その2『接近、第一射』
「うわ……こりゃあすごいな」
なんの変哲もない田舎村。いや、なんの変哲もないと言ってしまうと語弊があるか。
ネービスのすぐ南にあるルナジェール。
その南西の国境付近にあるスタークホルム。
南東の国境付近にあるベルン。
その3つの大都市を結ぶ街道を三角形に見立てると、その重心に位置する地域はかなり交通の便が悪い山岳地帯であり、ネービスでもっとも開発の遅れている地域のひとつだ。
そんな地域の山奥深くにポツンと位置する名も無き村が、今回のティースたちの仕事場である。
馬車の走ることができない険しい山道を大きく迂回しながら進み、道案内がなければ迷ってしまいそうな獣道をたどって、野宿を挟んで1日とちょっと。
陸の孤島と言っても過言ではない場所にあったその村は、外よりもひと回りほど文化レベルが遅れているような、そんな印象の場所だった。
とはいえ。ティースが先ほど感嘆の声をもらしてしまったのは、実を言うとそれが直接の原因というわけではない。
(この規模の村に、まさかデビルバスターが4人も集まるなんて……)
と、いうことなのである。
そこは村長とおぼしき人物の家。都会で見られるような、魔界の植物を利用した暖房や照明器具などはいっさい見当たらず、ソファのようなものもない。木造の堅い椅子にかろうじて敷物をかぶせたような椅子が1、2……合計6つ。
ひとつには村長と思われる初老の人の良さそうな男性が腰かけており、皺だらけの頬を緩めてニコニコとしている。
2つ目、3つ目はそれぞれティースとアルファのものだ。
そして残りの3つ。
「では、改めて……」
ひとりめは細身の男。年齢は20代のなかばぐらいだろう。
「私はジン=ファウスト、このネービス出身のデビルバスターだ。今回はご期待に応えられるよう、尽力させてもらう」
やや病的にコケた頬と鋭い眼光が少々とっつきにくい印象だが、口調は穏やかで丁寧。今は外しているが、鉄製の額当てと口元を覆う黒いマスクを備えている。
一見軽装で丸腰に見えるが、よくよく観察すると、服の下になにやら色々なものを隠し持っているらしいことがわかった。
そして右手にだけ填めている黒い手袋。
(なんで右手だけなんだろう……?)
ティースはそこに違和感を覚えたが、もちろん今はそれを問いただす場ではない。
次に、その隣。
「私はマリアヴェル。マリアヴェル=ソーヴレー」
(……うわ)
次の女性が口を開いた瞬間、ティースは背筋が軽く震えるのを感じた。
(綺麗な声だ……)
とはいえ、艶っぽいというのとは違う。
透き通った、それでいて心が震える響き。極端な物言いを承知の上で表現するならば『神秘的』と言おうか。もしもその声で歌ったならば、さぞ多くの者を虜にするであろうと思われた。
だが、もちろん彼女は歌姫などではない。
「デビルバスターとしての経験は浅い方、かな。でも、少しでもあなたたちの力になれれば、と、思う」
ちりん、ちりん……
彼女が身につけている振り袖のような衣装は、他文化が多く集まるこのネービスでさえめったに見掛けることはない。長く伸ばした髪を9つに分けるという変わった髪型で、その先端近くを小さな鈴のついた紐で縛っていた。
声、独特な間を持つ口調、姿格好……とにかくすべてが『神秘』を連想させる女性だった。
年齢はやはり20歳を少し過ぎたぐらいだろうか。後ろに立てかけてある、身長よりも長い棒のようなものが彼女の武器らしい。
そして、最後のひとり。
「おっと。オイラが最後でぃすかね?」
これまた前述の2名とはかけ離れた雰囲気の男。おそらく他の2名よりは少し年下、20歳前後といったところか。
「はい! みなさん注目、ちゅうも~く!」
パンパン!
