幕間『ミューティレイク井戸端会議』
シュー=タルトはネービス領東のヴァニィリッツという街に産まれた18歳の青年だ。
父は街でも有名な菓子屋の主人。その長男である彼もまた、幼いころから自然と菓子職人の道を歩むことになったのだが、14歳のときに父親と仲違いし家出。
その後、ネービスの菓子屋で働きながら腕を磨き、2年前の春、ネービスの街で行われた若手料理人による菓子作りコンテストで優勝すると、その1ヶ月後にはミューティレイク家に招かれ、現在、その厨房で菓子担当のコックとして働いている。
短髪というほどではないが、料理人としては問題ない程度には短めの髪、容姿はどちらかといえばさわやかな部類に入るだろうが特筆すべきほどのことはなく、身長は本人いわく『小数点以下を切り上げれば170センチ』ということだが、ゼロを切り上げるなどという暴挙はなかなか普通の人間に出来ることではないだろう。
その性格はひとことでいえばお調子者。三枚目。ただ、菓子作りに関しての情熱だけは本物らしく『誰もが笑顔になれる菓子作りがモットー』などという恥ずかしいセリフを真顔で言ってのける様を見れば、彼が悪人でないということは誰もが理解するだろう。
さて。
本日はそんな、別に隠された力も大して特殊な過去も持っていない彼の周辺に少しだけスポットライトを当ててみることにしよう。
2月下旬のとある日の夜。
ミューティレイク家別館のある場所では、秘密の会議が行われていた。
出席者は全部で4人。
その4人はミューティレイクの関係者ではあるが、ディバーナ・ロウそのものとはほとんど関係がなく、おそらく見慣れない者たちも多いだろうと思うので、先にここでまとめて紹介しておくことにしよう。
まずひとりめは、一部を除いた女性使用人たちの頂点に立つハウス・キーパー、アマベル=ウィンスターだ。通称で『ベル』などと呼ばれることもあるが、その名で彼女を呼ぶ者は非常に限られている。
ネービス領ブレインスタンという街の下級貴族の四女として産まれた彼女は、9歳のときネービスの街にある『令嬢育成所』とも呼ばれるリーラッド学園に入学。15歳でミューティレイク家のパーラー・メイドとなり、21歳のときにハウス・キーパーの任に就いた、非常に真面目で仕事熱心な女性である。
現在の年齢は24歳。少々長めの金髪を左右からひねってまとめた上品なシニヨンスタイルの髪型に、女性にしてはやや高めの身長、さらには非常に厳格そうな雰囲気がいかにも管理職を思わせる人物であった。
……ただ、実際もそのイメージ通りなのかといえば、それはまた微妙にうなずけないところもあったりするのだが、まあそれはひとまず置いておこう。
ふたりめは、接客を担当するパーラー・メイドたちの長、ローズマリー=クロフォード。彼女の場合はアマベルとは逆に、ほとんど『ローズ』あるいは『ローズさん』などと省略して呼ばれる。
出身はネービス領の西に接するモンフィドレル領。クロフォード家といえばそこそこ名の通った上流貴族であるが、色々と複雑な家の事情のため、8年前、13歳のときに、クロフォード家と交流のあったミューティレイク家に預けられ、そのまま現在に至る。
そんな彼女の見た目に関しては、たった2つの単語だけで事足りるだろう。
『清楚』な『美人』だ。
加えてやや薄幸そうに見えるのは、容姿のせいか性格のせいか、あるいは生い立ちのせいなのか。ともかく、少々別格のシーラ=スノーフォールを除くと、彼女は間違いなくこのミューティレイクで一番の美人であろう。
ただ、その性格は少々――いや、これは後ほど実際に見てもらうこととしようか。
3人目。
掃除やベッドメイク等を担当するハウス・メイドの少女ヴァレンシア=キッチンは、両親がもともとミューティレイク家の使用人で、産まれも育ちもこのネービスの街だ。5年前に13歳で使用人として正式に雇われ現在に至っている。
ややクセ毛のショートカットで、いつも浮かべている悪戯っぽい表情がネコを連想させるこの少女は、ともかくにぎやかな性格だ。口を開けば持ち前のマシンガントークが炸裂し、なんにでも首を突っ込んでかき回してしまう上、痛い目を見てもまったく懲りる気配がない。屋敷随一のトラブルメーカーと言っても過言ではなかろう。
そして最後のひとりが、冒頭でも紹介した菓子作り担当のコック、シュー=タルトである。
一見、なんとも統一感のない顔ぶれと思うであろう。
だが、この4人が集まっているのにはもちろんきちんとした理由があって――
「それじゃ、まあ」
雰囲気は重い。とてつもなく重い。
丸いテーブルに4つの椅子。それぞれに座した面々を見回して口を開いたのはシューだった。
「みなさん、どうしましょ」
「……」
少々軽い調子の声に、対面のアマベルが無言で彼をにらむ。
シューは思わずビクッとして、
「ちょっとアマベルさん! なんでいきなり俺をにらむんです!」
バンッ!
