月にも渡って開催される、この大陸でもっとも過酷な試験、デビルバスター試験の開催月である。

「?」

 ティースがそこで不思議そうな顔をしたのは、その事実を知らなかったからではない。知ってはいたが、それを即座に自分と結びつけることができなかっただけだった。

 その証拠に、彼はたっぷり10秒ほどの時間をかけた後、徐々に表情を驚きに染めて、

「え……も、もしかして、それ。俺も出るの!?」

「もしかしなくてもそうだっての」

「言ってませんでしたか?」

 と、不思議そうなアオイ。

 ティースはすぐさま反論して、

「は、初耳だよ! そんな無茶な!」

 彼がそんな反応をしてしまったのも、まぁ無理もない。

 デビルバスター試験に受かればデビルバスターになれる。逆に言えば、デビルバスターになれるだけの実力がなければ試験には受からない。それは当然のことだ。

 そして、彼がこれまで見てきたデビルバスターたちはいずれも圧倒的に格上の存在ばかりで、いつか追いつくことを目標にしてはいても、現時点でその領域に及んでいるなどとは到底考えられないことだったのである。

 そんなティースの反応を見て、リディアはチラッと横目でアオイを見ると、

「まぁ、アオイさんのことだし、言い忘れてる可能性もあるとは思ったけど……ティースさん、自信ないの?」

「う……」

 かなり年下の少女にそう言われると、少しぐらいは意地を張りたい気持ちも湧き上がってきたが、結局ティースはうなだれて素直に答えた。

「そ、そりゃあ……だって俺、レイさんやアクアさんはおろか、パーシヴァルにだって負けてばっかだし――」

 その言葉に、リディアはほんの少し意外そうな顔をして、

「負けてばっか、ってことは、勝てることも少しはあるってことだよね?」

「え? そりゃ……たまには」

「どのぐらい?」

「5回やって、1回か2回ぐらいかな」

「……ふーん」

「?」

 リディアは少し思案するように視線を泳がせ、それから彼女の身には少々大きい椅子の背もたれをきしませながら、

「ティースさん、もしかしてなにか勘違いしてるんじゃない?」

「勘違い?」

「うん。……ティースさん最近、ダリアさんやビビさんとは手合わせしてる?」

「へ? そりゃ、最近はナイトの、主にパーシヴァルとだけ。それがどうしたんだ?」

「んー。だろうね」

 うなずいて、リディアは手元の分厚い書物をパラパラと適当にめくりながら、

「ま、とりあえず自信がないなら来年でも再来年でも、好きなときに受ければいいんじゃないかなぁ。実際、あまりのレベル差に自信を無くす人だってたくさんいるもんね。心配なら止めといた方がいいのかも」

「……え?」

 ティースは虚を突かれたような顔をした。

「……」

 そして考え込む。

 ……リディアの口調は決して彼の姿勢を責めるようなものではなかった。しかもその言葉はすべて事実だ。

 合格率1パーセント未満。その数字がすべてを物語っている。

 しかもこのデビルバスター試験は半月にも渡る期間の長さと、唯一帝都ヴォルテストでのみ開催されるというその条件から、冷やかしで受けるような者はほとんど存在しない。

 つまりこの『合格率1パーセント未満』とは、それなりの可能性を持つ者たちが受験した上で、それでも合格者は常に100人に1人にも満たないということなのである。

「……リディア」

 考えた末、ティースはゆっくりと顔を上げて言った。

「少し考える時間をもらってもいいかな?」

「そりゃあもちろん。……受かる見込みがないならむしろ行かないで欲しいなぁ。ほら、ヴォルテストまでの必要経費だって馬鹿になんないし」

「……」

 苦笑する。

 それは非常に彼女らしいコメントであった。






 クールで、知的。

 狡猾で、計算深い。

 天使、あるいは悪魔。

 ……彼女を評する言葉は、人によって大きく違ってくる。

 好意的な言葉は熱っぽく、悪意の言葉は嫉妬と蔑みを含んで。そして学園の大半を占めるネービスの若者たちは、そんな彼女にあるひとつの共通する称号を与えた。


 ――ミステリアス。


「今月に入って、これで13件目」

「なに?」

「あんたが振った男の子の数」

 木の枝に蕾をつけて咲くチェリンという名の淡い桃色の花は、大陸でも北方の比較的涼しい地域に多く頒布する種類の樹木だ。

 3月下旬、春の訪れとともに蕾をつけ、4月が始まると同時に咲き始め、4月中旬過ぎに儚く散ってしまうその花は、この学園都市ネービスにおける出会いと別れ、そして始まりの象徴である。