室内にも関わらず、テンガロンハットのような背の高い帽子をかぶったまま、手を叩いた青年は急に歌い出した。
「せ~いぎを胸に、悪を~誅し~弱きを助け、つ~よきを~挫く~、で~んこうせ~っかのデビルバ~スタ~……オ~レは~オ~レは~つ~よくて~……あー、え~っと……」
ちょっと考えた様子で、
「……る~るるる~……セ~レナス~カンファ~イス~」
(ご、ごまかした……)
パンパン。
不審そうな視線を一身に集めながらも気にした様子はなく、再び手を叩き、それからまるで道化のようなわざとらしい一礼をして、
「ってなわけで。オイラはセレナス=カンファイス。みなさん、どぞよろしく~」
最後はやはり歌っぽくなった。……ただ、かなりの音痴であるということはキチンと付け足しておこう。
ジーンズと白のシャツに袖のない茶色のジャケット。身長は170センチあるかないかで目はかなり細く、唇には小さなピアス。どことなくキツネを思わせる風貌だが、陽気な物言いのとおり人当たりは良さそうだった。
武器は腰にぶら下げた、先が3つに分かれた奇妙な形のレイピア(?)だろうか。
「ふふ……おもしろい人」
マリアヴェルがそう言って微笑むと、セレナスは眼球が隠れてしまうほどに破顔して、
「どもども、お美しい方。お褒めの言葉があれば、オイラのやる気も無尽蔵に湧いてこようというものさね」
「……さて」
そこに口を挟んだジン=ファウスト。
「それでは、詳しい話に入っていただこうか」
外から聞こえてくる少年少女の遊ぶ声。
まだ日は空の中間辺り。
村長から話を聞くには、充分すぎるほどの時間があった。
「しかし、こんな小さな村にデビルバスターが4人とはなぁ……ん~~~~っと……」
外に出たティースが大きく伸びをするころには、太陽はやや西に傾きかけていた。
日が沈むまでにもうしばらくの猶予はあるものの、これから行動するには少々遅い。万全を期すため、本格的な行動は明日からということで全員の意見が一致したところだった。
4月にしては暖かな陽気。ひとりひとり別々に割り当てられた借家に行く前に、村の地理を把握する意味でもブラブラと歩き回ることに決めて、ティースは足を踏み出していた。
こうして歩くとわかるが、本当に小規模な村だ。山中を切り開くように作られており、畑がある分広さ自体はそれなりだが、人口はおそらく2桁、それも50人未満で収まるに違いない。
子供も極端に少なく、村長の家を出たときに見掛けた3、4人の集団がおそらく唯一だろう。家の中に赤ん坊などがいるとしても、ひと桁の年齢の子供は多めに考えても10人未満か。
こんな村に、よく3人もデビルバスターを雇う金があったものだと、ティースは妙な感心をしてしまう。あるいはなんらかの特産品があるのだろうか。でなければ、こんな不便な場所にいつまでも人が住んでいることもないだろう。
(壊れた家や荒れた畑は……たぶん、大規模な獣魔の襲撃があったからなんだろうな)
その爪跡はそこかしこに見受けられた。視界に入る家は半数近くがなんらかの被害を受けている。もし人がまったく歩いていなければ、廃村のようにすら映ったかもしれない。
そのまましばらく歩いてひと回りした後、だだっ広い草むらを見つけて腰を下ろす。そのままゴロンと寝転がると、そよ風がかすかに前髪を揺らした。
青空を泳ぐ薄い雲。
肌を撫でる涼しい春風。
鼻孔をくすぐる草の匂い。
(あー、気持ちいい……)
一瞬だけ仕事であることを忘れ、心地よい自然の空気を満喫する。
と、そこへ。
「ん?」
ふと鼻孔をくすぐったのは、青々した草の香りとは異なる芳香。
「あれ?」
不思議に思って周りを見回しても、辺りは一面の緑で、花らしきものは一輪も生えていない。
だが。
「あ、これか」
思い出したのは、ティース自身の胸ポケットに入っていた小さな袋の存在だ。
手のひらの半分ぐらいの小袋だが、鼻先に近づけると気分の落ち着くなごやかな香りを発している。閉じた状態でこれだから、袋の口を開ければおそらくもっと強い香りが広がるだろう。
それは数日前のなんの変哲もないあの朝に、セシルからもらったプレゼントだった。
「これ、なんかあの子そのものって感じの香りだよな」
そんな彼の発言は一歩間違えればセクハラとも捉えられかねないが、まあ誰が聞いているわけでもないし、言ってる本人もなにも考えていないのだから問題はあるまい。
「あぁ、それにしても気持ちいい……」
と、そうしているうちにウトウトしてきたようだ。
もしそのままなにもなければ、彼の上下のまぶたがランデブーするまで5分とかからなかっただろう。
しかし。
「こんにちは、お寝坊な剣士さん。こんなところで寝てると風邪ひくよ?」
「え?」
びっくりして起き上がる。さらに辺りを見渡すと、
「まぁ、いいんじゃね? 寝る子は育つってよく言うさ~」