「いったい誰のせいだと思ってるんですか!?」
「いや、そりゃ俺の責任もありますけど、全部が俺のせいじゃないですって!」
「む~~~~~~~」
うなり声。
発したのはシューから見て左手に座っている少女、ヴァレンシアだ。
アマベルはそんな彼女をチラッと横目で見た後、またすぐにシューの元へ視線を戻して続けた。
「ともかく、私は忙しいんです! こんなことしてる暇はないんです!」
「いや、まあそれはよく存じ上げておりますです、ハイ」
シューは素直にうなずいたのだが、その態度が気に入らなかったのかアマベルは不満そうに、
「だったら、なるべく早く結論を出して下さいね! 『責任者』さん!」
「うわ。ぐさりと来ますね、その言い方」
だが確かに。今回の件は彼本人に直接の責任がなくとも、彼が担当している部門の問題である。彼が中心となって解決しなければならないのはそのとおりだった。
「あ、じゃあこんなのはどうです?」
そう言いながら、シューはぴっと人差し指を立てて、
「アマベルさんとローズさんの色仕掛けでとりあえず適当にごまかし――うぉぉっ!!」
ギロリ。
殺気がほとばしった。
「……なにか世迷い言が聞こえた気がしますけれど、もちろん気のせいですよね?」
向けられたのは、あまり見慣れないアマベルの満面の笑顔。
シューはそんな彼女の背後に鬼を見た。
「た、たぶん、気のせいだと思いマス」
「む~~~~~~ん」
「まったく。くだらないこと言ってないで、早く話を進めてください」
「そんなこと言われましても。まず今からでは時間的に絶対無理という問題が」
「じゃあどうするんですか!」
「そりゃまあ、どうしようもないでしょう」
シューとしては至極当然の回答だった。
と、そこへ思わぬところから横やりが入る。
「……困りました」
八方塞がりの状態にしびれを切らしたローズマリーが頬に手を当て、はぁ、と深く重いため息を吐いたのだ。
「!」
そのため息に、シューとアマベルの2人がすかさず反応する。
……それは予兆だった。
「あの、ローズさん――」
とっさにシューがフォローしようとしたが、ときすでに遅し。
「……ふぅぅ」
成分の5分の1ぐらいが鉛で出来てるんじゃないかと思うほどの重いため息を吐いて、ローズマリーは顔の前で祈るように手を組むと、視線を下に落とした。
「ウィンスロー様はあの菓子がなければとても御機嫌が悪いのです。おそらく……私たちもそうならないよう努力するつもりですけれど、私ごときの力ではきっと……いえ、絶対ムリ……ムリです。ムリに決まってます……」
「あ、いや、ローズさん。別にそこまで深刻になるような問題じゃ――」
どうにかフォローを試みるシューだったが、彼女にはまるで届いた様子もなく、
「……そもそも私なんてなんの取り柄もないんです。暗いし、愚鈍だし、無能だし、接客なんて向いてないんです。期待してくれる皆さんのために少しでもお役に立ちたいと思って頑張ってきましたけど……ダメなんです。なにやってもダメ、ダメダメ人間……」
「ロ、ローズさん……」
そしてシューに突き刺さるアマベルの無言の視線。
「……え。もしかしてこれも俺のせいっすか?」
「あ、あなたが早く話を進めないからです!」
「んな無茶な……」
だが、どもったところを見ると、どうやらアマベルも多少は無茶だと思っているようだ。
――ちなみに現在の事情を簡単に説明すると、こうである。
明日、ミューティレイク家に客人が来る。名はウィンスロー=スナークウェザー。
スナークウェザー家はネービスに居を構える中流貴族であり、ウィンスローはその長男ということになる。一応はこのミューティレイク家当主であるファナの婚約者候補のひとりだったが、ファナからはあまり相手にされておらず、使用人たちにも徹底的に嫌われているが、本人にその自覚はまったくないという少々困った人物だった。
そしてそんな彼の大好物が、寒天を使用したとある乾燥菓子で、このミューティレイクでも彼が訪れる際には毎回必ずその菓子を出すようにしていたのだが、今回、とある理由から急にその菓子が出せなくなってしまった。
それで、どうしようか、というところなのである。
「ふぅぅぅぅぅぅ~~~~~~」
「おいコラ。うなってばかりいないでお前も少しは考えろ」
先ほどからまったく会話に参加してこないヴァレンシアに対し、ようやくシューの突っ込みが入った。
「……ん~、ほら。こうして一生懸命考えてるんよ」
「嘘つけ」
確かに。ダルそうにテーブルに突っ伏している彼女の姿を見れば、誰もがその言葉を嘘だと断定するだろう。
「だってさ~」
しかも当のヴァレンシアは言い訳するつもりもないようで、やはりテーブルに突っ伏したまま言った。
彼女特有の早口で。
「アマベル様とローズさんはいわば最高責任者と接客責任者なわけだしシューはお菓子作りの担当者だからわかるんだけど、なんで関係のないあたしまでこの場に呼びだされなきゃならないのかってその一点がどうしても理解できないわけで、どっちかとゆーと明日も早いんだしとっとと寮に帰ってベッドに入りたい気分なんだけどなー」
「……」
「……」
「ダメに決まってる……きっとまた失敗して怒られる……」
いまだ戻ってこないローズマリーはともかく。その他の2人――シューとアマベルは無言で顔を見合わせた。
……というのは、別にヴァレンシアの言葉に考えさせられたから、ではなく。
次の瞬間、見事にハモる。
「そもそも、お前の(あなたの)せいだろうが(なんですよ)ッ!」
「おろ?」
ヴァレンシアはビックリした顔をする。
そんな彼女に、シューは勢い良く指を突きつけて、
「おろ、じゃないっつーの! お前が俺の目を盗んでつまみ食いなんぞしなければ、最初からこんな面倒なことにはなってないんだよッ!」
だが、ヴァレンシアも反論する。
「だって、お客に出す予定のものならちゃんとしまっておくはずなのに、厨房のテーブルに無造作に放置してあるんだもん。食べていいのかなーと思うじゃん。お腹減ってたし」