 そんな桃色の花が宙を舞う4月、今年もまたネービスの内外から学徒たちが集まり、そして一定以上の成績を残した者は次にステップへと駆け上がっていく。

 そして――

「13件中、新入生が12件。毎度のことながら、あなたの魔性の女っぷりには脱帽だわ」

 残念ながらこのサンタニア学園では、希望あふれる新入生が12人ほど、早くも人生の挫折を味わってしまったようである。

「ディアナ」

 そよ風に躍る金色の髪。美しい海の色をした瞳。そして精巧な彫刻のように整った顔立ち。いくら大都市であるネービスといえども、彼女ほどの美貌を持つ女性はそうそう見つかるまい。

 そんな彼女――ここサンタニア学園薬草学科の三回生であるシーラ=スノーフォールは、ランチタイムが終わった午後、学園内の並木道を学園の友人であるディアナ=リーとともに歩いていた。

「私は誰もたぶらかしたりしないわ。ただ、男たちが勝手に迷っていくだけのことよ」

「出た、遠慮のかけらもない女帝発言。ま、あんたの場合はそういう話にしろ成績の話にしろ、全部ホントのことだから手に負えないんだけど」

 まるで諦めたようなディアナの言葉に対し、シーラは謙遜するでも自慢するでもなく、そっと微笑むだけだった。

「……でもさ」

 さて一方、隣を歩くこのディアナという少女。

 人なつっこそうな丸い顔立ちに、太っているというほどではないが全体的に丸みを帯びて小柄な体躯。

 そしてなにより特徴的なのが、短めの髪をまとめて頭のてっぺんで縛った、まるでタマネギのような髪型だ。

 髪の短い赤ん坊ならともかく、この年齢の少女にしては比較的珍しい髪型だといえよう。

 なんとも対照的。だが、そんな彼女はシーラにとって、この学園でもっとも親しい女友達だった。

 いや――その言い方は、あるいは誤解を招くだろうか。

「あんたってば、ただでさえ誤解されやすいんだから、そういうのもほどほどにしておかないと、また――」

 正確にはもっとも親しい、ではなく。

 唯一の、と言うべきだろう。

「……あら。あの子、まだ学園にいたのね」

 この日はちょうど、午後から『特別講義』が開始される日だった。

 特別講義とは毎年この春先にのみ集中して行われる、その名の通り『特別な』講義であり、この薬草学科に限らず、今年2度目以上の三回生を迎えた者――年度始めの基礎授業を必要としない留年組を対象とした、基本的には本来の学科の趣旨とは関係ない選択式の短期授業である。