西に傾きかけた太陽を逆光にして、ひと組の男女が立っていた。
「あ、セレナスさんに……マリアヴェ――いたっ!」
悲鳴とともに口を押さえるティース。
どうやら舌を噛んでしまったようだ。
「マ、マリアヴェルさん……」
少し涙目で舌を出しながら言ったティースに、マリアヴェルはクスッと微笑んで、
「マリア。マリアで構わないよ。私の名前、少し呼びづらいでしょう?」
身にまとう神秘的な印象から厳格そうにも見える彼女だったが、見た目よりはかなり気安い口調だった。言葉の端々からはなごやかな優しい雰囲気がにじみ出ており、思った以上に取っつきやすそうである。
そのことにティースは舌の痛みも忘れて、ほんの少し胸をなで下ろし、
「マリアさん、ですね。あ、それじゃあ俺のこともティースでお願いします」
「ティース? ティースさん、か。なるほど、確かにその方が呼びやすい、ね」
琴を奏でるような声でマリアヴェルはもう一度微笑んだ。
そこへセレナスが口を挟む。
「ほんじゃま、ティースくん。オイラのこともセレナスで、いっちょよろしく」
「あ、はい――って、そのまんまじゃ……?」
「ああ、ダメダメ! 突っ込みはもっとこう、自信を持ってやらな!」
「え、あ、はぁ」
こっちはほぼ見た目通りの印象だった。
「あの……ところで、どうしたんですか? 2人揃って」
改めて、ティースはそう問いかけた。
「うん?」
マリアヴェルは不思議そうにセレナスを見てから、少し考えて、
「なんとなく、かな。彼と会ったのもついさっき」
「オイラも似たようなもんさ。……誰も彼もが~似たもの同士~オ~イェィ~」
そのまま草むらの上にどかっと座り込むと、背の高いテンガロンハットを深くかぶり直して、
「そんな理由なんてどうでもいいさね。オイラたちがこうして偶然出逢えたのもなにかの縁。ここらでちょっくら世間話でもしようじゃないの」
「え……世間話、ですか?」
唐突な申し出にティースが戸惑うと、
「そうさぁ。ティースくんはデビルバスター志望っしょ? 先輩の話は色々聞いといた方が、のちのち絶対役に立つさぁ。どうさ、マリアさん?」
その言葉に、少し考えるような仕草を見せたマリアヴェル。
ちりん、と、鈴が風に揺れる。
「ティースさんが望むならいいんじゃないかな。私の話が役立つかどうかはわからないけど、ね」
「あ、いえ、そんなこと!」
思わぬことではあったが、それは確かに彼にとっても望ましいものだった。
「んじゃま、そういうことで。……あ、そういやティースくん。連れの女性はどうしたんだぃ?」
「え? あ、アルファのことですか?」
セシルの兄であり、戸籍上ももちろん男性であるはずのアルファは、しかしどこからどう見ても女性にしか見えない見た目をしている。
……もっとも、見た目が不自然なのか、それとも戸籍がおかしいのかは、かなり微妙なところだったが。
もちろんティースも、わざわざ彼(彼女?)が一応男性であると説明するようなことはない。
「あの人は確かデビルバスターを名乗っていた、ね。――アルファ=クールラント」
なにごとか思い出した様子のマリアヴェルは、口元に手を当てて考えながら言った。
「私の記憶が確かなら、確か3年前のサン・サラスが同じ名前だった、かな」
「えぇ!?」
セレナスはビックリした顔をティースに向けて、
「ティースくん。それ、マジかぃ?」
「あ、はい。俺も同じ話を聞いてます」
「へぇぇ。……おっとぉ」
風が吹いて、彼のテンガロンハットが少しだけあおられる。セレナスはそれを右手で押さえつつ、その帽子の奥から興味深そうな視線を向けて、
「そういうこっちゃぁ、後輩だからってあんま馬鹿にゃできんねぇ~」
「セレナスさんって、デビルバスターになってどのぐらいなんですか?」
今度は逆にティースがそう質問する。
「ん? オイラはそのアルファさんの1年先輩さ。ちょうど丸4年ってとこかね」
「へぇ。マリアさんは?」
「うん? そうだね。私は7年になるかな」
「ほぇ?」
それに対し、ビックリ顔をしたのはセレナスだ。
「7年? ってこたぁ、あんた試験通ったの10代なかばかぃ? ……うはぁ、ほんじゃオイラの3つも先輩……これまたお見それしましたわ」
そう言って、やはり大仰に深々と頭を下げる。
マリアヴェルはおかしそうに笑って、
「ふふ、でも彼――ジン=ファウストほどじゃないよ」
「そらそうだけど。あの人と比べる方がおかしいさ」
「え? あの人、有名な人なんですか?」
無知をさらけ出すようで少し気が引けたものの、ティースは素直にそんな疑問を口にしてみた。
すると、セレナスはちょっと首をかしげながら、
「ん? ああ、まぁ一般的にはそこまで知名度高いわけじゃないさね。けど、下手なベテランより確実で信頼できる腕の持ち主と言われてる」