「ぐ……だ、だからってあれだけあったのを全部食うか、フツー!」
「そうですよ、ヴァレンシア! そもそも、つまみ食いだなんて女の子のすることではありません!」
まったく別の切り口ながら、息のあったタイミングで詰め寄るシューとアマベル。
だが、しかし。このヴァレンシアという少女、その程度でオロオロするような性格ではない。
「おろろ、なんか2人して息ピッタリじゃん。あやしいなぁ。シューってば、いつの間にアマベル様とそんなふかーい仲になったのさ」
「へ? いやまあ、そりゃ確かに俺とアマベルさんは切っても切れない、ふかーい――ふごぉっ!!」
身を乗り出したアマベルにどつかれて、シューが椅子から滑り落ちる。
「乗せられてどうするんですか! マジメにやってくださいッ!」
アマベルは顔を真っ赤にして怒鳴ると、キッと視線を移動させて、
「ヴァレンシア!」
「……ハイ」
尻を床に打って悶絶しているシューの姿に、さすがにヤバいと感じたのだろう。ヴァレンシアは姿勢を正して神妙になった。
「確かにシューさんの管理にも問題ありましたが、あなたが元凶であることは確かなんですからね! 少しは反省しなさいッ!」
「ハイ。ゴメンナサイ」
「うぐぐ……なんで俺だけ」
そこで椅子から転げ落ちていたシューがようやく復帰する。
荒い息を吐いたアマベルはそんな彼を一瞥すると、気を取り直すようにコホンと咳払いをして、
「……それで。結局どうするんですか?」
「ス、スルーですか……まぁ、そうですね。ともかく今から作るのは不可能ですから、なにか代わりになるようなものを考えるか、あるいはどこかで仕入れてくるかでしょうけど」
そう言うとシューは腕を組んで、
「マイナーな菓子ですからね。取り扱っている店を探すだけでも時間がかかるかもしんないです」
「そうですね。……ローズ。ウィンスロー様がいらっしゃるのは何時ごろだったっけ?」
「……さい……」
「え? なに、ローズ?」
聞き返すアマベル。
すると、ローズマリーはぶつぶつと繰り返すように言った。
「……ごめんなさい……私なんかが産まれてきて、本当にごめんなさい……」
「……」
「……」
微妙な空気が流れる。
……放置している間に、彼女は行きつくとこまで行ってしまっていたらしい。
「え、えっと。お客が来るのは確か昼前ぐらいだったと思いますけど」
妙に白々しく明るいシューの返答に、アマベルもぎこちない笑顔でうなずいて、
「そ、そうですね。それじゃあまり時間もないですね」
2人とも、とりあえず聞かなかったことにしようと必死だった。
「……普通であればなにか代わりのものを考えるところですけど、ウィンスロー様の性格からすると、それでは納得なさらないかもしれません」
そこへヴァレンシアが口を挟んで、
「わがままだかんねぇ、あの人」
「ヴァレンシア。失礼ですよ」
たしなめるアマベルの声に、ペロッと舌を出すヴァレンシア。普段であればもっときついお叱りがあっておかしくない発言だったが、このウィンスローという人物に関しては特別だった。
「んじゃま、とりあえず」
最後にシューがまとめる。
「アマベルさんの方で近くの店を当たってみてもらえますか? 俺はなんとか代用になりそうなものを考えてみますから」
「……ええ。仕方ないですね」
アマベルが真剣な表情でうなずく。
なんだかんだと時間をかけた割にはなんのひねりもない結論だったが、最初からそのぐらいしか対策がなかったのである。
「あーあ」
ヴァレンシアがボソリとつぶやく。
「そんなツマんない結論なら、わざわざあたしを呼ばないで欲しかったなぁ」
「……お前はもっと反省せんかッ!」
――と、まあそんなこんなで。
次の日の早朝。
「ふわぁぁぁぁ……とは言ったものの」
ミューティレイク家別館にある厨房には、眠そうに目をこするシューの姿があった。半徹夜気味で厨房にこもっている彼の周りは、菓子作りに使う様々な食材で散らかっている。
あくび混じりに首を回す姿からわかるように、まだ代用品は完成していなかった。
「味とか食感だけなら、どうにか似たようなものは作れるんだがなぁ……」
ため息がもれる。
「あの坊ちゃんの場合、形や色が違うだけで難癖つけられるのは目に見えてるし。……そりゃ確かにお菓子は見た目だって重要だけど、でもアレの場合は綺麗とかおいしそうとかって基準じゃなくて、単なるわがままだからなぁ」
椅子に腰を下ろしてテーブルに肘をつき、もう一度ため息を落としながら、とりあえず片手間に作ったマドレーヌを口に運ぶ。
「うーむ、これだって充分美味いと思うんだが。他の菓子はいっさい口にしないってこだわりはよくわからんなぁ。まぁ味覚は人それぞれだけど。ぅ……ん~~~っとぉ」
大きく伸びをしてテーブルに突っ伏す。
「あーぁ。仕事とはいえさすがに疲れた……」
時間は刻一刻と過ぎていく。いつの間にか空も白み始めて、そろそろ使用人たちが動き出す時間になっていた。
このままでは、結局なにもできずに終わってしまう。かといって、解決の糸口すらも見えないこの状況では、なかなか動く気になれないのも仕方のないことだった。
と、そこへ、
「やっふー。頑張ってるー?」
「……」
無言で振り返ったシューの耳に、さらに勢いを増した言葉の波が押し寄せる。
「いやー、清々しい朝だねぇ! 晴れ渡る空、涼やかな風、澄み切った空気、そしてなにより同室の娘っこどもより先に目覚めたというこのほとばしるばかりの優越感! 早起きは三文の得とはよく言ったものだ!」
言葉通り、すでに制服に着替えたヴァレンシアは顔色もよく、まさに絶好調といった気配だ。
だが、
「……ほぅ。超寝不足なこの俺の前で、よくそんなことが言えたものだ」
そんな彼女とは対照的に腫れぼったくなった目を細め、恨めしそうに見上げるシュー。
「うわ、こわッ。寝不足は体に悪いよ?」
「誰のせいじゃッ!」
身を起こして思いっきり突っ込むシューに、ヴァレンシアは少ししなを作ってみせて、
「いやん。そんな大声出されちゃ、ヴァレンシア、困っちゃう~ん」
「……」
ゴンッ!