 知識の幅を広げるため、あるいは普段学ぶ機会のない珍しい知識や技術に触れるため――目的は様々であり、もちろん本来の学科の基礎授業をもう一度受ける者も多い。

 今年は6種類開講されるこの特別講義の中、シーラが選択したのは『護身術の基礎』と題された講義だった。

 学園内の第3区にある薬草学科の学舎から、講義の会場である屋内競技施設までは徒歩で5分強ほどの時間。

「さすがのあの子の『魔力』も卒業試験にまでは及ばなかったのでしょ――」

 その途中でシーラたちの耳に飛び込んできたのは、これ見よがしなヒソヒソ声だった。

「そりゃあね。いくら色ボケした先生方だって不正がバレたら職を失うもの。そんな危険を侵して卒業までさせようとは考えないでしょうし」

「……」

 ディアナが眉をひそめる。

 別段気にした様子もなく通り過ぎようとするシーラ。

 その距離が縮まるにつれ、ヒソヒソ声はさらに甲高くなっていく。……いや、ここまでくるとヒソヒソという表現自体がもはや的確ではないだろう。

「あはは、それじゃあせっかくの苦労も水の泡ね」

「無理して涼しい顔しちゃって……内心では焦りまくってるくせに――」

 それでも少女たちのそれはあくまで『陰』口。反応さえしなければそれ以上のことはなにも起こらないし、シーラたちもそのことをよく理解していた。

 だが。

「ちょっと……あなたたちッ!」

 わかってはいても我慢できないのが人間というもので。

 とはいえ、この場合我慢できなかったのはシーラの方ではない。

「ディアナ」

 すぐに制止の声を放つシーラ。だが、もちろん遅い。

「なに?」

 ディアナの怒りの声に振り返った3人の女生徒たちは、すでに挑戦的な表情で彼女らを振り返っていた。

「あら、誰かと思ったら。なにか用?」

 しらじらしい、というべきか。少女たちはもちろん確信犯であり、こうしてかみつかれることもむしろ望むところだったといえるだろう。

「なにか用、じゃないっしょッ!」

 一方、自分がなじられたわけでもないのに顔を真っ赤にして噛みついていくこのディアナという少女は、少々正義感が強すぎるのか、あるいはよほど友人を大事に思う人物なのか。……あるいはその両方だろうか。

「気持ち悪いのよ、あんたたち! 言いたいことがあるなら、もっとはっきり面と向かって言やいいじゃないのさ!」

「は?」

 3人組は当然のようにトボけた。

「いきなりなに言ってんの? 誰もあんたたちのことなんか話題にしてないじゃない」

 だが、ディアナも簡単には引き下がらず、

「嘘ばっかり! あんたたち、今日だけじゃないでしょ! 毎回毎回、あたしたちが横切るたびにヒソヒソヒソヒソ――いい加減にしないと、こっちだって堪忍袋の緒が切れるんだから!」

 さらにヒートアップ。

 まあ、この場合彼女の言葉は正しい。少女たちの中傷はまぎれもなく彼女たち――いや、シーラに対して向けられたものであり、100人いれば99人はそう受け取るだろう。

 だが、そうはいっても、こういう場合においてそれを立証することは難しく、本人たちがしらばっくれればそれまでの話である。

 案の定、少女たちはクスクス笑いながら言った。

「言いがかりもいいとこだわ。自意識過剰なのよ、引き立て役のお猿さん」

「なっ……!」

 どっ、と、笑い声が並木道にあふれる。

「……」

 そのとき、シーラの視線が初めて3人組の少女たちへ向けられた。

「あんたたち――」

 ディアナが足を踏み出す。

 だが。

「ディアナ、止しなさい」

「シーラ……」

 怒りと嘲笑が交錯する中、ディアナの肩に手を置いたシーラの声は場違いに思えるほど淡々としていた。

「私のために怒ってくれるのはありがたいけど、もういいわ」

「でも! シーラ、悔しくないの!?」

 怒る立場となだめる立場が完全に逆転しているようだが、そこは性格の違いだろう。

「あんた、最近また根も葉もないようなことばかり色々言われてるじゃない! 成績がいいのは教官に色目を使ってるからだの、人の彼氏に手を出すのが趣味だの……やっかみだか腹いせだか知んないけど!」