「へぇ……」
ジンの姿を思い出す。
鋭い眼光。
厚みのある存在感。
それは確かな実力と経験、あとはある程度完成された人格に依るものなのだろう。確かにティースも、セレナスの言葉には納得できるだけのものを感じていた。
「私も少し聞いていい、かな?」
「……」
「ティースさん?」
「へ? ……あ、俺ですか!? す、すいません、ボーっとしてました!」
「ふふ、謝らなくてもいいよ」
マリアヴェルは特に気分を害した様子もなく、逆に優しげに微笑むと、
「ティースさんはきっと優しい人なんだろうね。顔にも、言葉にも、それがおもしろいぐらいよく出てる。……なのに」
「?」
鈴がかすかな音色を奏で、そして彼女は唐突に問いかけてきた。
「あなたは、どうしてデビルバスターになろうなんて思ったの?」
「え?」
不思議そうに見つめ返したティースに、マリアヴェルは視線を少し横に流した。その先を、何度か見掛けた子供たちの集団が楽しそうに駆け抜けていく。
彼女はそんな光景をどこかなつかしそうに眺め、
「戦うことが好きそうには見えない。だったら戦う必要なんてないでしょう?」
「え……それは」
そんなマリアヴェルの様子に若干の戸惑いを覚えたティースだったが、少し表情を引き締めて逆に問いかけた。
「じゃあ、マリアさんは戦うことが好きなんですか?」
「たぶん……ね」
「たぶん?」
「だって、現実に私は戦っている。本当は戦う必要なんてないのに」
「でも、こうして人助けをしてるじゃないですか」
「人助け? ふふ、そう見える?」
マリアヴェルはゆっくりと視線を戻した。
その口元に浮かんだのは、どこか淋しげな笑み。……その陰にうっすら透けて見える葛藤の跡は、過去のものか、あるいは現在になお続く傷跡か。
「目的がどうであろうと、戦いで生まれた遺恨はさらに罪のない人も巻き込んで広がっていく。戦って殺しあうことが正しいだなんて、どんな理由を付けようと、そんなのただの言い訳でしかないよ」
「……」
平然とした物言いの中に潜む『なにか』を感じ、ティースは口を閉ざした。
それぞれに、それぞれの事情がある。
それは当たり前のことで、まして彼らのようなデビルバスターの世界は決して生ぬるいものではない。常に危険と隣り合わせに生き、数多くの絶望を見せつけられ、こうして穏やかな笑顔を見せている彼女であっても、これまでいくつもの死線をくぐり抜けてきているはずだ。
今の発言もそのいくつかの経験から産み出された、少なからずある種の真実さえも含んだ言葉なのだろう。
(でも……)
ティースの価値観からすると、その考えは受け入れられるものではない。
考えた末、ティースは答えた。
「俺、未熟だし頭も良くないから、そんな難しく考えたことないですけど……でも、たとえば目の前にある命が戦うことで守れるとするなら、好きとか嫌いとか、理由とか言い訳とか、そんなこと考えたりせずに戦ったりもするんじゃないですか?」
「……」
マリアヴェルは一瞬だけ考えるように目を閉じたが、すぐに言った。
「でも、あなたを愛する幾人かの人は、きっとあなたが戦うことを嫌う。……あなたが戦い、あなたが苦しむことで周りの人が一緒に傷つくとしても、それでもあなたは戦い続ける?」
「え?」
即答できずに、目を見開くティース。
それは少しだけ意表を突かれる問いかけだった。
(俺が苦しむことで、周りの人が……?)
彼が戦わんとする理由は、シーラが魔にさらわれた事件を発端とし、サイラスという青年やナナンという少女の死、ザヴィアという名の悪――タナトスという組織との出会い、リィナやエルとの再会、ゲノールトでの一件を経て確固たるものとなった。
それはつまり――その対象が人であろうと魔であろうと、理不尽に奪われる命を救い、そんな命を奪わんとする『悪』を討ちたい……という、子供でも理解できるほど単純で、そして単純であるがゆえに強固なものだ。
だが、しかし。
ご承知の通り、このティースという男は基本的に一途であり、悪く言えば一面的な人間である。しかも周りにはそれなりに気を遣う性格のくせに、自分自身のことについては驚くほどに疎い。
だから、たった今マリアヴェルに言われたようなこと――つまり、彼自身に対して周りが向けてくる感情については、それほど深く考えたことがなかったのだ。
(……周りの人、か)
だが、考えた末にティースはきっぱりと答えた。
「それでも……きっと、俺は戦うと思います」
「……そう」
マリアヴェルの瞳がまるで失望するかのようにその色を薄くし、そしてゆっくりと閉じられた。
だが、
「でもその上で、理解してもらえたら嬉しいと思います」
「?」
マリアヴェルの目が再び開く。
少し緊張しながら、ティースは言葉を続けた。