「った~~ッ!」
「気色悪い」
ヴァレンシアは後頭部を押さえながら少し涙目に彼を見つめて、
「……失礼しちゃうなぁ。せっかく、花も恥じらう17歳の乙女が色っぽいポーズを取ってあげてるのに」
「恥じらうどころか尻尾巻いて一目散に逃げ出すわ、アホ」
「む~~~」
冷たい反応に、口を尖らせてヴァレンシアはかなり不満げだった。
「まぁ、そりゃあたしはローズさんほど美人じゃないし、アマベル様ほどグラマーでもないけどさぁ。でもほら、少しぐらいは――」
「『ほど』? はっ、なに言ってんだ」
シューは途中でさえぎるとともに鼻で笑って、
「比べる以前にベクトル自体違うんだっつーの。孔雀とイノシシに美しさを競わせるようなもんだ。天と地、月とスッポン、提灯に釣り鐘ってなもんでさ」
「むかっ。……ふ~んだ。そんなこと言うんだったら、あたしにも考えがあるんだかんね」
「なんだよ」
ヴァレンシアは指先を勢いよくシューに突きつけて、
「アマベル様とかローズさんとかミリィさんとかに、ないことないことすべて言いふらしてやるッ!」
「待て! ないことばっかかよッ!?」
思わず強烈に突っ込んで、さらに頭を抱えるシュー。
「そんなことされてしまったら、俺のさわやかなイメージが台無しになってしまうじゃないかぁぁっ!」
「バカ、そんなもん最初からないっつの。……マドレーヌいただきっ」
「あっ!」
「……うんうん。ホント、お菓子の腕だけはまともだねぇ」
「あ、あーあ」
シューはそんなヴァレンシアに非難の目を向ける。
「お前なぁ。それ、セシルにやろうと思って残しといたヤツなんだぞ」
「……うわ! こんな身近にガチのロリコン野郎が!」
「違うわ、アホッ! あの子はお前と違って、俺の作ったもんをホントに美味そうに食ってくれてだなぁ!」
「だからあたしも美味しいって言ってあげてんじゃん」
うるさそうにパタパタと手を振るヴァレンシアに、シューはため息を吐いて、
「ぜんっぜんありがたみを感じねぇんだよ、お前の言葉は。……で、結局なにしにきたんだ?。なんも用事ないんなら、いい加減邪魔だから帰ってくれ」
「あ、そうそう」
その言葉に、思い出したようにポンと手を叩くヴァレンシア。
意外にも、きちんと用事があったらしい。
そして言った。
……少々信じがたいことを、いともあっさりと。
「アマベル様、今日は休暇を取ったみたいよ?」
「は?」
動きかけて、固まる。
「え、なに? よく聞こえなかった」
シューはそう聞き返したが、もちろん聞こえなかったわけではない。聞こえた言葉が信じがたいものだったから、聞き返したのだ。
だが、
「だ・か・ら。アマベル様は今日お休みだって」
聞き返しても内容は同じだった。
「……は?」
まさに寝耳に水の話。
「それで今日はローズさんが代理をやるってさ。いや、あたしも昨日のことがあったからまさかと思ったんだけど、どうもホントみたいなんだわ」
「ちょっ……それ、マジかぁっ!?」
シューが慌てたのは当然だろう。アマベルとは昨晩、協力してこの問題に当たろうと確認し合ったばかりだったのだ。まして今、彼の方は八方塞がりの状態。彼女頼みという面もかなり大きかったのだから。
ヴァレンシアは頭の後ろで手を組んで、
「マジマジ。でも、アマベル様の性格からして理由もなくすっぽかすってことは考えにくいから、よっぽどの事情があったんじゃない? なんか遅くまで引継の準備とかしてほとんど寝てなかったみたいだし」
「そりゃそうかもしれんが……そ、そうだ! そういうことならローズさんに改めて協力をお願いしておかないと! 時間だってもうそんなに――」
「あ。ちょっと、シュー!」
ヴァレンシアの制止の声も聞こえず、シューは厨房を飛び出した。
(冗談じゃない……いや、そりゃ頼り切ってたわけじゃないけど、こっちがこんな状況じゃ――)
食堂から1階ホールに続く通路を抜け、そこからさらに別の通路へ。
大半の使用人たちは敷地内の別の建物に寝泊まりしているが、一部の上級使用人たちはこの別館の中に私室を持っている。
パーラー・メイド長であるローズマリーも当然、この別館の中に部屋があった。
そこへシューは一目散に飛び込んでいく。
「ローズさん!」
バンッ!