 3人組のひとりが口を挟む。

「ちょっと人聞き悪いわね。誰もやっかんでなんか――」

「別に悔しくなどないわ」

 シーラがそう言うと、全員が一瞬口をつぐんだ。

「……え?」

「だから、もういいのよ」

 全員の視線が彼女へ集まる。

 意外そうな、あるいは思惑が外れたような顔で。

「……」

 物憂げなため息。

 折しも吹いたそよ風と宙に散った桃色の花びらが、まるで意志を持ったかのように彼女の姿を幻想的に飾り立てた。

 その場にいる誰もが視線を奪われた、その一瞬。

「行きましょう、ディアナ」

 その直後、3人の少女たちに向けられたのは、魔性と称された瞳――見る者によっては太陽にも月にも、あるいは底なし沼のようにさえも思える『魔力』を秘めた瞳。

 そして、そこに浮かんでいた色は――

「そいつらはしょせん道ばたの石ころよ。相手にしても仕方ないわ」

 侮蔑。

 そのまま背を向ける。

「なっ……!」

 当然、少女たちは一斉に気色ばんだ。そして、背を向けて歩き出したシーラを早足で追いかけ手を伸ばす。

「ちょっと、待ちなさいよ、あんた――!」

「お前たちの相手はしない、と、そう言っているのよ」

「っ……!?」

 別に声を荒らげたわけではない。だが、振り返ったその視線ひとつで、少女たちの足はその場に縫い止められていた。

 見下す視線は相変わらず、そしてゆっくりと体を彼女たちの方へ向けて、

「道理も根拠もない、浅学なお前たちの醜い誹謗を黙って見過ごしてあげようというの。それとも事を大きくして、教師の前で公開討論でもしたいのかしら? なんならあなたたちの保護者も呼んで立派になった姿でも見てもらう?」

「……!」

 教師と保護者、その2つのワードに少女たちは明らかに大きな反応を見せた。

 シーラは口の端を少し吊り上げて、

「陰口で気が晴れるなら、止めはしないから好きなだけそうしてるといいわ。でも、わざわざ私の視界に入ってこないで。蹴とばすのも面倒くさいから」

 抑揚のない、まるで辞令書を読み上げるかのようなその口調は、いわゆる普通の少女たちをいっせいに黙らすには充分すぎるほどの圧迫力があった。

「ディアナ」

「え……あ。あ、うん……」

 気圧されてか、冷水をかけられたかようなディアナが素直にうなずく。

 そのままシーラがもう一度背を向けると、今度は誰も追いかけてこようとはしなかった。


「――怖いなぁ」

 ディアナはシーラと同じ年にこのサンタニア学園に入学し、同じタイミングで進級して現在4年目の三回生。ほぼ入学当初からの付き合いであるから、もう3年以上になる。もちろんこの学園の中ではもっとも長い付き合いだ。

 だから当然、この学園の誰よりも彼女のことをよく知っている。

 頭がよく美人。

 クールでミステリアス。

 おそらくは男嫌い。……二回生のころの実地授業において、彼女の手を取ろうとした若い教官に辛辣な言葉を浴びせかけた事件は学科内では有名な話である。

 産まれ育ち――不明。彼女は学園においていっさいその手の話をしようとはしない。

 家庭環境――不明。その自宅を知る者すら学科内にはひとりも存在しない。

 放課後や休日の過ごし方――不明。

 ……言い換えれば、学園でもっとも親しいディアナですらその程度しか知らない、とも言えるだろう。

「あんただったらどんなことがあっても、きっと取り乱したりすることなんてないんでしょうね」

「そんなことないわ」

 問いかけに返ってきたのは至極当然の答え。だが、ディアナは彼女が取り乱したシーンを一度たりとも見たことがない。

「想像できないなぁ」

 今、こうして特別講義の舞台である屋内競技施設にいても、彼女の存在だけはまるで別格で、誰もが視線を奪われ、彼女が歩けばどんなに混雑した人垣でも自ら割れていくのではないかと思わされる。

 完璧に優秀であり、完璧に美人で、なおかつ感情すら完璧に統制しているのではないか。

 もちろん、それは妄想だ。

 ディアナはディアナなりに、このシーラという、おそらくは普通の人間であろう少女の本質をある程度知って――少なくとも知っているつもりでいる。

 たとえば先ほどの少女たちに向けた辛辣な言葉。

 いつもは涼しい顔のまま黙って通り過ぎるはずの彼女が、今日に限ってあんな言葉を発したのは、おそらく彼女自身が侮辱されたからではなく、ディアナが侮辱されたからだろう。

『意外に面倒見が良く、情に厚いところもある』

 これはディアナが3年間の付き合いの中で得た、おそらくは少数しか知らない彼女の真実だ。

 クールな彼女がときおり気まぐれで情を見せるのか、あるいは情に厚い彼女が普段はクールに装っているだけなのか、それはわからない。だが、他の連中が口にするほど冷血でもなければ完璧でもない、と、少なくともディアナはそう考えていた。