「俺は戦うのが好きで戦ってるんじゃない。放っておけば無惨に奪われてしまう命を、たとえひとりでもいいから守るために戦っているんだって。そう理解してくれて、応援してくれるならすごく心強いし、苦しいことも乗り越えられるんじゃないかなって」
「……」
ほんの少しだけ見開かれたマリアヴェルの瞳が再び色をまとい、それからまるで遠くを見つめるように細められる。
そしてゆっくりと、問いかけた。
「それは誰かの言葉? それとも――」
ティースはハッと我に返って、
「あ……すみません、偉そうなこと言って。……その、俺、思ったことをなにも考えずに言っちゃう癖があって――」
「謝らなくてもいいよ。……そう。あなた自身の言葉なんだ、ね」
マリアヴェルはそう言って考え込むように黙った。なにか思うところがあったのだろう。
そんな彼女にティースは思わず問いかけた。
「マリアさん。どうしてそんな質問を?」
マリアヴェルは少し考えて、
「なんとなく、ね」
「……」
風が吹いて、鈴がかすかに震える。
ティースはしばらくそんな彼女を見つめていたが、やがて、それ以上突っ込むことはできないと判断し、会話の矛先を変えることにした。
「そうだ。そうじゃセレナスさんはどうしてデビルバスターに――」
そう言いながら振り返ったティースは、驚きに言葉を止め、目を丸くする。
「うう、ぐすっ……」
「……ど、どうしたんですか、セレナスさん?」
あぜんとするティースに、セレナスは目元をゴシゴシとこすって、
「これが泣けずにいられるかぃ……あの表情を見りゃわかる。きっとマリアさんの過去にゃとんでもなく辛い出来事があったに違いないさ」
「は、はぁ」
その予測を否定するつもりはなかったが、さすがのティースもその想像だけで泣くまでには至らない。
このティースですら、だ。
しかしセレナスは帽子をグッと押さえて目線を隠し、指を鳴らしてリズムを取り始めると、
「……君が~ど~れだけ泣いて~ても~無力なぼ~くには~なにもできなぁい~、あぁぁ~泣かな~いで~僕のマイハニィィ~」
「……」
頭がクラクラした。
「あぁ、夕日が目にしみるさ……」
「はぁ……」
とりあえず放っておくことにして、ティースはなんとなく視線を少し遠くに向けた。
すると、
(……? あれは――)
視界の奥。小さな畑を2つほど挟んだ先に、見覚えのあるシルエットを見つけた。
(……ジンさん?)
ティースのいる場所からでは顔まで確認できなかったが、遠くの原っぱに見えるシルエットは、服装からしてジン=ファウストで間違いなさそうだった。
そしてそんな彼の周囲には、先ほどティースの視線の先を駆け抜けていった子供たちが集まっているのがわかる。
「……へぇ」
その光景に、ティースは思わず声を漏らした。
「? どうしたの?」
「え? あ、いえ」
声を聞きつけたマリアヴェルの問いにティースは答えて、
「ジンさんってああいうことする人なんだな、って」
「……あー」
ティースの指した先を眺め、ようやく涙を拭ったセレナスが答える。
「子供好きってうわさは聞いたことあったけど、ホントだったんかな」
「子供好き?」
「あの人、稼ぎの大半は故郷の貧しい子供たちを養うために使ってるらしいさ。あくまでうわさだけども、こうして見る限りはあながち嘘とも言い切れんかね」
「……へぇ」
ティースは感心した。と同時に、彼に対する興味も増してくる。
(見た目ほど無愛想な人じゃないのかも。……あとで声をかけてみようかな)
そんなことを思いながら、赤味を帯びた空を見上げる。
――心配ごとなどなにもない。
ティースはそのとき、そんな風にすら考えていた。
下級の獣魔を相手にする任務の内容からして。頼もしいデビルバスターが4人もいる現状からして。
心配どころか、自分の仕事があるかどうかすら怪しいのではないか、と、彼がそう思ったのは当然のことだろう。
だがしかし、それはもちろん大きな間違いであり。
彼がそのことに気付くのは、これから10数時間ほど後のことであった。
――はっ、はっ、はっ、はっ。
駆ける、駆ける、駆ける。
風を切る、黒い影。
夜空が急迫し、生ぬるい空気はまるで手足を捕らえんと蠢いていた。
その正体は幻。
だが、わかってはいても、恐怖からは逃れられない。それがたとえ歴戦の強者であったとしても、明確なる死の感触にはそうたやすく抗えるものではないのだ。
しかもそれが、まったく予期せぬ、唐突に訪れたものであるなら、なおのこと。
――はっ、はっ、はっ、はっ!
肺が焼け付くほどの荒い呼吸。
心臓が壊れるほどに脈打つ。
闇が、迫る。
狩猟者はいつも用意周到だ。
巧妙に準備され、巧妙に隠された罠。
眼前に広がる逃げ道すらも、罠でしかない。彼らは逃げ道をわざと与えた上で、少しずつ追い込んでいく。
いったん捕らわれた獣が逃げ出すことは容易ではない。
ならば、ならば、どうする?