「アマベルさんが休暇って本当ですかッ!? お菓子の件はいったいどうなって――って……うわぁぁぁぁッ!!」
部屋に飛び込んだはずのシューが、断末魔の叫び(?)とともにすぐ飛び出してきた。
屋敷内で殺人事件でも起こったのかと思わせる絶叫だったが、もちろんそんなことはなく。
バタンッ!!
「……シューさん……?」
「はぁっ、はぁっ!」
ローズマリーの怪訝そうな声。だが、シューはそんな言葉など耳に入っていない。
肩で息をしながら真っ赤な顔で、
「ロ、ローズさん! な、なんて格好してるんですかッ!」
そう。
部屋にいたローズマリーは上下ともに薄い布を着ただけの姿、要するに下着姿も同然だったのである。
「って、自分の部屋なんだから普通じゃん!」
自分で突っ込みを入れるシュー。どうやらかなり混乱しているようだ。
そして直後、扉の向こうから聞こえてきた声が、彼の混乱に拍車をかける。
「……見られた……」
「うわぁぁぁぁっ!!」
パニックになったシューは、慌てて扉に向かって土下座する。
「ごめんなさい、ごめんなさい! わざとじゃないんです! ホントです! 俺なんて口では偉そうなこと言ってても、そんな大それたことする勇気のある人間じゃないんです! マジで! 信じてくださいぃッ!!」
「……ううっ……」
「ロ、ローズさん――」
混乱した頭でどうにかつなぐ言葉を必死に検索する。
だが、
「ごめんなさい……」
「……へ?」
思わぬ返答に顔を上げるシュー。
すると扉の向こうのローズマリーは、まるで人生の終わりが迫っているかのような弱々しい声で続けた。
「ムリなんです……私なんかがアマベルさんの代役だなんて……ムリ……ムリに決まってます……きっとみんなに迷惑をかけるに決まってます……」
「え。あの、ローズさん……?」
そこでシューは気付いた。……どうやら彼女は、シューに下着姿を見られたことを嘆いているわけではないらしい。
そして彼女はさらに続ける。
「ひと晩中下着姿だったのに風邪も引けないなんて……こうなったら、もう……手首を切るしか……」
「うわぁぁぁッ! い、いきなりなにを言っちゃってるんですかぁぁぁぁぁっ!!」
慌ててドアノブに手を伸ばしかけ、思い出す。
(う! そ、そうだ! ローズさんはまだ下着姿――!)
「ロ、ローズさん! 馬鹿な真似はやめてください!」
「と、止めないで! 風邪で倒れられなかった以上、皆さんに迷惑をかけないようにするためには、もう私が死ぬしかないんですッ!!」
「なんじゃそりゃぁぁぁっ!」
彼女の思考回路はかなりエキセントリックだ。
「ちょっ、待ってくださいってば! だいたいローズさん、そんなこと言って失敗したことなんてほとんどないじゃないですか!!」
慌てて扉を叩きながらそう主張するシュー。
確かに。このローズマリーという人物は美人なだけでなく、気も利く上に礼儀正しく頭も良い、まるで非の打ち所がない優秀な人物なのである。
……ただ一点、この、どうしようもなくネガティブな性格を除けば。
「ふふ……うふふ……これでもう、誰にも迷惑をかけることもありません……」
「うわぁッ! ロ、ローズさん! 早まらないでくださぁぁいッ!!」
ドンドンと扉を叩きながら、シューの頭の中ではすでに葛藤が始まっていた。
(……扉を開けるんだシュー! 人の命がかかってるんだ! 姿格好なんて気にしてる場合か!)