 そして、

(……でも、たまには憶測なんかじゃなくて、この子の意外な一面ってのを目の当たりにしてみたいものねぇ)

 なんてことを妄想してみたりするのだ。

 興味本位というよりは、もっと単純に、この友人のことをよく知りたいという欲求から。

 ざわ、ざわ……

 室内は少しだけざわめいていた。

 屋内施設の一角を仕切る形で作られたその教室は、広さだいたい20メートル四方。その入り口側に20個の席が用意され、学徒たちはそれぞれ思い思いの場所に腰を下ろしている。生徒数の割に広めのスペースが用意されているのは、もちろん授業内容に実技の項目があるためだろう。

 10余名。

 この特別授業がほんの一部の学徒たちを対象にしているものであることを考えても、すべての学科を合わせた対象者はおそらく100人を越えるはずだから、この人数は比較的少ないと言える。

 この学園に通うような人間は、護身術などあまり必要としていないか、あるいは興味がないのか。

 そして定刻。

 ざわ……

 仕切りの奥から聞こえてきた足音――おそらくは講師のもの――に、学徒たちのざわめきが急速に静まっていく。

 この特別講義、学園にはもともと存在しない授業の内容をウリとしているだけあって、講師にはほとんど外部の人間を招いている。もちろんこの講義――『護身術の基礎』とて例外ではなく。

 そして、

「えー……」

「……?」

 仕切りの向こう側から2人の講師が姿を現したとき、ディアナはちょっとした驚きを覚えた。

 室内がざわつく中、学園の講師に連れられた特別講師は2度、3度と頭を下げながら学徒たちの正面に立つと、

「えー。こんにちは……じゃなくて、は、はじめまして。みなさん。お元気ですか」

「?」

 なんとも頼りなさそうな挨拶。

 もちろん『特別講師』というだけあって、人にモノを教えることを本職としていない者も数多くいる。その中には大勢の前で話すことに慣れてない者もいておかしくはあるまい。

 だが、そういった事情は考慮したにせよ。

 護身術……その授業内容から、学徒たちがその講師に体育会系のゴツイ人間を想像していたのは当然のことで、第一声の頼りなさそうな挨拶にギャップを感じてしまうのも無理はなかった。

 わずかな失笑。

 各所から聞こえたその音に、講師はひょろっとした長身を少し萎縮させて、

「あ、え、えぇっと、俺、いや僕――じゃなくて私、今日から、その、こちらでお世話になる――うわわっ!」

 ばさばさっ!!

 脇に挟んでいた資料の束らしきものが滑り落ちてバラまかれる。慌てて拾い集めようとする講師の青年は、頭をペコペコさせながら、

「あ、ご、ごめん! 俺、いや僕――ああ、いや、こういったものには慣れてないもんで――」

 さらに失笑。

 さすがにディアナも少し吹き出すと、隣に座っているシーラの袖を軽く引いて、

「ふふっ……な、なんか頼りないなぁ? あ、でも厳ついいかにもなオッサンよりはいいか。ねぇ、よく見るとなんだか可愛い顔してるし――……シーラ?」

 怪訝そうに視線を横に向けたディアナ。

「……」

「へ? どしたの?」

 そして驚いた。

 そのときディアナが目の当たりにしたのは――クールでミステリアスだった彼女の、およそ見慣れない表情。

 隙のない視線はかすかに見開かれ、パチクリ、パチクリと2度、3度まばたきをする。

 他者を寄せ付けない高貴さのようなものはすっかりと影を潜め、素のままに驚きを浮かべるその表情は、同じ年ごろの普通の少女たちが見せるものとまったく変わらなかった。

 そしてその視線が見つめる先は、ただ一点――

「あ、改めまして。僕――えっと私、今日から約半月の間、みなさんに護身術を教えさせていただきます、ティーサイト=アマルナです。どうぞ、よろしくお願いします」

「……」

 偶然か、あるいは仕組まれたものか。

 ともあれ。

「……シーラ?」

 どうやら彼女――ディアナ=リーは期せずして、ミステリアスな友人の秘密の一端に触れる機会を得たようである。


-了-

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