一瞬の思考を挟んだ後、ようやく死を覚悟したその頭は、せめて狩猟者に一矢を報いようと――その思惑を打ち砕いてやろうと、反逆の意志を固める。
遠吠えを上げ、他の者にその危機を知らせること。……それこそが、命の残り少ない自らに課せられた最後の使命、残された最後の矜持であり、それをもって悔いのない終焉を迎えよう、と。
……だが、しかし。
聞こえたのは、そんなその心を見透かしたかのような――声。
それは窮地を救わんとする仲間の声だった。
――かすかな希望が産まれる。
それは生き延びることへの希望。
事実この世に生きている限り、死の恐怖による呪縛を逃れる術はなく、生への欲望を断ち切ることもまた、容易ではない。
そうして産まれた希望は、せっかく芽生えた覚悟の輪郭をあいまいにし、かすかな安堵は緊張の糸を寸断して正常な思考力を奪った。
そして――
「っ!?」
ごぽっ……
それすらも罠であったことに気付いたとき、致命的な一撃は、彼ののどに風穴を開けていたのだ。
錆びた鉄のような、死の匂い。
「ひひひ……ひひひひひ……」
光が、風が、重力が、天と地が、その意味を失う。
「ひひひひ……ひひひひひひ……」
「ヒヒ……ヒヒヒヒヒ……」
「へ……へへへへ……」
どさ。
笑い声。
ギラギラと脂ぎった瞳。
「ひひひひひ……ひひひひひひひひひ……」
「ヒヒヒ……ヒヒヒヒヒヒヒ……」
「へへ……へへへへへへへ……」
不気味な笑い声は、いつまでも響き続けていた――
翌日の朝は昨日と比べると少々パッとしない天気だった。
太陽は、薄く灰色に染まった一面の薄雲の向こうに姿を隠し、空気は湿り気を帯びている。雨こそ降ってはこないものの、風は少し冷たい。
「うぅ~、つめた」
外の井戸水で顔を洗うと、折から吹いた風が肌をピリピリと刺激した。
思いっきり伸びをして息を吸い込むと、
「っ、はぁ~」
村はまだ静かだ。
農業に従事する者ならとっくに動き始めているはずの時間だったが、村人はまだほとんど外に出てきていない。なんとものんびりした人々である。
(さて……と)
ゆっくりと足を踏み出したティース。
向かう先は村の中心部だ。
村の建物は基本的にすべて造りが小さいため、ティースたちにはそれぞれに一軒ずつ無人の借宿が与えられていた。だが、少々不便なことにお互いの宿が離れているのである。
のんびりとした歩調で歩いた。
ふと空を見上げると、カラスが中空を旋回している。
(……なんか、昨日と雰囲気違うなぁ)
村の空気に、ティースはそんなことを感じていた。
天気のせいだろうか、昨日までののどかな雰囲気は急に影を潜めており、冷たい風がほこりっぽい空気を運んでくる。
昨日見掛けた子供たちの姿も今朝は見えない。
(悪いことの前触れじゃなきゃいいけど……)
そして5分弱。
彼がたどり着いた先は、アルファの借りている家だった。
「おーい、アルファー。起きてるんだろー?」
と、ひとまず声をかけてみるものの、返事がないのはいつものこと。
(……はぁ)
起きているのは間違いなかった。……というより、ティースは彼が寝ているところを一度も見たことがない。
寝姿を見られるのがよっぽど嫌なのか、あるいは寝ていてもすぐに目覚める体質なのか、ティースが訪れるときにはいつも必ず起きていて、それなりに身支度も済ませているのである。
(あのセーターのまま寝てるってことは、さすがにないと思うけど……)
「入るぞー」
どうせ返事がないのもわかっているので、声をかけると同時に扉を開ける。
「……ったく。返事くらいしてくれたっていいじゃな――」
首を振りながら室内に踏み込んだティースの言葉が、ピタリと止まった。
眉をひそめる。
入った途端に感じたのは、どことなくいつもと違う雰囲気。
室内はまだ薄暗い。
中で動くものはなにもない。……いや、あのアルファという人物は居たとしても身動きひとつしないこともあるのだが、しかし。
「!?」
なにげなくベッドの上に目を向けたティースの視界に、驚くべき光景が飛び込んできた。
「……うわぁぁァァァッ!」
まるでこの世のものとは思えないような悲鳴が空気を切り裂く。
その、薄暗いベッドの上。
そこにあったのは、見るも無惨な惨殺死体――だったとすれば、その悲鳴と慌てぶりも充分に納得できるというものだが、実際のところはそうではなかった。
いや、それどころか、そのときの状況を単純に描写したならば、なぜ彼がそんなに慌てて、弾かれるように家から飛び出してきたのかまったく理解できない者さえ出てくるだろう。
その状況とは、
『ある朝、隊長(臨時)である男が、部下である男の借宿に入ったところ、部下の男は起きたばかりで着替え中であった』
という、ただそれだけのことだったのだから。
言うまでもなくティースは男性であり、アルファ=クールラントもまた男性だ。これが故意であり、かつ加害者側に男色の気でもあったというのならまだしも、ティースはそういうことに関しては至極平凡な嗜好の持ち主であり、もちろん今回の出来事は純粋な事故でもある。
しかし、だ。
ご存じの通り、このアルファはそういう点で言うと少々、いや、かなり『疑わしい』人物だった。
――数秒の間があって。
「ティース」
「お……おはよう、アルファ。今朝はずいぶんとお寝坊だったんだな……」