(ふん、そんなこと言いながら、本当は見たいだけなんだろ? なんたって屋敷一の美人の下着姿だもんな、ぐへへへへへ)
(ち、違う! そんなんじゃない! ただ純粋にローズさんを助けたくて――)
(まぁまぁ、いいじゃないか。俺とお前は一心同体。幸い周りには誰もいないし、遠慮することなんてないだろ? ドアの向こうにはこの世の天国が待ってるんだぜ)
「う、ううう……」
よくわからない数秒の葛藤の後、シューは意を決した様子でドアノブに手を伸ばした。
「……ご、ごめんなさい、ローズさん! やましい気持ちなんて神に誓ってこれっぽっちもないんです! ないですけど……でも人命救助のため、やむなくこの扉を開けさせていただき――ごべぇっ!!」
側頭部を突然の衝撃が襲い、まったくの無防備だったシューは情けなくも床にキスをするハメになってしまった。
「……本当に救助だけが目的なら言い訳なんてする必要ありませんよ、シュー=タルト」
床にはいつくばるシューの頭上に聞こえたのは、事務的な女性の声。
「……ミ、ミリィさん?」
顔を上げるシューの眼前に立っていたのは、前髪をわずかに横に流した生真面目そうな眼鏡の女性、レディズ・メイド長のミリセント=ローヴァーズだった。
手には書類を綴ったものだろうか、厚さ10センチほどのファイルを手にしており、どうやらこれがシューの側頭部を直撃したものの正体らしい。
「ご、誤解ですよ、ミリィさん!」
シューは慌てて身を起こし、即座に弁解する。
「お、俺はただローズさんを助けようと思って! そ、そりゃまずいとは思いましたけど、他に方法が――」
「入るわよ、ローズ?」
ガチャ、バタン。
「って……ねぇ、聞いてよ、ミリィさん……」
だが、そんな弱々しい声がドアの向こうに聞こえるはずもなく。
聞こえたところでどうなるわけでもなく。
ガックリとうなだれたシュー。
……と、そんな彼の視界の端に、どうやら一部始終を目撃したらしいヴァレンシアの姿が入ってくる。
「ヴァレンシア……」
シューは助けを求めるように彼女を見て、
「なぁ、お前は俺の身の潔白を信じてくれるよな……?」
「スケベ」
「うっ」
ぐさっ。
「変態」
ぐさぐさっ。
「のぞき魔」
どすっ……ばたっ。
「さーて。あたしもそろそろ朝ご飯食べてこよーっと」
「……」
ひゅぅぅぅぅぅ……
館内に吹きさらす(ような気がした)風の中。
あとに残ったのは無惨な屍のみ。
(お、俺、なにか悪いことしたっけ……)
おそらく、そこまで責められるほどのことはなにもしていないのだろう。
ただ――
(でもローズさんの白いふともも、まぶしかったなぁ……もっとじっくり見たかった……)
そんなある意味正直な彼の性格が、災いを運んできたのであろうことだけは間違いない。
さて、そんな騒動があろうがなかろうが、日はいつもと同じ速度で空に昇り、屋敷はやはりいつもと同じ時間に活動を開始する。
「……ふぅぅぅぅ」
結局、問題の方はなんの解決策も見つからないまま。
ローズマリーに協力をお願いしようにも、あんな姿を見せられてしまっては余計な仕事を頼む気が起ころうはずもなく。
まさに孤立無援。
「誰か、俺を救え……」
厨房の隅っこで、シューは途方に暮れていた。
今日はウィンスローとは別の客が午後からやってくる。むしろ屋敷としてはそっちの方が本命であり、厨房はその準備で大忙しだ。
当然、シューがのんびりと菓子を作っているスペースなどそこにはなく、
「誰かぁぁぁぁ」
「なんだよ。なに騒いでやがんだ?」
「お?」
救世主出現を期待して振り返ったシューだったが、現れた少女の顔を見てすぐさま落胆する。
「……なんだ、ダリアか」
そこにいたのは、このネービスでは比較的珍しい褐色の肌にパーラー・メイドの制服。ただし中身は気品などという言葉とは無縁の少女、ダリア=キャロルだった。
「残念ながら、な」
そのサバサバした性格を表すように、彼女はシューの失礼な言い様にもまったく気を悪くした様子はなく、
「お前にしちゃ珍しく景気悪そうな顔してんじゃないか。また誰かにフラれたのか?」
「またってなんだよ、またって。言っとくがな。俺は産まれてこの方、女の子にフラれたことなんて一度もないんだぞ」
「まっ、フラれるとこまでもいかねーもんな」
「……否定できん」
シューは降参とばかりに手を広げて、
「けど今回は違うんだ。実はちょっと午前の客に出す菓子の都合がどうしてもつかなくてさ。どこかよその店で調達しようにも、人手がなくて」
「午前の客? ……ああ、なんだ、ウィンスローか」
少し考えたダリアはまるで気にもかけない様子で、
「んなもん適当にやっとけばいいじゃねーの? 別にあいつが機嫌損ねたって誰もお前をとがめたりしねーだろ」
「そうしたいなぁ」
そんな2人の発言は、屋敷の使用人としては少々問題があったが、実際のところはダリアの言うとおりだろう。
問題があるとすれば、アマベルから小言を言われそうなのと、ローズマリーがさらに落ち込むであろうことぐらいで、それ以外の人々は全員『仕方ない』のひとことで済ませてしまうに違いない。
ウィンスロー=スナークウェザーとはつまり、屋敷にとってその程度の存在なのである。
だが、シューはその後に続けて、
「けど、相手が誰だろうと、一度注文受けたら客が満足するもんを用意するのがスジってもんだしさ。まして、今回はもともとがこっちのミスなんだ」
「へぇ」
ダリアは手にしていた空のトレイをクルクルと指先で回しながら、
「自分で作ったもんじゃなくてもか?」
「う……そりゃ自分で作ったもんを出すのが基本だけどさ」
突っ込みに、シューは少したじろぎつつも、
「けど、それがどうしても叶わなくて、別の方法でも客が満足するってんなら、なんとかするのがせめてもの償いだろ? たとえばそれが競合店の商品だったとしてもさ。大事なのは自分のプライドよりも、客の笑顔だからな」
「へぇ。ま、あたしにはわかんない話だけど、お前がそう思うならそうなんだろうな」
そう言いながらも、ダリアはピタッとトレイを回す手を止めて言った。
「ヒマなら手伝ってやりたいとこだけどさ。ローズさんの仕事が増えたおかげであたしたちの方にもしわ寄せが来てんだ。わりぃな」
「……いや、もともと俺のミスだし」
「ま、ガンバレ」
ドンッ。
「うぷっ」
シューの背中に思いっきり張り手を喰らわして、意外に似合ってないわけでもない制服のスカートを揺らしながら、ダリアは去っていった。
「いてて……ったく。こっちは一般人なんだから、少しは手加減しろよ……」
そんな後ろ姿に愚痴をこぼしながらも、時計を見る。
(……さて、と。本格的にどうにかしなきゃな)
現在午前8時。
ミリセントに確認したところ、約束の時間は午前10時だという。残りは約2時間、ぐずぐずしている暇はない。
(こうなりゃ自分の足で探しに行くか……けど、徒歩で片道1時間弱っていうと限られてんなぁ)
ネービスの地図を頭に思い描くシュー。
その範囲内にある菓子屋といえば、彼の把握してる限りでは2軒しかない。しかもその2軒はここからだとほぼ正反対の方向で、つまり訪ねられるのは実質1軒のみということになる。
ここから大通りに出て少し北に行ったところにある新しくできた菓子屋か。
あるいは、南の一般住宅地の中にひっそりと立つ老舗の菓子屋か。
規模から言えば前者の方が大きい。
だが。
(マイナーな菓子なら老舗のほうだろうな。……よし。行ってみるか! 大丈夫。やるだけのことをやってりゃ、神様だって絶対に微笑んでくれるさ!)