尻もちをついたまま出迎えたティースは、額と背中に冷や汗をかき、平然を装おうとしていながら、まったく動揺を隠しきれていない口調だった。
それに対するアルファの方はといえば……特にいつもと変わらない。ハートマークのついたセーターとマフラー、手には愛用の神槍『誘蛾灯』。まるで雪女のような冷たい表情もいつもどおり。
違うといえば、いつもならばそのままなにも言わずに通り過ぎていくところを、しばらく無言でティースを見つめていたということぐらいで――
「うう……」
そのとき彼が感じたプレッシャーは、妄想か、あるいは現実か。
「あ、い、いや、驚かせて悪い。でも、着替えてるなら返事をしてくれれば……」
「……」
1ミリたりとも反応無し。
(き、気まずい……)
男性であるなら気にすることなどなにもない。女性だったならば、彼だってあれほど無造作にドアを開けたりはしなかっただろう。
だが、そのどちらでもない、ということがティースにとって不幸だった。
彼は公式的には正真正銘の男性。だが、その容貌をたとえて『雪女』などと言われることからわかるように、その外見はあまりにも『女性すぎる』のである。
その真偽は、今のところ誰も――ファナですらも知らないらしいのだが、今日この日、ティースは望みもしないところで、その真実にほんの一歩だけ近づいてしまった、というわけであった。
「で、でもほら! 背中向けてたし、薄暗かったし、俺もすぐ出ていったし、ほとんどなにも見えなかったっていうか!」
そう。
だからあくまでほんの一歩であり、確定的ななにかを目撃したわけではなかった。……だが、彼の網膜に焼き付いた白く細い肩と背中のラインは、やはり女性としか思えないものだった。
「……」
アルファの表情は相変わらず動かない。なにか考えているように見えて、なにも考えていないようにも見える。
そのままただ無表情に、尻もちをついたままのティースを見つめていた。
(……うう、どうしよう。思いっきり謝った方がいいのかな……でも、本人が男だって言い張っている以上、謝るってのも変だし……)
葛藤が始まる。
こういうとき思い切って開き直れないのがこのティースという男の悪いところであり、そして美点でもあるのだが、このときは幸い、結論を出すまでもなく救いの手が差し伸べられた。
「……」
アルファが無言のまま、ティースに向けていた視線を正面へと向ける。
「?」
つられて振り返る。
と、そこにいたのは、
「お~とこ~なら~、強いて~敷いても~尻に~は~敷かれるな~」
「あっ、セレナスさん! ……って、なんですか、その歌」
相変わらず意味不明だったが、ティースの顔はなぜか羞恥に赤くなった。……どうやらその意味するところをなんとなく感じ取ったらしい。
セレナスはテンガロンハットを押さえながら、親指をグッとティースに突きつけて、
「ま、人生色々あるさね、ティースくん。強く生きなきゃダメよ」
「……」
励ましているのかけなしているのか、いまいちわからない態度だ。だが、少なくとも悪気はないのだろう。
幸いアルファの意識もそれたようだ。
ホッと息をつくティース。
ようやく地面から腰を上げ、泥をポンポンと払いながら、
「とにかく、おはようございます。……マリアさんとジンさんは?」
「いや、まださ。とりあえず一番寝坊しそうな君のところが先かと思ってね」
「……俺、そんなに頼りなさそうに見えます?」
少し不満そうに抗議すると、セレナスはグッと拳を握りしめて、
「そぉぉぉぉりゃぁぁぁぁぁぁ、そぉぉぉぉさぁぁぁぁぁ~べん、べべん」
異様に小節が効いていた。
ティースはため息をついて、
「……じゃ、いったんみんなで集まりましょうか」
振り返る。
「アルファ――」
が、しかし。
「……アルファ? おい、どこ行くんだ!?」
アルファはすでに歩き出していた。……ただし、ティースがこれから向かおうとしていた村の中心部とは逆方向に、である。
「お、おい、アルファ!」
慌ててその後を追いかけるティース。セレナスも怪訝な顔をしながらそれに続いた。
空を、カラスが旋回している。
湿っぽい風が吹いた。
呼びかけに振り返りもしないアルファに、ティースはさらに声を張り上げて、
「アルファ! アル――!」
「……おい、ティースくん」
「え?」
突如、重みを増したセレナスの声が重なる。
カラスの声。
鳴き声が多重奏を奏でていた。
「なんか、様子がおかしいさ……」
カチャリ、と、腰の三つ又レイピアが音を立てた。
「え? ……!」
そしてティースもまた気付く。
「……」
アルファが立ち止まって見上げたのは、半壊した家の庭に立つ1本の大きな木だった。寒さに強い品種なのか、この時期にも関わらずその枝に緑色の葉をたくさん茂らせている。
もし今日が前日のように心地よい陽気の中であれば、あの木の根元にでも転がって、緑の匂いを胸一杯に吸い込みながら昼寝でもしたくなったことだろう。
しかし、この日はとてもそんな気にはなれる状況ではなかった。
なぜなら――
「なんだ、あれ……」
響く、鳴き声。
その木には、緑の枝葉が真っ黒になって見えるほど大量のカラスが群がっていたのだ。
「なんで、あんなにカラスが……」
異様な光景に、ティースの胸にも暗雲が広がり始める。
嫌な予感。
――予感?