そう決意すると、シューは作業着のまま屋敷を飛び出していったのであった。
――そうして歩くこと、約40分。
パタパタ、パタパタ。
風に舞う白い髪。……いや、紙。
2月も終わりに近づき太陽が顔を出しているとはいえ、地表に吹く風はまだまだ冷たい。いくらミューティレイクの制服がやや厚手の造りになっているといっても、寒風の中を歩き続けるにはさすがに少々心もとないものだ。
だが、そんな寒風の中でシューを突き動かしたのは、信念だった。
相手が誰であろうと、注文を受けた以上は満足を与えたい。彼が菓子職人である自分に求めた、最低限のルール。
それがために彼は、やはり菓子屋を営んでいた父と対立し、そして家を飛び出すことになったという過去がある。
だからこそ、そこはどうしても譲れない部分だったのだ。
パタパタ、パタパタ。
また、少し風が強くなってきていた。
住宅地の中にひっそりとたたずむ老舗菓子屋『アズマ』。基本的に中流以上の人々が口にする菓子というものを、それ以下の人々にも楽しんでもらおうと開かれたこの店は、いまだに創立者である60歳過ぎの老人が菓子を作り続けており、しかも毎日営業している。
値段を控えめにしている分、日持ちのしない菓子はほとんど扱っておらず、つまり大半が焼き菓子か乾燥菓子だ。
パタパタ、パタパタ。
だからシューが求めるものを取り扱っている可能性も低くはなかった。おそらくは半々といったところ。
――そのはず、だったのだが。
パタパタ、パタパタ。
シューの背後を、ひと組の親子連れが通りかかる。
「……ママー? あのお兄ちゃん、なんでお店の前で土下座してるのー?」
「しっ」
風が吹いた。
パタパタ、パタパタ。
店の門でたなびく、1枚の紙切れ。
そこには、こう書かれていた。
『店主、ギックリ腰のため、臨時休業』
「……」
半々の可能性は、あっけなくゼロになっていた。
「……ママー。あのお兄ちゃん、なんでお店の前でねんねしてるのー?」
「しっ。指さすんじゃありません」
もう一度風が吹いた。
「……うああ」
ゴロゴロ、ゴロゴロ。
「うああああああ」
ゴロゴロ、ゴロゴロ。
「ママー。あのお兄ちゃん、なんで――」
「近付いちゃダメよ! ほら、行きましょ!」
「……うがぁぁぁッ!」
「!」
突然奇声を上げたシューに、親子連れが弾かれたようにその場から逃げ出していく。
だが、当人はそんなこと気に掛ける余裕もなく、
「神よ! 寒風の中を歩いてきた俺の努力は!? 俺の信念は!? この世は鬼と悪魔しかいないのかジーザスラブフォーミーィィィィィィィッ!!」
まあ、思わず叫んでしまったのも仕方あるまい。
ただ、いくら意味のわからないことを叫んだところで、奇跡が降臨するはずもなく。彼に与えられたのは努力に対する祝福どころか、周りからの奇異と憐れみの視線だけだったのである。
「……はぁ」
短くなった影をたどりながら、疲労と空しさを引きずるようにして帰路につくシュー。
まぶしい太陽は少しずつ頂点に近付いていた。
正確な時間を把握する術はなかったが、感覚的におおよその時間はつかめる。
「あとだいたい30分ぐらいか……はぁ。屋敷に戻ったらいい時間だろうなぁ」
もはや為す術はない。
「ははっ……ったく、お笑いぐさだ」
太陽を見上げながら嘲笑を漏らす。
「この程度の注文もどうにかできねーで、なにが菓子職人なんだか」
おそらく今回の出来事で彼を責める者はいない。
ただひとり。彼自身を除いては。
「ハァ……」
道ばたの石ころを蹴り飛ばす。
コロコロ、コロコロ。
大通りから西へ。ミューティレイクに続くやや広めの通り。
もう一度小石を蹴る。
コロコロ、コロコロ。
「お嬢様に頼み込んで、直接謝らせてもらおう……はぁ」
それで気が済むわけではない。だが、なにもしないよりはマシだと思えた。
「……くそ」
コロコロ、コロコロ……コツン。
「あ」
イライラして周りを見る余裕がなかったせいだろう。もう一度蹴り飛ばした小石が、少し早足で横を通り過ぎた女性のかかとに当たってしまった。
「す、すみません」
「え?」
不思議そうな顔で振り返る女性。どうやら小石が当たったことに気付いていなかったようだ。
それでもシューはペコペコと頭を下げながら、
「あ、いや、ちょっとイライラしてて、石を蹴ったら当たっちゃって……」
「え。あ、いえ、平気ですから」
女性は20代半ばぐらいだろうか。身長はやや高めでシューと同じか若干高く、手には包みのようなものを持っている。どことなく気品のある出で立ちだが、ひとりで歩いているところを見ると貴族の娘というのではなく、どこかの屋敷に勤める上級使用人といったところか。
厚手の上着の上からでもわかるほどにスタイルがよく、上品なシニヨンスタイルの髪が魅力的な――
「って……アマベルさんじゃないですか!」
「えっ? あ、シューさん!?」
ビックリしたのはどうやらアマベルも同じらしい。
そして、
「「こ、こんなところでなにやってるんですかッ!?」」
見事にハモった。
その後、お互いに何度か譲り合いつつ、結局シューの方からしゃべり始める。
「なにやってるって、俺は例の菓子の調達に動き回ってるとこですよ。アマベルさんの方こそ! 急に休暇なんか取って、こんなところで一体なにをしてるんですか!?」
別に責めるつもりではなかった。
彼はアマベルの真面目な性格をよく知っていたし、おそらく充分に納得できるだけのやむを得ない理由があるはずだと信じていたからだ。
だが。
彼女から返ってきた答えは、彼の予想を裏切った。……ある意味。
「なにをって、決まってるじゃないですか」
わかりきったことを、とでも言わんばかりの表情でアマベルは答えたのだ。
「近くの店を当たってくれと言ったのはシューさん、あなたの方ですよ。もう忘れたんですか?」
「……へ?」
思わず間抜けな顔をしてしまうシュー。
「なかなか骨が折れましたけど……でも、どうにか8軒目で目的のものを見つけることができました」
そう言って、手にしていた包みを示すアマベル。
「……」
シューは無言のまま包みを見つめた。……確かに。その大きさはちょうど菓子折ぐらい。包みに刻印された店名にも聞き覚えがあった。ここからだいぶ離れた場所にある大きな菓子屋の名前だ。
「……」
さらに無言のまま、ゆっくりと視線を上げるシュー。
そこにあったアマベルの顔はどことなく誇らしげだった。
「……あの、アマベルさん」
そしてシューは確認するように、尋ねる。
「もしかして……自分の足で、朝から街を歩き回ったんですか?」
「え? いえ、日が昇ってから出発したのでは遅いと思って、日が昇る少し前ぐらいに屋敷を出ましたけど、それがなにか?」
「あ、いや、そういうことじゃなくて」
「?」
アマベルはきょとんとした顔をする。
質問の意味が理解できない、といった様子だ。
シューはさらに言った。
「あの。俺が頼みますって言ったのは、誰か使いの都合をつけてくださいってことで……それにアマベルさんの権限なら、屋敷の馬車とかも普通に使えるでしょうし……ていうか、普通そうするでしょ?」
「え?」
「だいたい、ただでさえ忙しいアマベルさんにそんな無茶なことお願いするわけないし……なによりどう考えたってそんなの効率悪いじゃないですか」
「え? え?」
さらに困惑した表情のアマベル。
そんな彼女の態度は、どうやら盛大な勘違いをしていたらしいことを明らかに示していたが、シューはあえて再確認した。
「もう一度聞きますけど……本当に自分の足で? わざわざ休暇を取ってまで?」
「……」
片手を口に当てたまま、アマベルは固まった。
それから視線を泳がせ……少しずつ頬が赤くなり始める。
そして――
「……ぷっ」
「!」
吹き出す音に、アマベルがビクッと震えた。
「くくっ……あははははははっ!」
「シュ、シューさん!? わっ、笑うことないじゃないですかッ!」
「い、いや……くくっ……だって! ど、どー考えたって、ふつー……あははははっ!!」
腹を抱えて笑い転げるシュー。
「俺、アマベルさんのそーいうとこ、めっちゃ好きだー! すげー真面目なのに変なところで抜けてるってゆーか……あはははは、ロ、ローズさんも災難――げほげほッ!!!」
「~~~! も、もう、知りませんっ!」
笑い止む気配のないシューに、ついにアマベルは真っ赤な顔のまま背を向け、ズンズンと歩き出してしまった。
「げほっ、げほっ……あ、あ、待って、待って……謝ります、謝りますから――げほげほッ!!」
「こ、こんなに苦労したのに……ぐすっ」
そんなつぶやきも、笑い転げるシューの耳に届くことはなく。
「あ、あ、待ってくださいってば! ホント、マジで感謝してますからアハハハハハハハ!!」
「……感謝しなくていいから、もう笑わないでッ!!」
悲鳴のようなアマベルの声が通りにこだまして。
そうしてまったく対照的なテンションのまま、2人は屋敷へと戻っていくのだった。
……その30分ほど前。
ウィンスローの使いから訪問キャンセルの連絡が入っていたことを、2人はまだ知らない――。