いや、違う。それは希望的観測による錯覚であり、冷静に状況を把握するならば『確信』と表現すべきものだった。
カラスがそれだけ群がるにはもちろん理由がある。そういった光景を、ティースはこれまでに何度も目にしてきた。
いつも、圧倒的な負の空気が支配する場面で。
(馬鹿な……そんな馬鹿な! いつの間に……!?)
ティースが抱いたその疑問は当然のものだ。
村を囲む森のそばには決して近付かないようにと、昨日村中に警告したばかりだ。もちろん村人たちもそれを心得ていたはずだし、自ら森に近付こうとする、森に入ろうとする者などあるはずがない。
かといって、村の中にいた者が襲撃を受けたと考えることもまた難しい。もしそんなことがあれば、狭い村に分散して待機していた4人のデビルバスターたちの誰も気づかないなんてことはないだろう。
とすると――。
警告を無視して何者かが森に入ったのか。
あるいは、外からやってきた何者かが犠牲になったか。
ドロドロしたものが胸を渦巻く。
なんにせよ、誰かが犠牲になったことはほぼ間違いのないことであり――
(……くっ)
ただ、しかし。
そこまでは確信であったとしても、おそらく、その後に待ち受けていた光景は、この時点ではまったく予測していなかっただろう。
その場にいた3人の、誰ひとりとして。
……バサバサッ! バサバサバサッ!
アルファが近付くと、群がっていたカラスが一斉に飛び去っていく。
中には獲物を横取りするなと言わんばかりに威嚇するカラスもいたが、相手の実力を感じ取ったのか、最終的にはすべてのカラスがその場から飛び去っていった。
「……」
見上げるアルファの表情は微動だにしない。ただ一度、後ろからやってくるティースとセレナスを振り返り、そして逆手に持った『誘蛾灯』を振るった。
大木が振動する。
枝葉が不吉な音を奏でる。
そしてそこから――まるで実った果実がもげるように――いくつかの物体が落ちた。
「……っ」
思わず目を背けそうになったティースだったが、そこはグッとこらえる。
……嘔吐を催すほどの死臭を辺りに漂わせる、果実。
それは予測した通り、元は人だったものの成れの果てだった。
そして――
「っ……!?」
「なっ……!」
セレナスとティースの口が同時に驚きを刻んだ。アルファもまた、無表情ながらにその視線の動きを止める。
3人の目が、その『モノ』に釘付けになった。
あまりの驚愕に。
「ばっ、馬鹿な……!」
セレナスの声がわずかにうわずる。
その視線が見つめていたものは、カラスにつつかれ、肋骨が剥き出しになるほど無惨な姿になった胴体。それとは別に、緑の絨毯の上に転がった首。眼球のない空洞の瞳。
そして、その額にかろうじてまとわりついていた額当て。
それはその場にいる3人の、誰もに見覚えのある代物だった。
「ジン……ファウスト――」
「っ!?」
セレナスのつぶやきに、ティースの背中を言い知れぬ戦慄が駆け抜けた。
(まさか……そんな馬鹿なッ!!)
そんなはずはない、と、ティースの思考は反射的にそう考えた。
なぜなら、ジン=ファウストはデビルバスターであり、セレナスやマリアヴェルが認めるほどの実力者である。
そんな人物が、そうたやすくヤラれるはずがない。
それはある意味当然の思考であり、また大体において正しいともいえるだろう。
だが、しかし。
辺りに散らばる苦無。
首と離れた胴体の右手に、見覚えのある黒い手袋。
ボロボロになった服装。
そのすべてが、セレナスの言葉を嫌というほどに肯定していて――
「っ……」
一瞬の思考停止。
だが、ティースは奥歯を噛みしめながら口を開いて、
「セレナスさん! 急いでマリアさんと合流しましょう!」
そんな言葉が反射的に飛び出したのは、この1ヶ月の間につちかわれた隊長としての使命感ゆえか。
「なにがあったのかわからないけど……でも、考えるのは後だッ! とにかく、早く!!」
「ああ。その方が良さそうさね……」
真顔のセレナスが同意すると、アルファもまた無言でそれに従った。
そしてすぐに駆け出す。
(……なにが)
駆けながら、もう一度冷たい戦慄がティースの背中を突き抜けた。
――脳裏に焼き付いた、空洞の瞳。
カラスが、ひときわ甲高い声を上げる。
切迫する、恐怖。
(いったいなにがあったんですか……ジンさん……)
だが、物言わぬしかばねが、そんな彼の心中の問いに答えるはずもなかった――